お芝居と小説とそれからの話

 お芝居と小説は大好きです。どちらも、劇的なものが特に。だって、日常が少しくらい詰まらないことだらけでも、ひとときは物語の世界に浸ることが出来るでしょう。

 もちろん現実とお話の区別はついて居りますし、何なら現実の厳しさだってよくわかって居ります。わかった上でお話を愛でるものだとも、きちんと理解していてよ。


 それなのにお父様などは、弥生は夢見る乙女だから、などとにこにこしながら仰る。これには猛反発をしたいところです。残念ながら、自分の中の気持ちを上手く表すことが出来た試しはないのだけれど。

 兎も角、私はただ夢に夢を見て虚構にうっとりとしているだけでは無いのです、とそれは主張させて下さいな。


 さて、それはそれとして。今部屋に居る私の手元にはこの間半年ぶりに観に行くことの出来た、歌劇団の公演チラシが御座います。それから、観て直ぐに買いに行った、お芝居の原作の小説も。

 それはもう大層な悲劇で、ロマンチックな恋愛物でした。主演の男役の方がすらりと背が高くて、とても素敵で……。

 はあ、と息をつきます。私は全体小柄な方ですから、あの様な長身の美女に憧れるところがあるのです。これは内緒ですよ。


 憧れると言っても二種類があります。あんな風な理想の方に甘い声で囁いて貰いたい、と言うのと、もうひとつ。あんな風な理想の女性に成ってみたい、と言うのと。私の場合は、後者でありました。学校で劇をやった時も、男役に立候補しては、吉野さんは無理を仰らないで、と簡単に退けられてしまった程です。

 無理かしら、とちんちくりんの我が身を見下ろし、無理かもしれない、と諦めます。こればかりはどうしようもないことです。何せ中学校の頃から身長は変わって居ないので。


 文机の前から立ち上がり、丁度そこに居た(と思しき)侘助の気配を相手に、私はすっと姿勢良く立ちます。そうして、あの男役の方の様に台詞を唱えるのです。ひとりなら、何をやっても自由ですから。


「嗚呼、愛し君、ただひとり我が血潮の沸き立つ方。どうか悲しまずに居て下さい。この想いは風の……」

「お嬢さん。夕飯の支度が出来ました。おときさんがお呼びですよ」


 私の一世一代のお芝居は、外から聞こえてきた涼太郎さんの呼び声にあっさりと断ち切られました。無念、と言うよりはもう何と言うか、恥ずかしくて堪らないというか、汚点です。我が人生の白紙に黒々と付いた汚点。


 私は襖を開けましたが、多分物凄い顔をして居たのだと思います。涼太郎さんが目をパチクリして居りましたから。それでも触れないで居てくれるのはあの方の優しさで……。


「そう言えばお嬢さん」

「何かしら」

「演劇の練習ですか。もし宜しければ私も付き合いますが」


 もう、堪らなくなって私、涼太郎さんの袖を滅茶滅茶に引っ張ってしまったのだけれど、これは許されると思って居るのです。許されますよね。

 本当に、恥ずかしい。


 その晩は、おときさんの美味しい料理も、何だか味が無い様な気すらしたのでした。


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 それから、お布団に入ってぼんやりと考え事をして居りました。

 お芝居に小説。日常が少しくらい詰まらなくても、彩りを添えてくれるものたち。でも、私の人生ってそんなに詰まらなかったかしら?と。

 それは、同じことの繰り返しだとか、決まり切ったこの先のことだとか、考えると嫌になることは沢山ありますけれど、それでも何だか、ここ暫くはいつも楽しくて、吃驚するようなことで一杯で……。


 アッと気づきました。多分、それは、この春に涼太郎さんがやって来て、沢山の不思議を見せて下さって、それからなのだわ、と。それから、私の人生はいつか舶来品を扱うお店で見た綺麗なオルゴールのように、ゆるゆると回り始めたのだと。

 私は口元までお布団に潜ります。きっと、今日の夢は素敵なものになることでしょう。

 侘助の鼻をすぴすぴと鳴らす微かな気配を背に、私はゆっくりと、眠りの世界に引き込まれて参りました。


 お休みなさい。

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