エピローグ


 エピローグ     十二月二十九日 午後



 長沖市の市街地と中隊基地とを結ぶ幹線道路沿いの歩道を、私服姿の俺とクリスはひた走っていた。

 冬の空は灰色に曇り、吐く息すらも白く凍りつきそうな気温だったが、走り続ける俺達二人の額には玉の様な汗が浮いては顎先へと伝い落ちる。

「田崎先輩、ちょっと、待ってくださいよ。あたしのこれ、無茶苦茶、走り辛いんですから」

「急げクリス! 間に合ってもギリギリだぞ、これは」

 よりにもよって、ロングのスカートにヒールの高いブーツを履いて出て来てしまったクリスは、見るからに走り辛そうだった。だが胸に重い紙袋を抱えた俺も、彼女ほどではないにしろ、走るのは相当にしんどい。

 何故俺達が、こんなにも懸命に走る破目に陥っているのか。その理由は明白であると同時に、酷く間抜けとも言える。簡単に言ってしまえば、今日は二人揃って午後勤務なので、この時間まで一緒に駅前の繁華街で昼食デートと洒落込んでいた。そこまでは良かったのだが、帰り際にクリスが焼き芋屋の呼び込みに反応したせいで、こんな事になってしまったのだ。

 どこからともなく声はすれども、その姿は一向に見つからないステルスな焼き芋屋。それを探して当て所も無くさまよい続ける、俺とクリス。結局俺達は、住宅街の入り組んだ裏路地を走るその軽トラックを発見するまでに、貴重な時間を予想以上に浪費してしまった。その浪費の結果が、遅刻を免れるために基地まで走る事を余儀無くされた、今現在の俺達二人の姿に他ならない。

 そんな訳で、俺が胸に抱えている紙袋の中には熱々の焼き芋が五本も詰まっていて、手袋無しでは持っていられないほどに熱いやら重いやら。とにかく走るのには邪魔になって仕方が無いのだが、かと言って捨てる訳にもいかないので、今はグッと我慢しなければならない。仮に捨てたりなんかしたら、後でクリスに殺される。

 『大流行』以降、それまでは主に南米から輸入していたグラニュー糖が、貴重品になった。そのため今では、手軽に甘味が摂れる果物や蜂蜜と並んで、こう言った焼き芋やサツマイモを使った和菓子が女子供の間では人気を博して久しい。俺が子供の頃などは、和菓子は老人の食べ物の様に扱われていたのが、まるで嘘みたいだ。

「よしクリス、このペースなら、ギリギリで間に合いそうだぞ」

 俺は携帯端末で時刻を確認しながら、後ろを走るクリスに向けて叫んだ。

「でも先輩、制服に、着替えてる時間、無いんじゃ、ないですか?」

「それはまあ、そのくらいなら遅れても、なんとか言い訳が出来るだろう」

「いや、小隊長は、厳しいから、許して、くれないんじゃ、ないですか?」

 俺もクリスも呼吸は荒く、額には更に大量の汗が噴き出し、全身からは湯気が立つ。やはり訓練校時代に比べて身体は随分と鈍っているようで、射撃訓練ばかりではなく、ジムでの運動も始めないとこれは本気でヤバそうだ。

 基地まで走る事を余儀無くされている今の状況はともかく、最近の俺とクリスは、何だか成り行きでこんな関係になってしまっている。こんな関係とは言っても、今はまだ一緒に基地の外まで飯を食いに行ったり、繁華街まで買い物に出たりする程度の間柄でしかない。だがそれでも、次第に二人きりになる時間が増えて来ているのは確かだった。

 出来る事ならば先週のクリスマスイブも二人きりで過ごしたかったのだが、残念ながら防疫隊の勤務は年中無休なので、二人のシフトを合わせる事が出来ないままに終わってしまった。もしもイブにデート出来たら、その時は正式な交際を申し込もうと言う俺の目論みも、今はひとまず先送りになっている。次に機会があるとしたら来年の正月か、それともバレンタインか。

 さておき、長沖漁港でのアウトブレイクから今日までの一ヶ月余りで、俺の身の回りにも様々な変化があった。親しかった榊を目の前で失った事で、一時は精神的に不安定になっていた福田さんも大分改善し、榊の後任も他の大隊から補充されて来た。葉山副小隊長は元から肉体も精神も鉄で出来ているような人なので、相変わらず下世話な下ネタを織り交ぜた軽口を叩きながら、ゲラゲラと笑っている。そして俺とクリスはご覧の通り、日に日に互いの親密さを増しつつあった。

 後は鈴原小隊長さえ復帰すれば、我らが第五小隊も、晴れて元の姿を取り戻す事となる。

「先輩、焼き芋、落とさないで、下さいよ? それ、小隊長への、お土産、なんですから」

「分かってるって。ほらクリス、そう言っている間にも走れ。遅れてるぞ」

 今日はまさにその、小隊長が現場復帰する日でもあるのだ。

 この後の午後勤務では、俺とクリスに鈴原小隊長を加えた三人でのシフトが、久々に回って来た。なのでクリスは、海岸沿いを武装バンでパトロールしながら、女二人で焼き芋をおやつにしようと言う魂胆でいるらしい。クリスは小隊長が喜んでくれると思っているようだが、俺はどちらかと言うと、呆れ顔でまた怒られるのではないかと予想している。

 果たして小隊長に喜ばれるか怒られるかはともかく、仮に俺が一本食うとしても、それでも三人で焼き芋五本は流石に多過ぎると思うのだが、どうだろう。焼き芋の腹持ちと女の別腹の容量と、果たしてどちらが上か、見物かもしれない。

 久し振りに会う鈴原小隊長は、こんな物を持って現れる俺達に、どんな顔を向けるのだろうか。そして機会があれば俺は、病室で言いそびれた事を伝えたいと思う。大した内容ではないが、どうして俺が防疫隊に入隊したのか、その理由を。

 今の俺ならきっと、自分のプライベートな過去を語る事も出来るし、他人の過去を受け入れる事も出来る。死と正面から向き合って、それを乗り越え、受け入れる事が出来る筈なのだから。


                                    了

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zabies/ゼイビーズ 大竹久和 @hisakaz

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