少し前に書籍を読み終えました。
終盤に出てくる、ホームルームのディスカッションでの小野くんの言葉で価値観が少し変わりました。彼は良くも悪くも本当に正直者です。大切な友達のために動けるし、そのために傷つけることもしてしまいます。それでも彼が大好きで、嫉妬してしまう。あそこまでまっすぐであることは簡単なことではないから。
小野くんの言ったことは同性愛だけでなく、何か隠し事をしている人はみんな共感してしまうのではないでしょうか。自分の秘密を話すことで、周りから見える自分はそのレッテルを貼られてしまう怖さ。そのレッテルでしか自分を見てくれなくなる怖さ。私にもあるのです。今まで無意識に見ないようにしていたことの一つでした。
この小説を読んで、そのことに少しでもそれに気がつけて本当に良かったです。本当にありがとうございます。
異性愛者にとって同性愛者を「本質的に」理解できるかといわれれば、それは他者を理解しようとすること以上に難しいことなのかもしれない。いつまでも字面でしか追えないような概念だと感じる。ただ今作を読んで何が変わったかと云えば、性的愛(エロス)とは切り離された「家族愛」に代表されるアガペーの類いの存在が同様にあるのだという至極当たり前かもしれないが、見逃されがちなものの存在に気づけたことである。この本は単にLGBTに理解を示そうという内容ではない、もっと心の奥に備わっている性的コンプレックスを醸す内容となっている。
だから、LGBTに対してただ理解しようとするのではなく、まず認めることからはじめよう。では認めるとは具体的にどういうことなのかといわれれば、それはレビューの本質から逸れる上にスペースを多くとってしまうため、あえて言及はしないことにする。
書籍化一覧の中からこの作品を見つけて読破しました。表紙の絵柄とあらすじでどういう話なのか想像つかなかったからです。別に同性愛者について研究しているわけではなく、むしろ自分の周りには同性愛者の方がいるわけじゃないので馴染みがない方々でした。最も、この作品で書かれているとおり、ほっといてくれという結論に基づいて表に出ない人を考慮してます。
そして、この作品を読んで俺は何故か心をかき乱されました。少なくとも俺は馬鹿にするつもりはなくて、創作物として読んだことはあります。でも、なぜか、これは俺のことを書いていると勝手に思ってしまいました。もちろん、同性愛者のことなんてちっともわからってない俺です。そんな子供が分かった気になって送ってると思われても言い返せないです。でも、俺は何故か心に突き刺さって、読み終わったあとの描写がありありと浮かんでいます。心がかき乱され、先程から書いている『なぜか』を説明できません。俺は作品を好きか嫌いで分けて、何が嫌いかを納得するまで理解していました。この作品は嫌いじゃないのは確かですが、何が好きなのかと言われれば書けません。これは俺をさらけ出したと一文だけです。
ありがとうございます
淡々と進んでいく文章。休もうと思っても休めない。
「これは読まされる」そう気付いた時には遅かった。
同性愛に悩む主人公の再生のものがたり。
「ふうん」と、さほど興味のなかったテーマのはずなのに、
胸倉をぐいとつかんで、パソコンの前から放してくれない。
流れと語りの心地良さに引き込まれていく。
冷静な文章なのに、地が熱い。
とても真摯な作品だ。
内容は、とてもうまく表現されている他の方々にお任せする。
セクシャルマイノリティーの苦悩は、
あらゆる悩みに通じている。
悩みに大きいとか小さいとかはない。
あなたがあなたのままでいい世界、
何者かに成らなくてもいい世界。
世界は確実にそういう風に変わっていく、
そう感じさせてくれる小説だ。
嘘ではないです、散りばめられたセンス光るセリフに何度も笑わせられました。
勢いある場面展開にも関わらず読みやすいのも筆力の為せる技なのでしょう。
しかし、タイトルに釣られストーリーにどんどん裏切られながら、彼らの葛藤から絞り出される言葉にガツンガツンと胸を抉られていく。気付けばページを捲る手が止まらない。
同性愛について考え抜かれていることは言うまでもありませんが、それ以上に、誰しもが持つ「愛」の確かさについて胸倉を掴んで問い直してしまう強さを持つ物語です。
それは読者に自己と他者とに向き合う痛みを突き付けるものでもあり、逃れられない登場人物達の痛切な苦しみが共鳴します。
だからこそ、それでもこの小説を読み終えた人が選ぶ好きな人物もセリフもシーンも十人十色で、そのどれもが重みを持つのかもしれません。
主人公の暗澹たる胸の内側からすっと視点が引いて情景が彩られる描写には思わず嘆息しましたし、BGMに流れるQUEENも切なく、美しい。
しかもずるいことにむちゃくちゃおもしろい青春小説でもあります。
これだけ作品世界に引き込んで価値観を揺さぶっておきながら、読後の余韻は爽やかで、前向きにさせてくれる、高校生達の新しい一歩の先に、読者に明日を見させてくれる。
