第7話 最高の最悪 1日目

「嘘だ……。こんな事、あるはずが無い」


 シリウスの声は、震えていた。


 まだ荒い呼吸が、シリウスの肩を上下に揺らしている。

 思いがけない再会に言葉を失い、二人は見詰め合う。


「だって……オリオンはもう……」


 ――――死んだはずなのに。


 最後まで紡がれなかった言葉。その先に何を言いたかったのかはシリウスの表情が物語っている。

 動揺と混乱を隠せぬまま、怪訝な表情を浮かべるシリウス。険しい顔付きのままオリオンを睨みつけていた。


「――――!?シリウス、俺の事を覚えているのか!?今、確かに俺の名前を呼んだよな!?そうだ。そうだよ!俺だ。オリオンだ!」


 シリウスは確かにオリオンの名前を呼んでいた。それが意味する事はただ一つだ。

 ……シリウスには、オリオンの記憶が残っている。


 その事実にオリオンは興奮を抑えられなかった。立ち上がって友の元へと駆け寄る。これが歓喜せずにいられるものか。


 誰もがオリオンを忘れている『設定』だと思っていた。それなのに、他でもないシリウスがオリオンの事を覚えていたのだから。


「本当に……オリオン、なのか?」


 シリウスは、まるで亡霊でも見るような目でオリオンを見ていた。信じる事が出来ないのも当然だ。シリウスはオリオンの死に顔を直に見ている。


「あぁ、お前とステラの親友で、シリウスの知っているオリオン=ハートで間違いない。あぁ、やった!まさかこんな所でシリウスと再会できるなんて。よしっ、希望が見えてきたぞ!」


 シリウスは、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 声も、顔も、落ち着きの無い態度も、シリウスが知っているオリオンだった。それでもまだ混乱は拭いきれない。分からない事だらけだった。


 ――――もしも、本人ならなぜここにいる?

 ――――なんでオリオンは生き返った?

 ……でも今更なんだ。もう遅い。何もかも。


 オリオンが死んだ日の記憶とともに、シリウスの中に冷たい感情が沸き上がる。水色の髪から覗くその瞳には、少年だった彼がオリオンに向けていた温かさは無い。


 親友の表情の変化にオリオンは気付けない。

 友との再会を喜び、浮かれていた。


 シリウスの首から掛けられた社員証。笑顔を浮かべる流れ星のロゴマークはエストワール社のものだ。オリオンは社員証を指差して、シリウスに笑いながら話し掛ける。


「そっか。シリウス、エストワール社に就職したんだな。昔から魔法のおもちゃ作りが夢だって言ってたもんな。夢叶えたんだ。あっ……もしかしてステラの結婚相手ってお前か?」


 ステラが20はたちを迎えているのであれば、シリウスも同じ年齢になっているはずだ。よく見ると、同じくらいだったシリウスの背は、オリオンよりも顔半分も大きくなっていた。


 ベラから聞いたステラの結婚も、シリウス相手なら……納得はできないが辛うじて納得できる。それがオリオンでは無いのは悔しいが。


「……違う。ここで働いているのは合っているけど……ステラちゃんの結婚相手は僕じゃない」


「え……?」


「ステラちゃんは、他の男の妻になる」


 シリウスの言葉に耳を疑う。

 ステラの結婚相手がシリウスじゃない?


