第12章 マリアの災難

 DNA鑑定の結果を聞き、麻利亜まりあの携帯電話に保存されていた写真を見た日から二日が過ぎ、十一月十九日の土曜日となった。その間に、丸柴まるしば刑事に頼んだ調査の報告は全て完了していた。


 私と理真りまは公園にいた。その一角、木製のベンチがしつらえられたスペースで私たちは人を待つ。

 腕時計を見ると約束の時刻となっていた。通りから、スニーカーを履き、濃い色のジーンズパンツに赤いセーター、グレーの上着を羽織った大崎志穂おおさきしほが公園に足を踏み入れたところだった。


「どうしたんですか、安堂あんどうさん。この前、突然いなくなったと思ったら」


 白い息を吐きながら志穂が尋ねてきた。理真は、「あのときは、すみませんでした」と、ファミリーレストランで春日かすがの凶報に接し、中座したときのことを詫びた。

 座りませんか。と理真は公園の木製のベンチを示し、私、理真、志穂の並びで腰を下ろした。


「安堂さん、この前の続きですか? 確か、十一日の夜十時から十一時の間のアリバイを訊かれましたが」

「あれはもういいんです」


 理真が答えると、志穂は意外そうな顔をした。何かアリバイを作ってきていたのかもしれない。理真は志穂を向いて、


「大崎さん、あなたですね」

「な、何がですか?」

「十一月三日、病院の霊安室から和泉麻利亜いずみまりあさんの遺体を盗み出したのは」


 志穂は、びくりと体を震わせて腰を引き、理真との間にスペースを作った。理真は間隔を詰めようとはせず、


「本気で、麻利亜さんを蘇らせるなんていうことが出来ると、考えていたのですか」

「な、何を……」

「麻利亜さんは、今、どこにいると思いますか」

「ど、どこって……。安堂さん、何をおっしゃっているのか、わけが分かりません」

「雷に打たれて蘇り、あなたの家を出た麻利亜さんは、今もこの町のどこかを彷徨っていると、そうお考えですか」

「安堂さん……」


 志穂の手が、肩が震えている。


「大崎さん、私たちは、麻利亜さんの携帯電話に入っていた写真データを復元しました」


 理真のその言葉を聞いた志穂は、がくりと肩を落として俯く。体の震えはつま先にまで及んでいた。


「全て……全てご存じなんですか……?」


 震えは声にも現れている。「はい」と理真は、


「十一月三日の、大崎さん、麻利亜さん、そして田山たやまさんの行動まで、全部」

「そ、それは、どういう……」


 志穂は理真の口からそれを言わせようとしている。もし間違っていたら。いや、間違っていてくれたら。一縷いちるの望みに託しているのかもしれない。理真は話しだした。


「十一月三日、田山さんと麻利亜さんは、紅葉狩りに荒川峡あらかわきょうまで出掛けます。が、そこへ向かったのは二人だけではなかった。大崎さん、あなたも同じだった。三人は申し合わせたうえで行動していたのです。田山さん、麻利亜さん、あなたの三人は駐車場で合流。そこで二手に分かれます。田山さんはひとりで温泉旅館へ、麻利亜さんとあなたは二人で紅葉狩りに。大崎さん、あなたと麻利亜さんは、恋人同士だったのですね」


 理真は一度言葉を止めたが、志穂は沈黙を保ったままだった。


「大崎さん、あなたは恐らくご存じだったはずですが、田山さんは親戚の伯父さんから、早く結婚しろと口うるさく言われていたそうです。でも、田山さんには全くその気はなかった。その気はないと言うよりも、それは不可能だった。田山さんもまた、大崎さん、あなたと同様、同姓しか愛せない人だったからです」


 志穂は下を向いたまま、しきりに瞬きをしている。

 麻利亜の写真を見たあと、理真が丸柴刑事に頼んだ調査で判明した。麻利亜の他には、ほぼ男性しかいなかった田山の交友関係。その中の数人に対して、どのような類いの関係であったのかも。理真は続けて、


