黄泉路と梅の花の話

 その年の東京の冬は早くから雪が降り、灰色の重たい雲が垂れ込める日々が続いた。講堂の廊下の窓から差し込む光もどこか頼りなげで、私は故郷の雪深い冬とは違った心細さを抱えながら、背を曲げていそいそと通り過ぎたものだ。

 悪い風邪が流行った。学生連中もひとりまたひとりと休みがちになり、教授連も病は避け得なかったようで、休講が増えた。中にはそのまま肺炎を起こして長く寝付いた者も多かったのだと言う。


 結果、訃報が続いた。私が参列したのは同郷の知人の物一回きりだったが、先生は帰宅されると喪服に着替え、あちこちへと出かけて行った。

 皆が皆、各々忙しげで、悲しげで、それでも少しずつ身を寄せ合うようにして、ほのかに温まろうとする、東京の冬はそんな風な物なのだろうか、と年を越して私は思うようになっていた。


 二月。私が寄宿する吉野家のお嬢さん、吉野弥生嬢の進学も決まり、それでも小さく灯りが灯ったような心持ちになった頃のことだった。お嬢さんの御学友が病を得て亡くなられた。


 私が火鉢の炭を頂きに母屋に来ていた時のことだった。いつもよりも力の無い「ただいま」か聞こえ、お嬢さんがいつになくしょんぼりした風体で帰宅された。


「同級のね、佐野さんがしばらく御病気でお休みしていたの。それで昨日亡くなったって、先生が仰って」


 セーラー服の上から半纏はんてんを羽織り、外の寒さに少し頰を赤くしたお嬢さんが俯く。この季節に凛々しい断髪は少し寒そうにも見えた。


「今日お通夜に伺うの」

「仲がよろしかったんですか?」


 おときさんがあかぎれの目立つ手を拭きながら尋ねた。お嬢さんは首を横に振る。


「そこまでお話ししたことはないわ。遠足で一度班が同じになった位よ。でも、これからもしかして、少しでも話す機会があったかもしれないのに、全部無くなってしまったの、それが凄く悲しいわ」


 お嬢さんの消沈具合は相当な物で、泣き出しこそしなかったものの、辺りはしんと静まり返った。


「涼太郎さんにならもしかしたら、佐野さんが見えるかも知れないと道々思って来たのね。でも、もし見えて、あちらに何か伝えたいことがあったとしても、それはきっと私宛じゃなくて御家族や、もっと親しかったお友達になのよね。当たり前なのだけど、そんなことも寂しくなってしまったの」

「……お嬢さん」


 私には確かに少しばかり変わった物を見る目が備わっている。だが……見えるものを選べる訳では無い。


「ほらほら、元気をお出しになって。干し芋が焼けましたよ。温かい物でお腹をくちくしておけば、辛いことも少しだけ軽くなるという物です」


 おときさんが網焼きの干し芋を出してくれた。お嬢さんは少しだけ表情を明るくして、はふはふとそれを召し上がる。私もひとつだけ頂いた。心の安らぐ味がした。




 お嬢さんが突然熱を出して倒れられたのは、その御学友の通夜に参列し、帰宅されてから直ぐのことだった。




 どうも風邪ではない、原因はわからぬが、伝染性であっては良くないから隔離するが宜しかろう、との医者の見立てで、私が普段生活して居た離れがお嬢さんに与えられ、おときさんが看護に当たった。私は代わりに母屋の一室で寝起きすることとなり、所在無さと緊張感と、何よりも懸念で一杯になりながら数日を過ごした。


 お嬢さんの熱はまだ、下がらない。時折目を覚ましてぼんやりとするので、その時におときさんが水を差し上げる位で、後は昏々と眠り続けて居られるのだとか。


 家中は火が消えたように静かになった。看病するおときさんが草臥くたびれた様子なのは勿論もちろん、先生もどこか老け込まれた様で、この家にお嬢さんの存在がどれほどの明るさを与えて居たかを皆が噛み締めて居る様だった。侘助わびすけはずっと離れを去らずに主人を見守って居るし、そして、弟君はいずこかへ消え、しばらく姿を現さない。




