3 夏の休暇は登山でリフレッシュ
ザナトとナジュアの声が重なる。
「メダラ山!?」
「はいっ」
リユラは力強くうなずく。
「高い山には、夏でも雪があるじゃないですか。あの山の水の精霊は強いし、氷への変化が得意だろうから、
「氷かー。うん、ルクルの水を長持ちさせる方法は、色々試してみるといいよね」
ルスランが納得したようにうなずく横で、リユラの天然具合を知っているナジュアがあわてる。
「あんなとこまで行くなんて、あなたみたいにぽやぽやした子が、危ないからほんとに! 前にも行って、滑落して骨折したくせに!」
「ちょ、武勇伝!? それ大丈夫だったんだよね!? 今ここにいるんだもんね!?」
ルスランがあたふたとナジュアとリユラを見比べ、ナジュアが呆れ声で答える。
「自分で即興呪文譜作って、無理やり骨折を治して、ヨロヨロ帰ってきたのよ。あとで骨を繋ぎ直すの大変だったって、保健管理部の先生が言ってたわ」
「今度はちゃんと気をつけるから大丈夫!」
「だいたい、出張費は出んのか?」
ザナトが突っ込むと、リユラは笑った。
「出ないんです。私、もう今年度の分、使い切っちゃった。えへ」
「えへ、じゃねぇ! どんだけ素材集めにあちこち行ってんだ」
ザナトは頭を抱える。が、リユラのこだわりはいつものことだ。
「仕事扱いにできないのに、自費で行くつもりかよ」
「ほら、夏の休暇の時に行けば、交通費の大部分は浮くから。旅行代わり?」
リユラはナジュアを見て、あっけらかんと言う。
「羊歯の月の前半に休暇を取ってるから、行ってくるね」
それを聞いたルスランが、「あ」と声を上げた。ザナトを指さす。
「ザナトの休みと重なってるな。北に旅行に行くとか言ってなかった?」
「え」
「メダラ山脈方面は? 何かあったときに駆けつけられるところにいてやれば?」
ザナトはぎょっと目を見開く。
「ちょ、何で俺が」
「ザナトも、北に行くの? おうちには帰らないんですか」
リユラが、キラキラした瞳で彼を見ている。
「お、おう……俺はもう、実家には何年も帰ってねぇよ」
「私も。お暇なら一緒に、どうですか? 夏の山に泊まりで行くのも楽しいですよ!」
今度はルスランがあわてる。
「いやリユラ、別に全日程、行動をともにしなくてもいいからね?」
「男女二人でってこと気にしないってどうなの……」
ナジュアがやれやれという様子で椅子に背中を預け、ザナトもなんと答えたものか頭をかいていると、リユラは笑う。
「私、他の人と一緒に出張するの、初めて! そうだ、あの山なら、面白いものが見られますよー」
(――リユラは、仕事とプライベートが一緒くたなんだな。それもどうかと思うが)
ザナトは、リユラの精霊との関わり方を見ることが、
そんな彼女が見せるという、「面白いもの」……
(断る理由が、ねぇよな。夏の山なら登山者も多いだろうし、山小屋は普通、雑魚寝……二人きりで泊まるのは、一応避けられるだろう)
「よしわかった」
ザナトがジョッキを手に、肩肘をついて身を乗り出す。
「『仕事』だからな、付き合おうじゃねぇか」
「やったー」
リユラも同じように身を乗り出し、テーブルの上で二人のジョッキがぶつかり合う。
ルスランとナジュアは顔を見合わせ、肩をすくめた。
夏と冬の長期休暇の際だけ、国際魔法センター《ザ・ワンド》の職員は、転移用呪文譜――転移譜を私用で使うことが許されている。遠方に故郷がある職員への配慮だ。
リユラが「夏の休暇は交通費が浮く」と言ったのは、世界各地に設置されているこれを利用することを意味する。ただし、そこから先はもちろん自費なのだが。
出発の朝、リユラの作業小屋で、二人は打ち合わせをした。
「メダラ山に一番近いのは、トデの町の転移所だな」