「田山さんは、大崎さん、あなたと高校時代、仲が良かったそうですね。周囲はそんなお二人を見て、表面上は友人風でも、実は密かに付き合っているのではないかと勘ぐっていた。高校生くらいならば、そう考えて当然ですね。でも、それは全く的外れなことだった。お二人は、同じ感覚を持つもの同士として、シンパシーを感じて親しくしていただけだった。決して人には言えない想い。それを気兼ねなく吐露出来る、かけがえのない存在同士。それが、あなたと田山さんだった。高校を卒業し、あなたは大学進学、田山さんは就職と道は分かれましたが、お二人の付き合いは続いていた。そして二年前、大崎さん、あなたは通っている大学でひとりの女性と出会った。和泉麻利亜さんです」


 麻利亜の名前が出ると、志穂の顔にうっすらとだが笑みが広がった。志穂は一度理真を見て、


「話して下さい。全て」


 消え入りそうな声で告げた。理真の口から、自分と麻利亜の物語を聞くことで、何かを取り戻そうとしているのかもしれない。「分かりました」と理真は、


「大学のサークルで出会った麻利亜さんは、あなたと同じ恋愛観を持っていた。すなわち、同姓しか愛せないという感情を。それを知ったときのあなたの気持ちは、いかほどのものだったでしょう。ただ同じ恋愛観を持っていたというだけではない。あなたの麻利亜さんに対する執着を思うに、彼女はあなたにとって運命の人とも言ってよい、特別な存在だったのでしょう」


 志穂は、ゆっくりと頷いた。理真は、それをしっかりと目に留めて、


「あなたと麻利亜さんは、一緒になることを強く願ったでしょう。しかし、二人のような感情を受け入れるには、まだまだこの世の中は至らないことばかりです。大学生という身分もある。親元を離れて麻利亜さんと二人で暮らしても、必ずや、色々な詮索が入ってきてしまうことでしょう。そこであなたは一計を案じた。高校時代の友人、田山信治さんです。田山さんが古い考えの伯父さんに悩まされているということは、あなたも愚痴などで聞いていたのでしょう。

 あなたの考えはこうです。麻利亜さんを田山さんに預け、表面上恋人同士として暮らしてもらう。田山さんはそのときすでにご両親二人を亡くしており、一軒家にひとり暮らしだった。二人は同じ屋根の下に暮らすことになりますが、何の心配もいらない。田山さんは麻利亜さんに、また、麻利亜さんも田山さんには何の興味もないのですから。田山さんは住居と生活費を提供し、麻利亜さんは家事、料理を行う。ただそれだけの、契約を結んだだけかのようなドライな関係。伯父さんの執拗さに辟易していた田山さんにとっても、この計画は渡りに船だったことでしょう。

 二人は周囲には仲睦まじい、同居中の恋人同士と思わせ、デートの際などには、大崎さん、あなたも付いていく。そして、現地で田山さんひとりと、麻利亜さん大崎さんの二手に分かれて、あなた方はデートを楽しむ。奇妙な三角関係生活が始まった」


 麻利亜の携帯から復元された写真を思い出す。四季折々を背景に、笑顔でフレームに収まっていた二人。


「あの日、十一月三日もそうだった。あなたは麻利亜さんとデートの紅葉狩り、田山さんはひとりゆっくりと温泉です。そして、その日はデートが終わっても、あなた方二人に離れる予定はなかったのではないでしょうか。三日の日に田山さんが旅館に宿泊予約を入れ、翌日に有給休暇を取っていたことは調べで分かっています。そして、大崎さん、あなたの家も、ご両親は留守になっていた。近所に訊いて分かりましたよ。あなたのご両親は十一月三日から十二日までの十日間、ヨーロッパ周遊の旅行に行っていたそうですね。その日、あなたと麻利亜さんは二人だけであなたの家に泊まる予定だった。田山さんも旅館に宿泊するため、田山家もその日は空になりますが、恐らく田山さんは旅館に泊まった翌日、家に恋人を入れるつもりでいたのではないでしょうか。

 とにかく、そういう予定であなた方三人は十一月三日を過ごします。が、そこで悲劇が起きた。あなたとはぐれた麻利亜さんが、川に落水してしまうという痛ましい事故が起きてしまったのです。時刻にして午前十時半。麻利亜さんの姿が見えなくなり、あなたは捜し回ります。携帯に掛けてみても、電源が切られているとアナウンスが流れるだけ。ただ事ではないと感じたあなたは、警察に通報を決意しますが、自分から110番するわけにはいかない。ここで麻利亜さんとデートしているのは、あくまで田山さんだからです。自分はここにはいないことになっている。大崎さん、あなたは田山さんの携帯に電話を掛けて事情を話し、田山さんの口から通報してもらうように言います。連絡を受けた田山さんは、自分でも一応麻利亜さんの携帯に発信を試みました。が、結果は同じでした」


