第4話 壊れる世界と死神の黒猫 ② 0日目

 突拍子も無い正体を明かされるが、オリオンは黒猫の言葉を信じる他無かった。

 いや、先ほど話した『魂の格』の事も含めて、知らしめられたと言った方が正しいだろう。


 それは予感でもあり、漠然とした確信でもあった。


 二人の間に迸った紫電は、黒猫しにがみの大きすぎる魂に触れて矮小なオリオンの魂は本能的に呑み込まれる事を拒絶したのだ。

 きっと、目の前の小さな黒猫がその気になればオリオンの魂など造作も無く喰われてしまうに違いない。


 触れ合えば弾かれるのが分かっていてオリオンに触れたことも、生きた心地がしないこの禍々しい重圧プレッシャーも、死神と名乗った黒猫が意図的に作り出したものだ。


 ――――オリオンの質問に一言で答えるためにわざと・・・


 鋭い眼光が、喉元に見えない刃を押し当てる。

 心臓を直接鷲掴みされているような嫌悪感。

 場の雰囲気が金縛りのように体の自由を拘束する。


 そのどれもが、オリオンの魂に直接訴えかけて、黒猫しにがみの言葉を裏づけていた。


「そう警戒しないで欲しいな。確かに私も悪ふざけが過ぎた所があったのは認める。そうだな……少年、もう一度生き返れる、そう言ったら少しは私の話を聞く気になってくれるかい?」


 呑み込まれそうなプレッシャーは、黒猫がフッと頬を緩めて微笑むと嘘のように消えて無くなる。


 オリオンは震える瞳で黒猫を写す。

 数秒前まで目の前の黒猫しにがみに恐怖を抱いて震えていたのに、今度は同じ相手に「生き返れる」という甘い希望を囁かれて縋りつくような視線を送る。


「……生き返れる、のか?」


「その前に私の名前はベル。是非親しみを込めてベルと名前で呼んで貰えると嬉しいね」


「名前とか、そんな事はどうでもいいんだ!本当に、本当に俺は生き返れるのか!?もう一度ステラ達に会えるのか!?」


 オリオンの『死』は、三人の世界を狂わせた。


 もう取りこぼしたと思っていた後悔と未練が残る人生を取り戻せる、そう言われたら誰だって落ち着いていられるはずが無い。


「あぁ、そう言ったつもりだよ。しかし、どうでもいいとは酷いな。これでも私だって傷つくんだ。まぁ……それも仕方の無いことか。少年が死んだのは私のせいだからね。ただし、先に言っておく。……そして、先に謝っておこう」


 燃えるような赤い短髪を逆立てた少年に、ベルと名乗った死神は、謝罪の言葉と前置きをしてゆっくりとした口調で語る。

 黄金色の冷たい輝きを宿した双眸が、これは聞き逃してはならない言葉だとオリオンに訴えかけていた。


「――――少年、君に幸せな時間を約束するが、幸せな結末を迎える事は出来ない」


「……どういう意味だよ?」


「私が少年に与えられる命の期限は一週間。流れ星のように儚く消える短命の人生をもう一度生きる気があるのなら、私と『契約』しよう」


 高揚した声で、ベルはオリオンに訴えかける。


 押し黙りながら戸惑う少年を黒猫しにがみは嬉しそうに見詰めて、二股の尻尾を踊らせる。


「一週間の命。契約と言うからには俺も何か……魂とかそういう代償を支払わなきゃならない、そういう事か?」


 意外だ、と黒猫は驚いた表情を作る。


「ほう、粗暴に見えてなかなか頭が働くようだね。その通りだよ、少年。契約には対等な対価が求められる物だ。それを聞いて選択するか否かは君に委ねるよ」


 ベルはその場で「ほっ!」と飛び跳ねると、空中で翻って二股に分かれた尻尾をオリオンへ向けた。


 二つの尻尾の先がピンク色に光を灯すと、それぞれ別々に動き出して、オリオンとベルの空間に文字を走らせていく。


「君はたった一週間の『流れ星の記憶』の中に何を望むんだい?」


 尻尾が自動筆記をする様子を眺めながら、光に当てられてピンク色に染まる顔で黒猫が尋ねる。


「私は君に興味があるんだ。物語の中で何を求め、何を成そうとしているのか、ね。だから、この質問は私の仕事にも関係している」


「何を求め、何を成そうとするか……」


「ちなみに、私が契約の対価として求めるのは君の魂なんかじゃない。君が再び得た命で、魂を賭して成し遂げる尊き物語を私は欲している。ん……?っと、よし書けた。見たまえ、これが契約の内容だ」


