第6話:裏切った自分

 ARから作られたARCアークは、通常状態だと肉眼で見ることはできない。

 話によると、この次元とは違う拡張次元と呼ばれる近接世界にいるという。そして、その次元を見るためには、ARETINAアレティナがなければならないし、そこにいるARCアークを攻撃することができるのはAROアローしかなかった。

 ただし、ARCアークはこの世界に影響を与えようとする時、すなわち人間を襲う時のみ【拡張オーグメンテッド】という現象で、肉眼で見える状態に具現化する。


 今も陽那から少し離れたところで、ARETINAアレティナの中に「Augmentedオーグメンテッド!」の警告文字が光っている。

 そして一瞬だけ、その姿が波打つように歪む。



――Warning:ARC名【オルコ・ルーポ】 レベル20

――【ARC Type-A】



 銀座線・上野駅G-16のホーム。その上にARCアークが具現化した。

 Type-A――動物型――は、イタリア語を元にARCアーク名がつけられているらしい。といっても、あくまで元にしているだけで文法や発音が必ずしも正しいわけではない。

 それでも意味を調べると、その性質がわかるようになっている。

 目の前のARCアークは、「鬼・狼」という意味のようだ。


(まあ……。もう、見た目そのままだし……)


 闇に溶けそうな黒い体毛の4つ脚は、体格のいい男性が四つん這いになったのと変わらない大きさがある。

 顔の輪郭も狼のそれだが、目がまるで炎を上げているように赤く光り、額には2本の角ができていた。

 そして極めつけは、首の付け根からニョキッと延びている2本の腕だ。

 それは黒い体毛のない肌色をした人の腕だった。

 ウォーンと遠吠えのような鳴き声を上げながら、その掌を上に向けて指をワキワキと動かしている。


「食事に便利そうな手だな……」


 陽那は冗談めかすが、つかまれたら本当にまずいだろう。抑えこまれて、上手に喰われてしまいそうだ。

 できるなら、なるべく遠距離で仕留めたい。


(だけど……)


「【熱球カロル・スパエラ】!!」


 女性らしい高い声で、片手杖ワンド使いの神宮が呪文を唱える。

 一瞬の間を置いてから、片手杖ワンドの先に精霊魔法スピーリトゥスマギアで生まれた弾丸が浮かぶ。

 それは、まるでマグマが固まったような直径20センチ台の球。

 彼女は空いている手で、長い髪を後ろに流してから、メガネをくいっと上に上げた。


 それが彼女の合図。


 空気を破裂させ飛び出す弾丸。


 だが、敵はすばやい。


 ひらりと飛び退く狼。


 無論、想定内。


真空斬エキゾースト・スラスト!」


 技名を叫ぶ陽那。


 同時に、Vの字に魔法剣マギアソードを振り抜く。


 技は、術と呼ばれる魔法とは異なり、音声入力と同時にAROアローで規定の動きを再現しなければならない。

 それによって、技は発動する。


 ヴォーンと響く、それはまるで排気音エキゾーストノート


 真空を表す、Vの字型の亀裂。


 現実ではありえない真空のライン。


 それが格闘ゲームの技よろしく、狼を襲う。


 だが、それさえも狼は天井ギリギリまで飛んで避けてしまう。


 これもまだ、想定内。


「瑠那!」


 何度もこなした連携。


 空中にいる狼に短弓の矢が突き刺さる。


 だが、怯まない狼のARCアーク


 はずした?