 それが、十時四十分、志穂から着信があり、直後麻利亜に掛けた、田山の携帯電話の通話記録の正体だった。ちなみに志穂の携帯電話の記録も照合した。十一月三日十時四十分に掛けられた志穂の携帯電話は、田山のものと同じ基地局で電波を拾っている。二人が極めて近い場所にいたことは間違いがない。


「大崎さんからの連絡を受けた田山さんでしたが、どういうわけか田山さんは自分の携帯電話からではなく、旅館のフロントに警察への通報と麻利亜さんの捜索を願い出ています。なぜか。田山さんが、まさに旅館にいたからです。恐らく、警察を介さずに旅館に直接言えば、すぐに地元から人手を集めて捜索隊を組織してもらえると思ったのでしょう。この判断は功を奏し、地元の捜索隊はすぐに麻利亜さんの捜索を開始。警察と消防の救急隊が現場に到着したのは、通報から三十分後でした。大崎さん、あなたも麻利亜さんを捜しながら、この捜索隊の動きを追っていた。

 ですが、捜索の甲斐なく、残念なことに麻利亜さんは川で遺体となって発見されました。田山さんは麻利亜さんの遺体にすがって泣いたということですが、それを誰よりもやりたかったのは、あなただったことでしょう。ですが、秘密の関係であったあなたは、遠巻きに、動かなくなった麻利亜さんを、麻利亜さんに縋る田山さんを見つめるしかなかった。

 そうなのです。大崎さん、あなたは目撃していた。麻利亜さんの遺体が引き上げられるところを。私はあのとき、十一月十四日に、麻利亜さんの事故現場であなたと出会ったときに気が付くべきだったのです。私と由宇ゆうは、警察の資料なしには麻利亜さんの事故現場に辿り着けなかったというのに、どうして、あの日荒川峡にいないはずだったあなたが、麻利亜さんの事故現場へ行けていたのかということに」


 俯いた志穂の目から涙がこぼれ落ちた。黙ったまま、しゃくり上げる声だけが喉から漏れる。


「死亡が確認された麻利亜さんの遺体は、近くの病院に運ばれました。当然、あなたもこっそりついていきます。そして、その病院であなたは、あろうことか、麻利亜さんの遺体を盗み出してしまった」


 志穂は両手で顔を覆った。指の隙間から涙が手の甲を伝う。「だって……だって……」志穂は、子供のような声を出して、


「麻利亜……麻利亜が……とても綺麗で、眠っているだけみたいで……死んでいるなんて思えなくて……周りに誰もいなかった。みんな、家族に連絡だどうのと騒いでいるばかりで、麻利亜のことなんて誰も気に掛けていない。シーツを被せて麻利亜を連れ出すことは、あっけないくらい、拍子抜けするくらいに簡単だった……私、麻利亜に話し掛けたの、家に行こうって。約束通り、十二日に両親が帰ってくるまでずっと、一緒に過ごそうって……」


 そこまで言うと、志穂は顔を上げた。落涙する目で理真を見て、


「麻利亜は、麻利亜は今、どこにいるんですか? どうして私のところを出て行ったんですか? 麻利亜は今、どこで……何を……」

「麻利亜さんが今、どこにいるのか。それを明らかにするためには、あなたが病院から麻利亜さんの遺体を盗み出した日に起きたもうひとつの出来事を知る必要があります。大崎さん、あなたは麻利亜さんの遺体を盗み出す際、誰にも見られなかったと思っていたようですが、実はあなたの行動を目撃していた人がいたのです。それは、田山さんです。田山さんは、あなたが麻利亜さんの遺体を自分の車に運び入れるまでの一部始終を目撃していた」

