第5章 疑惑の三角関係
午後六時になり、会議が始まった。事件に関する基本的な話は省かれた。
まず、今朝一緒に田山家を捜索した
「殺された田山の交友関係を洗っているのですが、田山に対して恨みを持っていると思われる人物は未だ浮かんできておりません。ですが、田山と、彼の恋人で、事故で亡くなり病院から遺体が消えた
私と理真は目を見合わせる。ここへ来る前、麻利亜の事故現場で偶然であった女性だ。中野刑事の報告を聞いた城島警部は、
「その、大崎という女性に、何か怪しむに足る点があるのか? 恋人双方を知っている知人というのは、そう珍しくないんじゃないか?」
「ええ、ですが、この大崎志穂は、田山と高校時代の同級生でして。その頃は今よりも、もっと親密な付き合いがあったのではないかと、聞き込んだ他の同級生の何人かから証言を得られました」
「二人は、高校時代に付き合っていたと?」
「いえ、正式にそういうことがあった、という話は聞かれていません。あくまで友人、という付き合いに留まっていたようです。ですが……」
「誰にも知られないように、友人以上の付き合いに発展していたとしても、おかしくないということか」
城島警部が言った。私はもう一度理真と目を見合わせる。現場で聞いた話では、志穂は殺された田山とは、それほど親しくしてはいなかったということだったのだが。 中野刑事は続けて、
「それとですね、田山が和泉麻利亜と付き合うようになったのは一年ほど前からで、両親が亡くなっている田山は、すぐに和泉麻利亜と自宅に一緒に住むようになったそうなのですが、それからも田山は大崎志穂と会っていたようだと」
「目撃者がいるのか?」
「はい。二人を知る高校時代の同級生が、会話をしている田山と大崎を、公園などで見かけたことがあったと証言しています。遠巻きに見ただけなので、何を話していたかまでは分からなかったそうですが」
「ふむ。その大崎志穂は、事故死した和泉麻利亜のほうとは、どういう関係なんだ」
「大崎と和泉は、大学時代に同じサークルで知り合ったようです。大崎が現在二十四歳ですでに卒業、和泉は今年二十一歳でしたから、二人が同時に大学に在籍していたのは、二年前の、大崎が二十二歳で、和泉が十九歳の一年間だけですね。二人とも現役合格で留年もしていませんから」
「殺された田山信治も、大崎志穂と同級生というから、彼女と同年齢なんだな」
「そうです。ですので、田山も今年二十四歳でしたね。田山のほうは進学はせず、高校卒業後は地元の企業に就職しています」
「すると、三人の関係は、どういうことになるんだ」城島警部は腕を組み、天井を見上げて、「高校時代、田山信治と大崎志穂は周囲からは友人同士と見られていたが、実は隠れて恋人同士だったが、高校を卒業を機に二人は別れる。一年前、田山は和泉麻利亜と出会い、付き合い始める。が、偶然にも和泉は進学した大学で田山の元恋人の大崎とすでに知り合いだった。和泉を介して大崎と再会した田山は、焼けぼっくいに火が付いた格好で、大崎との付き合いがまた始まった。と、こうなるのか?」
「そうであれば、田山の新恋人の和泉が、それを知っていたかどうか、が問題になりますね」
「大学のサークルの先輩が、実は恋人の元彼女で、自分を通して再開したことで、田山が自分に隠れて二股を掛けていたということを、だな」
「もし、そのことを和泉麻利亜が知ったなら、田山を殺害する動機となり得るのでは?」
中野刑事は若干緊張を含んだ声で言った。蘇った麻利亜が田山を殺した理由は、蘇生後の意識混濁などが原因ではなく、明確に殺意を、二股を掛けられた恨みを持っていたから、ということなのか? いや、落ち着け。死んだ人間が蘇るわけがない。中野刑事の言葉を聞いた城島警部も、
「中野、いくら動機があろうが、田山より先に和泉麻利亜は死んでいる。殺せたわけがない」
「それは重々承知しています。ですが、田山のパソコンから発見された、あの手記……」
「くだらん」
緊張の上に恐怖を帯びた中野刑事の言葉を遮ったのは、城島警部の隣に座る、
「雷に打たれて死体が蘇ったなんて話を、本気で信じているわけじゃあないだろう、中野。確かに、心肺停止後に人が蘇生したという記録はあるが、概ね死亡が確認されてから数時間が限界だ。あの手記の日付はどうだ。和泉麻利亜が事故死したのが十一月三日、手記によれば、その和泉が蘇ったのは十一月十日だそうじゃないか。死亡確認されてから一週間も経過した死体が蘇るなどということはあり得ない。体内の血液が完全に凝固してしまい、いくら心臓にショックを与えようが、生前のように血流が戻ることはない。一週間もの間、血液による酸素供給を絶たれた脳細胞も死んでしまっているしな」
