第5話 始まりの二度目の人生 1日目

 ……気が付くと、オリオンは道路の真ん中に立っていた。


 病室とは比べ物にならないほど明るい陽光に目を細める。空には見渡す限りの蒼穹が広がっていた。


 ーーーープ、プゥウウウウウ!


 寝起きのようにまだ朦朧として働かない思考に、突然けたたましいクラクション音が叩きつけられる。

 体を跳ね上がらせて驚くと、続けて男の怒鳴り声がオリオンの鼓膜を揺さぶった。


「邪魔だ坊主!さっさとどかんかい!?さっきから何度もクラクション鳴らしてんのが聞こえないんか!?」


 振り向いた先に、トラックの運転席から体を乗り出して青筋を立てるスキンヘッドの男が、顔をタコのように赤くしてオリオンを睨み付けていた。


 辺りを見回すと、自分を中心に渋滞が出来ている。

 すぐに状況を理解したオリオンは、会釈して逃げるようにその場から退散した。


 ジリジリと照りつける太陽の下を全力で走る。

 まだ少し走っただけなのに、汗が吹き出てきた。


「ちくしょう、暑っちいな!」


 見慣れた商店街の街並みが後ろに流れていく。

 遠目にエトワールタワーが見える。

 見知った顔ともすれ違った。


 ここは生まれ育ったミルキーウェイの街で間違いない。

 そして、リスタートした場所は黒猫しにがみのベルを助けたあの交差点だ。


 商店街の入り口まで走ったオリオンは、息を切らしてその場で屈みこむ。と、そこにはタイミングを見計らったように、足元にそ知らぬ顔で黒猫が座っていた。


 ニヤニヤ笑う黒猫へ、オリオンは呼吸が乱れたままの声で悪態を投げかける。

 ……恐らく一部始終見ていたに違いない。


「……やっぱり、お前の性格はひねくれているよ」


「ふふっ、誉め言葉として受け取っておこう。ところで少年、二度目の人生はどうだい?」


 オリオンの言葉に答えると、黒猫は質問を返す。

 キラキラした黄色い眼差しでオリオンを見上げて、感想を聞くのが待ちきれない様子だ。


「死にたくなるような羞恥心と全力疾走後の息苦しさに、今まさに生きている事を実感させられている所だよっ!?……この性悪猫が」


「全く、君は口が減らないね。こんなに可愛い女の子に話し掛けてもらって何が不満なんだか」


 ベルは足を崩して歌舞伎の女形おやまが泣くときのように『しな』を作って、癪だが色気のある黄金色の流し目をオリオンへ送る。


「……ベル、黒猫であるお前に欲情するようになったら、俺は人間やめるわ」


「む?脈ありと受け取った。ふむ、では君がこの人生を終えたらもう一度色仕掛けアプローチしてみるとしよう。なぁに、たった一週間前後の事さ」


「もう一度死んでも脈はねぇよ!?」


 ベルは上機嫌に笑いながら、オリオンの突っ込みを流しつつ、次の話を切り出す。


「ときに少年、君はオリオン座が消滅するという噂を耳にしたことがあるかい?」


 どうやら、ベルはオリオンだけに見えているようだ。

 そうでなければ、街中を堂々と空中遊泳する二股の黒猫を目撃して騒ぎが起こらぬはずがない。


「俺にそれを聞くか?俺は天体マニアだぜ」


 オリオン座に存在する一等星の中でリゲルに続いて明るい恒星がべテルギウス。ベテルギウスはオリオンの右肩、リゲルは左膝に位置する星だ。


「お前が言っているオリオン座の消滅ってのは、ベテルギウスの起こす超新星爆発の事だよな?そもそも俺達が見ているベテルキウスの光は640年前の光でだな……」


「ストップだ少年。長くなりそうな予感がするよ」


 太陽の約20倍の大きさを誇る恒星ベテルギウス。

 寿命を終えた一等星はその命を終える時、超新星爆発を起こす。極光の光を輝かせると聞けば聞こえがいいが、超新星爆発の余波は周囲の星の命を巻き添えにする。


 ましてや、ベテルキウスのような一等星となればなおさら被害は大きい。正に『死』の爆発だ。


 ベテルギウスの寿命が間も無く尽きる、というのは天体好きには結構有名な話で、当然、天体マニアを自称するオリオンも知っている。


「……君に説明を受けるとロマンを感じないね。まぁ、私が言いたいのはその事で間違いないよ。一等星のベテルギウスが寿命を終えて爆ぜるとき、『死』の光が周囲のあらゆる命を殺す」


