最終話「解散」

 翌朝の朝食は、五人が同じテーブルで食べた。

 全員一人という個人主義の極地だった昨日の夕食から、全員一緒という集団行動の最終形へ。五人の中で一人だけ軽く体調を崩した小林を、奥山が「大丈夫ですか?」と心配し、城ケ崎が「一人だけってのがコバちゃんらしいっすね」と笑い、藤本が「身体も空気読めないのね」と呆れ、岡島が「日頃から鍛えてねえからそうなるんだよ」と叱咤し、当の小林は居心地悪そうに小さくなる。温かな会話が飛び交う食卓は、嵐が過ぎ去った今朝の青空のように、見ていてとても気持ちが良かった。

 朝食を食べながら話し合い、城ケ崎と奥山は小林の車に乗って四人で少し観光をしてから帰ることになった。岡島も四人から誘われたが断った。「若いカップル二組に定年過ぎたジジイが一人寂しくくっついてまわるとかゾッとする」そうだ。岡島がカップルと言った時に奥山が恥ずかしそうに俯いたのを、淳子は見逃さなかった。

 観光をするなら早い方がいいということで、小林たちは朝食を食べてすぐペンションを出ることになった。岡島も含めて清算を終わらせた後、小林が「車を取って来るよ」と駐車場に向かい、藤本と奥山がリビングで女子会を始める。一人ロッキングチェアの揺れを楽しんでいた城ケ崎に「オーナーさーん」と呼ばれ、淳子はその下に歩み寄った。

「なんでしょうか?」

「いや、今スマホの履歴見たら、オーナーさんにかけた電話、繋がらなかったことになってるんすよ。なんでか分かります?」

「さあ……大変な嵐でしたから、基地局がおかしくなったのでは?」

「ふーん。そんなことってあるんすかね」

 城ケ崎がスマホを弄りながらロッキングチェアを揺らす。キィ、キィと、野鳥の鳴き声のような音がリビングを静かに揺らす。

「昨日の事件の続報、出ないっすね」

「嵐は去ったばかりですし、まだ川は増水していて危険ですから」

「そうっすね。まー、でも、続報出ても見ない方がいいかも」

「どうして?」

「だって、やっぱオレが死んでるって分かって、成仏して、みんなの記憶からも抹消されるみたいなことになったら切ないじゃないっすか。そう思いません?」

「……はあ」

「あ、オーナーさんもそういう反応っすか。コバちゃんもそんな感じだったんすよ。コバちゃんはオレの生き死になんてどうでもいいんすかね。マジ冷たいっす」

 城ケ崎がはーと大きく溜息をついた。どこかわざとらしいその仕草を前に、淳子の中にむくむくと悪戯心が湧く。

 ――どこまで本気なのやら。

 見過ごしても構わないが、どうしよう。いいや。どうせ最後だ。言ってやれ。

、ですか?」

 ロッキングチェアの揺れが、ピタリと止まった。

 城ケ崎はまず淳子を見た。次に少し離れたテーブルで女子会をする藤本と奥山を見た。そして再び淳子に向き直ると顔を近づけ、ひそひそと声を潜めて話しかける。

「どうして分かったんすか?」

 淳子は、城ケ崎と同じように声を潜めて答えた。

「城ケ崎様は勢いで乗り切りましたが、どう考えても話の流れが不自然ですから」

「そうっすか?」

「ええ。あのニュースから『この中の誰かが死んでいる』なんて発想は普通しません。夕食前に小林様と一緒にいる時、ネットニュースか何かであの事件を知って、食堂のテレビでもし事件のニュースが流れたらああいう風にしようと決めたんじゃないですか? やりかったのは『推理』の次の『推薦』ですよね。藤本様が小林様に投票したら実際にやったように自分の想いを訴えかけ、しなかったら『僕を選ばないでくれてありがとう』と関係を修復する。小林様が『推理で決まらないから推薦にしよう』と仰った流れも、やはり不自然ですから」

 長々と推測を告げる。城ケ崎が白い歯を見せてニッと笑った。

「やっぱ人間、生きる死ぬの話が一番心に来るじゃないっすか。だからそれで攻めようと思ったんす」

「それにしても強引すぎでは?」

「ぶっちゃけ、面白いことしたかっただけってのが一番なんで。まあ、適当にアイディア話しただけで細かいとこは何も詰めてなかったし、喧嘩の原因とかふつーに知らなかったから、作戦そのものはグダって失敗したっすけど」

「『推薦』の後の『立候補』や『抽選』は?」

「あんなのは想定外っすよ。わけわかんないことになったなーって思ってたっす。にしてもオーナーさん、鋭すぎません? 本当に不自然だからそう思っただけっすか?」

「いくつかヒントはありました」

「例えば?」

「『幽霊を探す』などという会合に小林様がプロポーズ用の指輪を持って来ていたこと。小林様と藤本様の喧嘩の原因が分かった際、小林様が城ケ崎様とのいざこざで『裏切る』と発言したこと。一番大きいのは城ケ崎様が道化を演じていらっしゃると気づいたことですね。そこから疑念を持ちました」

