第11章 恋人たち
「火事ですか? 救急ですか?」
「人が刺されています。重傷です。場所は……」
消防の通信司令室を訪れた私たちは、昨夜の通話記録の録音を聞かせてもらっている。通報者の声は、なるほど、これは確かに肉声そのままではない。話に聞いていた通り、タオルか何かを通話口に被せたようにくぐもっており、意図的に声も変えている。通報者は
「……随分落ち着いた受け答えでしたね」
録音を聞き終えた
「ええ、そうですね。刺傷した人を見つけたなどとなったら、普通はもっと慌てて、まともに受け答え出来ないことがほとんどですが」
「声を変えてはいますが、女性ものに思えるのですが、どうですか?」
「ええ、私もそう思います」
通報者が女性なのではないか、ということも理真と同意見だった。
通信司令室を出た私たちは、捜査本部のある
春日の応急処置に使われていたマフラーを見せてもらう。元々はグレー基調のチェック柄だったと思われるマフラーは、そのほとんどを赤黒い色に変えていた。繊維の奥にまでたっぷりと吸収した春日の血液が凝固して、マフラーらしいしなやかさは全く失われている。
「女物っぽいね」
マフラーを見た理真が言って、
ひと通り、確認するものは確認した。丸柴刑事は、昨夜からの疲れが見えるから、と理真と私に一旦帰るよう促し、私たちはそれを受け入れた。正直、起きがけのシャワーだけでは全く疲れは取れていない。丸柴刑事に覆面パトで送ってもらい、私と理真はアパートに帰り着いた。「DAN鑑定の結果と写真の復元が出来たら、すぐに知らせて」という理真の声に、「分かったわ」と答えると、丸柴刑事は覆面パトで走り去った。私たちはこれからぐっすりと寝られるが、彼女は捜査に駆り出されるのだろう。
理真のところに報告が来たのは、その翌日の夜のことだった。最初にもたらされたのはDAN鑑定の結果だった。春日が刺された現場に落ちていた髪の毛から採取したDNAは、ある人物のそれと一致したという。
「
スピーカーモードにした理真の携帯電話から聞こえてくる声は、科捜研の
「麻利亜さん……」
それを聞いた理真は、神妙な顔になって呟く。その小さな呟きを携帯電話のマイクが拾ったのかは分からないが、スピーカーから美島の声が、
「この和泉麻利亜っていう人は、三日に事故死した人なんだろ。
「栞」というのは丸柴刑事の名前だ。美島研究員と丸柴刑事は、互いに下の名で呼び合う間柄だ。
理真はしばらく考え事をするように黙っていたが、
「ありがとう、絵留ちゃん。夜遅い時間に、ごめんね」
「いいって。理真、
飲むことと寒くなってきたことに因果関係は全くないのではないか? 何かと理由を付けて飲もうとする。この美島絵留ちゃんは。県警きっての酒豪と恐れられる彼女は、年齢は三十代半ばと私や理真、丸柴刑事よりも年上なのだが、その小さい体とかわいらしいルックスで、私と理真からは「ちゃん」付けで呼ばれているのだ。
理真も私も、事件捜査中は禁酒することにしている。いつ何時、車の運転をする必要に迫られるか分からないためだ。そのため、事件解決後に飲み会を開くことを約束して、理真は通話を切った。
「どういうことなの? 理真」
電話が切れると同時に私は訊いた。
「麻利亜さんの髪の毛が、春日さんが刺された現場に落ちていた……」
理真は呟くように口にする。私はため息をついて、
「そりゃね。私も、蘇った麻利亜さんが、田山さんに続いて春日さんまで殺した、なんて世迷い言はもう言わないよ。だいたい、麻利亜さんと春日さんの間には、直接的な接点は何もないんだからね」
とは言うものの。完全にその疑い、いや、妄想を払拭しきれてはいない。動機はどうあれ、春日を刺したのが麻利亜だったとしたならば、119番に通報したのもそうなのか?
