第8話:再会

――ん


――ミさん


「ナールーカーミーさん! ってば」

「……サク……ヤ?」

「おはよ」

「……そうだ、あのやろう!」

「わあ。びっくりした」


 飛び起きた俺を見て「元気いっぱいだね」とサクヤがのんびりした声を出す。そんな場合ではない。俺はまんまと一杯食わされて、心臓を潰されたのだ。

 左手を胸に当てた。傷はなく、新たな心臓がどくどくと蠢いている。自分のモノだというのに、なんだかやけに気持ちが悪くて、顔をしかめた。


「そういや腕も」

「えへへ。大改造しといたから」

「大改造ってお前ね……いや、助かった」

「大変だったんだからね。帰ってこないし、左腕はないし、心臓もないし、意識までないし」

「……悪い」

「もうね、すっごい興奮しちゃった」

「おいこら」


 あんなところからそんなトコロまで丸見えで、とくねくねしだしたサクヤを放って、周りを確かめる。

 無機質な青白い部屋。天井はそう高くないし広さも無い。あれこれ並んだ薬品や器具。俺が転がされていた簡素な作業台。ここはまだ、あれの続きだ。


「何時だ」

「まだ夜中。二時半くらい」

「適当な部屋のロックをどうにかしてここに入った、と」

「うん。放置系研究所のスイートルーム」

「組織の連中は?」

「えへへ、まいといた」

「そうか……っつうか、どうやって俺を見つけたんだよ」


 廃棄された研究所や、新たな立ち入り禁止区域の場所は、二人でいくつか目星をつけていた。研究所の中枢にいたサクヤなら、ここが初見でも、忍び込んだりロックの解除は出来るのかもしれない。

 しかし、俺がどこでどうしているのか、となれば話は別だ。俺の知る限り、サクヤにそういう能力は無い。


「これこれ」

「チップ。発信機、か?」

「あったりい」

「そんなもんどこに」

「え、たいない?」

「マジかよこのやろう」

「毎晩ね、ナルカミさんの歩んだ軌跡を指でなぞるとよく眠れるの」


 艶かしく踊らせた中指をべろりと舐めるサクヤ。戦闘狂のマッドサイエンティストは、ストーカー気質も解放していたらしい。普通なら一刻も早く縁を切りたいところだが、おかげで助かってしまったのも事実。何とも悩ましい。