「それは分かっています」と中野刑事は多少憮然とした表情になり、「大崎志穂は本日会社を休んでいて、自宅アパートは留守でした。それと、大崎は木曜日と金曜日、日付で言うと十日と十一日も欠勤していますね」
「十日と十一日か。田山が殺された日と、その前日だな。理由は? 病欠か?」
中野刑事の相手は城島警部に戻った。
「ええ、本人はそう申告したそうです。十日の朝、本人から会社に電話があって、体調が悪いので休ませてほしいと。その翌日も同じだったそうです。朝、会社に電話があり、まだ快復していないからと」
「通院したような記録はあるのか?」
「いえ、それはないようです。本人は市販の薬を飲んで治したと言っています。友人を事故死で亡くした直後のため、そのための心労もあるのだろうと、会社でも理解を示して、何も言っていないようですね。以上です」
報告を終えた中野刑事は着席した。
先ほど、中野刑事にもっともな正論を浴びせていた織田刑事は、新潟県警において、犯罪捜査に民間人が介入してくることを嫌う警察官の最右翼の存在だ。よって、いかにも民間探偵が入ってきそうな、怪しげなオカルトじみた不可能犯罪のことも極端に嫌っている。織田刑事は書類に目を戻す際に一瞬だけ、最後列に座った素人探偵、つまり私の横に座る理真のことも一瞥していた。かといって、それで理真が怯むようなことは、毎度のことながらない。織田刑事の刺すような視線もどこ吹く風、とばかりに涼しい顔で座っている。こうでなくては素人探偵は務まらない。
中野刑事が会えなかった大崎志穂に、私と理真は今日会っている。あとで理真が発言するだろう。それにしても、中野刑事の報告を聞くに、志穂と殺された田山とは高校時代、かなり親密な付き合いだったそうだが。私や理真にしてくれた話とは全然違うではないか。とりあえず、ここは刑事たちの報告に耳を向けるのを優先させる。
「他に、めぼしい関係者は浮かんできているか?」
城島警部が会議室内を見回した。手を上げたのは丸柴刑事。ぎりぎりまで捜査に走り回っていたのだろう、動きやすいようにセミロングの髪を結ったままだ。警部に促されて立ち上がった丸柴刑事は、
「事故で亡くなった和泉麻利亜さんは、内向的な性格で、友人は多くなかったそうですが、高校生の頃に一番親しくしており、卒業後も付き合いが続いていた友人がいます。
「その野田という女性は、和泉麻利亜の恋人の田山との繋がりはないのか?」
「はい。今のところ特に。一度、和泉麻利亜さんと一緒に病院に見舞いに来たことがあり、そのときに少しだけ会話を交わした程度だそうです。この野田里沙子さんにも恋人がいます。
「その二人に、何か気になる点でもあるのか」
「気になるといいますか、入院している野田里沙子さんの境遇が少し特殊なもので。野田さんは、赤ん坊の頃に両親に捨てられ、施設育ちです。高校までは施設に住み込んで通学していたのですが、就職してからはアパートを借りてひとり暮らしをしていました。ですが、入院することになってしまったため、現在アパートは引き払っています」
「入院費はどうしているんだ? 施設育ちであれば身寄りもないだろう。保健にでも入っていたとか」
「それは、恋人の春日さんが出しているそうです。いくらか給付は出るようですが、入院、治療費の全ては賄えませんから。他に、これといって和泉麻利亜さんと親しい友人は確認出来ませんでした。ちなみに、野田里沙子さんには病院で会えました。和泉さんが事故死したことは知っており、病床のため葬式に列席出来なかったことを悔んでいました。それとなく田山さんについても訊いてみたのですが、先ほど報告した通り、一度、和泉さんと一緒に見舞いに来たときに顔を合わせただけだそうです」
「そうか。現在のところ、田山に殺される理由があるとすれば、高校時代の友人の大崎志穂絡みだけだな。田山が現在の恋人、和泉麻利亜と、大崎志穂の二股を掛けていたとしたら、十分理由になる。だが、その場合、田山に殺意を抱くのは誰なのか、という問題になるな」
「本来であれば、現在付き合っていた和泉麻利亜さんなのでしょうが……」
「その条件であれば、大崎志穂にも同じ事が言えませんか」と中野刑事が、「高校時代の焼けぼっくいに火が付いた大崎は、和泉麻利亜と付き合っている田山のことが許せずに」
「田山さんに、和泉さんと別れてもらう約束を取り付けていたのかもしれないわね。でも、一向に和泉さんと別れてくれない田山さんに業を煮やして……」
「待て、田山と大崎が付き合っていたというのは、今この場で出てきた推測に過ぎない」
