第3話:情報屋

 街の賑わいを避け、裏路地にひっそりと構えられたバー『‐○●○‐』。こじんまりとしたビルの地下一階、シックなブルーのネオンサインが目印だ。

 店名には、○のそれぞれが過去、現在、未来を表し、現在を表す●がどうのこうのと小難しい由来があるらしい。ただし、常連の間ではダンゴヤと略されていて、本当の名前を知る者は少ない。

 店内は打ちっぱなしの壁に、薄暗く調節された間接照明。カウンターとチェアが黒で統一された大人の空間だ。

 おっちゃん……ここのマスターは二十四時以降限定で、情報屋をやっている。下手くそなカクテルはさておき、噂話から時には国家機密まで、集まるネタはなかなかのものだ。

 正面以外に三ヶ所の裏口が用意してある辺りも、普通のバーとは違うところか。おっちゃん自身がもう少し慎重であれば、言う事は無くなる。


「やあ、いらっしゃい。何にする?」

「ペリエ」

「私、ホットミルク」


 揃ってソフトドリンクを注文した俺達に、おっちゃんが渋い顔をした。

 眉下で切り揃えられたマッシュルームカットに、ちょんと乗った口髭が絶妙に似合っていない。一丁前に決めたバーテンダーらしい格好と、大きめのピンクの蝶ネクタイもアンバランスで、色とりどりのミスマッチが楽しめる。

 どんな格好をしてもフレンドリーに映るのは、接客業としては利点なのかもしれないが。


「まいったな。二人とも飲めない訳じゃないんだしお酒を飲もうよ、お酒を」

「別に自由だろ」

「ミックスナッツおまけしてね。忙しいナルカミさんを、当日仕上げで呼んできてあげたんだから」

「うう、わかったよ……それじゃっ」


 意気揚々とシェーカーを取り出すおっちゃんに、今度は俺が苦笑いを浮かべる番だ。


「ペリエとホットミルクだって」

「雰囲気だよ、雰囲気。お客様をその気にさせるのもマスターの努めってね」

「その気ってどの気だよ。よく潰れねえな、全く」

「ね。お酒は美味しくないし、おつまみもナッツが一番おいしいもん」


 いつも通りの軽口も、悪くはない。しかし今日は別だ。なにしろこちらは、一仕事終えた上に模擬戦までやらかしている。つまり、さっさと済ませたい。


「焦っても良い事はないよ。お先にナッツお待たせしましたっと」

「おっちゃんに言われるようじゃ、俺もまだまだか」

「えへへ。ナルカミさんはせっかちだもんね。私も、いつも強引にされちゃうの」

「ひゅう」

「ひゅう、じゃねえよくそおやじ。サクヤも何言ってんだ」

「さっきも激しかったよね。荒々しく私の腕を掴んで、そのまま……」


 先のドンパチを思い出してうっとりするサクヤ。こいつはいつも、曲解される言い回しばかりを選ぶ。いくら否定しても、界隈ではすっかりそういう仲だと思われているらしい。

 腕を掴んだのに、そのままぶっ放してきたのはどこのどいつだ。


「いいねえ。僕もあと二十年若ければ……」

「帰るわ」

「待って、わるかったよお!」


 慌ててペリエの瓶とグラスを差し出し、おっちゃんが人懐っこい笑顔を浮かべる。シェーカーはミルクを温めているようだ。本気のバーテンダーに怒られそうな使い方である。


「別に俺に拘らなくても」

「そこはほら。信頼の厚いお客様優先だよ」

「ナルカミさん、愛想悪いくせに支払いはきっちりしてるから、丁度いい金づるだもんね。口も固いし」


 支払いと愛想は関係無い上に、聞き捨てならない単語が飛び出した。にやにやして反応を窺うサクヤとは視線を合わせず、グラスに口をつける。


「で? 何かわかったのか?」


 俺がおっちゃんに依頼……というか、個別に話を通しているのは、ヒト捜しとモノ探しの二つ。

 どちらも、言い方は悪いが、ここで見つかるとは思っていない。ちょっとした保険のようなものだ。


「興味津々のようだね。賢者の石って知ってるかい?」

「ああ。なんだ、そんなもんか」

「いいんだ。知らなくても無理はない。この街でも僕を含めて限られた人間しか知らない情報だからね……ってええ!?」

「別に要らねえけど、回収しとくか」

「待って待って。もう少し驚いてよお」

「そう言われてもな」

「あ、でも名前を知っているくらいだろう? なんとそれさえあれば、神の金属オリハルコーンが造れるという噂だよ!」

「あれじゃ出来ねえよ、そんなもんは」


 その名前には組織で聞き覚えがあった。元々は研究対象とされていたモノの一つである。中身は液体。石ではなく、賢者の意志が本来のだ。

 発見当初は、あらゆる金属の強度や性質を変える可能性がある、と期待されていた。神の金属等という噂があるなら、その頃の名残だろう。

 蓋を開けてみれば、鉄だか銅だかの強度を少しばかり増してくれる程度で、研究終了となっていたはずだ。


「サクヤ、どう思う?」

「知らなーい」

「いやいや。知らないって事はねえだろ」

「ふんだ」

「はあ? なんだよ、何ふくれてんだ」


 頬をぷっくりと膨らませてそっぽを向くサクヤ。家を出た時は、というかついさっきまで上機嫌だったではないか。訳がわからない。


「Aランクのネタだと思ったのに……はあ」


 その向かいで、熱々のミルクをカウンターに置きながら、おっちゃんが溜め息をつく。ここの情報は、独自にランク付けされている。その為、想定以上にぼったくられる事はない。

