第16話 お引越し
クラリス教官の紹介のおかげで俺とリンネの就職が決まった。
『ピンクペンギン冒険社』
ネーミングも事務所も社員も怪しい会社だが、横の繋がりも軍や召喚術研究所とも関係の薄い会社である事が最も重要な俺達にとって、贅沢は言ってられない。
きっと教官はそれも見越して紹介してくれたんだと思う。
それと住む場所や食事も付いているのも嬉しい。
あの怪しい雑居ビルの一階のバーも社長のファミルさんが経営しているらしく、仕事がないときは社員はそこの手伝いをするとのこと。
零細企業だけに冒険稼業だけではやっていけないんだろう。
なんにしても、ちゃんと就職出来たことを母さんに連絡して安心させてやらないとな。
「まぁ~、良かったわね!とりあえず仕事に就いてないと家族を養えないものね。あとは早く孫の顔見せてね!」
なるほど、就職したあとは親の『結婚と孫』の催促が始まる訳か・・・。
数日後―――
この日は今のアパートを引き払って、王都の怪しい雑居ビルへの引っ越しの日だった。あらかじめ不要な物は売ってお金に変えたり、処分してたので持っていく荷物は少ない。
「リンネ、要るものと要らないものを分けて、お片付けだ」
思えばここでのリンネとの生活が始まって一ヶ月近い。
改めて室内の荷物を見ると、リンネの物が半分近くを占めていた。
特に服とおもちゃの類いだ。
「女の子は物入りでしょ~」と母さんがコリーのお下がりの洋服や下着を送ってくれたのは有り難いが、引っ越しの後にして欲しかった・・・。
おもちゃはリンネが短期間で幼児期から小児用、小学生まで成長したこともあって、かなり多い。
対象年齢から外れて遊ばなくなったものは捨てるしかない。
要らない物の箱に入ったリンネの持ち物を眺める。
リンネに文字を教えた知育絵本や教材。
初めて買ってやったぬいぐるみや積み木。
洗濯に失敗した水色のヒラヒラワンピース。
使い古したクレヨンや塗り絵。
どれもリンネとの思いでと成長が刻まれた品だった。
「カイルがくれたもの、捨てられない!」
最初、リンネはどれも要らない物の箱に入れる事をためらっていたが、「使ってない物は、お礼を言ってお別れしようね」と説得した。
手放す基準と勇気を教えないと、将来『物を捨てられない女』になりそうだしな。
なるべく少なく荷物をまとめると、呼んでおいた運送業者のトラックに積んでゆく。
王都内での輸送なら魔導自動車が使えるから早く終わりそうだ。
王都の外だと、舗装が進んでいないし、燃費の悪い自動車よりも、速度は遅くても馬車に頼る方が効率的なのだ。
実家のクレイリバーでも、自動車を持っているのはプルムの家だけだった。
トラックに荷物を積み終えると、大学入学時から住み慣れたアパートを離れる。
俺の隣で「しゅっぱーつ!」とはしゃぐリンネの言葉通り、俺達は新たな門出の一歩を踏み出した訳だ。
30分ほどでトラックは王都中央駅前歓楽区の雑居ビルに到着した。
やはり何度見てもこのビルの周囲は怪しい&いかがわしい事限りない。
ピンクチラシがそこらに落ちている通りには昼間だというのに、露出の多い服の女が男にしなだれかかって歩いてるし、真っ当な値段設定でないような店では真っ当な仕事をしていなさそうな人が開店準備をしていた。
中身が小学生のリンネが暮らす場所としては凄く不適切な気もするが、二人して路頭に迷うよりはマシか・・・。
とりあえず『ピンクペンギン冒険社』の事務所に挨拶するためにリンネを連れて2階に向かう。
磨りガラスに洒落た字体で社名が書かれたレトロなドアを開けると、中の内装は新しく、外観と違って明るく綺麗なオフィスになっている。
「失礼します~。カイルです。只今到着しました~、って誰も居ない?」
入ってすぐ両側の事務机にも奥の社長用の大きなデスクやその間の応接ソファにも人の姿は無い。
「いるわよ!」
怪訝な声と表情で応接ソファの背もたれの向こうからココットが顔を出す。
「ああ、お前が居たのか・・・。引っ越しの報告と部屋の鍵を貰いに来たんだけどなぁ。社長かドリスさんは居ないの?」
「お前とはなによ!この前から後輩の癖に生意気なのよ、あんた。社長とドリスは下の店で仕込み中だから、あたしが留守を任されてんの!だから今が最高責任者ってこと!」
ココットはソファに上がり、ふふんと腕を組んで得意げに仁王立ちする姿は遊具の上に立ってるお子様みたいだ。
「こんな小さい子に留守番させるなんて無用心だなぁ・・・」
と、出ていこうとする俺をココットが引き留める。
「あら~?部屋の鍵は欲しくないの?」
振り替えると、ソファの上のココットが見せ付けるように鍵を指先でくるくる回す。
