第6話 再会 1日目

「……ねぇ。ねぇてば!君、大丈夫?」


「ぁ……大丈夫。……です……」


 オリオンは、ベラに肩を揺さぶられて現実に戻される。

 長い睫毛の伸びる、ライトブラウンの瞳が心配そうにオリオンを覗き込んでいた。

 ……だけど、それは知り合いに向ける表情では無く、他人に向ける憂いを含むもので。


 ベラは、オリオンの事を覚えていない。


 目の前に浮かぶ黒猫が、意味深な表情でオリオンに首を横に振る。察しろ、とベルの視線が語っている。

 黙したままのベルのジェスチャーが、オリオンの思考を肯定していた。


 ……恐らく、オリオンの記憶はこの世界の人達から消されている。


「きっと暑さにやられたんだね。まっ、当然と言えば当然さ。この真夏の炎天下の下でそんな真冬みたいな格好して汗をだらだら掻いていたら調子も悪くなるってもんさ」


 オリオンの頭から足元へ、呆れ顔で視線を移動させるベラ。

 その目に映るのは、真夏に真っ赤なスタジャンと首にマフラーを巻いたオリオンの姿だ。言葉通りこの季節にこんな格好をしていれば不審極まりない。


 一方、オリオンはベラの言葉を受けて黙る。

 嫌味にも取れるベラの言葉は耳に入らず、口の中で彼女の言葉を繰り返していた。


「……真夏?俺は確か雪の降った日に……。ぁ----!?」


 ずっと頭の片隅で引っ掛かっていた違和感。

 言葉は繋がって答えを導きだし、そして新たな疑問が生まれる。


「ベラさん。ステラが結婚って言っていたけど、ステラは15歳でじゃないの?もし違うなら、ステラは今年で何歳・・になる!?」


「……はぁ?君、本当に大丈夫かい?15歳で結婚できる訳ないだろう。彼女はもう20最はたち歳になった立派な女の子だよ。って女の子なんて失礼か」


「ステラが、20最はたち……!?ベラさん、それは間違いない?」


「あぁ、間違いないよ。私はこう見えてステラちゃんを子供の頃から見てきたからね。それなりに親しい間柄さ。それも、15歳くらいまでだったけどね……」


 季節は夏。そして、あれから約5年の月日が流れている。


 オリオンは黒猫ベルを睨みつけた。

 この状況を予測していたのか、困った顔でオリオンに向けて苦笑いを浮かべる黒猫を後で問い詰めなければならない。


 ボォ――――。


 空から汽笛の音が鳴る。

 シュシュシュシュ、と絶え間なく続く車輪の重低音が響く。

 だんだんと大きくなっていく重低音に、音の主が近づいてくるのが分かった。


「お、噂をすればだね」


 ベラが空を指差す。ベラの視線を追って空を見上げると、本来空を飛べるはずの無い質量の乗り物が姿を現した。


「SL機関車ぁ!?何で空飛んでんだよ!?」


 オリオンが死ぬ前五年前には、こんなもの無かった。


 白で統一された金属の塊が、白い蒸気を上げて空を力強く駆け抜けていく。車体の大きさは本来の汽車に比べれば大分小さい。


 先頭車両の軌道上に、黄色い光の線路が現れて進路を作る。通過後の線路は、星形の光の粒子を散らして形を失って消えていく。


「あれは、エトワールさんが最近開発したスターダストエクスプレスさ。驚いただろう?まだ、この街でしか走っていないらしいんだ」


 確かに、名前の通り消えていく線路が星屑を街へ舞い散らせる。三両の車体を連結した各車体に、笑顔の流れ星のマークが描かれている。あれは、『エストワ―ル財閥』のロゴだ。


「きっと、あれにステラちゃんが乗っているよ。帰って来たって噂だけは聞こえてくるけど、実際彼女の姿を見た人はいないんだよねぇ」


「……ステラ」


 低空飛行する汽車は、この街で一番高い建物に進路を進める。進路の先にあるのは約100メートルもの高さを誇る『エストワールタワー』だ。

 会社兼ステラの家で、最上階が居住スペースになっている。多忙なステラの両親がステラのために時間を取れるようにそうした作りにしたらしい。


 実際、遊びに招かれるとエストワールさんは忙しい仕事の合間を縫って何度もオリオン達の所へ顔を出してくれた。


 エストワールさんは、娘も、その友人も、地域との繋がりも大切にする立派な人だ。


「……ねぇ君?おや、なんだい。……いなくなっちゃったか」


 呼びかけた声に反応が無いのでベルが振りかえるとそこにオリオンはいなくなっていた。


「おやおや」


 スターダストエクスプレスを追って、エストワールタワーの方へ走って行く少年の背中が目に留まる。


「もし、ステラちゃんの友達なら……と思ったけど、シリウス君でも無理だったんだ。それは高望みしすぎか。でも、さっきの赤い髪の男の子、なんだかほっとけない感じで気になるんだよね……」


