第2話:眠らない街

 窓の外を眺める。終電特有の、生温く淀んだけだるい空気に身を委ねていた。

 くすんだ金髪と、その切れ目から覗く灰色の瞳。血色が良いとは言えない青白い肌。車窓に映りこんだ無表情の男から、視線を動かす。

 週刊誌の中吊り広告が目に入った。徹底解剖・政府がひた隠しにする『特異種』の全貌、とある。適当に風呂敷を広げたに違いないのだが、なかなか的を射ている。靴先に視線を落として、鼻の奥をくすぐる笑みをやり過ごした。


 新宿で降り、東口から街へ出る。客引きの叫ぶ声。無遠慮な笑い声。絡まりあってほどけなくなったざわめきが、原色の光の中で渦巻いている。

 世界は確かに変わってしまった。それなのに誰も、何一つ、気に留めた様子は無い。たった数年。されど数年、という事か。


 少しばかり立ち入り禁止の場所が増え、少しばかり行方不明者の数が増え、少しばかり物騒な仕事に手を染める者が増えた。ただ、それだけ。


「ただいま」


 駅から二十分程のマンションの一室に滑り込む。室内はしんと静まり返り、耳に残る雑踏の余韻の方がうるさいくらいだ。


「いないのか?」


 トイレとバスルームを横目で確認し、リビングの電気を点けた。部屋の中央に、テーブルと二脚のチェア。左手には小さなキッチンがあるが、グラスと深めの皿が二つずつ無造作に置いてあるだけだ。

 普通の家なら、もう少し飾り気や生活感があるのかもしれないが、ここはそもそもの目的が違う。


 テーブルの向こうには金属製のロッカーが三つ、不規則な間隔でどっしりと立っている。キッチンもこれも俺の趣味ではなく、同居人の趣向だ。「落ち着いて飯が食えない」との再三の抗議もむなしく、押し切られてしまった。

 奥にはそれぞれの自室へと続くドアがある。どちらも閉まっているし、明かりも消えていた。


「また、随分散らかしてんな」


 開けっぱなしのロッカーとテーブルに目をやる。崩れた書類とメモの山。散乱した弾丸。無造作に転がるフラスコやシャーレ。用途不明のチューブなどなど。

 普段も整頓されているとは言いがたいが、今日はなかなかの絶景だ。キッチンには仕事を持ち込むな、と常々言っているのに。


「全く。いくら言っても直りゃしねえ」


 同居人への呪詛を吐きながら、出音に注意してベルトから銃を引き抜く。邪魔にならないよう、テーブルとチェアを右手で脇へずらした。


「いない、にしては静かすぎるんだって」


 物言わぬドアを見比べる。動きは無い。静寂に耳が痛む。一歩、右足を踏み出す。

 足音につられるように、キン、とキッチンから小さな音がした。

 ちらりと視線を配り、戻したところで目を見開く。ドアが、どちらも開いている。


「はは、手が込んでる」


 右のドアの奥、暗がりから放たれた大振りのナイフを銃身で叩き落とし、左に意識を集中させる。こっちはダミー。本命はおそらく。


「し、ね」


 くぐもった声と共に、右からナイフがもう一本。左に人影が一つ。身体のラインから女だとわかる。上から下まで黒ずくめだ。また真っ黒かよ。今日はもう、お腹いっぱいだっつうの。

 両手のナイフと拳銃も然る事ながら、何より異様なのはその頭だった。華奢な体格に不釣り合いなガスマスクが装着されている。

 そいつは低い姿勢で飛び出してきたかと思うと、あっという間にロッカーの裏に滑り込んだ。頭は見せず、ずい、と差し出された右手から乾いた音が鳴る。

 有無を言わさず撃ってくる辺り、さっきの若造くんより見所があるじゃないか。弾丸を右肩で受け止め、三台のロッカーの隙間を忙しなく揺れる影を目で追う。


「壁に穴でも空いたらどうしてくれんだ、借り物だっつうのに」


 俺の言葉に反応し、真ん中の長方形の影から無機質な仮面がそっと姿を見せる。半身のまま首を傾げ、天井を見上げた格好で動きを止めると、真上に掲げた右手の人差し指でコの字を作った。

