第9話:戦線

 視界が回る。拳一つ分、えぐれた右の脇腹を無視して引き金に力を込めた。鉛弾は金属の塊にぶつかり、道を逸れて暗がりへ消えていく。

 穏やかな表情を張り付けたレックスが、俺の左に回り込む。両側から削ろうってのか。冗談じゃない。


「おかしいですね。こんなに鈍かったなんて」


 抑揚の無い声と共に突き出された曲刀を、すれすれでかわす。緩やかな所作とは不釣合いな速度。その上、鋭い。

 更に厄介なのは、両手に装着された手甲だ。拳銃の弾より速く動ける人間はいない。しかし、今の俺ですら、弾道やら何やらは見えている。その上でいくらかの心得があれば、防御はそう難しくないと言う事か。

 サクヤにもらった切り札は三発。しかも、後ろにはまだ本命が控えている。そう簡単に撃つ訳にはいかない。


「ほらほら、頑張って避けてよ。吹き飛んじゃうよ、サクヤちゃん」


 後ろでは、鼻歌混じりの破裂音がもう何度も響いている。その度に金属のぶつかる音が響く。サクヤも果敢にナイフを振っているのだろうが、俺と同様、手甲に苦心しているらしい。


「なかなか当たらないとワクワクしちゃうね。どこにしよっかな。やっぱり腕がいい? いきなり頭とかじゃつまんないよね?」

「そうだねえ。その方が長く楽しめる」

「だよねだよね。ラプトル、意外とわかってるじゃん」

「あはは」

「えへへ」


 と思ったが、そうでもないのかもしれない。変態二人はもうしばらく放っておいて良さそうだ。


「余所見をしている暇などあるのですか?」


 レックスが不快感をあらわにして、斬撃を加速させる。掠ったあばらが軋み、肩がはじけ、右耳を持っていかれる。

 ここで心臓やら脳みそをぶちまける事になれば、今度こそ無事では済まないな。


「まあ今更か」


 無事では済まない、の定義が大分おかしくなっている事に、自虐的な笑みがこぼれた。


「そろそろ、ぶちまけて、死んでくれませんか?」


 台詞と一撃を合わせて、迫るレックス。いくつかかわしている内に、耳が元に戻る。


「悪いんだけど、。もういっぺん言ってくれねえか」

「今にも千切れそうな癖して、よく吼える」

「はは、安心した」

「なんだって?」

「余裕ぶってるから、やべえかなと思ってたんだけどよ」


 少し距離を空け、銃を構え直して思考を巡らせる。今のところ、身体の端っこを持っていかれる程度でなんとかなっているが、長期戦はまずい。そもそも時間が無いのだ。

 挑発に乗ってくれるのであれば、ここが仕掛けどころだろう。


「あの頃のガキのまんまだ、ちょろいな」

「そう変わらねえでしょうが。あまり上から見ないで下さいよ」

「おいおい、もうキャラが崩れかけてんぞ。そんなんだから下にしか見えねえんだよ」


 こいつらは俺よりも更に、汚れ仕事ばかり受け持つ部署にいた。もちろん、教授がそうさせていたのだし、本人達も望んでいる節はあった。

 反対に俺は、中途半端な位置であちこちにいて。多少足りなくても誰かに助けてもらい、やる時はやる形で上手く立ち回っていた。

 二人が、俺のおせっかいをうっとおしく感じていたのは間違いないだろう。同時に、自意識過剰ではあるかもしれないが、羨ましくも感じていたはずだ。

 葛藤があれば、それは隙になる。


「目を離すとろくな事にならねえ」

「先生でもないくせに保護者面をしないで下さい」

「しょうがねえから、昔みてえに謝れば許してやるよ。

「あああああ! うるせえ! いっつもちんたらやってる無能のくせに!」

「なんだよ。もうテンパったのか?」


 言いながら、撃ち込んだ弾は簡単にレックスの肩を切り裂いた。挑発が効きすぎている事にちくりとする。

 子供扱いはやめて下さい。あなたは自分の仕事をしていれば良い。

 俺の記憶の中のこいつは、こいつらは、いつも仏頂面だったし、いくらかやりすぎるところはあった。

 それでも、我を失って怒鳴る風では無かったはずだ。人間であった頃は、まだ。


「世界を変えるとかさ……何したいんだか知らねえけど、二人とも無茶すんなよな。お前らの人生、教授の玩具でいいのかよ」

「だま、れええええ!」


 レックスが直線の最短距離を駆けてくる。

 挑発ではなく、本心から出た一言が引き金となってしまったか。

 バックステップに左右の動きを織り交ぜて、距離とタイミングを自分の側に持ってくる。

 もがいて、振り払って、何かを掴み取りたい。悲壮感すら感じさせる切っ先を、今度は余裕でかわしていった。

 いくら俺より速くとも、染み付いた動きが洗練されていようとも、それじゃあ駄目だ。

 お前は動きの読めない赤目の怪物とは違う。考え無しのそれで俺をやろうなんて、甘すぎる。


「後がつかえてんだ。悪いな」


 レックスが、下段に構えた曲刀を、くん、と引いた。これはフェイク。斬撃は下からは来ない。

 この動きはこいつの一番得意な、そして一番速い、打ち下ろしだ。

 曲刀の先端に意識を寄せて、レックスの顔を見た。なんだ。ちゃんと成長してんじゃねえか。

 振り抜く瞬間は気持ちを鎮めて、覚悟を決めろ。昔、何度かやった俺の下手くそな授業の真似事も、まあまあ身になってたって事か。


 曲刀が閃光を描くほんの少し手前から、身体を傾け始める。見えていても、お互いに動作を止められはしない。

 惜しかったな。お前は、お前の仕事をするしかない。俺も、俺の仕事をやる。


「あんたは、いつもそうだ」


 打ち下ろしの終わり際を狙って撃ち込んだ切り札の一発は、レックスの右腕をはじき飛ばして、接合部を粉々にした。

 文字の通り。粉々のバラバラだ。とんでもねえな。本当に当たりどころ次第で三回死ねそうだ。

 散り散りになって消えていく自身の腕をぼんやりと眺めて、レックスが穏やかな声を出す。


「まだもう少し、敵いませんか」


 確かめているのか、俺に尋ねているのか。


「どうだろうな」


 これだけ差が詰まっているのでは、昔のように適当に転がしておしまいという訳にはいかない。やりようによっていくらでもひっくり返る。

 強いて言えば、ちょっとした経験の差と、煽り耐性程度だ。


 だから、そんなに気を落とすな。自嘲気味に肩をすくめた。


「今日は、運がなかったんじゃねえか」

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