 蛍光色のピンクの光で描かれた文字がふわふわと漂う。

 オリオンの目の前に浮かんで軽く明滅していた。


 見たことも無い言語で書かれた文字だけど、何故かオリオンには意味が理解できた。


「これだけで……いいのか?」


 力の抜けた声でオリオンは呟く。


「あぁ、これだけでいいのさ」


 記されていた内容はこうだ。


 *****


 ① 観測者の望む物語を紡ぐ事

 ② 設定を遵守する事

 ③ 物語を諦める事は許されない

 ④ 幸せな結末を迎える事は出来ない

 ⑤ 命の期限は一週間


 *****


「確認だが、俺が物語を放棄したり、契約に反した行動をとった場合はどうなるんだ?」


「君が最も望まない物語を物語が紡ぐだろうね。そう、例えば君以外の命を代償として物語を彩る『悲劇』とする事もあるだろう」


 人間のように醜悪な笑みをニヤリと浮かべる黒猫。

 もう一度人生を生きるなら、同時にステラ達の命をを人質に取られるのと同義だ。


「チッ、お前、本当は性格悪いだろ?」


 忌々しい、そう思わずにいられない。


「否定しないよ。私は少々捻くれているからね」


「ベル、お前ぼっちだろう?」


「その言葉は……心外だ」


 初めてふてくされた表情を見せ、口ごもるベルの言葉に勢いは無い。

 恐らく図星だったのだろう。


「物語は単調であってはならない。人々の心震わせる傑作と呼ばれる物語は、限られた時間の中で幸せな時間と悲劇の結末のバランスが均衡を保ってこそ儚く美しい輝きを放つ。そう、それこそ流れ星のようにね」


 もしも、オリオンが生き返らずに、二人がそのまま生きたのだとしても幸せに笑って生きてくれるかもしれない。

 そうであったなら、何よりだ。

 オリオンは、安心して死ぬ事が出来る。


 だけと、もしも最後に見た二人のまま、今までオリオンと過ごした自分を殺して、死んだように人生を生きるのなら……命を賭けて狂ってしまった歯車を修正しなければならない。


 いつも朗らかに笑うシリウスが笑顔を失っている。

 オリオンの好きなステラには笑っていて欲しい。

 ……全て自分の『死』が歯車を狂わせた。


 心に残る、二人を残して死んだ罪悪感。

 約束を破った事への贖罪を、二度目の人生で生きる。


 いくら葛藤した所で、他に選択肢は無いのだから。


「ベル、俺はお前と契約を結ぶ」


「……契約成立のようだね。さっきまでと違っていい表情をしているよ」


 記された文字をベルが尻尾で軽く小突くと、二つに分裂した言葉はオリオンとベル、二人の胸の中に入り込んで消えた。


「これで、言葉は魂に刻まれて契約は成立した」


 瞳を閉じると、瞼の裏側で契約の言葉がピンク色の炎を灯して揺らめいている。オリオンがゆっくりと目を開けると、契約相手の黒猫しにがみもまた赤髪の少年の瞳を真っ直ぐな瞳で見ていた。


「それでは、今一度少年に問おう。君は『流れ星の記憶』に何を願う?」


「俺は、約束を破った償いをするためにもう一度生きる。ただ、二人に笑ってもらいたい。それだけだ」


「……そうかい。了解したよ、少年。君の紡ぐ物語の題名タイトルは『Shootingstar Memorys』。儚く瞬く流れ星の人生で、君が願う物語を――」


「ありがとうな、ベル」


 芝居がかった台詞の途中で向けられた、オリオンの言葉を聞いてベルは面食らったように動きを止める。


「フッ、本当に少年はとんだお人よしだ」 


 死神である黒猫こそが『死』の元凶だというのに。


 そんな自分に優しい言葉をかけてしまう少年を、優しいバカだと思いながら、彼との出会いに感謝した。


 優しい言葉の返礼に、とても死神と思えない優しい笑顔を浮かべる黒猫。

 二股の尻尾の先が、オリオンの心臓とベルの心臓にそれぞれに当てられると白い炎が燃え上がる。


 熱も痛みも無い、柔らかく温かな炎。

 まるで、母の腹に眠る赤子のように、優しい眠気がオリオンを包み込む。


 炎は徐々にその勢いを増して、目の前の視界を白い炎が焼いて塗り潰していった。


「―――少年、願わくば君に後悔の無い二度目の人生を」


 朧な意識の中で、ベルの柔らかに呟かれた言葉が耳に届くと、そこでオリオンの視界は白色に染まって再び意識を失った。

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