「後で説教な。じゃあ行くわ」

「え、どこに? もうあと帰るだけだよね? もしかしてここ、ぜーんぶ駆除ってく?」

がいた」


 心臓を握り潰され、振り向いたそこにいたのは、確かにあいつだった。やはり生きていたのだ。


「……知ってる」

「会ったのか」

「うん、そう」

「よく無事だったな」

「組織のおにいさん達をまけたのも、あの子のおかげだよ」

「心臓を取り替える羽目になったのも、あの子のおかげだけどな」


 化け物との戦闘中からずっと気配を消し、俺の背後に回りこんで心臓を抉り出す。

 そんな芸当が出来るようになっているなんて。

 最初のワクチンをうったからには、生きているなら人間はやめちまってるかも、と思ってはいたが。本当に残念だ。


――彼女は大切な鍵だから、もらっていくね。


 鍵ってなんだよ。ふざけやがって。


――三番のビル。来ちゃ駄目だからね。お願い。


 来てくれって事かよ。なんだよそれ。


――私は大丈夫だから。


 大丈夫……には見えなかったな。


「ナルカミさん」

「うん?」

「三番でしょ」

「その発信機は、音声と映像も飛ばすのか」

「それいいね。映像はともかく、次は声だけでも」

「おいやめろ」

「まあそれは明日やるとして。この辺ならそうかなあって」


 明日かよ。動き出しが早すぎんだろ。

 苦笑して、頭の中に地図を描く。組織の使っていた建物には、仲間内の暗号代わりに番号が振られていた。

 三番は、ここから最も近い廃ビルで、同じように地下が少し広くなっている。


「お前は待ってろよ。適当に連れて帰ってくるからさ」

「ふうん。どっちを?」

「どっちってそりゃあ」

「どっちもって事?」

「……そのつもりだ」


 ぼんやりと、サクヤは少し考える素振りをした。それから満面の笑みを作ってみせる。


「本当に男って、どうしようもないイキモノだよね」

「うっせ」

「私の事ももう少し、大事にしてくれる?」

「はあ?」

「して、くれる?」

「ああ……まあ今日の礼は、なんかする」


 やったね。はいこれ。

 今度は一転して、軽い調子で一丁の銃を差し出し、にひひ、と笑う。


「新作か」

「うん。くっさいやつ」

「ガスマスクの成果って訳か。何発撃てる? 出来は? すぐ使えなきゃ意味ねえぞ」

「もう、本当にせっかち。そんなにすぐしたいの?」

「真面目に聞いてる」

「試作品だから三発。でも効果はばっちり。ナルカミさんが三回くらいは死ねるかも」


 先に溶かした赤目玉……ああ、赤いのは口だったか、まあどちらでも良い。あれを育てたのがあいつだとしたら、手持ちの弾はあまり効かないかもしれない。

 このタイミングでこれは有難い。腕も身体も元通り。発信機の件を差し引いても、本当に礼をしないとな。


「私も行く」

「やめとけよ」

「大丈夫。ナルカミさんみたいにヘマしないし」

「あ、そ。悪いけど責任は取れねえぞ」

「うん。あの子がおかしくなってて、ここに来てるなら。私が会いたい人と一緒にいるかもしれないし」

か」

「妬けちゃう?」

「……そうだな」


 わ。本当? えへへ、大丈夫だよ。今はナルカミさんが本命だもの。

 手持ちの分厚いナイフに、どう見ても健康に悪そうな何かを丹念に塗りこみながら、へらりと笑うサクヤ。

 答え方を間違えたか。俺は、さっきから浮かべたままの苦笑いをそのまま返すしかない。



 ※※※



 三番の地下は、先の研究所に比べてかなり劣化が進んでいた。

 各部屋のロックもほとんど壊れていたのだろう。下りたそばから、相応のを受ける。


「あはは。みてみて、どろどろ」

「アホか。誰が見るか。っつうかお前が前を見ろ」

「大丈夫だよ。こんなのろのろくんに捕まったりしないもん」


 両手にナイフを構えたサクヤが、軽快に通常種の群れを薙いでいく。

 ナイフが触れた瞬間に、まさしく彼女の台詞の通り。どろどろに溶けて崩れ落ちる様は、あまり目に優しいものではない。


「どんなとんでもねえもん塗ってやがんだ」

「えへへ、企業秘密? あ。そうだ」

「なんだよ」

「これ、ナルカミさんに試すの忘れてたね。どうかな。溶けるかな」

「後にしろ、後に」


 こんなところで味方に溶かされてたまるか。

 渋い顔で振り返り、目の前に迫った褐色の大男の首を蹴飛ばす。


「キリがねえな。適当なとこでまいてくか」

「ええ、せっかくアドレナリン出てきたのに」

「そういうまともな成分はもう出ねえだろうが」

「雰囲気だよ、雰囲気」

「おっちゃんみたいな事を言うんじゃねえよ、っと」


 緩慢な動きで伸ばされる腕を掻い潜り、頭を飛ばすか心臓を突き刺すか。

 単純作業になりつつあったその中で、視界の端に違和感を感じた。


「やば。跳べ、サクヤ」

「ほいほい?」


 俺達が揃って跳躍した直後。

 俺のいた場所に群がっていた通常種数体の腹から上が、まとめてごとりと落ちた。

 サクヤのいた場所では小規模な爆発が起こり、こちらは木っ端微塵だ。


「どうやら探し人はここにいるみてえだな」

「だね。レックスとラプトル、紛れてたんだ」


 着地して、サクヤと背中を合わせる。

 通常種と同じボロを纏って、異質な空気を放つ二人。


 右目のレックスと、左目のラプトル。

 それぞれ片目に付けた眼帯が特徴的な、の腹心だ。


「来るな、と彼女から警告されませんでしたか? 無様に心臓を晒したのでしょう?」


 口を開いたのは右目のレックス。こいつの丁寧語は、相手を馬鹿にする事を前提として口から吐き出される。

 肩に乗せたやたらと分厚い曲刀に、懐かしさを覚える。あれ、ぶん回し始めると、止まらねえんだよな。


「おかしいなあ。完璧に吹っ飛ばしたと思ったのに」


 レックスとは対照的に、間延びした口調で不満を漏らしているのが左目のラプトル。界隈では、まあまあ名の知れた爆弾魔だ。


「来いと言われた気がしたもんでね。容赦すんなってのが、教授のお達しか?」

「サクヤさんは、出来れば息をしたまま連れて帰るように、と」

「え、そうなのレックス。もう少しで先生に怒られちゃうところだったね。避けてくれてありがとう」

「別に構いませんよ、ラプトル。出来れば、の話ですから」


 相変わらずぶっとんでいる。言いつけを守る気が無いのなら、最初から言わなければ良い。

 まあでも、そんな事はわかった上で、教授もこいつらをよこしているはずだ。それよりも――


「ねえラプトル。教授に色々いじられてるんでしょ? ちょっとこれで刺してみていいかな。すぐ終わるから。痛くしないから。あ、うそ。痛いかも。痛かったら手あげてね」


 ナイフをくるくると回し、逆手に握り直しては、元に戻す。それを器用に繰り返しながら、笑みを濃くする女が一人。


 ああ。やっぱりだ。サクヤの悪い癖が始まっちまってる。頼むから、勢い余って刃を舐めたりすんなよ。なんか塗ってんだろ。溶けるぞ。


「っつうか、あいつ無事なんだろうな」

「あいつ? 彼女ですか? それともカノジョでしょうか? まあ、勿論お二人とも無事ですよ。丁重におもてなししています」

「そいつは良かった」

「なんでしたら、ナルカミさんもこちら側にいらっしゃいますか?」

「冗談」

「一緒に世界を変えようよ。僕達の力があれば、なんだって出来るんだ」


 口を挟んだラプトルは、本気でそれを信じているらしい。妄信ぶりも相変わらずか。


「そりゃあすげえ」

「でしょっ?」

「ああ、すげえ胡散臭さだ」


 にやりとした俺に、ラプトルの眉がぴくりと動く。余裕ぶっている割に沸点が低いのも、やはり相変わらずか。これなら、サクヤに任せてもいけるかな。


「大体、世界ならもう変わっちまったろ」

「いいえ。あれは始まりに過ぎません」

「いいや。終わりだ」

「ナルカミさんは、そんな終わっちゃった世界でどうするの?」


 面白くないよね?

 心の底から馬鹿らしい。そんな声色でラプトルが笑う。


「全く。何にもわかってねえ」


 世界は確かに、変わっちまった。

 噛み締めるように繰り返す。左手に収まっている金属の重みを確かめた。


「だから、戻す」

「元通りになるとお思いで? 愛しのカノジョでさえ、変わってしまったのに?」

「ならねえだろうな。それでも、だ」

「頑固ですね……まあ良いでしょう。交渉は決裂したという事ですね」

「ああ」


 凍りついた空気が、これ以上の会話を拒絶していた。

 靴先で、トントンとリズムを刻む。やる事はいつも通り。少し、相手の顔に見覚えがある。ただ、それだけ。


――四人分の足音が、同時に響きわたった。

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