「そ……そんな。どうしてそんなことが分かるんですか。聞いたんですか? 田山さんから」

「私がこの事件に関わったときには、すでに田山さんは亡くなっていました。ですが、推理を重ねていけば、そう考えざるを得ないのです。順を追って話しましょう」


 理真は深く息を吸った。


「三日の病院で、田山さんはあなたが麻利亜さんの遺体を持ち去るのを目撃します。ですが、田山さんは病院や警察に知らせることはなかった。死してなお一緒に居たいという、あなたの心境をおもんぱかったのかもしれません。そして、大崎さん、後日、あなたは田山さんと二人で麻利亜さんの話をします。当然ですよね。本当の恋人とカムフラージュの恋人。双方にとって大切な人を亡くしたのだから。酒でも飲みながら、麻利亜さんの思い出話を語ったのではないでしょうか。その席で大崎さん、あなたはもしかしたら、こんなことを口走ってしまったのではないですか? 麻利亜さんは、まだ死んではいない。そんなニュアンスのことを」


 志穂の眉が、ぴくりと動いた。心当たりがあるのだろうか。


「通常であれば、それはただの悲しい未練にしか聞こえません。ですが、田山さんにとっては違った。あなたが病院から麻利亜さんの遺体を盗み出していることを知っている田山さんは、それを聞いて、こう思ったことでしょう。麻利亜さんは、実は仮死状態でまだ生きている。もしくは、蘇生させる手段を大崎さんは持っているのではないか? と。ですがそれは一旦、田山さんの胸の内にしまわれることとなります。田山さんが、麻利亜さんのことを本格的に考え出すのは、事故が起きて三日が経った、十一月六日のことです。

 この日、麻利亜さんの親友の彼氏が、病床から動けない親友の代わりにと線香を上げに、田山さんの家を訪れました。大崎さん、あなたはこの親友のことを知りませんよね。野田里沙子のだりさこさんという女性です。その彼氏である、春日りょうさんが田山さんの家を訪れた。田山さんは、麻利亜さんと一緒に病院に見舞いに訪れた際、春日さんに一度会っています。恐らく、田山さんは春日さんに対して興味を持ったのではないかと私は考えています。春日さんというのは大変な美男子でしたから。その春日さんがひとりで再び自分の前に現れた。田山さんは春日さんについて、色々なことを聞き出したはずです。自身のこと、そして、病床の恋人のこと。その恋人が心臓に重い病を抱え、完治させるためには難しい手術に踏み切るか……心臓移植を受けるしかないということを、田山さんは巧みに聞き出した。それを知ったとき、田山さんの中にある計画が生まれました」

「そ、それって……」


 志穂は、恐怖にも似た感情を目に浮かべ、理真を見る。理真も、その視線を受け止めて、


「そうです。大崎さん、あなたが隠し持っている麻利亜さんの体。それが完全な死体ではなく、まだ生きている、もしくは蘇生させるすべがあるというのなら、その麻利亜さんの心臓を移植させることは出来ないか、と」

「麻利亜の……心臓を……じゃ、じゃあ、麻利亜は、私の、麻利亜は……」

「そうです。麻利亜さんがあなたの家からいなくなったのは、落雷を受けて蘇ったからではありません。田山さんの手により、再び盗み出されたためなのです」


 重い枷を嵌められたかのように、志穂の両腕が、がくりと下がった。


「警察に確認してもらいました。あなたの家には住居とは別に倉庫がありますね。大崎さん、あなたの家はご両親との同居のため、麻利亜さんの遺体を住居内に保管することは出来なかった。あと数日ご両親は不在なのですが、帰ってきたときに異臭や痕跡が残っていてはまずい。あなたは蘇生実験を行うときだけ、麻利亜さんの遺体を住居内に入れて、普段は離れの倉庫の中に保管していた。この季節の気温と湿度であれば、遺体に腐敗が進む心配もない。もしかしたらあなたは、ネットなどで得た知識で遺体に防腐処理を行っていたか、保管時は氷やドライアイスなどで冷やし続けていた可能性もありますね。

 田山さんは、あなたはご両親と同居していると知っていたのでしょう。遺体を住居内に保管しておくとは考えがたい。保管するなら屋外の倉庫だと。恐らく深夜にでも田山さんは、こっそりとあなたの家の敷地に侵入して、屋外の倉庫に麻利亜さんの遺体が保管されていることを確認していた。そのうえで春日さんに取引を持ちかける。麻利亜さんの体、その心臓の取引です。春日さんは半信半疑だったことでしょう。一度死亡と断定された人間が実は仮死状態で生きている。もしくは、蘇生させる手段があるなどということは。ですが、それで本当に移植用の心臓が手に入るなら。春日さんは取引に応じました。悪魔の取引に」


