第9話 健康診断に行く

リンネが始めての戦闘訓練を終えた翌日、魔導通信で大学のクラリス教官から連絡が入った。


「明日、あなたの双霊召喚獣を私の研究室に連れてきなさい。卒業の時にも言った定期的な検査よ」


そういえば、文献にしか残ってない稀少なエルフ族の研究データ取得とやらで定期的に連れてこい、とか言ってたっけ。


「明日ですか?明日はちょっと用事が……」


用事なんてないが、昨日から気持ちがもやもやとして気分がすぐれない。


「演習センターのデータが召喚術本部経由で回ってきたのよ。召喚時から比べたら驚異的な成長を遂げてるわ。しかも短期間で!特に知能レベルに言語理解、論理的思考は私達がこれまでに召喚したどの種よりも高くなる可能性があるの!これは世界の国々の召喚獣戦闘ドクトリンを変えてしまうかもしれないのよ!」


これ程興奮してるクラリス教官は初めてだったが、今の俺にとっては国家レベルの事でもどうでもいい。


「ごめんない、少し熱くなってしまったわ……。あれからエルフ族の事は出来るだけ調べたから、彼女の健康状態を正しく検査出来るのは私達だけよ?あなたも彼女が病気になったら困るでしょ?健康診断だと思っていらっしゃい……」


クラリス教官の言葉には有無を言わせぬ迫力と説得力があった。さすが、あの若さで博士号を持ち、大学で主任教官を勤めるだけの事はある。


「分かりました。明日、伺います……」


確かに俺が未知の召喚獣であるリンネの健康管理が出来るか?と言われれば難しいだろう。


「リンネ、明日は俺の大学に行って健康診断だぞ」


「けんこうしんだん?なあに、それ?」


「リンネが病気にかかってないか、調べるんだ」


「びょうきは魔法じゃ治せないの?」


「普通の召喚獣なら治癒魔法で治せるけど、リンネは特別だから、ちゃんと調べないとなんだよ」


「リンネはとくべつ……。どーゆーこと?」


無邪気な表情で問いかけてくるリンネに答えが見つからない。

お前は2000年前に滅んだ種族なんだ。だからこの世界に他に仲間は居ない。

……そんな事を伝えたくなかった。

普通、召喚獣は召喚術師にとって戦いやステータスアップの道具に過ぎない。

それにどれ程高位の召喚獣でも、自分の存在について考えたり、悩んだりなんてしない。

だけどリンネは違う。

きっと悲しむと思うし、俺は悲しませたくないと思うから、


「リンネは、俺にとって特別に大切だって事だよ」


「わたし、カイルのとくべつ!」


とっさの俺の答えに、幸せそうに微笑んで飛び付いてくるリンネを抱き止めながらふと考える。


人が魔物と戦う為の道具である召喚獣に、どうして俺は悲しませたくないと感じるのだろう。

人間とそっくりだから?知能が高く、感情があるから?

そしてリンネは俺にとって、どんな特別なんだろう?


とっさに自分が言った言葉を自分に問い正してみても、答えは返ってこなかった……。


―――翌日、俺は母校であるエルフェリア高等魔術大学に戻って来ていた。

2週間も経っていないのに随分と久しぶりな気がする。

卒業式の時は誰にも見送られることなく校門を出たが、今日は違った。

クラリス教官に大学の理事長、理事達の他にはスーツや白衣姿の数人の男女が玄関前で俺達が来るのを待っていた。


俺達の姿を認めたクラリス教官が変わらぬ笑顔で迎えてくれる。


「いらっしゃい!待ってたわよ。カイル君もその子も元気そうね」


落ち着いた理知的な美人のクラリス教官は、相変わらずノーフレームの眼鏡がよく似合っていた。

聴いたことはないけど、年齢は20代後半から30前半てところだろう。


「ええ、最近はこいつ……、リンネの栄養バランスを考えて自炊していますから、大学時代より健康かもしれません」


「リンネ、って名前を付けたのね。滅んで再び蘇る命の円環、輪廻ね。カイル君にしてはなかなか詩的じゃない」


そこに割って入って来たのは卒業時に始めて話した人、という印象しかない理事長だった。


「よく来てくれたね、カイル君!いやあ、君は我が校の自慢の卒業生だよ!召喚学を大きく進歩させた第一歩に我が校の名が刻まれるかもしれないんだからね!」


上機嫌の理事長が猫なで声でまくし立てる。以前会ったときは、厄介者扱いだったくせに。


「理事長、もうよろしいですか?今は一刻も早く彼女の状態を確認しなければなりません。……さあ、こっちよ」


そう言ってクラリス教官は理事長を黙らせ、俺達を研究室に連れて行く。

クラリス教官の研究室は大学の研究棟の中の最も広い部屋だった。

大学のときもここに来たのは数える程だったけど、研究室の広さや実験設備からクラリス教官が他の教官達よりも優遇されているのは明らかだろう。


「昨日も言ったけど、彼女は私達にとって未知の召喚獣だし、彼女にとってもここは新世界。私達には些細な病気でも彼女には脅威となるかもしれないから、精密検査が必要なの。さ、こっちに連れてきて」