手段誰彼構わず読ませたい、そして「軽い気持ちで読み始めたのに…」と泣かせたい。そんな一作でした。
気付けば、最後まで読んでました。
何故か、涙が出ました。泣くべきは私じゃないだろうに……。
読んでいる途中、様々な感情や言葉が頭の中を埋め尽くしていた筈なのに、読み終えた時には全部無くなってました。すっからかん、と。
出てきたのは、溜め込んだ息だけでした。溜息、というか、なんとも言えない、もどかしい感情を吐いた感じ。
正直、自分でも分かってないです……。何なんだろう、このわだかまりは……。
私自身、恋愛は『男だから』『女だから』ではなく『好きだから』で良いんじゃないの、と軽く考えてしまう人間なのですが、彼の考え・思いは心に深く来ました。簡単ではないのだなぁ、と。
中々に濃い時間を過ごせました、ありがとうございます。
長文・乱文、失礼しました。
日本という国は『同性愛者』というだけで殺されるような国ではない。だけど意識的、無意識的に行われた言動によって命を絶ってしまう人たちは大勢いる。無関心を装いながら、いざ渦中に巻き込まれたら差別する。全てのマイノリティにとって日本は生きにくい国だ。主人公の安藤は、男性が好きという一点を除いては極々どこにでもいる若者だ。だが彼もいうように『同性愛者』というだけで全てが集約され、独り歩きした想像の産物に堕とされる。直接言われていい気分ではないが「気持ち悪い」という感覚は誰にでもある。同じ境遇のマイノリティの中でさえあるのだから。これは拭えない感情だろう。この物語は、二人の同性愛者の若者を通して、生と死を見つめる。主人公が踏み止まれた幸運。友人という宝物がいたことの大きさ。羨ましい。羨ましいことこの上ない。
「ありのままに」「ありのままでいい」
ちょっと前に、そんな言葉をよく耳にした。
無邪気に口ずさむ子供たちや大人たちをたくさん目にした。
自分だって、幾度となく口にしたと思う。その言葉の重さなんて、欠片も考えずに。
周りから肯定されないと知っている、否定されるか、なかったことにすらされる自分を、どうやって、そのままでいいなんて思えるものか。
一体どれほどの人たちが、自分を隠し、偽り、自分自身や周りを欺いて、どうにかこうにか過ごしていることか。
ありのままの姿を見せることの、難しさ。自分が自分であることの、壮絶な苦しみと痛み。
何もかもを欲しがっているわけではない。ただ、みんなと「同じ普通」が欲しかった。けれど、どうしても手に入らない。そんな彼らを、身の程知らずの欲張りだなんて思えない。
もがき苦しむ主人公の姿が痛々しくて胸がヒリヒリした。
スタイリッシュ(と言っていいのかわかりませんが)でウィットに富んだ文章を読みながら、自分の中に去来するどうしようもない憤りというか、説明しがたい悔しさでグラグラとする頭の中には常にフレディの歌声が響いていた。
主人公の母親、三浦さん、幼馴染、他にも強くて優しい人たちの存在に救われた。
最後まで読み切って、主人公の強さが眩しかった。
世界はまだまだ、ありのままでいようとする人たちに優しくはない。けれどいつか、このお話に出てきた「BL星」とまでは行かないまでも、多種多様な「普通」が「普通」になればいい。
あぁ、違うな。なればいい、じゃなくて意識的に、そうしていかないといけないな、と強く思わせてくれた。とても素敵な小説だった。
想像や空想で物語を描くことはできる。
行ったことがなくても、宇宙の果てや見知らぬ異世界の物語をリアリティをもって描くことはできる。
けれどこういった心の内を描いた物語は、筆者様の経験無くして綴ることの出来るものではないと思う。知らない感情を想像で書いていたとしたら、きっとこんなに引力を持たないだろう、と。
ご自身のであろうと、誰かに聞いたものであろうと、筆者様が心を寄せて知り得た、そして自分の中に落とし込んだからこそ描ける感情だろう、と。
けれどそれをどう表現するかは、書き手の力量に大いに寄る所だと知っている。それに関してはただただ、筆者様の筆力に惚れ惚れした。
***
やっと読めました。某氏にオススメ頂いて、ずっと読みたいと思っていました。
読み始めると、ぐいぐい引き込まれて突っ走りそうになるのをぐっとこらえ、じっくりゆっくり、読ませて頂きました。
本当に、読めてよかった。純くん達に出会えてよかった。
これほどまでに熱量を持った思いに、触れさせて頂いてありがとうございます。
少しでも多くの人に、読んでほしい。素直にそう思います。
この気持ちを独り占めしたくなくてレヴューさせて頂きましたが、取り留めない感想文となってしまいました;
自身の文章力を恥じ入るばかりです。苦笑。
読了後の高ぶりがいつまでもおさまらず、感情的なレビューになってしまうことをお許しください。
これほどまでに琴線に触れる物語に出会えたことを、心から幸福に思います。そしてこの物語を生み出した作者様を、心の底から尊敬いたします。
大きな苦悩を抱える主人公純くんの、声に出せない心の叫びが切実で、序盤からずっと、込み上げてくるものを飲み込むことができず苦しかったです。
