新年と台所の話

 新年。実家に帰るでもなし、寝正月を決め込むのも居候先ではやり難く、ばたばたとした年末の忙しさをなんとなく引きずったままに年を越してしまった。夜更かしをする性質の人間は吉野家には居ないため、早く寝て早く起きた。出来るだけ新しい着物に着替え、もそもそと家主に挨拶を行う。


先生は何時もの様に鷹揚に挨拶に応じて下さった。それから、子供の様な顔で嬉しそうに小さな袋を取り出し、「さて、お年玉だ」と仰る。

 そんな物は頂けませんと辞するも、いいから貰って起きなさいと押し付けられた。お嬢さんもにこにことその様子をご覧になって居る。この親子はあくまで行事好きだ。


「後で幾ら入っていたか教えてね」

「弥生、それは行儀が悪いというものだ」

「だって、知りたいもの」


 お嬢さんの顔に、やあ新年初膨れだ、と先生は笑われる。それから、おときさんの自信作というおせちを頂いた。思えばこの人も働き者、というか、何ともよくやるものだと思う。


 随分以前に連れ合いを亡くされたらしく、身寄りもなし、家事の腕だけを頼りに吉野家に勤め、こうして正月も休む事無く仕事に励んで居る。見習いたい、と言うよりは呆れ感心するばかりである。御本人はそんな忙しさもおくびにも出さず、さくさくと慎ましやかながらも美味そうな皿を並べて居る。


 お嬢さんは歓声を上げ、甘そうな栗金団や黒豆をせっせと皿によそい、先生は数の子を摘みに早速熱燗をちびちびと飲まれて居る。私は酒は少量で止してもらい、茶色い煮染めを口に入れた。味が染みて居る。美味い。なんだか申し訳なくなって、食後の片付けや皿洗いは無理を言って手伝わせて貰った。


「お正月なんですから、ゆっくりしてらしていいんですよ」


 おときさんはゆったりとした口調でそう言う。


「それはこちらの言うことです。おときさんこそ休まれて下さい」

「私は動いてる方が気が楽なんですよ」

「それなら私もそう言う事にして頂きたい」


 そんな埒のあかぬ会話をした。


 窓の外は、いつになく静かだ。すっかり冷えた手を息で温めて居ると、おときさんが軟膏を塗ってくれた。あかぎれの予防によく効くのだそうだ。少し、薬のつんとした匂いがする。


「良い年になるでしょうか」

「さあねえ。何があるかは知れたものじゃありませんもの」


 おときさんはあまり楽観主義では無い様だ。


「それでも、また年の瀬が来るとね。不思議といい年だったのかも知れないなと、そう思う年ばかり」

「そう言うものですか」

「幸も不幸も、大体均すと同じくらいに成る物ですよ」


 なるほど、と思う。含蓄である。

 私は台所を辞して離れへと向かった。しきりに何か父親に話しかけて居るお嬢さんの声がした。


 昨年は、良い年だったと思う。東京に来た。吉野家の皆さんと知り合った。友人が出来た。勉学の方も、悪くは無かろうと思う。今年はどうだろうか。歩廊を渡りながら考える。

 庭を侘助と弟君とが嬉しそうに駆けて行った。椿もやがて咲くだろう。


 私は此岸と彼岸の全ての物に対して思った。今年も宜しく、と。

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大正幽歩廊 佐々木匙 @sasasa3396

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