「すいません~、店長。手伝って下さ~い!もう、無理です、ヘルプミー」


 大繁盛の店を職務放棄したベルに従業員のSOSの声が聞こえた。


「はいよっ。すぐ行く。まぁ、縁があればまた会えるか」



 ☆ミ ☆ミ ☆ミ



 エストワ―ルタワーは普段と違う賑わいに包まれていた。

 大きな敷地を囲う塀には紅白幕が掛けられ、社員もどこか浮足立っている。


 エストワ―ル財閥は、魔法とおもちゃを掛け合わせた魔法電子玩具を主戦力として世に送り出す大企業だ。

 ミルキーウェイの街のみならず、もはやこの世界の殆どの人が知っている今や飛ぶ鳥を落とす勢いの会社である。


 そんな大企業のエストワール家とオリオン達の両親が知り合ったのは地元の産婦人科。ステラの両親が人と人の繋がりを大切にする人間だったからだ。

 丁度同じ時期に妊娠していたオリオン達の母親がステラの母と意気投合して、そこから家族ぐるみの付き合いが始まった。


「申し訳ありません。今は、結婚式を控えた大切な時期でステラ様のアポは全てお断りさせて頂いております。お手数ですが、後日、日を改めてから来て頂けますか?」


 夕陽が傾く時刻。

 ステラがスターダストエクスプレスに乗っていると聞いて、オリオンはエストワールタワーまでやって来た。


 どうにかステラと会えないかと、社の受付カウンターで交渉を粘るオリオン。

 ステラとの面接を求めたが、受付嬢の完璧にして丁寧な対応で、笑顔のまま頑なに接触を断られた。


 友人という肩書きを失えば、エストワール家の敷居が途端に高く感じる。


「くそっ、以前なら顔パスだったってのに……」


 やはりオリオンの記憶は全ての人から消え去っていた。

 鉄壁の丁寧な対応に隙を見つける事ができずに、撤退を余儀なくされる。


 肩を落としてオリオンがエントランスを後にすると、丁度終業時間だったのか、帰宅する社員のゾロゾロと出て来た。

 中にはスーツ姿の人もいるが、おもちゃ会社の社員だけあってラフな私服に近い格好をしている。


「ベル……お前、みんなの記憶の事を俺に話をしていなかったな?」


「私は少年に伝えたつもりだけどね。君の死は、周りの命を殺す、と。君の記憶は特定の人物を除いて残っていないよ。それに、契約時の言葉にも記されていたはずさ。②設定を順守するとね」


 確かに瞼を閉じれば、燃え上がるピンク色の言葉にそう記されている。理不尽ではあるが、契約締結時に詳細を確認しなかったオリオンの過失とも言える。

 曖昧に書かれた契約には気をつけねばならない。


「んなの誰が分かるか!?ぐぬぬっ、でも仕方無い……。はぁ、今日はとりあえず寝床から探さないといけないか」


 たった一週間。とは言えやはり寝食の確保は重要だ。

 もしかしたら、実家に行けば両親が覚えているのでは、とも考えたがこの分では期待は薄いだろう。


 夕陽を見上げて黄昏ていると、そこで誰かがオリオンの肩を乱暴に掴み、勢い余って前へと突き倒された。


「――――っ!おわっ!」


 ――――ハァ、ハァ。


 よろめいて倒れ込むオリオン。

 押し倒した犯人の、黒のスキニージーンズと革靴が目に入った。這いつくばったオリオンの耳に荒い呼吸が上から聞こえてくる。


「痛ぇ……!何すんだ、よ……」


 文句の一つも言ってやろうと、視線を足元から顔の方へと移していくと、オリオンの勢いよく吐き出された言葉はすぐに失速してしまう。


 清潔感あふれる白の半袖シャツから伸びる華奢な腕。柔らかな水色の髪が風に揺られてなびいていた。


「――――シリウス……」


 朗らかな笑顔をいつも浮かべていた親友。

 ところが綺麗な紺の瞳に映る光は困惑と怒り。


 優しかった瞳は眉間に皺を寄せ、憎しみともとれる鋭い目付きでオリオンを睨み付けていた。

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