4 研修と飲み会

 秋は《ザ・ワンド》の緊急業務が少ない時期で、灰の月を迎えた今日も平和な時間が流れていた。正職員採用に関する様々な業務も、滞ることなく進んでいる。


 ザナトは正職員として本採用されたものの、元々契約社員だったために新人研修の大部分を免除されることになっていた。

「でも一部は、やっぱり受講しなきゃいけないんだ?」

 主塔でバッタリ会った詠唱師ルスランが、ニヤニヤとザナトを見た。

「ザナトが新人に混ざってるの、すっごい違和感」

「一番そう思ってるのは俺だと思うぞ。初々しい空気に包まれて気分が悪くなりそうだ」

 ザナトは肩をすくめた。

 ルスランは喉を鳴らして笑ってから、ザナトを夜の飲みに誘い、そして手を振って去っていった。


 ザナトは研修室に入る。

 十数人の新人のほとんどが席に着いており、そのうちの一人がザナトに気づいて会釈した。テオドールだ。

(研修までには戻ってきたわけだ)

 ザナトも軽く手を上げ、そして一番後ろの席に座った。


 ここに来る前に立ち寄った、編成師の作業小屋のことを思い出す。

 リユラはもちろんいなかったが、彼女は小屋の鍵を同僚のナジュアに託していた。ナジュアはリユラの留守中、リユラが育てている植物に水をやっている。

「リユラの行き先でしょ? だから、誰にも言ってないってば」

 編成師の制服を着たナジュアは、くせっ毛のショートヘアの頭を軽く振り、薄い茶色の瞳でザナトを見た。

「何か色々と企んでるのはザナトなんでしょ? ちゃんとリユラのこと、気をつけてくれてるんでしょうね」

 ナジュアに問いつめられ、ザナトは「当たり前だろ!」と答えたものの――


(じゃあどこから、テオドールはリユラの居場所を知ったんだろうな)

 上の空で研修を受けながら、ザナトは考えを巡らせる。

(部長なら知ってるが、テオドールがリユラの行き先を部長に聞く理由がない。現在ザ・ワンドで請け負っている最中の仕事は、資料室で詳細を調べられるが、先月まで正職員じゃなかったテオドールが閲覧するにはそれなりに手続きがいるだろう。そこまでするか?)


 結局、何一つ頭に入らないまま、研修は終わった。

 新人たちは別の場所で別の研修があるらしく、移動していった。ザナトは一人、考え込みながらエレベーターに乗る。


 一階のホールに降りたところで、声をかけられた。

「あの、すみません」

 初老の女性だ。クリーム色の肌に大きな目、そしてその目の上の額には、何かの紋様が描かれている。

(リユラのとは違うが、色が似てる)

 ザナトは思いながら、足を止めた。

「はい」

「あの、ここの職員に用があるんですが、どうやって呼び出しをお願いしたらいいんでしょう?」

「ああ、あそこが受付です」

「まあいやだ、あわてていて目に入らなくて……ありがとうございます」

「いえ。あの、エトリハ族の方……ですかね」

 ザナトは尋ねる。もしリユラの知り合いなら、彼女は今はここにいないので、そう教えようと思ったのだ。

 女性は驚いたように目を見開いてから、パッと顔を明るくした。

「はい。もうエトリハを離れてだいぶ経ちますが……山奥に住むエトリハをご存知の方がいらっしゃるなんて。あ、もしかしてテオのお知り合い?」

「……テオドールのことですか?」

「ええ、息子なんです」

 そうですか、と曖昧にうなずいたザナトは、彼に会釈をして受付に向かう女性を見送った。




「つまり、テオドールの母親とリユラが、同郷だってこと?」

 手にしたジョッキをテーブルに置いて、ルスランが整理するように聞き返した。


 行きつけの、隠れ家風飲み屋である。今日はザナトとルスラン二人なので、中庭ではなく建物内のカウンターで飲んでいた。

 上からぶら下がったモザイクランプの青い光を、端正な顔に映したルスランは、唸る。

「ふーん……初耳だな。イルダリア国立図書館の一件の時、テオドールはリユラを見てすぐにわかったはずだよね、エトリハ族だって。あの紋様は目立つもんな。でも、そんなこと言ってなかったよ」

「テオドール自身は、母親やリユラとは顔立ちもかなり違うし紋様もつけていない。母親が故郷を離れているということだし、おそらく父親がエトリハ族じゃないんだろう」

 ザナトはビールを一口飲んでから、続ける。

「気になって柱の陰から見てたら、呼び出されたテオドールは母親を見るなり怒ってたぞ。ここには来るな、とかなんとか。母親は、一度は息子の働く場所を見たいってんで押しかけちまったらしいが」

