大正期、モダンな街並みを整えつつも、江戸の名残を留めた東京。
大学進学のため上京した境涼太郎は、生物学教授の書生となった。
教授の愛娘、吉野弥生は早々に涼太郎の元気のなさに気が付いた。
涼太郎の目には、実は、見えないはずのものたちが映るのだった。
死してなおこの世に留まる者たちはどんな思いを抱えているのか。
忠実な愛犬、黒衣の少年、清楚な少女と、さまざまな者たちが
涼太郎の目の前に現れ、それぞれの思いを託した花を咲かせる。
この世とあの世の境は曖昧で、在るべき形が少し違うだけなのだ。
涼太郎の周囲に集まる怪異は、死者によるものばかりではなく、
生者の心が起こす力であったり、はたまた優しい妖であったり。
ホラーとはいえ怖さもおぞましさもなく、ただ、そっと物悲しい。
涼太郎が東京で過ごす1年間を経て、弥生との距離は縮まるのか。
作品を形作る文体と雰囲気が、憧れるほどに本当に美しい。
戦前の文学作品を彷彿とさせる言葉遣いでありながら自然体。
すっと染み入ってくるような何とも言えない心地よさで、
ああ、ずっとこの作品世界に浸っていたいな、と思った。
ひとりの書生がむすぶ生者と死者の交わりの物語です。
大正時代の東京を舞台に、おかしなものがみえてしまう生真面目な書生の涼太郎さんと、寄宿先のお嬢さんでお転婆な女学生の弥生さんを中心に、生者と死者、人ならざるものたちの境界上の物語が、堅実な筆致でえがかれていました。
郷里では異端だったために人との関わりにとぼしかった涼太郎さんが、天衣無縫な弥生さんとの出会いをきっかけにかわっていく姿は、「黄泉路と梅の花の話」で見事に昇華していて心をゆさぶられます。
奇譚、大正浪漫譚、成長譚というみっつの側面がどれもたかいレベルで実をむすんでいる物語でした。
大学で学ぶために上京してきた境涼太郎には、他人に見えぬものを見る目があった。
涼太郎の周囲で、人と、人ならぬものが行き来し共存する、優しい物語。
「学友と勿忘草の話」で、この作品における基本的な世界の捉え方は、涼太郎の口から語られていますが。
それを一番実感したのは、「奥村の恋と金木犀の話」に出てきた「俺と全く同じじゃ無いかよ」という台詞。
人と、そうでないものとの間に、大した違いなどないのです。
周囲の人々の心を明るくしてくれる、弥生お嬢さん。
凛として気高く、うちに刃も持つ、登美子嬢。
デパートガールの女性も、皆、自分とは何であるかを探している。
郷里では、その目ゆえに居場所のなかった涼太郎が、東京でお嬢さんや他の人々と触れ合い、自分を肯定していく過程には、胸にぐっとくるものがあります。
これから先の物語も、とても楽しみです。
胸の底を掴まれるようなお話でした。
大正ロマン、怪異が見える主人公、一つ屋根の下に住むお嬢様。お話を構成する要素は決して珍しいものではありませんが、それらによって演出される世界は、唯一無二の柔らかさと美しさを持っていると思います。
特に、二話は素晴らしかった。奥村との絶妙な距離感が、少しずつ縮まって行く様子は、自分の青春時代を思い起こさせるような、妙な気恥ずかしさすら覚えます。キャラクターがみな、若干愚かしくも憎めない印象なのが、とても好きです。オチがすごく素敵。
また、ふわふわとしているものの、その根底にはきちんとした筋が通っているのも好みです。この世とあの世感を誤魔化さず、きちんと言葉にして現したシーンは実に胸に響きました。
今後も、夢を見ているかのような読書体験を、嬉々としてお待ちしています。