地図を確認するザナトは、リュックを背負っていた。手に上着を持ち、ブーツを履いている。荷物は一般の登山者より少ないが、ピーラを使用できる《ザ・ワンド》の職員は呪文による水の入手や怪我の治療が容易なので、その分、比較的軽装になる。ザナトのリュックもあまり膨らんでいない。
「はい。そこからバスで隣町へ。さらにバスに乗り換えて山に入り、五合目まで行けます」
答えるリユラは、膝丈のズボンにタイツ、ブーツという格好だった。やはり上着を別に持っている。
「雪のある八合目まで登って、山小屋で一泊。トデに戻るのは翌日の夕方ですね」
「了解。……で、あんたの荷物は何でそんなに大きいのかな?」
ザナトが半目になってリユラを見ると、リユラはザナトの二倍はあるリュックをよいしょと背負い直した。リュックはパンパンである。
「ええと、お仕事道具?」
「またこだわりかっ。少しこっちに入れろ!」
ぐるんっとリユラを後ろ向きにさせ、リュックの蓋を開けたザナトだったが、うっかり着替えらしきものが目に入ってしまった。
「……自分で出せ!」
がみがみ言って、リユラに出させた荷物を自分のリュックに突っ込んだザナトは、立ち上がった。
「いいか、俺が先に行くからな」
「え、一緒に行かないんですか?」
不思議そうなリユラに、ザナトは呆れる。
「あんた、《ザ・ワンド》の連中に俺との関係をどう思われたいんだ」
「あー」
「あー、て。……四半刻したら来いよ!」
ザナトはまず主塔に向かい、エレベーターで三階に上がった。エレベーターを降りたところに受付があり、吹き抜けを巡る回廊には扉がずらりと並んでいる。それぞれの扉の中に転移用の呪文譜があって、世界各地につながっていた。
受付には先客がいた。栗色の髪を顎で切りそろえた、肉感的な女性だ。
彼女が提出した書類を見ながら、受付の男が言う。
「特別許可証を使用するには、身分証の提示が必要です」
「えー、持ってきてない。エルドス部長はそんなことおっしゃらなかったわ……部長のご依頼の仕事でテッサに行くのよ」
「部長には専属の編成師が……」
「専属の方がお忙しいんですって。何なら確認していただいてもいいわ」
「仕方ないですね、次回は必ずお持ち下さい」
受付の男が書類に判を押す。
「ありがとう」
彼女は書類を受け取ると、後ろに並んでいたザナトをちらりと見て会釈した。目を引く美人ではないが、緩く開いた唇と泣きぼくろが妙になまめかしい。
(おやおや。部長権限で愛人に転移譜を使わせちゃうってか)
ザナトはげっそりしながら、回廊に去っていく彼女を見送り、そして自分の書類を受付に出した。
手続きを済ませ、吹き抜けを巡る回廊をぐるりと移動して一つの扉の前に立つ。
『イルダリア北部・トデ』
そう書かれたプレートを確認してから中に入ると、目の前に彼の身長よりも大きい直径の呪文譜が浮いていた。部屋の中なのに、緩やかに風が吹いており、ザナトの髪が呪文譜に向かってなびいた。
彼は無造作に、呪文譜の中に踏み込んだ。
びゅわっ、という風とともに、リユラの姿が呪文譜から吐き出されてくる。風に押されて、とっとっとっ、とリユラが前に進んだ。
「ああ、着いたー」
「おっせーよ。四半刻って言っただろうが」
転移所の受付の外で待っていたザナトは、ベンチから立ち上がった。
「ごめんなさい、一度主塔に行ったんですが、忘れ物しちゃって小屋に戻ったりしてて」
「とにかく行くぞ」
二人は連れだって、小さな礼拝堂のような転移所を出る。
夏らしい日差しの元に踏み出した二人に、涼しい風が吹き付けてきた。目の前には背の低い日干しレンガの建物が並び、その向こうに山がそびえているのが見える。その大きさに、まるですぐそこに山があって触れそうな気がするほどだ。山頂に近いあたりは、緑の木々と灰色の岩々の合間に白い雪渓が見えていた。
メダラ山である。
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