「道化?」

「ええ。私、ここに来る前は東京の上野に住んでいたんです」

 城ケ崎の眉がピクリと動いた。淳子は城ケ崎に微笑みかける。

「上野公園の近くにあり、キャンパス内に大学病院のある大学、よく存しております。確か『東京大学』という名だったかと」

 城ケ崎が唇の端を歪めて笑った。今まで見せたことのないニヒルな笑い。

「カノジョさんには全部内緒っすよ」

「もちろん。ところで、一つお聞かせ下さい」

「何すか?」

「城ケ崎様と小林様の作戦が始まる前から、城ケ崎様は道化を演じていらっしゃいましたよね。何故ですか?」

「んー……なんつーか、上手く言えないんすけど……」

 城ケ崎がポリポリと頭の後ろを搔き、ふっと目線を横に流した。

「『こういう自分の方が好きだから』じゃ、答えになってないっすかね」

 寂しそうな表情。余計なことを色々と考えてしまう、考えることが出来てしまう頭脳を持った人間ならではの悩み。あの五人の中で一番「死んでいた」のは、もしかして城ケ崎なのかもしれない。そんなことを淳子は考える。

「おーい! 車持って来たぞー!」

 小林が玄関から室内に声をかけた。藤本と奥山が「はーい!」と荷物を持ってバタバタと玄関に向かい、城ケ崎も同じようにする。そのうちに喧騒を聞きつけた岡島が「もう行くのか」と見送りに二階から下りてきた。

「じゃあ、まず荷物積んじゃって」

 小林の指示に従い、藤本たちが外に出て荷物を乗用車のトランクに積み始めた。淳子と岡島も見送りのために外に出る。そして後は乗り込んで出発するだけとなった時、城ケ崎が自分のスマホを淳子につきつけ、一つ提案を寄越した。

「オーナーさん! 写真撮りましょう!」

「写真、ですか?」

「ういっす! オレたち六人の集合写真っす!」

「私はいいですよ。撮影係に回ります。中に入る資格はありませんから」

「えー、客とかオーナーとか関係ないっすよ。みんな、あの夜を共にした戦友っす」

「では誰が集合写真を撮影するのですか?」

「いや、それはそうなんすけど、そんなもんはどーにでも……」

「あの夜の会合において私は傍観者でした。ですから最後まで傍観者でいさせて下さい。そちらの方がすっきりします」

 城ケ崎がじっとりと淳子を見る。明らかに腑に落ちていない。しかし淳子が「撮影をするのでスマホを貸して下さい」と開いた手を出すと、しぶしぶその上に自分のスマホを乗せた。そして「俺はいい」と主張する岡島を、藤本と奥山が「まーまー」「一緒に撮りましょうよ」と女二人で引きずり込み、五人でペンションの前に並ぶ。

 肩を寄せて抱きあう小林と藤本。手を繋ぐ城ケ崎と奥山。その間に、仏頂面の岡島。

「じゃあ撮りますよ。はい、チーズ!」

 掛け声と共にシャッターを切る。岡島は全く笑わなかったが、他の四人は爽やかな笑みを浮かべていた。城ケ崎が淳子から返されたスマホの写真を確認して「OKっす!」と言い、続けて岡島とメールアドレスを交換する。岡島の携帯はガラケーの中でも古く、城ケ崎は「プレミアつくんじゃないっすか?」と言いながら、物珍しげにしげしげと携帯を観察していた。

 やがて小林が運転席に乗り込み、助手席に藤本が乗る。後部座席に城ケ崎と奥山。小林が開いた窓から、淳子に礼を告げる。

「それじゃあ、オーナーさん。本当にありがとうございました」

「ええ。それでは」

 淳子が深々と頭を下げると、車が走り出した。冬山の固い空気をビリビリと震わせ、四人がゆっくりとペンションを離れて行く。さようなら。エンジン音にかき消されてしまうぐらい小さな淳子の囁きは、誰にも届くことはなかった。


     ◆


 小林たちが去ってから十分後、岡島が自分の荷物を持って下に降りてきた。ロッキングチェアに座っていた淳子はすぐ立ち上がり、岡島に声をかける。

「チェックアウトまで、まだだいぶ時間はありますが」

「長居してもやるこたねえからな。さっさと帰るさ」

 岡島が玄関に向かい、靴を履く。淳子もサンダルを履こうとしたが「見送りは要らねえよ」と岡島に制止された。岡島は土間に立ち、淳子はその一段上。身長差を立っている場所の高低差が埋め、目線が真っ直ぐに向かいあう。