 少しの間を置いて、ベルはオリオンの瞳を覗き込む。


「爆ぜた星は他の星の命さえ殺して、星座は星を失い消滅する。それは、美しく並び合う君達三ツ星も例外じゃない。見ただろう?アルニラムは君の『死』を見て壊れた」


 壊れた……その言葉を聞いてまた胸が痛んだ。


 三ツ星トライスタの中心に位置するのが二等星アルニラム。その両端の星を合わせて三ツ星と呼ぶ。


 ベルは『君達』とオリオン達を三ツ星に例えて話をした。そして、三ツ星の中でも最も明るく美しい星をステラに例えたのだろう。


「……つまり、それが俺の『死』が招いた状況と同じだって言いたいのか?」


「あぁ、そうだよ少年。君の死によってオリオン座は星座としてアステリズムを失ったんだ。アステリズムとは線、繋がりの意だね。星を失った星座は元の形に戻る事は無い」


 ベルの説明は、いつだって回りくどくて分かり辛い。たちの悪い事に、本人はそれを自覚した上で相手の反応を楽しんでいる節がある。


「もう元の姿に戻る事は無い、か」


「君に幸せな時間を与えると言ったが、その幸せも容易に手に入らない。物語は、苦境の先にある幸せな時間を求めているのだから」


「自分の手で掴み取れって事な。構わねーよ。だって俺はもう、一度死んでいるんだから。生きてるだけで丸儲けさ」


「……君は本当にお人よしだ。観測者として、今日から死ぬまでの君の生き様を最前席で観戦させて貰うよ」


 今から七日間。残された時間は少ない。

 とにかくステラとシリウスに接触する事が最優先だ。


「まずは、シリウスから会いに行くか」


 成すべき事があまりにも多く、与えられた時間はあまりにも少ない。


 病室で最後に見た二人の状態は最悪だった。

 狂ったステラ。悲痛な表情のまま去ったシリウス。


 空を見上げると、じりじりと焦げ付くような太陽の光がオリオンの瞳を焼いた。

 ……と、そこで何か違和感を感じ取る。


 ――――何だ?

 凄く単純で、重要な事を見落としている気がする。


 後少しで答えを導き出せそうなのに、分からない。

 オリオンが悩みながら歩いていると、聞き逃せない単語が雑踏の中から飛び込んできて顔を上げる。


「……ステラちゃんがねぇ」


 噂をしている声の主にも覚えがあった。

 意識はそちらへと傾いていく。


「ねぇ、聞いた?エトワール財閥の娘さん、結婚が決まって今はこの街に戻ってきているそうよ」


 ステラには兄弟がいない。

 エトワール財閥の娘、それが意味するのはステラだ。


 ――――ステラが、結婚?


「本当かい?ステラちゃんが結婚、ね。あの子は変わってしまったからねぇ。昔は元気で屈託の無い笑顔を浮かべていたのに……ある時を境に姿さえ見なくなっちまったもんね」


「そうそう。確か街を出てどこかに留学してたんだっけ?ずっと帰ってこなかからね。やっぱりセレブは違うわぁ」


 ――――街を出た?留学?

 オリオンの知らない情報が錯綜していく。


 商店街のケーキ屋『もんぶらん』の前で、開かれた井戸端会議。会話をするのは、オリオンも顔だけは知ってる女性客と、もう一人は『もんぶらん』の女店長ベラだ。


 可愛い水色のメイド服を着る、緑色の髪を綺麗に束ねた童顔の女性。背はオリオンより少し高く、歳はオリオンより一回り上だ。

 一見、『ケーキ屋+童顔』と聞いておしとやかそうに見えるが、性格はサバサバしていて実に男らしい。悪い事をすれば容赦なく拳骨を喰らわせてくる。オリオンも何度か鉄拳制裁を喰らっている。


 だけど、彼女はとても優しい心を持つ女性だ。


 幼い頃、両親に怒られてた時に姉御と慕ったベラの元を訪れたのは一度や二度ではない。彼女は困った顔で笑いながら、泣いているオリオンの背をそっと擦ってくれた。

 オリオンが泣き止むと、ベラは店のケーキを食べさせてくれる。魔法のように甘く美味しいケーキが笑顔と元気をくれたのはいい思い出だ。


 小さいときから商店街を遊び場にしてきたオリオン達。オリオンに限らず三人は、昔から姉御肌のベラに面倒を見てもらってきた。

 心から信頼の置ける大切な人だ。


 会話の中にステラの名前と聞き逃せない情報が聞こえて、オリオンは思わずベラの会話に割って入る。


「なぁ、ベラさん!ステラが結婚とか、街を出たとか、どういう事か詳しく教えて欲しいんだ!?」


 ベラは、オリオンがステラの事を知らない事を不審に思うに違いない。

 いや、それ以前にオリオンは一度死んでる。死んだはずの人間が目の前に現れて、突然話し掛けてきたらそれはもうホラーだ。


 今更になってオリオンは自分の考えなしの行動を後悔したのだが、もう遅い。


 他人の空似とか、どうにか誤魔化す他無い。

 返答を待つ間にもオリオンの思考は妙案を探る。


 ところが、信頼さえ寄せるベラは、怪訝な表情と困惑した様子でオリオンを見ながら口を開いた。


「……あんた、誰だい?ステラちゃんの知り合いかい?」


「何を言って……!?」


「――――あっ!」


「思い出してくれたか!?そうだよ、俺、オリ……」


「お客さんでうちの店に来てくれてたんだね!すまないね、私は覚えが悪くてさ~」


「……えっ」


 オリオンは、その言葉に表情を凍らせる。

 その後、ベラが続けて何か話していたが、オリオンの頭に彼女の話の内容は入ってこなかった。

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