第7章 少なすぎた写真
「
エレベーターを降りて一階ロビーを歩く道すがら、
「それは、やっぱり
「そうよね」と理真を挟んで左側を歩く
「そこまでは、まだ。心臓の病気を持つ里沙子さんが、事故死して死体が消えた
「一見、特に関係ないわよね。里沙子さんは麻利亜さんの友人で、その彼氏の田山さんを殺す動機があるとは思えない。春日さんに至っては、彼女の友人の彼氏という縁遠い関係よ。田山さんと会ったことも、お見舞いに来たときと、線香を上げに行ったときの二度しかないらしいし」
「
「別にいいけど、また春日さんに睨まれるわよ」
「だから、春日さんがいなくなる時間を狙ってさ。面会時間外なら、春日さんは確実にいなくなるでしょ。こっちは公権力を使って里沙子さんに会おうよ」
「捜査権について、おかしな言い方をしない。えっと、ここの面会時間は……」
丸柴刑事はロビー出入り口の案内板に目をやって、
「午後七時までか。今が……」と次に腕時計を見て、「午後一時だから、結構時間が開くわよ」
「さすがに面会時間ぎりぎりまで粘らないんじゃ」
私は言ったが、丸柴刑事は、
「いや、わからないわよ。何だか春日さん、里沙子さんのことを凄くかわいがってるみたいだったもの」
うん、それには同意だ。春日自身も童顔で、年上のお姉さんにかわいがられそうな見た目をしているのに、その春日がこれまた童顔の里沙子のことをかわいがっているのを思うと、微笑ましくなる。
「……よし」と理真は考え込んでいた顔を上げ、次の捜査方針を決定したようだ。口元を結び、眉を釣り上げると、「丸姉、
理真に何かしら二つ名を付けるのであれば、〈食いしん坊探偵〉というのが相応しいのではないかと思う。日本全国を巡って、ご当地グルメを食べながら遭遇する事件を解決していくのだ。決め台詞は、「この謎、まだまだ腹八分目!」
馬鹿なことを考えているうちに、私たちの前に注文したランチ定食が運ばれてきた。が、理真も私もまだ箸を手に取らない。丸柴刑事の席が空のためだ。注文を済ませてすぐに電話が掛かってきて、その応対のため席を外している。
「お待たせ」と、その丸柴刑事が食堂に姿を見せた。三人揃ったところで「いただきます」をして昼食にありつく。
「理真、
「そうか。まあ、仕方ないね。観光客は一見さんばっかりだろうし、聞き込み相手は管理棟の人なんかに限られるものね。大勢来る観光客の顔をいちいち憶えていられないわよね」
言うと理真は味噌汁をすすった。私も飲んだが、病院の食堂らしく薄味に仕上げてある。私は、その薄味の味噌汁に箸を入れて、
「せめて、田山さんか麻利亜さんに話が訊けたらね」
「どうして?」
「だって、観光客の中に知人がいたら、ちょっと見かけただけでも気付いてた可能性が高いでしょ。そういうことって結構あるじゃん。人混みの中でも、知ってる人の顔はすぐに気が付くっていうか。まあ、その二人が死んだ事件での聞き込みなんだから、そもそも本末転倒な話なんだけど……ごめんね、変なこと言って」
「由宇、それだ」
「え、何が?」
「携帯電話だよ。田山さんと麻利亜さんの携帯電話に残されてる写真を見てみたら? 紅葉や自分たちを写した写真の背景に、もしかしたら志穂さんが写り込んでるかも。今の携帯って、アホほど容量があるから、みんな、のべつ幕なしに撮りまくるでしょ。おまけに画像も綺麗だし」
「そうか」と丸柴刑事は、「でも、麻利亜さんの携帯は水没してデータごと駄目になったそうだから、確認出来るのは田山さんの携帯だけよ」
「あ、そうだった。でも、田山さんのものだけでも確認する価値はあるよ、丸姉」
「よし、帳場(捜査本部)に行って田山さんの携帯を確認して、それから病院に戻ってくる?」
「いいね。時間的にも、ちょうどいいかも」
理真の言葉で今度こそ捜査方針が決まり、私たちはランチを平らげる作業を再開した。
署内の係員から、
十一月三日のフォルダに入っている写真を一枚一枚表示させ、私たちは目を皿のようにして確認していく。が、その作業はものの十数秒で終わってしまった。十一月三日に撮影された写真は、全部で三枚しかなかったためだ。それも、駐車場から温泉旅館とキャンプ場に行くために渡る吊り橋のたもとから、橋が入る構図で山の紅葉を写した写真が一枚。吊り橋の上から、恐らくそれぞれ上流と下流なのだろう、川と紅葉を写した写真が二枚。以上。