 志穂は、放心しているかのように目の焦点が合っていない。だが、理真の話は耳に入っているのだろう。話の要所要所で、顔を動かしたりと反応を見せている。


「取引がまとまり、田山さんは九日の夜に計画を決行します。すなわち、あなたの家から麻利亜さんの遺体を盗み出す計画を。九日の夜は嵐でした。表に人通りが少なくなっていることも幸いしたでしょう。田山さんはあなたに気付かれることなく、麻利亜さんの遺体を盗み出すことに成功します。田山さんの家にも同じような屋外の倉庫があり、やはり麻利亜さんの遺体はそこに保管していたのでしょう。

 あなたが麻利亜さんの不在に気が付いたのは翌朝のことです。朝、倉庫を覗くと麻利亜さんの遺体がなくなっている。付近に雷が落ちたことは、ニュースなどで知ったでしょう。それであなたは、雷の電気ショックが再び麻利亜さんの心臓を動かし、蘇生させたのだと信じてしまった。蘇った麻利亜さんは、朦朧とした意識のまま、どこかへ行ってしまったと考えた。居ても立ってもいられなくなったあなたは、急遽仮病を使って会社を休み、麻利亜さんを捜しに出た。その翌日、十一日もです。それを過ぎれば暦は土日。会社に気兼ねなく捜索を行える。ファミリーレストランで私があなたに十一日のアリバイを訊いたとき回答に窮したのは、蘇った恋人を捜しに行っていた、などとは言えなかったためですね。麻利亜さんを捜し回る際には、帽子やマフラー、マスクなどで顔を隠していたのでしょう。もし知人に出会っても、あなただとは悟られないように。だから、アリバイを証言してくれる人もいない。

 ちなみに、私たちがあなたと初めて出会ったときのことを、もう一度思い返してみると、事故現場を知っていたということの他にも違和感があったのです。大崎さん、あなたは友人の事故現場に足を運んだというのに、手向ける花の一本も手にしていなかった。薄情だからではありません。あなたにとっては、麻利亜さんはまだ死んでいないからです。あなたがあそこを訪れたのは、友人の冥福を祈るためなどではなかった。その友人を捜索していたのです。もしかしたら、自分が事故に遭った現場を再度訪れている可能性もあるのではないかと。

 一方、麻利亜さんの遺体を盗み出した田山さんです。首尾良く遺体を盗み出したはいいが、田山さんの目には、それはどう見ても完全に死んでいる死体にしか見えない。死者を蘇生させる方法について、色々とネットの情報なども探りますが、オカルト同然の怪しい話しか聞こえてこない。だが、もしかしたら大崎さんは、この状態から死体を蘇らせる手段を知っているのではないか? その方法が、パソコンなどに記録されているのではないか? そう考えた田山さんは、再び大崎さんの家に行き、今度は屋内に忍び込むことに成功します。その日時は、恐らく十一日の昼間。会社の昼休みを使ったのでしょう。近所の人から聞いて、大崎さんのご両親は十二日まで帰らないということも知っていた可能性が高い。昼間であれば大崎さんも出社していて不在のはずと。もっとも、あなたが不在だったのは、欠勤して麻利亜さんを捜しに行っていたためだったのですが。

 裏口に施錠がされていなかったのか、鍵の掛かっていない窓があったのか、とにかく田山さんは大崎さんの家に侵入することに成功。パソコンを開いて目的のデータを探す。しかし、そんなものは見つからなかった。恐らくあなたは、逐一データを取り込んだりしないで、その都度ネットのホームページを表示させて蘇生実験に関するページを閲覧、作業を行っていたのでしょう。データとしてあるのは、日付を飛ばしてつけていた手記だけだった。十一月四日、八日、そして、麻利亜さんの遺体が亡くなっていることに気が付いた十日。三日間だけの手記。ですが、そんなものでも何かの役に立つと思ったのか、やむなく田山さんは、その手記のデータだけを、持ち込んだUSBメモリにコピーして立ち去ります。そして、その日の夜。田山さんは春日さんとの取引の現場に赴きます。場所は、ここ。この公園。ここに田山さんは春日さんを呼び出しました」


