CASE・2 荒れ地の町ルクルに水を呼ぶこと、ならびに構築師ザナトが編成師リユラの出張に付き合うこと
1 居酒屋に精霊を呼び出せ
イルダリアの夏は長い。国際魔法センター《ザ・ワンド》のあるアーナシナ周辺の荒れ地も、強い日差しに照らされて藪がくすんだ緑を晒している。
しかし、このあたりは水脈もないのにところどころに水が湧き、人々はその恵みで日々を暮らしていた。
「ルスランは、夏の休暇はどうするんだ」
歩きながら友人の詠唱師に尋ねたザナトの顔に、緑と青の光が映っている。
宵の口のアーナシナの飲み屋街は、店先につるされたモザイクガラスのランプが通りに沿って連なっており、華やかに闇を彩っていた。人々はのんびりした足取りで行き交い、おしゃべりの声や笑い声が混じり合う。
「草の月の後半に申請したよ。実家に顔出さないとな。ザナトは今年も、羊歯の月に休むのか?」
答えたルスランは、仕事場である《ザ・ワンド》から一度家に帰り、シャツに膝下までのパンツにサンダルというラフな格好に着替えてきていた。それでもキマって見えるのは、しゃれた耳飾りのおかげか、単に顔がいいと何でも似合うのか。
「ああ。前半にな。いつも通り、皆が帰ってきた頃に入れ替わりで休むよ、いつでもいいし」
仕事帰りのザナトは、制服のベストを脱いでシャツの袖をまくっただけの格好だ。くつろげた襟元から、銀の鎖が覗いている。
「どこか、北の方で涼んでくるかなー」
「いいなぁ、俺もザナトと行きたいよ。実家は暑くて」
話しながら路地に入ったところに、赤い吊りランプに照らされた扉があった。勝手に開けて中に入ると、短い廊下の先が明るく開けている。
「いらっしゃい!」
頭に布を巻いて背中に垂らした店員たちが、ザナトとルスランを迎えた。電飾が飾る中庭を格子壁の建物が取り囲み、建物の内外に黒い木の机と椅子がランダムに置かれている。
ここは隠れ家的な飲み屋で、ザナトたちの行きつけだ。自然に近い庭、格子の壁を抜ける風、落ち着いた内装に美味い酒肴。最近人気が出始め、今日もすでに半分以上の席が埋まっていた。
中庭の中央、橙色と緑色のモザイクのガラスランプが置かれた席の近くで、一人が手を挙げた。
「ザナト、ルスラン、こっち」
ザナトとルスランが近づいていくと、テーブルの脇に立っていたのはすらりと背の高い女性だった。癖のある赤茶色の髪をショートにしている。
「やあ、ナジュア。どうしたの、先に座ってればいいのに」
ルスランが声をかける。
「うん、ちょっと」
ナジュアは、《ザ・ワンド》の編成師の一人である。その彼女が、薄い茶色の瞳を店の奥側に向けた。ザナトはテーブルに近づきながら、その視線を追う。
視線の先に、地面にうずくまっている人影が三つ。
一番手前で、こちらに背を向けてしゃがんでいるのは、ミルクティー色の髪を緩く編んでまとめた人物だ。襟刳りからタトゥーのような模様のある肌が見えている。その向こう、こちら向きにしゃがんだ残りの二人はやや年の行った男女で、夫婦なのかどことなく雰囲気が似通った組み合わせだ。手にガラスランプを持って、地面のあちこちを照らしている。
「何やってんだ?」
ザナトが眉を寄せると、ナジュアが答える。
「あの奥さんの方が、大事なイヤリングを落としちゃったのよ。店に入ったときにはあったんですって。でも、この庭のどのあたりで落としたのか……足下は暗いからわからなくて」
「あ」
急にミルクティー色の髪の頭が振り向いて、垂れ目がちな目がザナトをとらえた。
「サダコ!」
「サダコ誰だよ。ザナト!」
げっそりしながらザナトが軽く手を挙げると、その女性――リユラはにこにこして「ザナト! こんばんは!」と身軽に立ち上がった。
なかなかザナトの名前を覚えないリユラだが、会ったとたんこれほど嬉しそうにされれば、彼も悪い気はしない。