「これだけ?」
理真がぼやいた。そのまま左右に顔を回し、私たちと目を合わせる。
「理真、撮影時刻は?」
私が訊くと、理真はマウスを操作して、
「一枚目が午前九時五分……二枚目と三枚目は連続して撮られたのね、どちらも九時七分」
「せっかくのデートなのに、写した写真がこれだけ?」
丸柴刑事も腑に落ちないという表情をした。「あ」と私は、
「理真、麻利亜さんは紅葉狩り中の早い段階で行方不明になったんだよね。写真を撮ってる場合じゃなかったんじゃ?」
「丸姉、旅館から警察への通報時刻は、確か十時四十五分だったよね」
「そうよ。事故時の田山の証言では、休憩所で麻利亜さんと別行動になったのは、午前十時くらいだったって」
二人とも、すらすらと、そらで事象の起きた時刻を言い切る。さすが探偵と刑事だ。記憶力のいい探偵は、
「じゃあ、十時くらいから撮影どころじゃなくなったとしても、それでも最後の写真から一時間近く撮影なしよ。変じゃない?」
「撮影は麻利亜さんの担当だったんじゃない? そういうのって、女性のほうがやりたがるでしょ」
私は思いついたことを言ってみた。
「うーん……麻利亜さんの携帯が駄目になったことが歯がゆいね。丸姉、麻利亜さんの携帯のデータって、復元出来る?」
「出来ないこともないと思うけど。麻利亜さんは事故死で事件性はないと考えられたから、そこまでやろうとしてなかったわね。いいわ、鑑識に依頼しておく。麻利亜さんの携帯は遺族の方に返しちゃって、また借りる必要があるから、ちょっと時間が掛かるかもだけど」
ありがとう、と理真は礼を言って、さらに田山の携帯をいじり、
「……三日の十時四十分に着信と発信が連続してある」
「麻利亜さんへ、でしょ。姿が見えなくなって電話したときのものでしょ」
「うん、発信はそう。でも、その直前に
「え?」
大崎志穂? 麻利亜の友人の志穂から田山の携帯電話に着信があったのか。麻利亜の携帯に掛ける直前に?
「着信時刻から考えて、この大崎さんからの着信には、ほんの数十秒しか通話をしなくて、切ってからすぐに麻利亜さんの携帯に掛けたっぽいね。……しかも、それだけじゃないよ」
と理真は携帯電話の操作を続けて、
「田山さんの携帯に大崎さんから電話があったのは、そのときだけじゃない。過去に何度も、大崎さんは田山さんと電話のやり取りをしている。田山さんのほうからから掛けたこともあるよ」
田山と志穂は、何度も電話のやりとりをするような関係だった? 高校時代の同級生なのだから、別段おかしなことではないが、それが何かを暗示しているとしたら……
「やっぱり、二人は密かに付き合っていた?」
ずばり、丸柴刑事が言った。田山と志穂は高校時代、周囲が見る限り、かなり親密な関係だったという。本人曰く、あくまで友人という付き合いに留まっていたという話だが。麻利亜と付き合い始めてからも、田山が志穂と一緒にいるところを目撃したという情報もある。
「理真、大崎志穂さんに会って話を訊いてみる?」
「そうだね……でも、まだ会社だよね。夜になったら電話して会ってもらおう」
「分かったわ」
写真確認作業に、もっとずっと時間を取られると考えていたため、病院の面会終了時間である午後七時まで、まだ時間がある。丸柴刑事が、麻利亜の携帯を遺族から借りて、写真データの復元を県警へ電話で依頼し終えると、
「理真、時間が空いちゃったわね。どうする? 何か食べに行く?」
「失敬な、お昼食べたばっかりじゃない! 人のことを食いしん坊キャラみたいに!」
食いしん坊探偵は立ち上がって抗議した。
私たちは覆面パトで、田山が殺害された公園に行くことにした。そういえば今回は麻利亜の事故現場に行ったきりで、田山の死体発見現場へ行くのは初めてだ。公園に到着して車を降りた理真は、
「資料にも書かれていたけど、本当に田山さんの自宅から近いんだね」
と周囲を見回した。それは私も車中で公園に近づくにつれ感じていた。昨日中野刑事と一緒に家捜しをした田山の自宅からこの公園までは、徒歩でも数分で来られるだろう。
