zabies/ゼイビーズ

大竹久和

プロローグ


 プロローグ     十一月二十八日 午前



 南側の壁面の四分の一ばかりを占める、頑丈な鉄格子の嵌め込まれた大きなガラス窓。そこから差し込む晩秋の暖かな陽射しが、目の覚めるような白色に塗られた漆喰の壁に反射して、俺の居る経過観察室の中を明るく照らし出している。

「ふああああぁ……」

 既に陽は高かったが、まだ少し眠気が残る俺は大きく口を開けて、盛大なあくびを漏らした。

 もう少し待てば昼食が運ばれて来るであろう、正午に近い時間帯。部屋の片隅に置かれたサイドボード上の液晶テレビのスピーカーからは軽快なファンファーレが流れ、俺の操作するビデオゲームのキャラクター達が、モンスターとの戦闘に勝利した事をこれ見よがしに告げていた。

 この狭い経過観察室に収容された一昨日の夕方から現在までの、およそ一日半。睡眠と食事と風呂と排泄を除いた殆ど全ての時間を、俺はこの液晶テレビの前に座りっ放しで、ゲーム機本体と共に持ち込んだ十年以上も昔に発売されたRPGをプレイし続ける事に費やしている。

 ゲームそのものの内容はとっくの昔に知り尽くしているので、もはや新鮮な驚きや、新たな達成感を味わう事は無い。このゲームソフト自体が暇潰しのために数年前に購入して以来、もう何度クリアしたのか覚えていないほど遊び尽くしているのだから、当然と言えば至極当然の事なのだが。

 しかも今年の四月以降、月に二回はこの観察室に収容される生活になって以降は、プレイするペースが顕著に上がっている。なので、もうこのゲームの全てを知り尽くしてしまったと言っても、過言ではないだろう。故に、出来る事ならば新しい暇潰し用のゲームソフトを早々に購入したいと、俺は常々考えている。だが世界が激変した五年前のあの日からと言うもの、新規のゲームソフトは殆ど市場に出回らなくなっていたし、たとえ発売されたとしても、その値段はかつての数倍に跳ね上がってしまっていた。そんな訳で残念ながら、社会人になってからようやく一年が過ぎたばかりの俺の安月給では、そう気安くおいそれとは買えないでいるのが現状だ。

 結果として、俺はこの遊び尽くしたゲームをクリアする度に、その次からはプレイ内容に新たな制限を自ら設けて再開し直す事で、何とか繰り返し遊び続けるモチベーションを保っている。ゲーム用語で言うところの、いわゆる『縛りプレイ』と言うヤツだ。

 今回は、本来ならば三人のキャラクターでパーティーを組み、凶悪なモンスターが闊歩する世界で冒険の旅をするべき所を、敢えて仲間二人を開始早々に自滅させてみた。そして主人公独りだけで最後までクリアする枷を自分に強いてみているのだが、これが想像以上に難易度が上がって、出だしはなかなかに面白かった。

 だがその面白さも、最初だけに過ぎなかった。ストーリーも中盤に差し掛かった今では、俺自身がこのプレイ方法の要領を得た事もあってか、主人公一人の孤独な旅路もすっかり板についてしまっている。

 本来あるべきではない異常な姿に変貌した世界と、それを一切の疑問も抱かず受け入れて、同じ作業を延々と繰り返すだけの主人公。孤独な一人旅は、いつまでも終わる事無く続く。

「ふあ……ああああぁ……」

 終わりの見えないルーチンワークにすっかり飽きてしまった俺は、再び顎が外れそうなほど大きく口を開けて、長く深いあくびを漏らした。それから気怠げにゲーム機のコントローラーを腰掛けていたベッドの枕元に投げ出すと、そのままゴロリと寝転んで、窓の方角へと視線を向ける。

 冬も間近な季節の柔らかで穏やかな陽射しが、地を這うような浅い角度で、観察室内に優しく差し込んでいる。その陽射しの温もりも相まってか、電気ヒーターによる暖房が程良く効いた室内は温室の様に暖かく、俺は部屋着として支給された安くてダサい使い回しのジャージ姿でも、そこそこ快適に過ごす事が出来ていた。

 それはまるで、昨夜まで降っていた雪が嘘か夢だったかのように思われるほどの暖かさだった。

 俺は再び、窓の外へと意識を向ける。鉄格子と木立に遮られて直接見えはしないが、確かこの窓の方角に、医療棟が在る筈だ。そこに入院している筈の小隊長の安否に思いを馳せながら、俺は自分の右足の裏に鮮やかに残っている硬いナイフの背の感触を思い出して、全身の産毛がゾワゾワと逆立つのを感じていた。一昨日の午後、俺の身に起きた全ての出来事が夢ではない事を、その感触が生々しく思い出させる。

「小隊長……どうしてるかな……」

 おびただしい量の真っ赤な鮮血と、湯気の立つピンク色の臓物。それに灰色の脳漿と、剥き出しになった白い骨。金色の空薬莢が硬いコンクリートの床を転がり、閃光と紫煙を伴って吐き出された鉛球が人間をボロ雑巾の様に引き裂いて、命を失った只の肉塊へと変貌させたあの日。あらゆる物が血で赤く染まり、誰も彼もが肉体も精神も生と死の狭間に立たされた極限状態だった。小隊長もクリスも榊も、そして勿論、この俺自身も。

 窓の外の見えない医療棟に視線を向けた俺の背後からは、いつまでもいつまでも、能天気なファンファーレが鳴り響き続けていた。

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