 その事を問い質そうとオリオンは口を開く。だが、言葉が形になる前にシリウスが先に質問を投げ掛けた。当てられる視線は鋭く、有無を言わさぬ雰囲気だ。


「……死んだんじゃないのか?」


 沈んだ声に、オリオンも浮かれていた気持ちを正す。

 そうだった。シリウスには5年の月日が流れている。きちんと説明をしなければ納得出来るハズもない。


「……死んださ。死んだけど、俺は戻ってきた。ステラとシリウスと交わした約束を守るため、もう一度……むぐっ、ぐむ、……くそっ、駄目だ。喋れない。これも契約の『設定』ってやつか」


 黒猫しにがみと結んだ『流れ星の記憶』に関する情報を口にすることが出来なかった。話したい事が、話さなければならない事がたくさんあるのに。

 その事を話そうとすると口が動かなくなる。


「……ステラ?……約束?どの口が、――――っ。オリオン!」


 ……様子がおかしい。

 そこで、オリオンはシリウスの異変に初めて気が付いた。

 シリウスが表情を一変させた。いつも優しく笑っていたシリウスの面影は無く、友の鬼のような形相にオリオンはたじろいだ。


「おい、シリウスどうした……?――――っ!?」


 シリウスがオリオンの胸倉を掴み、引き寄せる。

 紺色の双眸が鼻先でオリオンを睨みつけていた。


「オリオン……君が憎い。僕は……ステラちゃんを殺した君が許せないっ!」


「……ステラを、俺が殺した?」


「オリオンが死んだあの日から、彼女の心は壊れて……死んでしまった。彼女は笑わない。泣かなくなった。まるで人形のようだ。……僕達の知っている彼女は死んだ。殺したのは君だ」


 のど元に拳が当たり息が出来ない。

 細い腕に見合わない力で、オリオンを宙に浮かせる。


「かっ……は」


 急に手を離されたオリオンは、地面に背中を打ち付けた。

 受身も取ることが出来ず、痛みに悶える。


「――――今更だ。もう遅いんだ!君を見ていると心がざわつく。ステラちゃんは5日後に結婚する。相手は彼女に相応しい完璧な人間。きっと彼女を支えてくれる。だからもう、僕も君も彼女には必要ないんだ」


「シリ、ウス……」


「死んだのであれば、僕たちの事は放って置いてくれ。オリオンが死んでから、僕たちは僕たちの道を歩いてきた。もう……来ないで欲しい」


 そう口にすると、涙を滲ませた瞳を閉じてシリウスは背を向ける。一歩、また一歩とオリオンから離れて立ち去って行く。


 頭が混乱している。……いや、真っ白だ。

 でも、このまま行かせてはいけない。だって、シリウスが……悲しい顔をしている。涙を流していないけど泣いている


「シリウス、待ってくれ!」


 シリウスを止めようと肩に手を掛ける。

 何て声を掛けていいかも分からない。


「――――がっ!?」


 次の瞬間、顔面に衝撃が走り、光が瞬く。

 オレンジ色の空が視界に映り、背中を地面に打ちつける。


 殴られた。あふれ出る鼻血に、遅れてその事に気付く。


「あ……?うっ」


「オリオン、もう二度と僕の前に現れるな。君が知っている僕も、彼女ももうここにはいない」


 立ち上がろうとするが、力が入らず体は言う事を聞かない。

 それなのに、意識だけはハッキリしていた。


 シリウスがこの場を離れていく。

 もう、背中を向けた親友は振り返らない。


 騒ぎを聞きつけた他の社員が、倒れたオリオンの元へ駆けつけてくる。人ごみに隠されてシリウスの姿はが消える。


「うっ……く、そ……何でだよ……っ!」


 何が、幸せな時間を約束するだ……悔しさとやるせない気持ちで見上げた夕焼け空が涙で滲む。

 何一つ上手くいかない。


 ――――チリン。


 性悪猫の鈴の音が耳に届く。

 集まった人混みの足元の隙間から、シリウスが立ち去った方に何かが落ちているのを見つけた。小さな落とし物には見覚えがあった。


「あれは……」


 黒猫の声が耳元で囁かれる。


「諦めるのはまだ早いよ、少年」


 黒猫の二つの尾が視界を掠めた。振り返った先にあるのはオリオンの泣き顔と正反対のベルの笑顔。


「最高の最悪をありがとう、少年。私も物語も満足さ。……さぁ、ここから君の人生を巻き返そうじゃないか」


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