拝啓 花瓶を割ったきみと、君へ

拝啓 花瓶を割ったきみと、君へ。

不躾ながら手紙を書いてしまうことを許してほしい。
勢いのまま書き殴るから、きっとおかしな文章になる。
ぐだぐだと長ったらしく書いてしまうでしょう。
笑って読み流してください。

君が物語るきみの秘密基地の思い出は、
とても長いように感じられたけど、
実際には1年にも満たない間の出来事で、
私は君の話に2時間半、付き合っただけだ。

とはいえ、9歳から10歳にかけてのその時間は
大人の私がいま体感するよりもずっと長いから、
きみの物語にぴったりと付き添った私は、
2時間半よりもっと長く君と語らった気分になっている。

1997年に小学4年生だったきみは、私の弟と同い年だ。
ポケモンは私がグリーン、弟がレッドを買ったよ。
ゲームボーイとミニ四駆に、電池はすぐ使い切っていた。
テレビもパソコンも、すっごいゴツい箱型だったな。

環境問題のテーマの中には、今では聞かないものもある。
ダイオキシン、フロンガス、酸性雨、環境ホルモン。
私は温室効果ガスの話が怖くて、エアコンが苦手になった。
各学校にあったごみ焼却炉は、だんだん消えていった。

あのナイフによる凶悪な少年犯罪のショックは、
被害者と加害者の同世代である私たちの記憶に
本当に強烈に刷り込まれているみたいだね。
猫、私も少年犯罪の象徴として書いたことがあるもの。

10歳というのは、気付き始めるころなんだと思う。
自然に気付くわけじゃなく、順調に大人になるわけでもない。
花瓶を割って初めて、自分が壊したものの正体に気付く。
自分が壊したという事実に気付いて、現実を知り始める。

きみがうっかり割ってしまったものは、悲しくて大きい。
きみが自分から割ってしまう事実は、大人の胸に刺さる。
花瓶を割って、割った破片を集めて、きみの手は傷付いて、
きみは偽る術も知らないまま、痛々しい真実に向き合った。

言葉を換えれば、不条理という言葉を知ってしまうのが
10歳前後なのかなと、きみを見ていて思った。
不条理なんて言葉は当時は知っているはずもなくて、
大人になって振り返るから出てくる表現なんだけど。

ボロボロの花瓶を持たない人は、きっといない。
花瓶のサイズや花瓶との関わり方は人それぞれだろう。
割れないように、割らないように、必死に守る人もいる。
一思いに割らなければ、にっちもさっちも行かない人もいる。

じいちゃんは、いい先生でしたか?
「はい」と答えられるなら、手応えのある人生でしょう。
正しいだけの人生じゃなくていいんだと、私も思う。
四角四面の薄っぺらい人生なら、最後に一体何が残る?

何事にも必ず終わりが来ることを、きみは学んだ。
勝手に来てしまう終わりも、自ら告げる終わりも、
いずれにしても形あるものは終わってしまうのだと、
終わりを認め切れずに人は苦しむのだと、きみは知った。

時間は最強でしょうか?
うなずきたくない私がいます。
忘れることに怯えて、まだうまく前に進めないことがある。
忘れないために、記憶という記憶を文字に起こそうとする。

大人になるにつれて、見栄の張り方を覚えて、
知恵を付けて、ごまかし方を学んで、狡くなって、
そうでなければ世の中を渡っていけないとわかっていても、
たまに、心の柔らかいところに刺さってくる何かに出くわす。

泣きたい衝動のままに泣けばいい。
暑苦しいスーツを選んだ大人の見栄をかなぐり捨てて。
子どものころには感じ取れた形のない教訓が、
時の流れの中で風化しないように、君は泣けばいい。

きみが見たそのままの景色を私は見たことがないし、
きみが抱えた複雑な家庭事情は想像も付かない。
比較できないほど苦しかった彼と母ちゃんの関係も、
じいちゃんが抱え続けた闇も、私の知らない人生だ。

きみを「かわいそう」だと思ったよ。
彼もじいちゃんも「かわいそう」だと思ったよ。
私のことも「かわいそう」だと思ってほしいと思ったよ。
最近の道徳の授業は評価式らしいから、バツをもらうね。

えっと、とりとめのない文章になるのがわかっていたけど、
何か、予想していたのよりずっとしょうもないな、これは。
ほぼ同世代の小4なのに近所にコンビニあったんだ、
という衝撃を受けた私は、超が付くほどの田舎育ちで。

だから、星空はものすごく綺麗だったよ。
視力の低い私の目にも、天の川が見えた。
星座は覚えられなかったけど、宇宙は今でも好きだな。
あのころ大切な場所で見た星空は、私も忘れたくない。

君の今が幸せそうで何より。
君の花瓶が、ヒビの入りにくい素材であることを願う。
いくつか入ってしまったヒビさえ大切な模様なんだと、
やがて訪れる終わりのときに言ってくれることを願う。

ああ、本当にとりとめがなくなってきた。
ノスタルジーをどうしようもない。
無駄にLv.99まで育て上げたマダツボミを弟の誕生日に贈ったのは、
もう何年前の出来事になるんだっけ?

秘密基地の思い出は私も持っているよ、と教えたくなる。
君が実在の人物ではないことは、もちろん私もわかっている。
でも、良質の読書というのは、こんな手紙を書きたくなるような、
仮想の人間関係や思い出語りを体験することじゃないかな。

君ときみの秘密基地に招いてくれてありがとう 敬具。

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