第8話 赤い髪の少年は悪になる 2日目
川沿いの高架橋の下でオリオンは一夜を明かした。
鬱屈とした気持ちを増長させるように、今日は朝からしとしとと雨が降っている。
時刻はもう昼だと言うのに、赤髪の少年は土手にダンボールを敷いて寝転がっていた。
雨が橋を打つまばらなリズムを聞きながら、限りのある時間を無気力な瞳のまま過ごす。
答えの出ない……いや、答えを出していたハズの答えについて朝から自問自答を繰り返していた。
「俺を許さない、か……」
シリウスと喧嘩をしたことなんて、一度だけしか無い。それも5歳の時にステラを巡って口喧嘩をした一度だけだ。殴られた事なんてあるハズもない。
昨日、シリウスに殴り倒れたオリオンは、回復して起き上がるのにさほど時間は掛からなかった。騒ぎを聞きつけて集まる人々から逃げるようにその場を後にした。
オリオンの左頬は赤く腫れ、まだ痛みが残っている。
それよりも深い傷跡を残したのは、シリウスの言葉だ。
――――君がステラを殺した。
言い放たれた言葉が呪詛のように頭から離れない。
ステラが壊れ、心を殺し、人形のように変わっていく様子をシリウスは一番近くで見てきたハズだ。心優しいシリウスが何もしてこなかった訳がない。
どんな気持ちで、この5年間を過ごしてきたのだろう?
「そんなの、分かるわけねぇだろ……」
シリウスが語ったオリオンの知らない5年間。オリオンにとっては
別れ際に見せたシリウスの悲痛な面持ち。
泣きそうな表情で、全てを諦めたいと叫んでいるような眼差し。その時、オリオンが掛けられる言葉なんて無いと理解させられた。
ベルは「ここから君の人生を巻き返そう」と言ったが、自分が何をするべきなのか、どうしたらいいのか分からない。
だが、あんなシリウスの言葉を受けたら今更何ができる?
「もう一度君に問うよ」
それでも、停滞した思考を死神は許さない。
「少年、君は『流れ星の記憶』の中で何を望み、何を成したいんだい?」
人をからかうように目を細めて、黒猫は尋ねる。
右手に握られるシリウスの落し物。オリオンは、光沢のあるベルベット地の青い小箱に答えを求めるように視線を注ぐ。
「どうしたいんだろうな、俺は」
その箱は今からだと5年前のクリスマスに、シリウスとオリオンが選んだイヤリングだ。シリウスの物には青い
小箱を何度も握り締めた痕跡。手汗で変色したそれは、シリウスが迷ってきた証左に他ならない。
「シリウスは苦しんできた。渡せなかったプレゼントをずっと握り締めて5年もの間、一人で後悔してたんだな」
手に握るのは青い小箱だけではなかった。
左手に握られるのは、ベルが隠し持っていた同じ素材の赤色の小箱。オリオンが死んだ日に無くしたと思っていた、シリウスのイヤリングと対になるイヤリング。
「私は言ったはずだよ、少年。星を失った星座は元に戻らないと。君は、死ぬ運命にあるんだ」
「……二人が笑顔に戻っても、俺は一緒に生きられない」
「無責任に救い、また君の『死』で二人を傷つけるつもりかい?美しい記憶は時に残酷だ。それを失った時、君のいた記憶が再び彼らを苦しめる」
ベルの言う通りだ。物語の『設定』で『流れ星の記憶』の人生について明かす事は出来ない。仮に関係が元に戻ったとしても、再び別れなければいけない。何も真実を語れぬまま。
「……『償う』必要なんてあるのかい?君はゴールにいられない。言い換えれば、ゴールのその先に君の姿を求めなくてもいいんだ」
空を泳いでいたベルは、寝転がるオリオンの胸元に座る。
語られた文面は客観的で冷たい言葉だ。だけど、その言葉を紡ぐ黒猫の瞳は優しさを灯していた。
「『償う』必要は……無い?俺が求めるのは昔の笑顔じゃなくて、これからの二人の笑顔……そっか、ようやく分かった。自分が何を求めて、何を成したいのか」
きっと、ベルはオリオンに気付かせようとしていたのだろう。過酷な答えを『自ら』求め、決断するように。この先はきっと覚悟しなければ進めないから。
「気付いたかい?……そっちの物語の方が面白そうじゃないかと、私は思っているのだが?」
「はぁ~、きつい事をサラッと言うよな」
「他に最適解があるならば拝聴したい所だね。なぁに、心配はしなくていいさ。君には幸せな時間を約束するのだから」
「今のところ、その兆しの欠片さえも見えないけどな。この性悪猫め……ありがとうな」
「君の悪口は優しくて、心地いいよ。どうだろう?死んだらぜひ私と一緒に……」
「――――ならねぇよ!?」
オリオンの中で新たな答えが見つかる。無気力になっていた瞳に活力が戻っていく。彼はやるべき事を見つけた。
「手元にあるカードで勝負するっきゃねぇか。いや、カードが無ければ集めてやる……傷付いてもらうぞ、シリウス」
手元にある一対のイヤリング。これがシリウス攻防戦の鍵だ。
「これは私からの助言だよ。命が一週間であるという事と、皆の記憶から消えているという事は立派なカードだと思うけどね?だから、少年が目指すのは――」
「――あぁ、俺は悪役になる」
誰も傷付かず、元に戻せるなんて考えが甘過ぎた。誰もが傷付いて、最後に笑う。それこそが死神の求めるの答えで、オリオンが成すべき答えだ。
「今度こそ覚悟を決めた。それで、一つベルにお願いがある。俺ともう一つ契約を結べるか?」
オリオンは黒猫へ耳打ちする。金の瞳とピンと張った猫耳がオリオンの『お願い』に驚き、身動ぎした。
「……本気かい、少年?できるが、正気じゃない。きっと少年は後悔する。流石の私もそこまで君に求めている訳じゃないのだよ。くどいようだけど……本当にそれで良いのかい?」
「あぁ、決めたんだ。きっと後悔はするだろうな。だけど、二人が笑えるならそれでいいんだ。その代わり、最後の演出を頼む」
ブルリと全身の毛を波打たせる黒猫。これから動く物語に想いを馳せて恍惚とした表情で吟うように語りだす。
「あぁ、流石は私の見込んだ少年だ。喜んでその演出を任されようじゃないか。登場人物が抱える傷に踏み込まずお茶を濁す作品なんて私は望まない。……ゾクゾクするよ。期待以上さ。私が君に惚れてしまいそうだよ」
「ラスボスはお姫様。悪役は俺。さぁ、黒猫の死神さんよ、ヒーローの目を覚ましに行こうぜ。これは俺の物語だ」
オリオンが立ち上がると雨はもう止んでいた。曇り空の隙間から光が射し込む。まだ痛む頬に手を当ててオリオンは歩き始めた。
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