竜眼(りゅうがん)

和久井 透夏

竜眼(りゅうがん)

 小春日和のある日、職場に実家の父からの電話が来て私は母が危篤だと知った。


 もともと母は人工透析を始めて15年。

 人工透析を長く続けていると、筋肉や骨がもろくなる。

 2年前からは、車椅子を利用していたそうだ。

 運動も出来なくなったせいで、心臓を動かす筋肉も弱ってきて、母の体調がいいときにペースメーカーを入れる手術をする話が出ていた矢先の事である。


「うん、悪いけど、実家の母の見舞いに行きたいの。様子を見たら帰ってくるから2.3日帰ってもいい?」


 職場から夫に連絡を入れる。

「俺は大丈夫だから行っておいで」

 夫は快諾してくれた。

 上司に母が危篤なので、明日から有休が欲しいと告げると引き継ぎを済ませてから行くようにと言われた。

「私も親が倒れたときに1週間お休み取ったから、気にしなくていいのよ」

 そういえば、上司は彼女の母が倒れた後、介護のため時短勤務を2年やっていたのだった。



 翌日、私は飛行機で実家がある長崎市へ向かった。

 飛行機の窓の外に滑走路がある細長い島が見えてくる。

 長崎空港だ。

 実家ながさきへ帰るのは十年ぶりだった。

 いつの間にか高速バスの停留所が変わっている。

 長崎市内へ到着するのに、昔は1時間以上かかっていたのが今日は35分しかかからなかった。


 母が入院している長崎市民病院の名前も変わっている。

 今年から腎臓内科も開設されたそうだ。

 以前は慢性腎炎を患っている患者が病気になると、大学病院か大村市の国立病院機構長崎医療センター へ入院していたのに、ここに運ばれたことを不思議に感じていた私の謎が解けた。


「桃子、わざわざ来てくれたとね。ありがと」

 母は、私がお見舞いに来たことをとても喜んでくれた。


 病室に入る前、父に母の容態をくわしく聞いた。

 幸い、意識は昨夜のうちに戻ったものの、今も心臓の動きが悪いらしく、予断を許さない状態らしい。

 昨夜、父は病院で一夜を過ごしたそうだ。

 もともと人工透析へいくときもいつも付き添っていた父だ。

 病院へ泊まるのは、父にとって大した負担ではないという。


「相変わらず仲がよかとね」

「うらやましかとか」

 ニヤリと父が笑う。

 しかし、次の言葉で私は胸が痛くなった。

「夕べが山だといわれていたけん」


 最悪の事も考えて、私に喪服を準備して来いと言っていたのはそういうことだったのか。


 母は緊急事態に備えて、やや広めの個室に入っていた。

「思うたより元気そうやね」

「そう簡単にうちが死ぬわけなかとよ」

 ベッド脇の椅子に腰掛けて、私が明るく声をかけると母はからからと笑う。

 母の両腕は人工透析に使うシャントが目詰まりを何度も起こしたこともあり、いびつにでこぼこしていた。

 そのため、点滴も思ったように入らないと母はこぼす。


「なんか食べたかもんはなかと?」

 話題を変えようと私は母に聞いた。

 厳しい食事制限をしていた母だけれど、今は食べたいものがあるなら少量だけ食べてもいいらしい。

 間髪をいれず母の口から言葉が出る。

竜眼りゅうがんが食べたかぁ」

 竜眼は、昔、家でお正月に家族で食べていた料理。

 固ゆで卵に片栗粉をまぶし、魚のすり身で包んで油で揚げたものを半分に切って龍の眼に見立てたものだ。

 父の大好物だったので、母が人工透析を始めることになってからは母の指示で私が作り、私が実家を出てからは手間がかかるので、家では作らなくなった料理である。


「わかった。こうてくん買ってくるね」

「あんたの手作りの竜眼ば食べたかとよ」

 揚げかまぼこを扱っている店で売っているからと私が買いに行こうとしたら、母にあっさり断られた。

 父は私の後ろで苦笑している。


「じゃあ、作ってくると」

 私は、そう告げるとスーパーで魚のすり身を買って、病院からタクシーで10分ほどの実家へ戻った。


 固ゆで卵を黄身が真ん中に来るように作り、殻をむく。

 少し塩を入れたアジのすり身を卵よりやや大きめの量に分けておき、片栗粉を表面にまぶしたゆで卵を包む。

 200度の油で1分160度の油で3分くらい揚げて作るのが我が家の作り方。

 粗熱あらねつがとれたら縦半分に切って、出来上がり。



 数時間後、キッチンペーパーを敷いた上に乗った竜眼を見て、母が喜ぶ。

「竜眼の眼がちゃんと真ん中になっとる。すり身もたっぷり使うとる」

 一口だけ竜眼を食べて、母はしみじみ味わっていた。

「お父さんも食べて。懐かしか味よ」

 父も母が食べかけの竜眼を嬉しそうに食べる。

「ああ、うちの味だ」

 体はへとへとだったけれど、家族揃って穏やかな時間を過ごした。


「ねぇ、お父さん、桃子」

 ベッドに横たわった母がにこにこしながらいう。

「今日は久しぶりに桃子に逢えて、家族で一緒におられて、お祝いの日みたいやね」

「そうね、お祝いの日よね」

 私がそう答えると母はゆっくりした口調でつぶやく。

「竜眼はお祝いの日に食べるもんやから、竜眼を食べられてよかった。……少し疲れたから寝るね」

「うんうん、あんまり起きとったら疲るっけん、お前は寝とけ」

 父もにこにこ笑う。


 その日の夜、母は心臓発作で息を引き取った。


 初七日が過ぎ、父に私と同居しないかと話したけれど、父は母と一緒にいたいからと長崎に残った。

 しかし、1ヶ月後父は自宅で心筋梗塞になり、発見が遅れてそのまま亡くなった。

 きっと母の所へ行きたかったのだろう。


「これなぁに」

「竜眼っていうのよ」

 両親が死んだ翌年の年末、私は竜眼を作っていた。

 5歳になる娘が物珍しそうに見てくる。


 おせちなんて、結婚してからはずっと出来合いの物を買っていて作っていなかった。

 今年だって既に注文したおせちが届いている。

 ただ、どうしても竜眼これだけは自分で作っておきたかった。


「長崎ではね、お正月やお祝い事の時なんかに食べるのよ」

「これおいしいの?」

「おいしいというか、幸せの味かな」

「わかんない」

 眉を寄せて不服そうに娘が言う。

 そんな娘の仕草に口元が緩むのを感じながら私は思った。


 竜眼この味を私がこの子に伝えよう。

 そして願わくば、この子が自分の子供にもうちの味を伝えてくれますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

竜眼(りゅうがん) 和久井 透夏 @WakuiToka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