この苦しさも、胸に突き刺さる強烈な痛みも、この世界に現実として確実に存在している痛み。もしかしたら、知らないうちに自分が誰かに与えてしまっているかもしれない痛み。
そう思うと、辛くても目をそらすことができませんでした。
だけど、ただ苦しいだけじゃないところが、この物語の素敵なところなのです。
各所に散りばめられたユーモアが、読み手の緊張を和らげてくれます。
ケイトさんが語るシンプルな言葉は、純くんを通り越してどんな悩みにも直撃しそうなほど、スケールの大きな愛に満ちています。
そんな風に、壮絶な物語の根底に、莫大なあたたかいものが宿っている気配を感じるのです。
頑張っても普通に生きることができないもどかしさ、もがくほどに深刻さを増す生きづらさ、そこから生まれるどうすることもできない自己否定感。
純くんが抱える苦悩に共感するのは、きっと私だけではないはずです。
年齢も性別も関係なく、現代を生きる人の心を揺さぶり、抱きしめ、背中を押してくれるような力強い優しさが、この物語には溢れているのです。
題材に関心があるなしに関わらず、ひとりでも多くの人に読んでいただきたい。
この物語が世界中に響き渡れば、世に蔓延る痛みは確実に減らすことができる!人間の心が動けば世界も変わる!!と、物語が生み出す可能性を信じずにはいられなくなる、素晴らしい作品です。
どれくらいつまらないかというと、ワードに貼り付けてプリントアウトして常に手元に置いてダメな箇所を指摘せざるを得ないくらいです。
まず、本作はジュブナイル小説として驚くほどありきたりです。性的マイノリティとして周囲に溶け込めない実存を抱えた少年が友人たちと絆を確かめ合い、そして時に傷つけ合い、社会で生きていく力を養っていくというテンプレ。うっかり女の子の秘密を知ってしまった主人公だとか、親友との三角関係だとか、決して壊れない友情だとか、更に物語を彩る遊園地デートに水族館デート、イヤホンを女の子と二人で共有だとか読者の好みが盛りだくさんです。描き方も少女との初々しくも甘酸っぱい恋愛という紋きりと、大人との激しくも苦い情愛というド定番をコントラストにして、読者の胸にいちいち迫ります。要するにみんなが興味がそそるものを盛り込んでいるわけですよ、面白くなって当然。こんな作品は書こうと思えば誰だって書けるんですよね。ただ、発想が出て来ないだけであって。
また、登場人物が都合よく優しいのも指摘しなければなりません。素敵過ぎて聖人かとツッコミたくなる腐女子の三浦さんに、だれでも親友になりたくなるだろう幼馴染の亮平、さらに大人として主人公を導く知性と色気の溢れるケイトさん、そして最初は一癖もあるけれど打ち解けていくうちに内面にある人の善さが見えてくるその他の登場人物たち。誰ひとり単純な悪はおらず、それぞれが苦しみを抱えそれを主人公に示唆することで成長させていくわけです。まぁ、作者が人間の可能性を信じてらっしゃるんでしょうね。なので読後感はかなり前向きにはなります。自分も人間を信じてみようと思う程度には。
あと主人公の主張が耳障りなまでにくどいです。性的マイノリティをマジョリティが意図せずに傷つけてしまう振る舞いがいちいち指摘されるし、マジョリティが当然のごとく生活している社会の仕組みがいかに息苦しいかがウザったらしいまでに描写されます。かつて町田康が創作を「手製の手りゅう弾をつくること」と表現しました。それはこの世界の片隅のちょっとした喧噪で掻き消えてしまう様な囁きを、作家が物語によって叫びに昇華し世界に訴える、世間の無関心を穿つ凶器であれという願いなのですが、本作は十分に騒音になっておりご近所迷惑はなはだしいです。耳鳴りがします。当分この事について考えざる羽目になってしまいます。
以上、指摘したように本作はとても欠点だらけです。みなさんぜひ読んでお確かめください。そしてつまらない作品だと言ってください。お願いします。嫉妬でどうにかなりそうなんです。
この小説を本にしたい。
無地の、まっさらな、でも少しざらりとした触り心地の表紙で。
世界は複雑すぎて、だからこそ、この小説は面白い。
読み終わった後でもやっぱり表紙は白だと思ったのだから、私の第一印象は間違っていなかったのだろう。
大人に変わっていく強い三浦ちゃんと、
和紙に滲む水滴みたいなマコトさんが印象的でした。
二人とも主人公の「恋人」でありながら、全てが真逆で。
きっと私はこの小説が本になっても、何冊も買ってサイン会にも行くような熱狂的なファンにはなれないと思う。本当はしたくても出来ないと思うから。
だけど、その一冊を買って、自宅の本棚のお気に入りの棚に置いて、時々読み返しては「あぁ、これでいいんだ」って考える。同性愛者かどうか、という話ではなく、彼の進む道に、考え方に共感した、というか。
自分の背中を後押ししてくれるような、そういう本として、売ったりあげたりすることなくずっと手元に置いておくんだと思う。そういうファンにはなれる。大事にできる。
これは、私にとってそういう物語だ。