「あたしが留守を任されてると言ったでしょ?あんたが来たら渡すようにって預かってるのよ」
「・・・じゃあ荷物入れるから鍵よこせよ」
「は?それが先輩にものを頼む時の態度?うちの会社では先輩には様付けが基本なのよ?」
このくそガキ、足元見やがって・・・。
「・・・ココット様、鍵を頂けませんか?」
「なに対等にものを頼んでるのよ?ちゃんと頭を下げて、『無知なロリコン童貞野郎の私めに』が抜けてるわよ?」
無知で未経験、百歩譲って童貞も我慢しよう。しかしロリコンは聞き捨てならん。俺はロリコンではない、と思う。
「ちょっと待て、俺はロリコンではない!そこは訂正してもらおう!」
「ならどう見ても10代の女の子にしか見えない召喚獣に、どう見てもロリコン趣味のお洋服を着せ替えて楽しんでいるのはなぜかしら?一緒にお風呂に入って、幼く穢れのない未成熟な身体にこれっぽちも興奮しなかったとユルズの神に誓えるの?」
「うっ、そ、それは母さんが妹の服を送ってくれるから、仕方なくだな・・・。それにリンネの身体に興奮するだなんて、あ、ある訳ないだろ。ははは・・・」
「ならここにユルズの聖典があるわよ。ここに手を当てて誓ってごらん?『私、カイル・ハートレイは誓ってこの無垢なる幼子に邪な感情を抱いたことはありません』と。さあ、さあ!」
ユルズの女神はエルフェリア国教として国民全てが信仰する大地の神だ。それに冒険の神でもあり、俺達にとって関わり深い神の名を持ち出すなんて汚ねえ!
だめだ、神の御名において嘘は言えない・・・。
「・・・ココット様、どうかこの無知なロリコン童貞野郎の私めに部屋の鍵をお与えください」
この会社での最初の仕事がこれだとは就職を喜んでくれた母さんにはとても言えねえな・・・。
そんな精神的なダメージと引き換えに部屋の鍵を貰うと、リンネと二人で荷物を運びこんでいく。
俺達に与えられた部屋は2階の一室。
元々はオフィス用のテナントスペースだった為に、一つの広い部屋をいくつかに仕切って2LDKの居住用に改装しているらしい。
何にしてもそろそろリンネも一人部屋にしてやろうと思ってたから調度いい。これから思春期の難しい時期になるだろうし。
「今日からここがリンネの部屋になるんだよ。好きなように使っていいけど、ちゃんとお掃除とお片付けはしなさい」
「わぁ~!ここ、リンネの部屋なの?うん、ちゃんとする!」
などと元気よく返事をしていたが、リンネは言わないと片付けをしないからかなり心配だ。というかどうせ言わないと掃除しないだろうな・・・。
それにそろそろリンネにもお金の使い方や金銭感覚を身に付けさせる頃だろう。いろいろ忙しくなるとリンネに買い物を頼まないといけないだろうし。
「それと今月からリンネにもおこずかいをあげるから、これからも良い子にするんだぞ?」
「おこずかいくれるの?!やったぁ!リンネ、良い子にする~!」
俺も就職できたことだし、食費やこの部屋の家賃を引いても毎月手取りで80000ギルほど貰えるはずだ。
最初だし5000ギルくらいが妥当かな。
「あ、それとリンネ。さっき会ったココットとはあまりお話ししちゃダメだぞ。あの子の話してる言葉も聞いちゃダメだ、いいな?」
リンネの精神年齢と一番年が近そうだけど、あいつの性格と言葉使いの悪さがうつったら大変だ。
『あんな子と遊んじゃいけません!』って言うお母さんの気持ちがよく解る!
「え~、ミルフェちゃんとお話しできないの?」
と、リンネはココットを憧れの魔法少女だと思い込んでるようだ。
「あれはね、ココットという悪い魔法少女なんだよ。見た目はミルフェちゃんだけど、俺をイジメるとんでもない悪魔なんだ・・・」
「そうなの?!カイルをイジメるなんて許さない!私が守ってあげるからね!」
ああ、リンネはほんとに素直で優しい子だな。
こうしてリンネも自分の荷物を部屋に運び込み、「ここに置こう」とか、「これはこっちがいい」なんて悩みながらも片付けを終えたようだ。
これからおこずかいを貰えるのが嬉しかったらしく、リンネが荷物運びや整理を積極的に手伝ってくれたおかげで荷物や家財道具も片付き、引っ越しは無事終了した。
ピンクペンギンの事務所に戻ると、社長のファミルさんやドリスさんも戻ってきていた。
「あら、引っ越しは終わったかしら~。部屋は気に入ってくれた?」
「はい、内装も綺麗ですし、部屋割りまでしてくれててすごく満足してます」
先日、入社契約に来た時に内見したときは壁紙も剥がれただだっ広いだけの部屋だったが、内装工事をしてくれたらしい。
「そう~、良かったわ!これからはしっかり働いて、まずは内装工事費を返していかないとね!頑張って!」
ファミルさんはすごく優しい笑顔でサラッと言ってるが、何だって??
