閻魔の沙汰 4

「ねえ、佐奈」

「なあに?」

「佐奈はずっと私を騙してたのね」

 私は格子越しに、佐奈に向けてそう言った。

 佐奈は笑っている。

 何も言わず、笑っている。

「貴女は佐奈じゃない」

 貴女は佐奈じゃない。

 私に話を聞かせてくれた。私を抱き締めてくれた。私を愛してくれた。私の唯一の家族。

 貴女は佐奈じゃない。

 佐奈は、––––––彼女は、笑っている。

 その顔に張り付いている笑みは、笑みではない。

 それは、笑みに見せかけたものだ。

 瞳の奥の色は私を見ていない。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、私に手を伸ばした。格子の隙間から、彼女の細い手が入り込む。私は避けようともせずそれを見た。

 貴女は、誰。

 彼女は


「貴女は、誰」


 だれ?


 その時、ぐん、と私の頭が強い力で押さえつけられる。必然的に前屈みになって、私は正座を崩した。

 ぐにゃり。

 部屋がゆがむ。ひずむ。

 床が、消えた。

 私は足場を失って、体勢を崩し、失った床へと落ちて行く。

 私は孤独だ。いつだって。

 私は一人だった。佐奈がいた、でもそれは佐奈じゃない。彼女は佐奈じゃない。私の佐奈は私を生贄なんかにしない。殺さない。それが私の佐奈で、それが当たり前。

 私は一人。

 誰も私を見ない。誰も私に価値を感じない。私は居てもいなくてもいいくらい、どうでもいい、些細な、取るに足らないものなのだから。

 私は一人。

「貴女はひとり」

 彼女が私に手を伸ばす。

 恍惚の笑みを湛えた彼女は私に、まるで佐奈の様に手を伸ばす。私の頭に手を伸ばす。

「私達はひとり」

 彼女は呪詛の様につぶやきながら、私のそばにいる。

 そう。そうだ。私は。は。

 誰にも気にして貰えない、どうでもいい存在––––––


「馬鹿者。其れはお前の思い込みに過ぎん」


 ぐんっ!

 私の右腕が引っ張られる。

 私の視界に、大きく広がる国防色。白い手袋。

 力強い大きな手。

 が、私と彼女を遮った。

 彼女の顔は恍惚の表情から、憤怒の形相へと変わる。

「隠れ鬼は終りだ」

 帝国陸軍の軍服を身に纏った彼は、

 私の夢の中の彼は。

「お前はどうやら、己が一人でいるなどと云う下らん事に頭を使っているようだが––––––そのような事に頭を悩ませ何になるのか」

 ぐらり。私と共に、彼も落ちて行く。

「お前がそんな事で悩む必要はあるまい。なにせ」

 彼は、右手で握った私の右腕を引き寄せた。


「お前のは、お前の中にいるだろう」


 私の なかに?


 その時、私は気がついてしまう。彼は、彼女の腕も握っている。なんで?なんのために?

「行くぞ。彼奴は堪え性のない男だ」

 先客もいるようだしな。そう、彼は言う。

 あいも変わらず、制帽に隠れて表情は定かに見えない。

「どこへ?」

 彼は私達を、––––––

 いや、を。

 見つめた。


「閻魔の宮とでも思っておけ」




二冊目 獄楽天極 閻魔の沙汰 了

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