 空いた穴は二つ。どうだ、と言わんばかりに顔をこちらに向け直し、肩を竦めてみせる。このやろう。


「あーあ。言わなきゃ良かったな」


 ほんの数瞬、天井に意識を向けた隙に、ガスマスクは数歩の距離まで迫っていた。すばしこい上に、間の取り方が絶妙にいやらしい。

 突進の勢いそのままに、真横に振られたナイフが右のすねを薙ぐ。痛覚があれば、かなり痛そうだ。銃口を向けるが、やつはあっという間にエスケープしていく。

 退き際に何発かの鉛弾を放り込んでくるのも忘れない。見事なヒットアンドアウェーだ。


「仕方ねえ」


 部屋の中で、力任せに暴れる訳にはいかないのが痛いところだ。すねの傷が塞がるのを合図代わりに前へ出た。正直、手は決めかねていたが、突っ立ったまま良いようにされるのは癪だ。

 俺の迷いを見透かしてか、今度は左端からナイフが飛んでくる。これで三本、用意が良い事だ。更に、タイミングを合わせて鈍色のつぶてが二発。

 ナイフは首筋、追撃で両目を撃ち抜くつもりらしい。刃を左手でいなし、銃弾は首をひねって額の端とこめかみで受けた。


「んだよこれ、うっとおしい」


 顔面に刺さった鉛玉をうるさそうにする振りをして、俯く。視線と意識をあえて外してやれば、やつはきっと出てくるはずだ。

 読み通り、小刻みな足音が迫る。完全に意識を攻め手に回したその時に、終わりにしてやる。細心の注意を払い、接近を待った。


 ナイフが二度揺れ、三度握り直される。しゃがみこむ素振りを見せたかと思えば左へ跳躍。何度も引き金に指がかけられ、照準が変わる。


 意味のありそうなものから無駄に見えるものまで、フェイントの手数が先の比ではない。躊躇しているな。

 しかしなら、飛び出したからには必ず突っ込んでくる。問題は、どこで来るかだ。


「どうした、こわいのかよ」


 焦れてきたであろうタイミングで挑発を差し込む。苛立ったように不規則なリズムで床が蹴られ、わずかだが重心が前に傾くのがわかる。おそらく、ここだ。左手のナイフが振られる。やはり。

 それを受けた銃身の脇を、弾丸がすり抜けていく。避けるかはじくか。どちらも簡単だが、あえて腹の中に収めた。気分は悪くとも、これをいなせばまた下がられてしまう。

 反撃が無いと見るや、やつがもう一歩前へ踏み出す。


「残念、出すぎだ」


 照準が肺に定められたところで、右腕をがっしりと掴んだ。


「全く。少しは加減しろよ、えげつねえ」

「さすが」


 そう言いながら、引き金が引かれる。鈍い音がして、胸に穴が空いた。

 びっくりした様子の俺がおかしかったのか、マスクの下からこもった笑い声が漏れてくる。本当に、良い性格をしているな。


「普通さ、腕つかまれて更に撃つか?」

「撃つでしょ、むしろ」

「あっそ。っつうかなんだそれ」

「似合う?」


 興味をなくしたようにナイフを投げ捨てると、左手でマスクの頬をさすり、小首を傾げてみせる。ガスマスクは、似合う似合わないで語るものでは無いと思う。


「取れよ、気持ち悪い」

「ぷは。下がね、ちょっと臭くなっちゃって」

「最初の、し、ね、はそれかよ。くそ紛らわしい」

「面白かったでしょ?」

「なわけねえだろ」

「えー」

「想像してみろよ。帰ってくるなり、ガスマスク被った変態に襲われんだぞ」

「……素敵」

「お前に聞いた俺がバカだったよ」


 マスクを取り、うっとりした笑顔で唇を舐めるこいつはサクヤという。佐久弥生(さくやよい)というのが本名らしいが、まあどうでも良い。

 俺より三歳下の二十歳で、あの日から、少しばかり街に溢れたマッドサイエンティストの一人だ。

 俺の持つ銃弾や隠し玉のほとんどはこいつが仕込んでいる。対価は、こうしてたまに挑まれるを断らない事と、俺自身を独占的に研究する権利、だそうだ。俺自身としては、後者を認めたつもりは無い。