「世話んなったな」

「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」

「嘘こけ。文句ばっかり一人前なクソジジイに感謝の言葉なんかねえだろ」

「個人としての私とオーナーとしての私は違いますので」

「ほう。言うようになりやがった」

 岡島が感心したように頷いた。そして身体を少し背け、別れの言葉を告げる。

「じゃあな、もしまた来たらオーナーとして、偏屈爺のお相手をしてくれや」

 次の話。淳子はグッと唇を噛み、大きく上体を折り曲げて頭を下げた。

「申し訳ありません、岡島様。それは出来かねます」

「あ?」

「私、このペンションをもう閉めようと思っているんです」

 岡島の鋭い瞳が、驚愕に大きく見開かれた。

「そりゃあ、どうして」

「経営難です。昨日もクリスマスだと言うのに部屋が二つ、城ケ崎様が緊急でいらっしゃるまでは三つも空いていました。これではとてもやっていけません」

「……そうか」

 しんみりした雰囲気が玄関に流れる。正真正銘、これが最後。なんと言うべきか。なんと言って別れるべきか。岡島の思案が、淳子にもひしひしと伝わる。

 向かい合って下を向く。お互いの足元を見ながら落ちている言葉を探す。

 先に口を開いたのは、岡島だった。

「――ま、当然だわな」

 顔を上げる。皺だらけの顔をくしゃくしゃにして笑う岡島が視界に入る。

「クリスマスにケーキの一つも出ねえペンションなんざ、潰れて当然だ」

 最後の最後まで、いちゃもん。淳子はつい笑ってしまった。つられるように岡島が笑みを深める。奥さんと一緒の時によく見せていた、少年のように屈託のない笑顔を。

「申し訳ありません」

「次にペンションやる時は気をつけろよ」

「はい。ケーキが苦手な方用に、和菓子も用意しておきます」

「そりゃあいい。是非、そうしてくれ」

 岡島が踵を返した。そして右手をひらひらと振り、背中で別れを告げる。

「そんじゃな」

「はい。本当に、ありがとうございました」

 両手を膝の前に揃え、深々と頭を下げる。玄関の扉を開いて岡島が外に出て行く。やがて扉が閉まる音が聞こえ、淳子は身体を起こした。ふうと深い安堵の息を吐いてリビングに戻り、ロッキングチェアに揺られながら天井を見上げる。

 ――終わった。

 一時期はどうなることかと思ったけれど、どうにかなった。五人のお客様には概ね満足して帰って貰えたと考えていいだろう。神に与えられた使命は、きっと果たした。

 ふと、床の隅に一枚、裏返しのトランプが落ちていることに気が付いた。

 城ケ崎のトランプ。どうやら『抽選』の時に散らばったものを拾いそびれたらしい。淳子はロッキングチェアを離れてトランプに歩み寄り、それをくるりとめくる。そして予想通りの結果に、小さく笑った。

 ジョーカー。

「クリスマスにケーキの一つも出ないペンション、か」

 誰もいないリビングで一人、淳子は岡島の言葉を繰り返す。

「仕方ないじゃない」

 クリスマスにケーキを用意しないペンションなんてあるものか。ちゃんと用意していた。大きなホールのチョコレートケーキを、山を下りた麓のケーキ屋に発注していた。

 だけど――

 冷蔵庫を開けた時、気づいた。

 クリスマスケーキがない。受け取った覚えはあるのに冷蔵庫の中にない。それが分かった瞬間、事故の記憶が一気に蘇った。ケーキを受け取った帰り道、橋の上で雨にタイヤを取られてスリップし、増水した川に落ちたことを鮮明に思い出した。

 自分が死んでいることを理解した淳子は続けて、自分はなぜ死んでいるのに現世に留まっているのだろうと考えた。そしてほとんど直感的に、今日ペンションに訪れた客たちをもてなすためだと察した。彼らを満足させて帰らせる。そのために聖夜を司る神が仮初めの生をくれたのだと。そして警察沙汰になりそうな事態もありはしたものの、どうにか事を荒立てて神の不興を買うこともなく、無事に受け取った生をここまで保たせることが出来た。

 幽霊に会ったことがあるのか。城ケ崎の問いを思い出し、淳子は苦笑いを浮かべる。会ったことは無い。なったことは、あるけれども。

「本当、生きるってままならないわ」

 やりたいことがたくさんあった。話したい人もたくさんいた。だけど自分の生の不確かさを考えると、おかしなことをした瞬間に全てが消えてなくなってしまいそうで、迂闊な行動は取れなかった。結果、淳子の最期を看取ったのはあの五人。偏屈な老人、破局寸前の恋人、カップルアレルギーの女性、常識のない大学生。一癖も二癖もある、事情満載の奇人変人たち。

「まあ、最後に楽しかったから、いいけど」

 ゆっくりと玄関に向かう。靴を履かずに土間に立ち、玄関の扉を開ける。晴れ渡る空から降り注ぐ眩しい光を受け、淳子は反射的に顔を背けた。下駄箱の上のサンタクロース人形と、その人形が掲げるメッセージが目に入る。


『聖なる夜は、奇跡が起こる』


「……ありがとね」

 指先で人形の頭をつつく。「どういたしまして」と言った風に、人形がこくりと首を縦に振る。そして外に出た淳子の身体はふわりと浮かび、鮮やかな青色の空に、静かに、溶けるように消えて行った。



(了)

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お前はすでに死んでいる。 浅原ナオト @Mark_UN

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