 走る陽那。


 落下位置確認。


 空中にある黒い影に、蒼い刃が一文字に走る。


 真っ二つ。


――ヒクンッ、ヒクンッ


 地面に落ちた肉の蠢き。


 だが、それはすぐに収まり、血と内臓をまき散らしたただの死骸となる。



――Dead:ARC名【オルコ・ルーポ】 レベル20



 そして最後は、その死骸さえも光となり消え失せる。

 それはまるで浄化。

 もともとこの世にいなかったクリーチャーは、何も残さず消えていく。


 ……違うと、陽那は首をふる。

 奴らは、悲しみ、怒り、苦しみ、怖れ……負の感情だけをこの世界に残して逝くのだ。


「これで最後か?」


 陽那が周りを見わたすと、反対側のホームで戦っていた別チームも問題なくARCアークを斃したところだった。

 何十年か前に改装し、全面LEDの明るい照明に変わったものの、他の路線に比べて少し狭い銀座線。その上野駅G-16のホームに静けさが戻ってくる。


「他は見当たらないっすね」


 周囲を警戒していた光世も、片手斧アックスAROアローを肩に載せて安堵のため息を漏らす。


「だが、3匹か……。リポップにしては少なすぎるな」


 エリア限定のARCアークは、殲滅すると30分は再出現リポップしなくなる。

 もし、今の3匹がリポップならば、裏切り者たちが通ってから30分は過ぎてしまっていることになる。

 しかし、他にARCアークが現れる様子はない。


「たぶん、殲滅せずに放置で上に行ったっすね。上からまだ音が聞こえているから、あいつらは生きているみたいっすけど……」


 光世の言葉に、陽那は首肯する。

 確かに上からは爆発音や、何かの呻き声などが漏れるように聞こえてくる。


「ああ。やはり早めに決着つけるため、渋谷側から行こう」


 浅草側から見ると、銀座線・上野駅は右に緩やかなカーブを描いている。

 上に登るには、手前の階段かカーブの先にある階段のどちらかになる。


「……そうっすね。定石通りいくなら、浅草側から背後とられないように潰したいっすけど、もうすでにあいつらかきまぜちゃっていそうですし」


 こうなれば、とにかく早くボスを斃すしかない。

 ボスがいるのは、円井まるいデパートの地下1階。

 そこに近いのは、カーブの先に在る渋谷側の階段だった。


「みんな、渋谷側からやはり登るっす! くれぐれも日比谷線側の連絡通路に入らないように! 中央通り地下通路側もどこまでエリアなのかわからないから、行っちゃだめっすよ!」


 そう。それこそが上野駅のエリアトラップだった。

 銀座線・上野駅G-16日比谷線・上野駅H-17は、地下にある2つの連絡路で繋がっている。

 この連絡路が曲者だ。

 銀座線側から連絡路に一度でも入ってしまうと、戻れなくなってしまい日比谷線側に閉じ込められてしまうのだ。

 日比谷線側が攻略されていない今、出口はどこにもない。そこから出るには、日比谷線側のボスを斃すしか手段がないのである。

 しかも、正確な人数や割合はわからないが、ある一定以上が連絡路に入ってしまうと、本来はボス部屋である円井地下1階から出てこないはずのボスが、銀座線側を徘徊し始めてしまう。

 人数が減ったところに、予想外のボスからの攻撃を受けるという恐ろしい罠だった。


(そうだ。あれであたしたちは……えっ? あたしたち……)


 ふと陽那の記憶がフラッシュバックする。


 パニックに陥る仲間。


 襲いかかるボスARCアーク


 果敢に戦う妹……。


 そして……。


 彼女に激しい頭痛が襲う。


「――つっ!」


「陽那さん!? 大丈夫っすか!?」


 陽那は両手で頭を挟み込む。


 割れる。


 泣きそうになる。


 いや。


 泣いている。


 瑠那……。


「お姉ちゃん!? 大丈夫、お姉ちゃんったら!」


 思い切り顔を顰めながら、陽那は顔を上げる。

 目の前には、不安そうに覗きこむ妹の姿。

 ARETINAアレティナの向こうで、大事な妹の瞳が不安そうに揺れていた。


「……る……瑠那……?」


「うん、そうだよ。ここにいるよ!」


 妹の笑顔。

 ずっと一緒に居た、守るべき存在。

 その安心感が、嘘のように頭痛を治めていく。


「大丈夫、お姉ちゃん。無理しないでよ」


「……ああ。ごめんな、瑠那。無理はしてないけど、早く終わらせて返ろう。ママも心配しているし……な」


「そうだね。ママ、帰りが遅くなると、すぐにおこるから……夕飯抜かれちゃうもん!」


 陽那は頭の中がモゾモゾとした。まるで、ムカデが頭の中で這い回っているかのようだ。ずっとむずがゆく、鬱陶しく、たまに痛みが走り、辛くなる。そちらに気をとられすぎてしまい、現実のことに気が回らなくなりそうになる。


「陽那さん……」


 心配そうな光世の表情。

 その表情に鬱陶しさと申し訳なさが同居する。

 とてつもない倦怠感が襲ってくる。


「大丈夫だ……すまん」


「陽那さん……戦ってください」


 突然、光世が噛みしめるように言葉を放った。

 その双眸が、凜と輝く。普段、かわいらしい顔にしか見えない表情が、今は力強い男の顔そのものに見えた。


「陽那さん。もう逃げずに戦って欲しいっす!」


 その意味がわからず、陽那は眉間に皺を寄せる。


「ん? ……あたりまえだろう?」


「すべて僕が悪かったんす。だから、僕は逃げませんでした。ずっと罰だと思って泣かずに我慢してきました。でも、陽那さんは悪くない。だから、陽那さんは逃げてもいいかなと思ってました……」


「……?」


 どこか支離滅裂で、光世の言う言葉は陽那に伝わらない。

 伝わらないのに、なぜかその感情だけは強く響いてくる。


「でも、きっと上に行ったら思いだします。その時は……その時は、戦う時っす!」


 力強い声に、思わず陽那はうなずく。

 気がつけば、陽那の倦怠感は彼の言葉に吹き飛ばされていた。


(なんだよ、こいつ……男っほい顔しやがって……)


 自然にちょっと顔が赤らむ。


「ふふん。光世はカッコイイでしょ?」


 それに気がついたのか、瑠那が下からニヤニヤしながら覗きこんだ。

 陽那は慌てて顔をそらす。


「バ、バカ言え! そんなことな――」


「でも、お姉ちゃん。気をつけてね」


 唐突に、陽那のうわずった声を瑠那の神妙な声が上書きする。


「――!?」


 その変わりように、陽那は息を呑んでしまう。

 振りむいて瑠那の表情を見る。

 彼女は、まるで見えない空を見つめるように遠い視線を天上に向けている。

 だが、優しい妹には珍しく、その顔は睨んでいるように険しい。


「コンコース……今、地獄だよ」

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