国際魔法センター呪文譜(スペルピース)部のはみ出し者各位

遊森謡子

CASE・1 イルダリア国立図書館第一書庫の倒壊を阻止すること、ならびに構築師ザナトが編成師リユラに出会うこと

1 国際魔法センター《ザ・ワンド》

 精霊魔法とは、精霊たちへの「プレゼン」である。

 ――というのが、『呪文構築師』ザナトの持論だった。


 天井の高い重厚な雰囲気の部屋の壁には、どっしりした書架がずらりと並んでいた。部屋の中央には、向かい合わせに数個ずつ並べられた机がいくつも島を作っている。

 そのうちの一つ、入り口から二つ目の島。

 島全体を見渡せる端の席で、小柄な中年男が杖を手にした。黒檀の杖はペンより少し長く、模様が彫り込まれた部分だけ赤く塗装され、杖先の反対側である天に水晶がはめ込んである。

 中年男は杖を小刻みに揺らし、ついでに貧乏揺すりもしながら言った。

「昔は人間の中にも、魔法が使える者がいたとかいうけど、先祖返りとかでまたそうならないもんかね。いちいち精霊に呼びかけなきゃ使えないんじゃ、面倒でかなわん」

 机の横には、白いシャツに黒のベスト、ズボン姿の、黒髪の青年が立っている。彼は、言ったところでどうしようもない愚痴を上司が言う時には返事は期待されていないことを知っていたので、いつものように黙っていた。

 彼の上司は杖の水晶をポンと外し、現れた印をカツンッ、と書類に突くと青年に差し出す。

「俺の専属の『編成師』んとこに持って行け」

「しかし、その編成師には部長の仕事があるのでは」

「俺の仕事は急ぎのが多いからな、いつでも引き受けてくれる有能な外注に回してる。お前のはどうせ急ぎの仕事じゃない、トロいやつで十分だ」

「そうですか」 

 青年は書類を受け取ると、ちらりと上司を見下ろした。

「部長、肩に髪の毛がついてますよ」

「あ?」

「長いやつ」

 あわてて肩に手をやる上司をそのままに、青年は手にした紙の束に今受け取った書類を重ねながら歩き出す。

 そして彼は、すれ違う同僚と挨拶しながら廊下に出た。


 五角形の塔――国際魔法センター《ザ・ワンド》。

 塔の中央は吹き抜けになっており、廊下の手すり沿いを歩きながら見上げると、はるか高い天井には黒い幾何学模様の木組みが見え、隙間から陽光が降り注いでいる。

 この吹き抜けを魔法で行き来すれば、すぐに目的の階にたどり着けるのだろうが、そのためにわざわざ風の精霊を呼び出していては精霊もへそを曲げてしまう。職員たちは大人しくエレベーターを使っており、青年も同様にエレベーターに乗り込んで鉄柵を閉め、『一階』のボタンを押した。


 玄関ホールに到着し、柵を開けて降りた時、外からホールに入ってきた人影が片手を上げた。

「ザナト!」

 赤い裏地の長い黒マントを着けた、癖のある金髪に灰青の瞳の人物だ。青年ザナトも、書類を持っていない方の手を上げる。

「ルスラン。戻ったのか」

「ああ。やれやれ、わかってはいたけど雪山の仕事はキツかった。長々と詠唱してるとマフラーが凍るんだ、呼気で」

 近づいてきたルスランは、立ち止まるとため息を一つついた。手にはまだ、仕事道具の入った鞄を提げたままだ。


 ルスランは『呪文詠唱師』である。裾が膝まである立ち襟の黒い上着に黒ズボン、赤いサッシュベルトは、詠唱師の制服だ。

 一方、構築師のザナトに制服はないが、構築部の職員たちは何となく立ち襟の白シャツに黒ベストとズボンという格好で出勤していた。契約職員のザナトもそれに倣っている。

 無造作頭によれたシャツのザナトと、髪も身だしなみも整っているルスラン。性格の違いそうな見かけの二人だが、仲はいい。


 二人は行き交う職員の邪魔にならないよう、ホール中央から少し脇に避け、飾られた絵画――初代センター長が太陽に手を差し伸べている――の前まで行った。ザナトが言う。

「雪崩で埋まった建物から、住人を助ける任務だったっけか? 無事に済んだんだろ、良かったじゃねーか」

「無事なもんか」

 ルスランは整った顔で、ザナトをじろりとにらんだ。

「お前の書いた呪文譜スペルピース、火の精霊を煽りすぎだ。なんかヤバそうだったんで抑えめに詠唱したけど、雪の一部が蒸気になって吹っ飛んで、野次馬が何人か火傷した。おかげで治療の呪文も使う羽目になったぞ」