少し怯えるリンネを教官の指示に従って検査台に連れて行く。

その検査台の周囲にはさっき玄関で待っていた白衣やスーツ姿の人達が手元のバインダーを見ながら俺達を眺めていた。


「じゃあ召喚獣の服を脱がせて、ここに寝かせて」


ゴム手袋をはめながら事も無げに言うクラリス教官の言葉に一瞬耳を疑う。


「えっ!全部脱がせるんですか?!ここで?!」


クラリス教官の助手も含めて10数人の男女が見てる前でリンネを裸にしろってことだ。

多くの人達の視線に晒され、リンネは更に怯えた様子で俺の背後に隠れる。


「ああ、こちらは魔学技術庁や召喚術研究所の研究員の方々だから問題ないわ」


「あの、教官。検査着とかありませんか?初対面の人達の前で裸にするなんて……」


俺の言葉に何か違和感を感じたのか、クラリス教官はふっと表情を曇らせる。


「ふぅ……、まあいいわ。あなた達、検体に生徒の定期健診用の検査着を着せて、精体波測定から始めてちょうだい!……カイル君は私とこちらに来なさい」


助手達に指示をとばした後、クラリス教官は強い口調で俺を隣の執務室に連れて行く。

ドアが閉められ、静まりかえった室内には俺とクラリス教官の二人だけになる。

クラリス教官は両手を白衣のポケットに突っ込み、リラックスした様子で口を開いた。


「カイル君、あなたの召喚獣は確かに特殊だし、最初に召喚した双霊召喚獣は召喚術師にとって思い入れがあるのは理解できる。だけどね、あれはただの召喚獣よ。召喚術によって命と身体を与えられ、一時的にこの世界に形を留めているだけの、かりそめの存在。人間にとって利用すべき道具であり、国にとっては資源でしかないの。それは何度もあなた達に教えてきたはずよね?」


「ええ、教官の講義で何度も聞きました。ですがリンネは人間と同じように話して、考えて、感じる心もあるんです。道具だなんて、思えません!」


「人の形をしているから感情移入してしまうのよ。もしあの子の見た目がゴブリン族なら、リザード族だったならあなたは今と同じ事が言える?彼らだって感情はあるし、痛みも感じるし、言葉だって理解できるのよ?」


そう言われると俺は何も答えることが出来ない。

醜悪な餓鬼のようなゴブリンに、二足歩行のイグアナみたいなリザードに同じ感情を抱ける自信は無かった。

押し黙った俺にクラリス教官が諭すように語りかけてくる。


「いい?あなたがどう思おうが、現実は変わらないわ。魔物退治や戦争に使われる召喚獣や危険な作業に従事する召喚獣、街の魔導力を生成しているエレメントだって召喚獣だし、精肉工房では毎日数百頭の牛や豚が召喚されその場で殺されてる。召喚術師はね、召喚獣という消耗品を生み出して社会に貢献する仕事なのよ」


消耗品……。クラリス教官の言う通り、今の社会は召喚獣を消耗することで成り立っている。

通常召喚獣であれば一時的に呼び出し、用が済めば返喚する事だってできる。

しかし通常召喚で召喚されるのは極低位の召喚獣だけだし、経験の蓄積も知能も無いので簡単な攻撃命令しか受け付けない。


だが高度化し続ける社会は従順に人に従い、学び、成長する高位の召喚獣をあらゆる場面で必要とした。

つまりそれは、双霊召喚獣は召喚されると命尽きるまで人間の道具として使い潰されることを意味する。

どんなに目を反らしても、それが現実だ。


「……教官のおっしゃる通りです。それは頭では解っているんですが……」


「この国の召喚術師が一生のうちに召喚する召喚獣は双霊、通常合わせて300体以上。余計なヒューマニズムに流されても、あなたが苦しむだけよ。精肉工房の主人が毎日殺す牛に感情移入してたら勤まらないのと同じ。前にも言ったはずよ『あなたは召喚術師に向いてない』って。割り切れないなら召喚術師なんか辞めなさい!」