「私にもう少し力があれば良かった」

「……詮無せんないことを言うなよ」


 奥村は軽く私の背中を叩く。


「この目が何の役にも立たないのが、今程悔しいことは無い。ずっと鬱陶うっとうしいだけと思って居た、でも、少しだけ嫌いでは無くなってきた処だったんだ」


 すっかり葉の落ちた銀杏並木の空気を吸い込んだ。肺がきりきりと冷える心地がした。


「それが、また一番肝心な時に役に立たない」

「お前の目には俺は世話になって居るからな。弁護のひとつもしたいが……まあ、兎に角そう責めてやるな。自虐は身の毒だぜ」


 背の高い友人はさらに上を見上げると、白い息を長く吐き出す。


「……お前もしづさんに、何か鍋の材料でも差し入れて来ると良いんだ」

「そこで何でしづさんを持ち出す」

「さっさと上手く行け、このポンコツ」


 私も、微かに濃淡の見える灰色の空を見上げた。太陽はどこにも見当たらない。


「……後々、後悔しても遅いのだ」


 私は、実を言うと、その時泣きそうでどうしようも無かった。


----


「涼太郎君、涼太郎君」


 文机に向かい、うとうとしていると肩を叩かれた。振り向くと黒装束の首元に赤い紐の少年……弟君が呼んで居た。

 私は軽くうなずく。母屋で堂々と話して居ては、先生たちに独り言と思われ怪訝けげんにされる。本来であればすがり付いてでもお嬢さんの容体について何かわからないか、聞きたい処であったのだが……。


「弥生のことで一寸ちょっと話があるんだ。離れまで来てくれないかな」

「離れ? しかし」

「大丈夫。あの病は弥生に取り憑いて居る限り感染うつらない」


 そうして、勝手にひとりで廊下へ出て行く。私は半信半疑の気持ちで、それでもお嬢さんの話とあっては引く訳には行かず、足音を殺しながらそこに付いて行った。


 母屋と離れを繋ぐこの渡り廊下を初めて通ったのは、春の初めのことだった。今はあの時と違い、しんと静まり返った中、キイ、という軋みの音が時折響くのみ。何度も往復した道だと言うのに、私はどこか畏れに似た気持ちを覚えて居た。


 奥村に、この世とあの世を渡り廊下へと例えて聞かせたのは、あれも春だったか。それで言うと、今のこの移動はさながら黄泉へと下ろうとする、そんな動きにも思えた。


 弟君が戸を開け、私たちは中へと足を踏み入れた。底冷えする様な空気は、まるで数日前まで私自身が生活していた様には思えない。おときさんは今は母屋の方の仕事をして居るはずだから、ここに居るのは寝て居るお嬢さんだけの筈だった。

 ふすまが開かれた。一瞬のことだった。布団で寝息を立てて居るお嬢さんの上に、酷く澱んでぐちゃぐちゃになった何か霧の様な物が見えた気がしたのは。


「ああ、矢っ張り見えたか。良かった」


 驚いた顔の私を見て、弟君は軽く笑った。


「あれが弥生の病の元だよ。あれを、消す」

「あれは?」

「この処難が続いて、家に少しずつ悪い気が寄り集まって来た。ずっと大きくなって、隅でわだかまって居たのが、弥生が弱ったのをいいことに、取り憑いて命を吸おうとして居る」


 弟君は真面目な顔になり、そうして私に向け頭を下げた。


「君にしか頼めないことがあるんだ。どうか手伝ってはくれないかな、涼太郎君」

「君の持って来る話だ。どうせ尋常の手段では無いのだろう」

「うん」

「きっと危険があるのだろうな」

「その通りだよ。下手をしたら死ぬより苦しむ。それでも……」

「それでも、私にしか出来ないのなら、やるまでだ」


 私はじっと弟君を見据えた。弟君も、私の目を見て頷いた。


「有難う」

「何をすれば良い」

「鬼門へ」


 すっ、と手が北東を指した。


「ここから向かって欲しい。そうして彼岸近くに渡る」

「彼岸に」

「夏に一度浅草寺から行きかけたことがあったろう。あれよりはもう少し深く潜って貰う。これが灯り」


 袂から取り出した物は、すっかり乾いて、筋と中の丸い実ばかりになった網鬼灯あみほおずきだった。


「何が待ち受けているかは僕にもわからない。行く者によって違うんだ。甘い誘惑の道かも知れない。粘つく恐怖の道かも知れない。行きは良いけれど、帰りは、ってこともある。でも、立ち止まらないで走ること」

