レビューでございますが、これは私の感想になっております。
この感想を読む前に本文の作品を読んで下さい。
摩訶不思議な夢のような、あやふやな物語でございます。しかし、そこに深い意味を見出しての文学。この作品はただのホラーではなく想像させる作品と思いました。
以下感想の為、未読の方は読まないようにお願い申し上げます。
まず、舞台は子供の頃に住んでいた祖父母の家。狭い路地に下水を通す溝が深く蓋をしていない。外国人労働者が沢山いる。果実の缶詰工場。ここから私が連想させる地域は山口県、山形県、岡山県です。いずれも大規模な果実工場があります。
祖父が外国人を警戒していた事から1980年代を連想させる。日本は先の大戦後、労働力余剰となりブラジルなどへ渡る者が多くいたが、バブルの中期になると3k(きつい、汚い、危険)の問題が浮き彫りになり、フィリピン、韓国を中心に南米、パキスタン、バングラディッシュ、イランの外国人労働者が一気に増加する。
モノクロの視界ながら、祖父母に可愛がられる自分。駄菓子屋で無邪気に喜ぶところをみると6歳~8歳と推測される。性別は女と思わせるのはロケット風船と千代紙の人形。一見、ロケット風船は男が選ぶと思わせるが、その年頃の男が千代紙の人形は考えにくい。活発な女の子であったら、この二つのオモチャは両立できるのである。
その後、女の子は悲しみで泣く。首を左右に振る様子から「嫌だ」という感情がみれる。祖父母が辺りに居ないから、寂しいという感情なのだろうか。
その女の子を見ていた自分が声をかける。
「どうしたの? おじいちゃんとおばあちゃんはどこへ行ったの?」
この台詞から、この自分は独りで寂しいのでは?と解釈しているように思う。
私は女の子が泣いている理由はそれではないと推論付けるが理由は最後にしよう。
物語の経過を続けると、女の子は声をかけられる。そして、泣き止み悲しそうな目で見つけた。ここで自分の視界にモノクロ以外の色が見える。赤である。女の子のまわりだけ薄い赤色。
ここから急変し、自分の視界が全て赤色になっていく。重要な部分はサイレンであろう。救急車とパトカーのサイレン。水面に真っ赤な色水。これは血であると想像する。ここで注目する点は消防車のサイレンがない事である。そして、居なくなった祖父母が自分に訴えている姿で、もう女の子は存在していない点である。
次に目が覚める。
ここからが現実であろうと推測する。しかし、その現実にトリックがあるのだ。
一番のポイントは「ずっと止まったままの時間」そして最後の文章の「決して目覚めることの無い夢を」
この二つの言葉は死んでいる状態を指し、幽霊状態で夢を見ていると思われる。もしくは過去から死ぬまでを繰り返している。
赤しか色が付かない世界。それは彼女が生前に目にした視界ではないだろうか。脳に強い打撃を与えると色の識別機能が正常に動作しない。詳しく言えば、色を認識する仕組みは脳膜だ。網膜の視細胞には明暗を感じる桿体と色の波長の違いを感じる錐体で、物の色には様々な波長が混ざり合っている。大脳は錐体から送られてきた波長の情報を受取り、見た物の波長の割合を計算し、その違いによって色を識別している。赤の波長の割合が高ければ赤と認識し、青の波長の割合が高い場合には青を認識している。
つまるところ、この一人称の自分が最後に見た景色が赤の世界であるのではないか。
そして彼女は殺されたとも妄想できよう。
救急車はどんな怪我でも来る。だが消防車が来ないのは交通事故でも災害でもないからだ。そしてショッピングセンターで事件は起きた。それも数少ない情報から、外人の可能性さえ示唆されているように感じる。
女の子が泣いていた理由は、あなたが幽霊になってしまい成仏できないからと推測します。
嗚呼、こんな面白い作品に出会えた事に感謝します。
REYさんありがとうございました!
いったい、だれが、いつ見ている夢なのでしょか。
読み始めには気づきません。
妖しげな霧が、足元から緩やかに這い上がってきていることに。
物語の中盤にあたりで、ようやく気づきます。
この物語からたちこめてくる灰色の霧に。
動くのは両目だけ。そして灰色であったはずの霧に、赤色が湧きだしグラデーションを描きだします。
いよいよ物語は、終盤に差し掛かってきます。
そして、ラストシーン!
いったい、だれが語っている物語なのでしょうか。
「わたし」ですか?
でも「わたし」って……
もう一度読み返してください。ほら、そうでしょう。
「わたし」って――怖い!