召喚獣を道具として扱い、それが力尽きれば新たに召喚して使役する。

召喚術師とは元々そういうものだ。それは解っていたはずだったのに。


「・・・俺が召喚術師を辞めたら、リンネはどうなるんですか?」


教官の言った、『辞める』という選択肢は今まで思いもよらなかったことだ。


「講義で教えたと思うけど、召喚術師と召喚獣は精神の絆『精紋』で繋がり、この世界に顕現してるの。あなたが召喚術師の能力と資格を失えば、あの子はこの次元に形を留めることが出来ずに、まさに無に帰るわ。だけど彼女は極めて希少で有用な新種だからあなたの予備精紋を使って『保存』され、召喚術研究所で今後のエルフ族召喚の為の精紋解析の検体として死ぬまでモルモットにされる。死んだあとは徹底的に解剖され、最後は王立博物館の召喚獣コーナーに剥製として永遠にさらし者になる、って所かしら。これってかなりいい線行ってると思うわよ~」


肩をすくめ、おどけた口調で軽く話すクラリス教官の言葉は、俺には重すぎて受け止めきれなかった。

否定できない現実に愕然としつつも、こんな話を事も無げに話すクラリス教官を睨みつける。


「あらカイル君、ムカついた?でもこれは私達召喚術研究者にとって普通の発想よ。世間一般的にもね」


黙ったままの俺を一瞥すると、クラリス教官は「話は終わり」とばかりに戸口に向かう。

だが扉の前でふと足を止め、


「幸い研究所はまだ未発達のリンネちゃんを『ちょっと珍しい新種』くらいにしか思ってないみたいね。誰かがこれ以上目立たないように守ってあげればいいんじゃないかしら~」


「・・・えっ?!教官、それって!」


意外な言葉に驚いて教官の後ろ姿を見つめる。


「これは『召喚術師に向いてない』教え子を持つ教官としての発想よ・・・」


そう言い残してクラリス教官は部屋を出て行った。


リンネの精密検査が終わり、クラリス教官からは『健康上の問題は無し』との診断結果と育成する上での注意事項を聞いて大学を出る。

来た時と違い、見送る者は誰も居ない。

というのも、検査結果は出張って来た魔学技術庁や研究所の研究員の期待するものではなかったからだ。

特に大いに期待を裏切られた理事長には、リンネは『とんだ期待外れの役立たず』とまで言われたが、ムカつくどころか清々しくさえ思えた。

それはクラリス教官がリンネを『目立たないように』してくれた結果だと確信できたからだ。


「りんね、やくたたずって言われた・・・」


悲しそうにうつむくリンネのつぶやきに努めて明るく答えてやる。


「おや?リンネはあのおじさんに何かしてあげたのか!」


「ん~?なんにもしてない・・・」


「おじさんの役に立ってないなら、おじさんにとって役立たずなのは当然だろ?」


「あ・・・、うん。そうかも・・・」


「でも俺にとってリンネはすごく役に立ってるぞ!ご飯は美味しく作れるし、買い物も手伝ってくれる。昨日は洗濯だって覚えたろ?!リンネは俺にとって大切で、特別なんだよ!」


「わたしっ、かいるのとくべつ!!カイルもわたしのとくべつ!!」


さっきの表情が嘘だったかのように、満面の笑みのリンネが俺の首にとび付いてくる。


「こら、首は苦しいから離れなさい!」


「やーっ!はなれない~!」


はしゃぐリンネの温もりを感じながら、ふと考える。


召喚術師にとって、より高位の双霊召喚獣を持つ事こそ強者。

低位の双霊召喚獣しか召喚出来なければ、ろくな仕事も無く、わずかな収入でその召喚獣を養わなければならない。

中には低位の双霊召喚獣をあえて強力な魔獣と戦わせて殺し、再び双霊召喚を行う者も居ると聞く。

現代の社会構造は変えられない。


だが世間が召喚獣を消耗品だと考えていても、例え周囲がリンネを道具扱いしたとしても、召喚主である俺がリンネをそんな風に思わなければ良いだけの事だ。

それだけできっと、リンネはこの世界で幸せに過ごすことができると思う。


クラリス教官の言うように、今の社会は召喚獣の犠牲の上に成り立っている。その恩恵を受けて生きていながら、否定し批判するのはただのエゴ、偽善だとすら思う。


だけど例え偽善だったとしても、目の前にあるリンネの笑顔を曇らせたくない、と俺は心からそう思った―――


これまでの召喚獣の成長値


腕力 27 器用 37 俊敏 24 魅力 40 魔力 16 知力 50 社会性 42

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