「抑揚記号がまずかったか、そりゃ悪かった。あの呪文譜は急ぎの仕事だったろ、いい編成師がつかまらなくてな」

 肩をすくめたザナトに、ルスランは呆れ声で言う。

「いい加減に、相棒になってくれる編成師を見つけろよ。腕のいい編成師は上の人たちが囲い込んでるだろうが、中堅なら引き受けてくれる人はいるはずだし、今年の新人たちも腕はいいらしいぞ」

「俺は正職員じゃねーから、一人の編成師を専属につけんのは無理だよ」

「なら外注でもいい。馴染みの編成師くらい作れるだろ。お前の書く呪文の癖なんかを知ってもらってる方が、いいに決まってる」

「まぁな。とりあえず今から一人、当たってみるところだ」

 ザナトは手にした紙の束を軽く持ち上げた。新しい呪文譜の第一稿だ。

「エルドス部長の紹介。部長専属の編成師だそうだ」

「は? それこそ、部長の仕事があるのにいいのか」

 ルスランがいぶかしげに言うと、ザナトは少し彼に顔を寄せて、紙の束の陰で声を低めた。

「部長の愛人が、町で編成師やってんだよ。試験に落ちまくって正職員になれないんで、個人的に仕事を回してやってるらしい」

 含み笑いをするザナトに、ルスランは呆れた目つきになる。

「その分、部長専属編成師は手が空いてる、ってわけか。……そういう情報、どこで仕入れて来るんだよ」

「聞きたいか?」

「……やめとく。とりあえず、今回の仕事の報告書書いてくるよ」

 ルスランは笑ってザナトの背中を軽く叩くと、詠唱部のある階に上がるべくエレベーターの方へと立ち去っていった。


 呪文詠唱師――世間一般で『魔法使い』と呼ばれているそれは、イルダリアに住むあらゆる人々の、憧れの職業だ。

 どこかで人間の手に負えないような問題が起こると、《ザ・ワンド》から派遣された詠唱師が颯爽と現れる。そして、美声で朗々と呪文を詠唱して精霊と交信し、山道を塞いだ落石を割ったり、行方不明の子どもを見つけだしたり、暴れ回る獣を倒したりして、来たときと同様に颯爽と去っていく。印象的な制服も、一般人の詠唱師への憧れをさらに煽り立てていた。

 しかし、詠唱師が呪文を詠唱するためには「縁の下の力持ち」とも言うべき地味な存在が必要不可欠であることは、意外と知られていない。

 その存在こそ、ザナトのような構築師と、彼がこれから会いに行く編成師なのだが――


 ルスランを見送ったザナトは、玄関ホールの外に出た。

 早春の空は柔らかく晴れ、黒い格子模様から赤い壁面が覗く塔の影が、足下の建物群や石畳の通路に落ちている。

 塔から研究棟へ繋がる空中廊下の下をくぐったザナトは、塔の南側に抜けて、木造小屋がいくつも並ぶ区域に出た。編成師の小屋だ。職員は皆、塔の中の事務所に自分の机を持っているが、編成師は仕事柄それとは別に一人一人が作業用の小屋を持っている。

「いるかな?」

 ザナトは一軒の前に立った。小屋、とはいえ、黒と焦茶の板が組み合わされたスタイリッシュな建物だ。階段を三段登ったところにある扉には、銀色のプレートが取り付けられている。

 プレートには『リユラ』と名前が入っていた。


 プレートの下に取り付けられた銀の輪を、ザナトはコンコンコンと扉に打ちつけた。

 ……返事はない。

 ザナトはもう一度コンコンやってみたが、結局はドアノブに手をかけた。ちょっとひねっただけで、扉は軽い動きで向こうに開く。

「お邪魔しますよ」

 扉の隙間から頭を突っ込んだザナトは、「うっわ……」と声を漏らした。


 中は、外壁からは想像もつかないほどの色彩のごった煮だった。

 木の壁のあらゆるところに色鮮やかな模様が書き込まれ、棚には仕事に使う紙が何種類も詰め込まれている。天井の梁や、壁にそって作られた階段の手すりからは、乾燥させている最中なのかドライフラワーやドライハーブがいくつもぶら下がっていた。部屋の中央、大きな作業机の上には糸巻きを立ててある回転台が置かれ、机の下には染料のものらしい壷がずらり。二階は半分が吹き抜けになっており、残り半分は手すり越しに棚の背面が見えていた。その棚にも、天井にも、なにやら模様が描き込まれている。


「……編成師の部屋で、こんなに物が詰め込まれた部屋、見たことねぇわ」

 半ば呆れた声でザナトがつぶやいていると、背後から声がした。


「あ、ご用ですか?」|

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