リユラは駆け寄ってきていきなり彼の手首のあたりをつかみ、引っ張った。
「ちょっと、来て下さい、こっち」
「何だよ」
つんのめるようにして奥へ行くと、リユラは彼の手をつかんだまましゃがみ込んだ。
「即興、やりましょ。ね。光の精霊にお願いして、庭の地面全体を明るくしたいんです」
彼女は光の精霊の力を借りて、イヤリングを探すつもりらしい。
「光の精霊は、電気を嫌うぞ」
ザナトは指を一本上に向け、庭に連なって張り巡らされた小さな電飾を示した。光の精霊は、電気の明かりがある場所には自分の出番はない――と拗ねて、なかなか出てきてくれないのが普通だ。
「どういう呪文で誘い出すつもりだよ」
「楽しければ、遊びにきてくれると思うんです。例えば、こんな」
リユラはザナトの耳に顔を近づけ、口元に手を当てた。ささやきがザナトの耳をくすぐる。
面倒臭そうに聞いていたザナトだったが、
「……まあ、やってみるか」
と腰ベルトに手をやって手帳型ケースと杖を取り出した。
がに股でしゃがんだままザナトは手帳を開くと、中に入っていた水晶板ピーラに杖を触れさせる。ピーラが明るくなると、彼は意識を集中させて目的の呪文を探した。
「ほれ」
彼が杖をゆらりと持ち上げると、いくつかの呪文がピーラから空中に連なって出てくる。このあたりの昔の地名を表す呪文、光の精霊の名前を表す呪文、そしてリユラが欲しがったイメージからザナトが選んだ呪文だ。
「すてき! いい呪文!」
隣にちょこんとしゃがみこんでいたリユラが、すかさず自分の杖を右手で宙に滑らせた。いつの間にか、左手にはシャトル(杼)が握られており、そこから黒い糸がするすると伸びて呪文をからめ取っていく。
呪文を載せた糸は円になり、すぐに二人の目の前に小さな
「さあ、この庭を光の海に変えますよ」
リユラは髪に挿していたかんざしを一本引き抜くと、そこについていた水色の石を呪文譜に触れさせる。
「ザナト、そこのランプ取って」
「へいへい」
彼はランプを呪文譜に近づけた。ランプの光がかんざしの石を透かして、石が煌めく。その煌めきが呪文の文字に反射したかのように、呪文譜を光が一回転した。
「さて、詠唱」
ザナトがそのまま振り向いてルスランを呼ぼうとした時。
リユラが口を開いた。
『トーハナシナーラの地で、我は光の精霊に呼びかけるものである』
アーナシナの古い地名から始まる呪文――編成師が自ら、詠唱を始めたのだ。大がかりな呪文譜でなければ、そして失敗が少ない案件なら、珍しいことではない。ザナトも自分で構築から詠唱まですることもある。
『玻璃を透かす光よ、夜の庭を駆けたまえ。ここに集う人々は、波に揺れる船を思い描くだろう。光の精霊よ、その美しさを顕らかに!』
呪文譜の一部になっていたかんざしの石が、再び、キラリと光った。
そのとたん、庭の端からもう片方の端まで、光が走った。
わあっ、と客たちが驚いて地面を見回す。光は波状に幾度も地面を走り、テーブルと椅子はまるで光の海に浮かぶ船のようだ。
「きれい!」
「なんだこれ!」
客たちの声が聞こえる中、イヤリングを落とした夫婦の妻の方が声を上げた。
「あっ、あそこで何か光ったわ!」
光の波を反射して、草の中でキラリ、と光るもの。夫が手を伸ばして拾い上げた。
「あった、お前のだよ」
薄い緑色の石のついた、イヤリングだった。
立ち上がったザナトが横を見ると、やはり立ち上がったリユラがザナトを見て、にっこり笑った。
「ありがとうございます! ああ、よかった!」
半泣きで喜ぶ女性に、「いいええ」とリユラは笑いかけてから、杖を大きく緩やかに回す。
即興で作った小さな呪文譜は、役目を終えて空中に溶け、消えていった。
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