「目的地は」

「どこかに梅の木があるはずだ。花の咲いた小枝を折って、持って帰って来て欲しい。それで瘴気しょうきはらう」


 梅の花。確かにそろそろ咲き時ではあるが。


「僕には触ることが出来ない領域なんだ。だから生きて居る君の力が要る」

「わかった」


 他に縋れる物は何も無かった。私は、私の目と、この目が見出した弟君とを信じるしか無かった。


「帰りは特に気を付けて。沢山追ってくるものが居る筈だから。兎に角走って。姿が見えるもの、名前がわかるものはまだましだ。そうでないものが怖い」

「……わかった」


 私は繰り返す。母屋に戻り、とんびを羽織ってこっそりと外に出た。そして弟君にふと尋ねる。


「前から気になっていたんだ。君はどうしてお嬢さんをそんなにも守ろうとして居るんだ? 自分と同じような存在にしてしまいたくは無いのか?」

「それはこっちも言いたいよ。君は、弥生を自分にだけ見える、自分とだけ繋がっているような、そういうものにしたいと思うことはないの?」


 暗がりの中、私たちは目を見合わせた。私は息を吐くように答える。


「お嬢さんは、生きたがって居られるから」

「そういうこと」


 私は北東の方角に向かい、真っ直ぐに進んで行った。手の中に壊さぬように握っていた網鬼灯はいつの間にか提灯に変わり、ぼんやりと道を照らす。住宅街の入り組んだ道は、いつしか奇妙な建物の並ぶ一本道へと変わり、私を招いて居るかのようだった。時折、影のような人や、あるいは人ではないようなものの姿とすれ違う。


(姿が見えるもの、名前がわかるものはまだましだ)


 弟君の言葉を反芻しながら、早足で進む。周囲では、提灯を持った者たちが歓談していたりもする。恐らく、夏に訪れたのはこの辺りだったろうか。ならば、まだ下らねばならぬ。

 しばらく行くと、ようやく分かれ道かあった。右か左か。考えあぐねて居ると、すっと目の端に細い指が過った。


 お下げ髪で、どこか幸の薄そうな顔の少女が、真っ直ぐに右の道を指差して立って居た。


 奥村の、妹君。


 私が頭を下げると、少女はにこりと笑って礼をし、スッと溶ける様に消えた。春の恩返しと言うことだろうか。その義理堅さが何より有り難かった。


 脇の奇妙な建物は、徐々にただの影に変わり、無人・無音の道を私は行く。目には見えぬが、何か、盆の時に出会った様な何かの塊が彼方此方に浮かんでは、こちらをジッと品定めでもして居るかの様に眺めて居るのがわかった。



 私は、生者と死者との境について考える。「私であること」を強い輪郭線として持つ、それが生という物では無かろうか。それは揺らぐことこそあれ、決して他者と混じらず、個として、或いは孤としてある物だ。私はすみれさんや登美子嬢の強い眼差しを思い出す。

 死とは、その輪郭線を失い、感情も意志も何もかもが溶け崩れた何かになってしまうこと、なのでは無かろうか。それが時折、或いは常に生前の輪郭を頼りにぼんやりと現実に現れる、私の見る死者の姿はそう言った物なのではないだろうか。丁度、しづさんの処の狸の化け姿めいて。

 それはあの美はるさんの様に想いを頼りに常に在ることもあれば、奥村の妹君の様に懸念を頼りに時に浮かび上がることもある。


 人を生に、個に結びつける物は名である。私は境涼太郎という私の名をもって、この世に紐付けられて居る。だから、盆の時は半分引き摺られた魂をこの世に繫ぎ止めることが出来たのだろう。