私の思考を〈着信音1〉が遮った。再び理真の携帯電話が鳴っている。ディスプレイによれば、今度の発信者は丸柴刑事だ。理真はスピーカーモードにして着信を受ける。
「理真」丸柴刑事の声が聞こえ、「写真の復元が終わった」
「丸姉、写真はどこで見られるの?」
「県警にあるわ。これから行く?」
「もちろん」
「じゃあ、捜査一課で落ち合いましょう。私も今は捜査本部だから」
「オーケー」
それだけで通話は終わった。
「由宇、支度しよう」
私は頷いて掛け時計を見た。時刻は午後十時半。
県警に到着した私と理真は捜査一課室に入った。丸柴刑事も今到着したばかりらしく、脱いだコートを椅子の背中に掛けたところだった。暖房も入れたばかりなのか、部屋も全然暖まっていない。
「理真、由宇ちゃん」と丸柴刑事は手にしたUSBメモリを見せた。
丸柴刑事は自分のパソコンのスロットに、麻利亜の携帯電話から復元した写真データが入ったメモリを挿す。理真をパソコンの正面に座らせて、丸柴刑事と私はその両隣に椅子を引いてきて座った。
フォルダが開かれると、何十という画像データがフォルダ内に並んだ。理真が表示形式を詳細から大アイコンに変えると、画面上には次々にサムネイル表示された写真が並んでいく。
「……見て」
理真はマウスホイールを回して、復元された写真アイコンの中から一枚の写真を選ぶと、マウスをクリックして開いた。
「これは、麻利亜さんと……
その写真は、紅葉を背景に和泉麻利亜と大崎
「どうして、この二人のツーショットが? それに……」
丸柴刑事の言わんとしていることは私にも理解出来た。写真の中で麻利亜と志穂は、ぴたりと互いの体を寄せ合い、幸せそうな笑顔を浮かべている。まるで……
「これだけじゃないよ」
理真はさらにいくつかの写真を開いていく。サムネイルの小さな画像でもすでにそれは明白だった。麻利亜と志穂は体を寄せ合い、手を繋ぎ、フレームに収まっている。紅葉を背景に取られた写真ばかりではない。水着を着て夏の海岸、リュックを背負い春の野原、スキーウェア姿で冬のゲレンデ。四季折々を背景に二人の思い出がそこに凝縮されていた。ツーショットばかりではない。志穂単独、あるいは麻利亜単独の写真も数多くある。
丸柴刑事はディスプレイから理真に視線を移して、
「どういうことなの? 大崎さんと麻利亜さんは、その……友人以上に親しい関係だった? これを見ると、まるで……」一度言葉を飲んで、「恋人同士みたい……」
私も全く同じ感想を持った。屋内で撮られたものには、もっと親密な、際どい写真も残されていた。
「二股を掛けていたのは……麻利亜さんのほうだったの?」
丸柴刑事のさらなる言葉が、私の頭に突き刺さった。ちょっと待て。
田山と麻利亜が付き合い始めたのが、今から一年前。麻利亜と志穂は、そのさらに一年前に大学で知り合っている。そのときに麻利亜と志穂がすでに写真にあるような関係だったとしたならば、やはり二股を掛けたのは麻利亜ということになる。
だが、麻利亜を通して、田山が志穂と高校時代以来の再開を果たして、焼けぼっくいに火が付いたのだとしたら? 三角関係の三人が三人とも、全員と関係があったということになる。
さらに。もし田山と志穂との関係が、高校卒業後も切れずに継続していたとしたら? そもそも二股第一号は志穂? いや、志穂の言葉を信じて、彼女と田山の間には、今も昔もやはり何もなかったとしたならば、やはり二股をしているのは麻利亜ひとりだけとなる。頭がこんがらがってきた。
探偵は、どう考えているのかと思い、見てみると、
「この写真を先に見ることが出来ていれば……」
と苦い顔をして人差し指を下唇に当てて考え込んでいた。
「丸姉!」理真が沈黙を破った。「調べてほしいことが」
「もちろん、いいわ。何でも言ってよ」
「まず、麻利亜さんが事故に遭った十一月三日、あの温泉旅館に泊ったお客を調べて。あ、正確には、宿泊予約が入っていたけれどキャンセルしたお客を。多分、田山さんだよ」
「田山さんが? あの旅館に宿泊する予定だった?」
「うん。それと、大崎志穂さんのこと。大崎さんは一戸建ての実家暮らしだそうだけれど、同じ三日の夜から数日、最低でも十日に掛けて、ご両親が不在だった可能性がある。いや、きっとそう」
「それも調べればいいのね。他には?」
丸柴刑事はメモを取りながら理真の依頼を聞いている。
「大崎さんの家に、田山さんの家で見たような屋外の倉庫があるかどうか。あと、大崎さんの携帯電話の通話記録やパソコンも調べたいんだけど、まだ難しいだろうね。あと、田山さんの交友関係を、徹底的に調べて」
「徹底的って、田山さんの周囲には、今でも調べは入っているわよ」
「もっと深くよ。人に言えない、もっと深い事情の交友関係が田山さんにはあったはずなの……」
理真はディスプレイに視線を戻した。スクリーンセイバーが作動して、無数のシャボン玉が舞う向こうに、麻利亜と志穂は笑顔で、体を寄せ合っていた。
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