 良い意味でも悪い意味でも「そのネタがそのランクかよ」という事はままあるが、そこはまあ、ご愛嬌だ。


 勝ち誇った含み笑いから一転、おっちゃんは今にも泣き出しそうだ。わかりやすくて、実に平和な気持ちになる。

 これが、明朗会計ともう一つ、おっちゃんを気に入っている理由だ。嘘が下手で、情報料を支払う前から概ね全貌が掴めてしまう事すらある。端的に言えば、裏の仕事に向かない良い人なのだ。


「まあ良くてCってとこか」

「そんなあ」

「あっそ、じゃあAでもなんでも吹っ掛けてろよ。売り損ねて丸損だ」

「うひゃあ」

「アタリが付いた以上、少なくとも俺は、自力で調べられる」

「……だろうね」

「そこをCなら買ってやろうって言ってんだ。これ以上ふんだくったら罰が当たると思わねえか?」

「うーん。しかし」

「おっちゃんの懐はそれなりにあったまるし、俺も手間が省ける。お互いハッピーだろ」

「でも」

「まいどあり」

「え、ちょっとお」


 この通り、いつの間にか攻守が逆転している事もざらだ。適当なところで引退して、カクテルとつまみの腕でも磨いて余生を過ごしてほしい。


 それはさておき、賢者の石には別の、凶悪な効能がある。無味無臭で検出もされにくい、優秀な毒薬なのだ。

 そして何を隠そう、毒としての効力を検証したのはサクヤである。知らない訳がない。積極的に回収を申し出たのも、気を遣ったつもりだった。


「んじゃ行くか。見つけたら、後は好きにしろよ。それでいいよな?」

「ふーんだ」

「何だよさっきから。今日はとりあえず帰るぞ」

「やだ」

「はあ?」

「……したかったのに」

「何を」

「乾杯。一緒にしたかったのに勝手に飲んだ」

「勘弁してくれ、そんな事で」


 目を合わせようともしないサクヤと、息を吹き返してニヤニヤしだすおっちゃん。「ここはナルカミくんが男を見せないとね」等とのたまっている。


「ミルク。おかわり」

「はや、もう飲んだのかよ」

「一人で帰れば。私は私で好きにするから」

「そうか。じゃあお先」

「さよなら」

「おう」

「あーあ! そしたらさ!」


 席を立った俺のシャツの裾をぐっと掴んで、サクヤが大きな声を出す。なんなんだ、全く。

 サクヤはじと目で真正面を見据えたまま、すうっと息を吸い込み、ぴたりと止める。そして、一気にまくしたてた。


「そしたらさ。さっきからチラチラ見てくる変なおやじとキモいおにーさんにバカみたいな笑顔で付いていって、人気のないところで腹いせに、ナルカミさんに意地悪された腹いせにそいつらをべこべこにして」

「おい」

「文句があるならナルカミってやつに言いに来い。いいかナルカミだぞ間違えんなよって、名前とか電話番号とか恥ずかしい自撮り画像とかをありったけばらまいて、道行く人にもすりよって連絡先代わりにナルカミコレクションを送りつけて」

「おいって。あれ撮ったのはお前だろ。っつうか消してなかったのかよ。消せ、今すぐ」

「それを十人くらい繰り返して、飽きたらそのまま一週間くらい街を出るね。あ、心配しないで。ナルカミさんのクレカと口座はどこからでも使えるから。早く暗証番号変えた方がいいよ、あんな簡単な数字の羅列にしてるとか頭の中が生煮えなんじゃないの。まあ変えても無駄だけど」

「……とりあえず、すげえ厄介なのはわかった」

「ほら、帰れば」

「どうすりゃ満足なんだ」


 後から口をついて出そうになった「めんどくせえな」の一言をどうにか呑み込む。笑いをこらえるおっちゃんを一睨みして、座り直した。


「乾杯する」

「したら、大人しく帰るか?」

「うん」

「おっちゃん、ホットミルクとぺリエ」

「はいよ。なんだかんだでサクヤちゃんのわがままは聞いてあげるんだねえ」


 いやあ、いいねえ。羨ましいなあ。

 しきりにはずんだ声を出すおっちゃんをもう一睨み。ついでに、話に出てきた変なおやじとキモいおにーさんも確認しておく。もちろん店内にそんな輩は見当たらない。


「ほらミルク」

「わあ。いいの? ありがと」

「なんだそのリアクション。すげえな、ある意味尊敬するわ。はあ……じゃあカンパイ」

「えへへ、かんぱーい! 今日も一日お疲れ様!」

「早く飲めよ」

「ゆっくり。熱くて飲めない」

「嘘つけ。さっきは意味わかんねえ速さだったじゃねえか」

「おかげで今は猫舌」

「うるせえ、何のおかげさまだ」


 適当に早くしろよ、と声をかけ、財布を取り出す。


「おっちゃん、先に会計。ネタ代も込みにしちゃっていいよ」

「ああ。お代は要らないよ」

「断る」

「ええ!? まだ何も言ってないのに……」

「そのかわり、だろ?」

「すごい! よくわかったね」

「すごい! じゃねえんだよ。断る。いくらだ」

「そんな怖い声出さないでよお。今日はある意味、こっちが本題なんだ。ほら、サクヤちゃんからも頼んでくれないかな?」

「聞くだけ聞いてあげようよ。ナッツおかわり」

「おい。ナッツ一皿で俺を売るのか」


 ぱっと顔を輝かせたおっちゃんが、すぐさまナッツをざらざらと盛りつけにかかる。まあいいか。面倒そうなら断ろう。聞くだけ、聞くだけだ。


「受けるかどうかは知らねえぞ」

「そう言ってくれると思ってたよ! 実はね」


 そうして、おっちゃんは話し始めた。ここ最近で一番の、厄介事を。


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