 そこまで考え、そして私は疑問に思う。命も、名も無い弟君は、一体何をもって……或いは何を代償に、ああも強力にこの世に顕在して居るのだろうか、と。



 無音の囁きと歯軋り、見えない翼のはためきの中、行く先に、一本の梅の木が見えてきた。私は難なくそこにたどり着く。三分咲きと言った処だろうか。美しい枝ぶりにぽつぽつと、仄かに光を宿す様な白い花が咲いて居る。私は言われた通りに花と蕾を幾つか付けた小枝をポキリと折り、大事に懐に入れた。


 黒とも灰色とも、黄色ともつかぬ、奇妙な色の空が揺らぐ。

 帰路が恐らくは、勝負のしどころだ。私は提灯を持ち直すと、あらん限りの早足で歩き始めた。


 背後で、ぞろ、と嫌な気配がした。それまで様子見をしていたと思しきあの目に見えぬ塊が、動き出したのだ。わたしは駆け出す。幾つもの塊が寄り集まり、更に巨大な何かになって行くのを感じる。あれが人の行く先と考えるとなかなかにゾッとしなかったが、ともあれ思考は後だ。私は二本の脚を動かした。


 懐の枝の感触を常に確認しながら、駆ける、駆ける。提灯がガタガタと揺れる。長い、透明な触手の様な物が伸びてくる。左手の一部が絡み取られる。薬指と小指は瞬く間に溶けて消え、青白く光る炎の様な物がボウと噴き出した。私は目を疑う。脚がこうなってしまっては終わりだ。息が苦しいが、さらに速度を上げる。


 影の様な人影が、追って来る何かに怯えて逃げ惑う。私はその間をひたすらに走り抜ける。



 冬の長い土地で暮らして居りました。遠い町に来て、最初に春の訪れを知らせてくれたのは、お嬢さん、あなたです。

 夏の華やぎも、秋の豊穣も、皆、あなたがくれました。

 だから、今度こそは、私があなたに、春の最初の兆しの花を届けたい。


 私の何を犠牲にしてでも、必ず。



 左脚と右手に、見えない何かが絡み付く。私は徐々に輪郭を失う。記憶を失う。私である意味を失う。半分青い炎と化しながら、私は前へと進む。死にも奪い得ない物のために。


(お嬢さん)


 呼び掛けた瞬間、何かが私の身体の真芯をズブリと貫いた。




 私は    を



      たい


             に




         花を










『じゃあ、私が何か危なくなったら、私の名前を呼んでね。きっとよ』













「……弥生、さん」


----


 少し、不思議な夢を見て居りました。

 熱のせいでしょうか、周りの景色は何だかぼんやりとしていて、水彩画の様に滲んで居りました。空は夜の様に暗くて、それなのに周りは、ガス燈も無いのに昼の様に明るくて。


 私はいつものセーラー服姿で、道を歩いて行くのです。お隣には佐野さんがいらして、仲良くお喋りをして行きました。


「どうして私たち、今までそんなにお話ししたことが無かったのかしら。こんなに楽しいと思ってなかったわ」

「席も遠かったし、それに、私、吉野さんは何だか憧れの方だったの。気後れしてしまって居たのね」


 憧れの方、なんて、少しくすぐったい様でしたけど、でも、嬉しかった。

 少しずつ、少しずつですが、なんだか足先や、指先が、風景と同じく輪郭を失い、滲んで行くのを感じました。でも、嫌な感じは致しません。そう言う時なのだな、とそう思いました。佐野さんも何だか半分滲んでいらして、このまま二人で溶けてしまうのねとそう思った時でした。


 どこかから、私の名前が聞こえました。

 苦しそうで、悲しそうで、今にも解けて消えてしまいそうな、そんな声でした。


「誰かが呼んでる」


 立ち止まると、佐野さんは少し残念そうに笑いました。


「お迎えかしら。そうしたら、私はひとりで行かなきゃ」

「でも」

「いいの。私はもうとっくに荼毘だびに付されて居るんだもの。あなたはまだ大丈夫。行ってあげて」


 とん、と背中を押されました。振り返ると、佐野さんはもう余程遠くを歩いて居るのです。


「佐野さん! でも私、あなたとお話できて良かった!」


 殆ど消えかけた姿が、それでも大きく手を振ってくれるのを見ると、私は今来た道を戻り始めました。


 一歩一歩行くごとに、色んなことを思い出します。お勉強のこと、学校のこと、お友達のこと、お父様やおときさん、侘助のこと。どうしてこんなに大事なものを沢山、忘れて居た物でしょうか。どうしてこんなに素敵な物を全部、捨てて行こうとして居たのでしょうか。