と城島警部は丸柴刑事を着席させて、
「最後に、みんなも知っての通り、今回、数々の不可能犯罪捜査で助力いただいている、
理真は、「はい」と立ち上がる。予想されたように、織田刑事はあからさまに憮然とした顔になった。気にした様子もなく理真は、
「先ほど、中野刑事から報告があった、和泉麻利亜さんの友人の大崎志穂さんですが、私と江嶋は、今日、その大崎さんと偶然お会いしました」
本当ですか? と城島警部だけでなく、情報を仕入れてきた中野刑事も振り返って理真を見る。
「はい。場所は和泉麻利亜さんが事故死された現場で。会社を休んで来たということでした」
聴取しようとした人物が不在だった理由を聞いて、中野刑事は納得したように頷いている。理真は続けて、
「少しだけお話を聞くことも出来ました。麻利亜さんがやさしい人となりであったことや、田山さんとの仲が大変睦まじく見えたということも話してくれました。田山さんとは高校時代に同級生だったことも話してくれましたが、私と江嶋に対しては、田山さんとはそれほど親しい関係ではなかったと言われました。今、中野刑事の報告にあったものとは違いましたね」
それを聞くと、中野刑事、城島警部だけでなく、織田刑事も含め場内の全ての捜査員が、むむっ、と難しい顔をした。
「どうして、大崎さんは、自分と田山さんとの関係に嘘を答えたのだと思われますか?」
城島警部の疑問に、理真は、
「嘘をついたつもりはなく、二人が親しいと思っていたのは周囲だけで、本人はそれほど親しくしていた気はなかった、というだけかもしれませんが」
「いやいや」と言葉を挟んできたのは中野刑事だ。「俺は、同じような証言を数人の同級生から聞きましたよ。そんなに多くの人が二人の関係を勘違いしていたとは考えがたいですが」
「意図的に、二人は親しくしていたという情報を隠した可能性のほうが大きいですね」
丸柴刑事も意見を述べた。
「何のためにだ?」
城島警部の言葉には、中野刑事が、
「それはもう、自分と田山の関係に触れられたくないからですよ」
「田山は、やはり大崎志穂と付き合っていた、と?」
城島警部が訊くと、「その可能性は高いのでは」と答えた。さらに丸柴刑事が、
「そうであれば、和泉麻利亜と大崎志穂は互いにライバルというか、もっと深い怨恨の関係にあったのではと考えられますね」
「あ! そもそも、和泉麻利亜は大崎志穂に殺されたとか?」
中野刑事が腰を浮かせて言うと、「そこまで言ってないわよ」と丸柴刑事は中野刑事の肩を掴んで座らせた。が、中野刑事の口は止まらず、
「でも、それが事実だとしたら……事件の様相はどうなりますか? 十一月三日、田山信治と和泉麻利亜は
城島警部たち捜査員一同を始め、私と理真も黙って聞いていた。さらに中野刑事は、
「田山殺しも、これで説明がつきませんか?」
「どうして?」と丸柴刑事が、「その説を採用したって、田山さんを殺害する動機を持つ人はやっぱりいないでしょ」
「はい。ですが、大崎志穂に対する殺害動機は新たに生まれますよね。田山は、実は大崎が和泉麻利亜を突き落とす犯行現場を目撃していたんですよ。後日、恋人の仇を取るため、もしくは、それをネタに恐喝を仕掛け、夜中の公園に大崎を呼び出した田山は……」
「逆に返り討ちにされてしまった、と、こう言いたいのね」
丸柴刑事の締めに、中野刑事は、「そうです、そうです」と我が意を得たりとばかりに頷く。
「しかし、中野」と今度は織田刑事が、「それなら、和泉麻利亜の消えた死体はどうなる。この事件にどう関わってくるんだ。今、どこにあるんだ」
「あ……」
一転、中野刑事は口をあんぐりと開けて固まった。中野刑事、麻利亜蘇り説に最も異を唱えていた(とはいえ、支持しているものは、ここにはひとりもいないだろうが)織田刑事に、麻利亜の死体を持ち込まれて言葉に窮するとは。
「田山のパソコンから発見された手記もな」
城島警部にとどめを刺された。
だが、確かに、この事件が田山信治、和泉麻利亜、大崎志穂の三者の間で繰り広げられた三角関係の末路が招いた事件であれば、中野刑事が組み立てた事件構造も十分成り立つのではないか? 和泉麻利亜の死体が消えるというおかしなことが起きたから、ややこしくなっているのだ。って、こんなところで憤慨しても詮無いことではあるが。
「おまけに、と言ったら何だけど、田山さんが刺し殺された包丁からも、和泉麻利亜さんの指紋しか出ていないわよ」
さらにとどめを刺したのは丸柴刑事だった。
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