「何か事情があって、自分の出自を隠してるのかもね」

 ルスランは揚げ魚の酢漬けをつつきながら言い、それから和やかに言った。

「その辺は、詮索しないでおこうよ。過去に何かあったのかもしれないじゃないか。差別的なことを言われたとか、そういうことがさ。《ザ・ワンド》は人種のるつぼだ、彼が今は色々と気にしているにしろ、そのうち気にならなくなればいいけど」

「まあ……そうだな」

 ザナトはうなずく。

 ルスランの言うとおりだとしたら、リユラなら自分を差別しないだろうと思ったテオドールが彼女と組みたがっている……と考えることもできた。


 ルスランは肘で軽くザナトをつつく。

「なあ、リユラはテオドールに専属になってほしいって言われて、きっちり断ったんだろ。本人がはっきりと、ザナトと組むつもりでいるんだよな。じゃあ、復帰の日を決めようがその日がバレようが、もう気にしなくていいんじゃないか?」

「あー、まあ、そうだな」

 あいまいにザナトが返事をすると、ルスランはニヤニヤする。

「ザナト、そんなに彼女に振られるのが心配だった? 本当に惚れ込んでるんだね」

「彼女の仕事にな」

「仕事にね。ふふ、意外だなぁ。いつも女の子には割と強引なのに」

「恋愛沙汰とは全然勝手が違うじゃねぇか。あのリユラだぞ?」

 ザナトはぐっとルスランに顔を寄せ、眉間に皺を寄せた。

「いいか。リユラの力に興味を持って、リユラと組みたがってるのは俺の方だけ。あっちは俺じゃなくてもいいんだ。今回テオドールは、わざわざリユラを訪ねて行って自分の技術を見せ、誘ったものの断られた。でも、他の構築師が興味深い構築を見せれば、リユラは簡単に乗り換えるぞ。『おもしろーい!』とか言ってな」

「そうかなぁ」

「絶対そうだ。『情』じゃねぇんだよ。下手したら専属になった後も、他に『面白い』構築師が現れれば、乗り換えたいとか言い出すぞ、あいつ」

「僕は、それはないと見た」

 ルスランはきっぱりと言う。

「考えてもみなよ、リユラはエルドス部長の専属でも、嫌そうじゃなかったじゃないか。仕事ができればとにかく幸せってことじゃない? 構築師は誰でもいいのさ」

「誰でも」

 ずーん、と落ち込むザナト。一応ザナトは、以前リユラがザナトの構築を褒めてくれたので、彼の専属になることをかなり前向きに受け止めていると捉えていたのだが。

 ルスランはあわてる。

「あ、いや、でもリユラってザナトといると嬉しそうだよね? そう思うだろ? 彼女はザナトのこと、構築師としてはともかく人として」

「もういいんだ……どうせ俺は十把一絡げの構築師さ……」

「ザナトぉ」

「おっちゃん、なんか強いのくれ」

 ザナトがやさぐれて強い酒を注文しているところへ、鈴の音が鳴った。

「ちょっと失礼」

 ルスランがピーラを取り出して、あっ、と口を開ける。

「噂をすれば、リユラだ」

「ふーん」

「詠唱のことだよ、きっと! 僕の方にたまたま用事が、ね!」

 彼はアハハと笑いながら席を立ち、中庭の方に出て行きながら杖でピーラに触れ、話し始めた。

 リユラの声は、ルスランにしか聞こえない。相手がピーラの持ち主宛に連絡を取ってきた場合は、声は持ち主にしか聞こえないようになっている。


 ザナトは、今の話を思い返しながら、ふと考えた。

(そういえば、リユラは自分から人に近づくことがあまりない……と思ったことがあったっけか)

 それならやはり、ザナトがリユラをしっかりとつかまえてさえいれば、リユラは他の構築師のところには行かないかもしれない。

「俺の能力次第、か。……まあ、そこそこ自信はあるけど、あいつが面白いと思うかどうかはなぁ」

 片肘をつくザナト。

 中庭の隅でしばらく話していたルスランは、やがてピーラをしまいながら戻ってくる

「やっぱり、詠唱の件だった。編成の目処が立ったんだって。今月の二十日にしたいそうだ」

「日にち指定なんだな」

「しかも、夜に詠唱してほしいって。何でかな、ちょっと楽しみだ。泊まりで申請して許可が出るかな」

「夜?」

 ザナトは店員から受け取ったショットグラスを持ったまま、視線を上に向けてしばらく考えを巡らせた。そして、うなずく。

「ああ……二十日は新月か」

「え、何?」

 ルスランが聞き返すと、ザナトは笑った。  

「月のない夜は星々が美しく輝く、ってこと。やっぱり俺も見たい。行くか」

「出張費、どうするんだよ」

「何でもいいから現地に関わる仕事をすりゃ、仕事として認められるわけだろ。何とかする」

 ザナトは言って、グラスを一気に煽った。

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