 もはや言うまでもない戦闘狂の変態なのだが、見た目だけはかなり整っているから質が悪い。外ではこいつにとって良い意味で、そして俺にとっては悪い意味で誤解される事が多いのだ。


 あどけなさの残る顔立ちに、襟足のみを赤く染めた柔らかそうな黒髪。長い睫毛と、透き通るようなブルーがかった瞳は、目を合わせた者の警戒心を根こそぎ奪い取る魅力を持っている。らしい。

 俺にとっては、頭のおかしな同居人で、不本意ながら仕事上のパートナーである、という以上の認識は無いつもりだ。


「っていうかナルカミさん。私はほぼ人間なんだから、もっと手加減しようよ」

「十分してる。それにその、ほぼってのが大問題だろうが」

「えへへ。褒められちゃった。そんで? 今日のお土産は?」

「ああ」


 毒の塗られた矢じりの包みをそっとテーブルに置く。目を輝かせるサクヤに「素手で触るなよ」と釘を刺すが、耳に入っているのかどうか。

 腕がふっとんで死んでも、責任は取れないからな。


「どうすんだよ、天井」

「ん。直しとくから平気」

「ご近所さんに迷惑かけてないといいけどな」

「やばいかな? 引っ越しって大変だよね。私、片付け苦手なの」


 片付けが苦手なのは嫌と言うほど知っている。俺が心配しているのはそこではない。

 それに、一年かけてようやく、こいつの希望通りに地下を簡易研究所に仕立て終えたところだ。簡単に引っ越してたまるものか。

 とは言え、俺のいない間に異臭騒ぎやぼや騒ぎで追い出される可能性は否めない。ガスマスクがポーズである事を祈るばかりだ。


「そうだ。おっちゃんから連絡あったよ」

「珍しいな、あっちからなんて」

「今度こそ! 西新宿一の! 情報屋の面子がなんとか~! だって」

「自信ありげな割に規模が微妙に小せえな。せめて新宿全域カバーしろっての」

「あはは。すぐ行く?」

「ま、一応ね」


 はーい、と間延びした声を出して、サクヤが自室へ消えていく。俺も、カーキのパンツが黒になっただけではあるが、穴の空いた服を着替えておく。

 リビングで再会したサクヤに、俺はがっくりと肩を落とした。


「それで行く気じゃねえんだろ?」

「似合うでしょ?」

「首から下はな」


 淡いブルーのふんわりしたシルエットのワンピース。すらりと伸びた色白の手足も相まって、女性らしさを感じさせる装いだ。

 頭に先程のガスマスクがしっかり装備されている、という点を除けば。


「取らないなら置いていく」

「いいもん、一人で行けるし」

「撃つぞ」

「やめてよ。高かったのに」

「てめ、また勝手に俺の口座」

「どうして決めつけんの」

「へえ。違うのか?」

「えへへ、ごめん。ナルカミさんの」

「だよな」


 引き金に手をかけた俺を見て「冗談だってばー!」と喚くサクヤ。どれが、どこまで冗談なのか言ってみろ。

 溜め息をこぼして、自分用のロッカーに手をかけた。


「あれ。それ持ってくの?」

「念の為。そっちもちゃんとしとけよ」

「心配性だね」


 肩を竦めるサクヤを促し、手持ちの銃に弾を込め直す。組織の連中をおちょくった直後のこのタイミングで、向こうからの連絡なんて。どうも臭い。


「行くか」

「うん! どん、ぱち、どんっ、ぱっち」

「おいやめろ。変なフラグを立てんじゃねえよ」


 静かに閉めるはずだったドアが、ガツン、と大きな音を立てた。

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