 あの恐るべき手記。あれを書いたのは田山ではなく、志穂だったのだ。

 理真はここで視線を巡らせ、植え込みで止めた。田山の死体が発見された植え込み。志穂の視線も、それを追っていた。


「田山くんは……どうして殺されたの……?」


 田山に対する志穂の呼び方が、くん付けになっている。高校時代から、ずっとそうだったのだろう。理真は、志穂に視線を戻し、


「田山さんは、この公園で春日さんに麻利亜さんの遺体を引き渡す予定だった。成人女性の遺体ともなればかさばるでしょうが、夜中の住宅地で、ご覧の通りここは寂しい公園です。田山さんの家からも徒歩で数分掛かりません。運んでくることは難しくなかったはずです。恐らく、田山さんは最初、遺体と引き替えに現金を要求していたのでしょう。いきなり本当に自分が欲しい対価を求めたら、必ず拒絶されるい、怪しまれると思っていたから」

「そ、それは、もしかして……」

「そうです。田山さんは、麻利亜さんの遺体と引き替えに、春日さんに体を要求した」


 志穂は体を折り、地面を見つめた。田山が愛情を注ぐ対象を知っていた志穂にとっては、納得の出来る話なのだろう。


「田山さんのほうでも、素直に春日さんが言うことを聞いてくれるとは思っていなかったのではないでしょうか。強引な手段を使っても、目的を達するつもりでいた。そのために田山さんは、麻利亜さんの遺体の他に、あるものを取引場所であるここに持参してきていた。それは、包丁です。自分の家の。田山さんは一切料理をしないそうですね。反対に麻利亜さんは料理好きだった。田山さんの家にある包丁に、麻利亜さんの指紋しか付いていなくても、何の不思議もありません。田山さんが土壇場で提示してきた〈取引条件〉に、春日さんは戸惑い、また、憤ったことでしょう。田山さんのほうが荒っぽい行動に出たのかもしれませんね。凶器である包丁をちらつかせる。が、揉み合いになるうち、その包丁は春日さんの手に、逆上した春日さんは……」


 田山の死体に残されていたのは、数箇所の刺し傷だった。


「春日さんは田山さんの死体を植え込みに投げ、凶器も捨てます。寒い夜の屋外のことで、二人とも終始手袋をしていたため、包丁に指紋は付かなかった。田山さんが家から持ち出す際に彼の指紋が付いてもおかしくはないのですが、それがなかったということは、田山さんは包丁を急遽用意したのかもしれませんね。防寒着を着て、麻利亜さんの遺体を用意して、手袋をつけて家を出る。が、そこで思い立って包丁を取りに戻る。手袋はしたままだったため、指紋が付くことはなかった。

 自分の想像の範疇外の理不尽な要求をされ、その手で人を刺してしまう。正当防衛として警察に通報することも頭をよぎったでしょうが、それは出来なかったでしょう。そんなことをしたら、麻利亜さんの遺体、恋人を救うために必要な心臓も失うことになってしまうからです。思わぬ事態に陥ってしまった春日さんでしたが、恐怖の代価である麻利亜さんの遺体を自分の車のトランクに入れて、その場を去ります。十一月十一日、午後十時から十一時のことです」


 理真は深く息を吐いた。志穂は顔を上げて理真を見ると、


「じゃあ……麻利亜は? 麻利亜は、今、その春日という人のところに?」

「それについてはまだ確認することがありますので明言出来ません。とりあえず、大崎さん、ご同行願って、お話を聞かせてもらえますか」


 理真が公園の外に視線を送ると、そこには丸柴刑事が立っていた。さらに先には覆面パトも停めてあり、運転席には中野なかの刑事の姿も見える。志穂は逃げようとも、抵抗しようとする素振りも見せず、黙って女刑事の視線を受け止めるだけだった。理真はベンチから立ち上がると、


「私と由宇はこれから、もうひとりの関係者に話を訊きに行きます。真相が明らかになったら、改めてご報告します」


 志穂は力なく立ち上がり、丸柴刑事に連れられて覆面パトに乗り込んだ。

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