 それは、勿論いつかは何もかも捨てて、水彩の滲みに変わってしまう日は来るのでしょう。でも、それは今では無い、とあの声は告げてくれて居る様でした。



 私はハッと目を開けます。自分が布団に寝かされて居るのに気付き、それから枕元に立つ、私を照らすひとつの大きな青白い炎を見ました。中にチラチラと人の輪郭の様な物が見えます。


 私にはわかって居ました。私がさっき捨てそうになって居た物のひとつ。一番新しくて、一番優しくて、一番わくわくすることを教えてくれる方。

 仰向けのまま、呼びました。



「涼太郎さん」



 炎は熔け崩れ、涼太郎さんが畳に膝をつきます。手には白い梅の花が咲く枝。それが私にかざされ……。


 私は、再びまた眠りに落ちて行きました。今度は、夢は見ませんでした。


----


 崩れ落ちそうになる身体を、両の手でどうにか支えた。動悸が酷い。息が荒い。それでも、私の身体はどうにかここに在る様だった。


「大丈夫かい」


 弟君が気遣う。侘助が走り寄ってきて、私の頬を舐めた。


「お疲れ様。幽鬼みたいになって帰って来た時はどうしようかと思ったけど、どうにか弥生の瘴気しょうきも祓えた」


 頷く位しか出来なかった。お嬢さんが名前を呼んでくれたお陰で、バラバラになり掛けて居た私はどうにか存在を繋ぎ止められたらしい。もしかしてひとつふたつ微小な記憶の抜けが在るかも知れぬが、贅沢は言って居られない。

 だが、反動は大きい。私は今にも意識を手放しそうな程の疲労感と戦って居た。


「あとは、母屋に帰らないとだね。ほら、支えてあげるから」


 私は素直に彼の言葉に従った。勝手に寝室に忍び込んだとあっては、お嬢さんの名誉にも傷が付く。


 渡り廊下を、ふらふらと歩いて行く。全く、行きは良い良い、だ。私はふと、弟君の横顔を見た。


「君は、どうしてこの世に居るんだ」

「弥生を守るためさ」

「そうじゃ無い、理由ではなくて、手段だ。何を代償にして君はそうして居る」

「ああ」


 すると弟君は、おかしそうにくすくすと笑った。


「もう二度と、死にも生まれもしないこと。決して変わらぬ僕のままでここに居続けること。それが僕の代償だよ」


 私は目を見開いた。

 あれだけ辛かった死、己の消滅が、しかし決して与えられることも無いと言うこと。それはまた別の苦しみである様に思えた。永遠の生は、それは、永遠の死と同義では無いのか。私は、故郷のオシロイサマを思った。


「そんな顔をしないでくれよ。僕が選んだことなんだから」


 弟君は困った様な顔になる。


「大丈夫、君たちのことは見守ってるよ。ずうっとね」


----


 私がそれからすっかり熱も冷め、きちんと目を覚ましたのは、次の日の朝のことでした。


 枕元には一輪挿しがあって、あの梅の枝が活けられておりました。ああ、夢ではなかったのだわ、と思います。


「いつの間にか、お布団の上にこれが置かれて居たのですよ。本当に不思議だこと」


 おときさんはそんな風に仰いますが、私はどなたがこれを持って来て下さったのか、ようく知って居ます。私はこっそりとささやきます。


「涼太郎さん、有難う」


 私を繋ぎ止めてくれて。私に、春を運んで来てくれて。


 元気になったら、きっとちゃんとお礼を言いましょう。そう思うだけで、私はなんだか気持ちが暖かく、嬉しくなるのでした。

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