2 主呪文(メインスペル)の編成
ぱっ、と振り向くと――
石畳の上に立っていたのは、若い娘だった。手袋をした手に大きな葉のついた蔓を一掴み持っている。
童顔に大きな目、緩く編み込まれたミルクティー色の髪から垂れる後れ毛。立ち襟の臙脂色のシャツに、前が合わせになっている長い黒エプロンは、編成師の制服だ。エプロンはドレープを寄せるようにして後ろで結ばれているらしく、裾からは足首までの茶色のスカートが見えている。
しかし、ザナトがついまじまじと見てしまったのは、それ以外の部分だ。
額に茶とピンクの染料で、花のような蝶のような模様がレースのように繊細に描き込まれていた。見ると、腕まくりしたシャツの手首から両手の甲にも、模様が見えている。
「それ、化粧?」
思わずザナトが指さして聞くと、娘は彼の視線を追い、自分の両手をかわりばんこに眺めた。
「これですか? 私の民族のオシャレなんです、自分で描くんですよー。可愛いでしょう!」
《ザ・ワンド》には様々な民族の職員がいるため、服装や習慣も様々ではあったが、リユラのような模様をつけている者をザナトは見たことがなかった。
「あー」
曖昧に答えたザナトは、ようやく用件を思い出し、腰のベルトに着けた皮ケースから手帳と黒檀の杖を取り出した。
「ええと、俺は構築師のザナト」
手帳を開くと、中は紙のノートではなく、長方形の鏡のようなものが木枠にはめ込まれている。《ピーラ》と呼ばれるもので、職員はこれと杖を全員が所持していた。
《ピーラ》を杖で軽く叩くと、鏡面にザナトの名前と所属が浮かび上がった。彼はそれを娘の方に向けて見せる。
「エルドス部長の紹介で来たんだけど」
娘はおっとりと微笑んだ。
「お仕事ですか! 私は編成師のリユラです。どうぞ、中へ」
部屋に入ると、リユラはザナトに椅子を勧め、蔦を部屋の隅のバケツに突っ込んだ。それから、小さなキッチンにパタパタと走っていって手を洗う。
やがて戻ってきたリユラに、彼は紙の束を渡した。
「急ぎの仕事じゃないから」
ザナトの言葉にうなずくと、リユラは一番上の書類に目を通し、それが《ザ・ワンド》の仕事であることと、関係部署の印が捺されていることを確認した。
それから彼女は、折り畳まれた二枚目を作業机の上に広げた。大きな紙いっぱいに書かれたそれは、
「現場は首都なんですねー」
リユラは独り言のようにつぶやきながら、主呪文に書き込まれた文字を目で追った。
使う場所が決まっている精霊魔法には、その土地の昔の地名を入れるのが普通である。土地の精霊に呼びかけるのに最も効果的だからだ。彼女も、呪文譜の中からその地名を読みとったわけである。
「イナの木の精霊と、土の精霊。西風の精霊も召喚……」
「国立図書館から依頼された案件だ。一番古い書庫の床を、イナの木の根が割りそうになってる。柱にも影響が出ると、書庫自体が崩れる」
ザナトが説明すると、リユラは目を丸くした。
「あの歴史ある書庫が、ピンチなんですか?」
「それで、まずは木の根を西方向へ誘導。いずれはイナの木自体を移動させる。ゆっくり時間をかけて作用するようにプレゼンしたい」
「プレゼン?」
リユラが首を傾げる。ザナトは肩をすくめた。
「だってそうだろ。精霊魔法なんて、その件に必要な精霊を呼び出して、まず褒め讃える。あなたは美しく偉大だ、我々はいつも感謝している、ってな。次に、ところで今こんな風に困ってるんです、あなたの素晴らしいお力をお貸しくださいお願いしますよ、そうすればこんな風に秩序が戻りますよ? ってことを呪文でアピールして、納得の上で働いてもらうわけだ」
その言い様を聞いて、リユラはクスクスと笑った。
乱された秩序を取り戻すことを精霊は好むので、彼らはたいていは聞く耳を持ってくれる。
が、ヘタな呪文を使って怒らせてしまったり、うまく伝わらずに勘違いされることも多々あった。逆に、何が気に入ったのかこちらの求める以上に動いてくれることもある。良くも悪くも。
今回のように、木・土・風の精霊でプロジェクトチームを作る場合は、精霊同士の相性もあってプレゼンの難易度も高い。簡単な呪文なら、構築師の呪文だけで動いてくれることもあるが、今回はそういう訳にはいかないだろう。
そこで登場するのが、編成師である。構築師の書いた主呪文を整理し、時には直し、精霊に効果的に伝わるように様々な手を入れて呪文譜に仕上げる仕事だ。
「じゃあとりあえず、大まかに組んでみましょっか」
