第9話 青い髪の青年をヒーローに 3日目
「……オリオン、僕は君と絶交したハズだが?」
店内に香る、ケーキの焼ける甘い匂いが鼻をくすぐる。
口へと運んだ懐かしい味のケーキは、あぁ、やっぱり美味しくて懐かしい味がした。
「か~っ、旨い!落ち込んだ後は『もんぶらん』のケーキに限るな。懐かしくて涙出そうだ。元気出たぁ!」
誇張などではなく、本当に元気が出た気がする。
だって、これはオリオンが幼い頃から泣いた後に元気をくれる魔法のケーキなのだから。
「ふふふ、君はホント旨そうに私のケーキを食べてくれるね。嬉しいじゃないか」
友へ、昔と変わらぬ笑顔を向ける赤髪の少年。
友へ、昔と違う敵意を向ける水色の髪の青年。
一昨日、シリウスは確かにオリオンを殴り倒して絶交を告げた。そのはずの二人は今、丸いテーブル越しに向かい合って座っている。
「僕を呼び出すために、ベラさんを使うなんて卑怯だぞ。彼女の頼みを断れないのを知ってて……!」
「あぁ、卑怯上等。正攻法なんて糞喰らえだ。そうでもしなきゃ来なかっただろう?使える手札は使う。それに、俺には時間が無いからな。正攻法でステラの理不尽に一度でも勝てた事があったか?」
「……何を言ってるんだ?それと、ステラちゃんの事は今は関係ないだろ?」
「関係大ありさ。他は説明したいところだが、残念ながら『設定』で説明できねぇんだよな、これが」
「……『設定』?」
シリウスにとって厄介なのは、このテーブルに座っているのがオリオンだけではないという事だ。緑色の髪を後ろで結ったメイド服姿の女性が同席している。
昔から世話になっているのはシリウスも同じだ。つまり、彼もベラには頭が上がらない。
短慮を起こして立ち去るという選択肢は、彼女が同席している時点で潰された。逃げれば間違いなく鉄拳制裁が待っているだろう。
「この子が昨日、私を訪ねて来店したんだ。それで、シリウスとの仲直りを取り持つことになった。余計な御世話だろうけど、知っているだろう?私はお節介だからね」
ベルの慈愛に満ちた瞳がシリウスを捉える。
「ましてや、大切な弟分のあんたが喧嘩をしているとなれば放っておけないのさ」
お節介、そうベラが自覚するように彼女は困っている人を見捨てられない。彼女の性格をオリオンも分かっていて、シリウスへの橋渡しをお願いした。
「……ベラさん」
ベルの『善意』と『優しさ』を無下に出来る訳がない。シリウスは重い溜め息を吐き出してオリオンを睨み付ける。
「僕は忘れ物を取り返しに来ただけだ。用事が済んだら帰らしてもらう。オリオン、僕の小箱を返してくれ」
苛立つシリウスが机をガタンと鳴らして、コップの水が波打つ。語尾を荒々しくいい放つシリウスの瞳を、オリオンは臆することなく見詰め返す。
「まだ、持っていたんだな」
コトッ、と机の上に置かれた赤と青の二つの小箱。
二人でこのプレゼントを選んだのはたった三日前の事なのに、随分昔の事のように感じる。
「ステラを元に戻す。協力しろシリウス」
「……無理だ」
「今日、シリウスを呼び出したのは仲直りするためじゃない。許さなくてもいい。恨んでもいい。だけど、お前の力が必要だ。力を貸してくれ」
「ステラちゃんはもう笑わない」
「だから俺達二人がステラに笑顔を取り戻すんだ。他の誰でも駄目だ。あと……ベラさん、騙してごめん」
ベラは肩をすくめて謝辞に答える。彼女は黙って「そのまま続けて」と掌だけのジェスチャーを示して話の続きを促す。
「お前、僕たちは僕たちの道を歩いてきたって言ったよな?止まってんじゃねぇかよ……」
机に置かれた青い小箱をオリオンは掴む。
何度も握り締めた痕跡がある小箱。毛並みが潰れたシリウスの葛藤を垣間見せるその青い箱をシリウスの前に突きつける。
「お前、あの時からずっとここで止まっているじゃねかよ。俺なんかのせいで、ずっとお前が泣いているのは夢見が悪いんだよ」
「泣いてなんて……いない。ステラは結婚するんだ。もう遅い。一昨日も言ったはずだ。全てオリオンが……」
「あぁ、確かに俺のせいだ。
「……」
「それでも、シリウスの抱えてきた5年間のわだかまりが、言葉だけで無くなるなんて思っちゃいない。だから、取り引きしよう」
オリオンから似合わない単語を聞いて、シリウスはオウム返しで訪ね返す。
「……取り引き?」
「あぁ、勝てばシリウスはステラを取り戻せる。それに、俺のイヤリングもお前にやる。悪業は俺が全て被る。どうだ?」
「ステラちゃんの結婚式は3日後だ。……時間が無さすぎる」
「決行日はその結婚式だ。まだ間に合う。だけど、きっとこの機会を逃せば二度とチャンスは無い」
「……一体何をする気だ?」
数秒の沈黙の後、オリオンはゆっくり口を開く。
「――――ステラを誘拐する」
「なっ!?」
冗談のような言葉。だけど、オリオンは真剣な表情を崩さない。シリウスは思わず声を裏返す。
言葉を失うシリウスに、オリオンは朗らかな笑顔を浮かべた。それはまるで、青い髪の少年がオリオンとステラへ向けていた笑顔のように。
「やろうぜ、シリウス。俺が悪役。お前がヒーロー。ステラはお姫様だ」
「それは犯罪だ」
「知ってる」
「滅茶苦茶だ」
「滅茶苦茶せずに勝算があるか?ステラの理不尽によ。それに、面白そうだろ?」
面白い?シリウスが思わず顔をしかめる。
ずっとオリオンのペースに巻き込まれて来たが、そこで重要な事に気づいてベラの顔を見る。
「何でベラさんの前でその話を……彼女は部外者だろ?」
「部外者?……ここには関係者しかいないぜ」
ニヤリとオリオンが笑った。
「……私の前で話したって事は、私も最初から巻き込むつもりだったね?ふぅ……いいよ。シリウスがやるなら私も乗る。やるんだろシリウス?ステラが昔の笑顔を取り戻せるなら、何を悩むことがあるんだい?」
「ベラさん……!?」
「それに、私は噂の完璧男がステラを幸せに出来るなんて思えないよ。ステラの横には、あんたが一番似合うさ」
二人の暑苦しい視線に観念したシリウスは、瞳を閉じる。
「全く嫌になる。こんな雰囲気やらざるを得ないじゃないか」
「契約成立だな」
「……あぁ、僕もその犯罪計画に乗せてくれ。ステラちゃんがもう一度笑えるようになら、ヒーローだって何だってやってやる」
「あぁ、俺達の人生をかけて、一度くらい
ステラの知らぬ所で始まる計画。握手を求めるオリオンの手をシリウスはまだ握り返さない。わだかまりはまだ残るけど、物語は動き始める。
宙に浮かんだ黒猫は満足そうにその様子を眺めていた。
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