「死体が発見された植え込みは、そこよ」
丸柴刑事が、公園片隅の植え込みを指さす。死体発見から三日が経過していることからか、規制線などはすでに撤去されており、そこに死体が転がっていたという痕跡はもはやない。
理真は一応、といった程度に周辺を歩き回るが、何か発見出来る期待は抱いていないだろう。素人探偵がちょっと見て発見出来るような証拠や痕跡を、プロの鑑識が見逃すはずがないからだ。鑑識の仕事を理真は全面的に信頼している。そのため理真が現場を見るというのは、何かを発見するというより、実際に事件が起きた場所に立つことで、事件の様相を肌で感じ取りたいという感覚的な理由によるものが大きい。決して広くない公園内をひと回りした理真は、
「公園にしては、寂しいところだね」
とぐるりを見回した。私もその視線を追った。確かに、四角形の公園自体は数個の遊具やベンチがあり、それなりの広さを備えているが、公園の西側は私たちが乗り付けた道路に面しており、北側はどこかの小さな
「秘密の取引なんかをするのに、絶好の場所だね。夜になれば工場も誰もいなくなるだろうし」
理真は工場の薄汚れた壁を見た。その工場は住居兼とはなっていない、純然たる仕事場だけのようで、業務が終われば施錠がされて無人となるのだろう。
「うー、寒い」
理真は首に巻いたマフラーで口元を覆った。私も手を擦り合わせる。日が照っているからと嘗めて、手袋を車内に置いてきてしまった。外に出ると、空気は肌を刺すように冷たい。理真は腕時計を見て、
「まだ時間はあるけど、丸姉、由宇、病院の近くに喫茶店でも見つけて暖まろう」
寒さに音を上げた探偵は、覆面パトの助手席に飛び乗った。
道路を挟んだ病院の向かいに喫茶店を見つけ、私たちは入店して温かいコーヒーを注文した。理真ひとりだけは、食いしん坊探偵の名に恥じず、ケーキセットとしていたが。
私たちの席からは、窓の向こうに病院の建物と、その前の駐車場を見渡すことが出来る。外はもう薄暗く、駐車場にも外灯が灯っている。
二つ目のケーキを突いていた理真がフォークを止めた。視線は窓の外に注がれており、
「丸姉、由宇、春日さんだ」
その言葉に私と丸柴刑事も窓の外を見た。病院の玄関を出て駐車場に向かって歩いている男性の姿が見える。理真が言った通り、その男性は
「春日さん!」
車の運転席ドアに手を掛けた春日は、理真の声に振り向くと動きを止めた。そのままドアノブから手を離し、理真のほうに歩み寄る。
「探偵さん? どうしたんですか、いったい」
目を丸くした春日がそう言ったあたりで、私は理真の背中に追いついた。
「ちょっと」と理真は答えを濁して、「春日さん、今、お帰りですか」
「ええ、そうです」
日が沈んで気温もさらに下がってきた。理真と春日は、白い息を吐きながら会話をしている。腕時計を見てから理真は、
「午後六時半。随分長くいらしたんですね」
「ええ、昨日は一日会えなかったもので、その分もと。でも、もう帰ります」
春日は、自分の背後に停めてある青い車を見た。セダンタイプの乗用車だ。
「そうですか。大変ですね。お仕事もあるのに」
「そんなの苦になりませんよ。里沙子のためですから」春日はまた車を見てから、「もういいですか。予定があるもので」
「ええ、すみません、突然呼び止めたりして」
「いいえ。それじゃあ」
春日は素早く運転席に乗り込むと、エンジンを掛けて駐車スペースを出た。私と理真は、テールランプの灯る青い車を見送った。公道に出た春日の車と入れ替わるように、見慣れたセダンが駐車場に入ってきた。丸柴刑事の覆面パトだ。
「理真、いきなりどうしたのよ」
車を停めて運転席から降りた丸柴刑事が訊いてきた。
「うん、ちょっと、見かけたものだからね」
「何か有益な情報は得られたの?」
「ううん、全然」
「そっか。まだ七時にはなってないけど、春日さんがいなくなったならいいでしょ。理真、由宇ちゃん、里沙子さんに会いに行きましょう」
「丸姉、喫茶店の代金は?」
「もちろん出しておいたわよ」
ごちそうさまです。と私と理真は揃って
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