リユラは腰ベルトに下がっている皮ケースから杖を取り出し、作業机の上からシャトルを手に取った。
昔は織物をする時に、縦糸の間に横糸を通すために使われたシャトル(杼)。透かし彫りの入ったシャトルの中央は、空洞になっている。彼女は糸巻き台から、黒い糸の巻かれたものを選ぶと、シャトルの空洞部分にはめ込んだ。
彼女の杖の先が、シャトルの糸巻きに触れ、すーっと動いた。糸巻きが回転し、黒い糸が光をまとって紡ぎ出され、リユラの杖先を追ってザナトの書いた第一稿の上を滑る。
リユラは紙の上を杖で何周かたどると、すくい上げるような動きですうっ、と杖の先を宙に掲げた。
文字が浮き上がり、糸に絡まるようにして上っていく。糸は宙に何重もの円を描き、その上に文字が整列し始めた。見た目は魔法陣とよく似ている。
このあたりは、編成師にとっては淡々と行うことができる事務的な作業だ。ザナトも一応、ここまでのスキルは持っている。
「時間をかけて、かぁ。すごく私向きのお仕事かも」
杖を回しながらリユラが言い、ザナトは目でどういう意味か尋ねる。
彼女は少し眉尻を下げて答えた。
「私ってトロくて、急ぎの仕事は任せられないって、いつも言われちゃうんです」
(部長にそう思わされてんだろうな)
ザナトは呆れる。
(愛人に仕事を回すための建前に、利用されてんじゃねぇか。そんなんじゃ、給料も基本給だけだろう。まあ、こいつがそれに甘んじてるなら自業自得だけどな)
リユラは、宙に浮かんだ第一稿の文字にすべて目を通すと、彼を見てにっこりと言った。
「ザナトの主呪文、単純でわかりやすいです!」
「そりゃすいませんね」
少々カチーン、と来るザナト。彼が常々、自分の書く呪文の短所だと思っているところだった。雪山の案件でもそうだったが、複雑なニュアンスが精霊に伝わりにくいのだ。
リユラは彼の様子には気づかないようで、にこにこと続ける。
「率直さを好む土の精霊と西風の精霊が、とても好意を持ってくれる呪文ですよ、これ。さっきの『プレゼン』っていう考え方も、私は好きですね、対等な感じがして……変に精霊相手に偉ぶる呪文より、ずっといいなと思います」
そして、ふと杖で呪文の一部を指した。
「ああ、こことここの節は入れ替えた方が、風の精霊に伝わりやすいかなぁ」
指揮をするように杖を左右に振ると、呪文が動いて入れ替わる。
すかさず、ザナトは口を挟んだ。
「待て、そこは土の精霊への部分と韻を踏んでる。どうせなら呪文自体を変えた方がいい」
彼は再び《ピーラ》を手にすると、杖で鏡面に開錠の印を書いた。
精霊と交信するためのあらゆる呪文は、特殊な空間である
ザナトは鏡面を見つめ、その奥の深みから一つの呪文を見つけだす。
「これは?」
ついっ、と杖の先を上げると、鏡面の上に光る文字が浮かんだ。
「あ、いいですねー」
リユラの杖が動き、その文字が浮かび上がって主呪文の一部と入れ替わる。
二人は相談し合いながら、主呪文の文字と記号を整理していった。
「よし、だいたいのところはこれでいいと思います」
リユラは杖を下ろす。
「後は編成しておきますね」
「いつ来ればいい?」
「うーん、イナの木がちょっと複雑なので……」
リユラは主呪文を眺め、つぶやくような言い方に戻ったかと思うと、作業台の上の糸巻き台をゆっくり回転させながら考え込んだ。それから棚の方に行って何か見ていたかと思うと、作業台に戻ってきて不意に屈み込み、下の壷をいくつか開けて覗き……
立ち上がると、ザナトを見てうなずいた。
「二週間ください」
「二週間んん?」
思わずザナトは聞き返す。
(五日でやれよ!)
内心ではそう思ったが、確かに急ぎの仕事ではないし、と思っているうちに、リユラはにっこりと笑った。
「早速、準備に取りかかりますね! 二週間後の『木の日』にいらして下さい」
「あ、ああ。じゃあ、よろしく頼むわ」
ザナトは立ち上がる。
扉を開けて外に出ると、彼は閉める前にもう一度リユラの方を見た。
彼女は主呪文を宙に浮かべたまま、作業台の上に分厚い本を広げて調べ物をしている。もはやザナトのことは眼中にないようだ。
(エルドス部長の言ってた、仕事がトロいっていうのは、本当かもな)
扉を閉めたザナトは、ため息とともに肩を落とし「またハズレか……」とつぶやきながら、リユラの仕事場を去ったのだった。
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