「内装工事費って、え?どういう事ですか?」
「だってぇ~あんなボロボロでな~んにもない部屋じゃ生活できないでしょ?だから気をきかせて改装してあげたんじゃない」
「そういうのって、家賃にふくまれてるんじゃ・・・」
「家賃は最初の状態での家賃よ?大丈夫よ、たった80万ギルくらい一年も働けば払えるわよ~」
ああ・・・、就職と同時に借金を背負うハメになるなんて・・・。
リンネにおこずかいなんてとてもじゃないが無理だな。
すると憐みの表情を浮かべたココットがポンポンと俺の肩を叩く。
「あんたの就職した会社はね、こういう所なのよ・・・」
この口の悪いガキもここで苦労してるんだな・・・。
「まあそんな暗い話は忘れて、今夜はカイル君とリンネちゃんの歓迎会よ~!驚かそうと思って内緒でドリスとご馳走を作ってたの~!サプラ~イズ!」
誰のせいで暗い話になったんだ!というツッコミは置いておいて、仕込みというのは俺達の歓迎会の為の料理を作ってくれてたらしい。
ドリスが一階の店から運んでくれた料理は凄く豪華で美味しかった。何だかんだ言いつつも、こんな優しい一面もあるんだな。
「本当に今日の料理は美味しかったです。あれ程の高級食材を使って大丈夫ですか?」
今日の料理に使われた食材はどれも王都の三ツ星レストランで出されるものばかりだった。材料代だけでもかなりの額だろう。
「今日はカイル君とリンネちゃんが社会人になった記念日でもあるのよ~。そんな野暮なこと言っちゃダメよ~」
少しお酒が回ってほろ酔いのファミルさんが優しく微笑む。俺達の門出をこんな盛大に祝ってくれるなんて、結構いい人じゃないか!
「費用の事なら来月の給料から分割払いで落ちるから大丈夫よ~!遠慮しないで沢山食べてね~!」
それを聞いた途端、酔いも一気に醒めた。
自腹で自分の歓迎会やるなんてほんとにサプライズだよ!
「えええええっ!待ってくださいよ!これ、まさか俺が払うんですか?!」
「もう~、記念日なんだから、ケチくさい事い・わ・な・い・のっ!!」
ほろ酔いのファミルさんがウインクしながら俺のほっぺをつんつんする仕草は可愛いけど、けどぉ!!
「・・・だから、こういう会社だって言ってるじゃない」
慰めるように背中をポンポンしてくれるココットと、通じ合えた気がした・・・。
翌日―――
昨夜のショックも冷めやらぬ俺は、出社時間前に特売品を狙って王都のディスカウントストアに来ていた。
就職した日に約100万ギルの借金を背負った我が家は、少しでも節約しないといけない。
狙った通り、開店直後のディスカウントストアの店頭には値下げした特売品のワゴンセールが行われている。引っ越ししたばかりなので、今日のターゲットは主に日用品だ。
買い物の練習がてら、少しでも安いものをリンネに選ばせる。
「カイル!これが安いよ、ほら!」
「リンネ、お願いしたのはシャンプーだぞ?ここを見てごらん、これはリンスだ」
「・・・あ、ほんとだ。だっておんなじに見えるもん!」
「う~ん、じゃあこれ?」
「そっちはコンディショナー」
「ええ~?なんで頭を洗うものがこんなに一杯あるの~?」
それは俺もそう思うが、美を追求する女性の自己満足だ、としか言いようがないな。
「ああ!これ買おうよ!これ~!」
と急に色めき立ったリンネが持ってきたのはキャラクター物のシャンプー。ボトルにはリンネの好きな『魔王少女サタリン』のキャラがデフォルメされている。
版権の使用料分だけ高いし、肝心の中身のシャンプーは安いガムみたいな臭いのするヤツだ。
「いらん!戻して来なさい!」
「ええ~!シャンプーならこれでいいじゃない~」
「ダ~メ!こんなの買いません!」
「じゃあリンネ、自分で買うもん!おこずかいちょうだい!」
とリンネが手を出して催促してくる。そう言えば昨日そんな約束したんだった。
「すまん、お金がなくてまだおこずかいはあげられないだよ」
すると余程そのシャンプーが気に入ったらしく、珍しく駄々をこねてくる。ここ最近はお金が無くて、リンネに何も買ってやれなかったしな。
「ええ~!おこずかいくれるって約束したのにぃ~。ひどいよぉ~」
「お金が出来たらちゃんと払うから、な?」
「うう~、昨日はあんなに良い子にしたのにぃ、カイルの嘘つき~」
(ちょっと、奥さん!あの二人、おこずかいをあげるとか、約束が違うとか、もしかして援助交際なんじゃないの?!)
(ええ?!でもあの子まだ中学生くらいじゃない?!あら!首輪まで付けられて、『良い子にしてた』とか、あれはただ事じゃないわよ!)
通報された。
だから、なんで日用品を買いにいくだけで数時間も拘束されなきゃならないんだよ・・・。
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