第4話:特異種
「待て、話を」
「聞けません」
「ああくそ。どいつもこいつも。俺の話をマジメに聞こうってやつはいねえのか」
首を振り、お構いなしに撃ち込まれた弾丸を避ける。ぶらりと下がった左腕を右手で押さえて後退した。
利き腕をやられたのがとにかくまずい。裏路地の隙間へ滑り込み、手近なビルの非常階段を一気に駆け上がる。
月は淡い光を湛え、視界も十分だ。逃げ切れるか。サクヤは上手くやっているだろうか。
くそ、どうしてこんな面倒な事になったんだ――
「パス。他のやつに頼めよ」
「え、ちょっと待ってよお」
もったいぶって口を開いたおっちゃんの話はこうだ。
特異種だと名乗る女を成り行きで匿う事になった。自分の手には余るから、手助けしてくれる人間を探している。俺が適任だと思い、連絡をした、と。
俺は確かに、特異種になっているであろうある人物を探している。しかし、この話をおっちゃんにした覚えは無いし、するつもりも無い。お互いにリスクしか生まないのなら、沈黙が金だ。
「おっちゃんさ、悪い事は言わねえから手を引けって」
「そうはいかないよ」
「なんで」
「約束したんだ」
拳を握って天井を睨むおっちゃん。こんなところでイイヒト症候群か。溜め息しか出てこない。
このおっちゃんは、情報屋という基本的に中立の立場にいながら、悪い癖がある。気に入った相手には、老若男女を問わず、どっぷり首を突っ込んでしまうのだ。
そこが憎めないところでもあるし、大抵の事なら「しょうがねえな」で引き受けたりもするのだが。
「そいつ絶対やばいって」
「会ってもいないのに、そんな言い方しなくても」
「そーだそーだ」
「サクヤ、黙ってろ」
そもそも特異種という単語自体が、組織の造語だ。普通ではない身体になり、ある程度以上の理性を保っている者の総称。それだけ。
自我をなくして彷徨う者は通常種、そこに何らかの変異が見られれば変異種と呼んではいるが……明確な基準は無い。
「ほら、何かあったら教えてくれって言われてた女性だけど」
「ああ」
「その子の特徴にも似てる気がするんだ」
「今回は他人の空似でいい」
「うう、取り付くしまも無い……」
特異種は自我を保っているとは言え、攻撃性が増している事が多い。俺だって、人の事を言えない時もある。
見ず知らずの特異種を匿うなんて、こちらからすれば正気の沙汰ではない。
また、そいつがただの人間で、偽者だった場合。おっちゃんを手玉に取る程度の嘘にその単語を選ぶ辺りが、もうやばい。
つまりどちらにしても、そいつはまず間違いなく、危ないヤツなのだ。
「じゃあな。ごちそうさま」
「わ。待ってよナルカミさん。お手洗い」
「……先に出てるぞ」
ペリエとホットミルクの代金を置いて立ち上がり、「ネタ代は後で振込みな」と吐き捨てた。今日はこれ以上、話になりそうにない。
「ごめんね。腕は確かなんだけどこんな感じで……直接話してみてくれないかな」
「はあ? 何言ってんだ」
「そうします。すみません、ありがとうございます」
「なんっ……」
入り口側、カウンターの奥からゆらりと女が現れた。本当に冗談ではない。本人を、連れてきていたのか。
店内に他の客はいなくなっている。俺は即座にベルトから銃を抜き、女に照準を合わせた。
「ルール違反が過ぎるんじゃねえか? くそじじい」
「ごめん。でもね」
「でもじゃねえ。あんたとの付き合いは考えさせてもらう」
「そんな、だって」
「うるせえ。死にたくなきゃ、馬鹿みてえに床にへばりついてろよ」
「ひあ」
怒気を乗せた視線を叩き込む。膝から崩れ落ちたおっちゃんは、そのまま床に這いつくばった。これで何かあっても、よっぽど運が悪くなければ死にはしないだろう。
問題は女の方だ。肩の下まであるアッシュブラウンの髪と、金色の瞳。白のトップスとパンツに、グレーのロングカーディガンを羽織っている。透き通るような肌は、まるで。
――まるで、生きていないかのような。
「そっちのあんた」
「はい」
大体、似すぎている。俺の探していたあいつに。こんな場所に、いるはずのないあいつに。
ざわつく胸の内を悟られまいと、努めて低い声を出した。
「用があるなら手短に話せ。妙な動きをしたらぶち抜く」
「乱暴ですね」
「こっちの台詞だ」
下手をすればターゲットに早変わりしそうな輩のくせに。どの面を下げて店にまで顔を出したというのか。
「どうやら」
「ああ?」
「話す事は無さそうです」
「そいつは良かった。じゃあさっさと消えてくれ」
「そうはいきません。だってあなたは……いえ、あなたも」
「おい」
余計な事を言うな。おっちゃんは俺を、一応は人間としてカテゴライズしているんだぞ。
小さな願いも空しく、女は表情を変えずに続けた。
「特異種ですよね? 私より汚染も進んでいるみたい」
「汚染ってなんだよ、一緒にすんな」
「優秀な人間の方だと聞いていたのに、これでは困ります」
「奇遇だな。俺も今、めちゃくちゃ困ってるとこだ」
「排除……するしか無さそうですね」
女が、諦めにも似た薄い笑みを浮かべた。纏う空気に変化は無いが、おもむろに取り出されたモノを見て、肌が泡立つ。
「それをここで撃ちまくろうってのか」
「ご心配なく、すぐ終わります」
「だいぶイカれてんな」
店内に流れる柔らかなジャズ。それとは全く釣り合わない、無機質な威圧感を放つマシンガン。一人なら問題は無いが、今はサクヤと、ついでにおっちゃんがいる。
「世も末だな。そんなもんを気軽に持ち歩けんのか」
「あなたが街を徘徊している方が、よほど問題です」
「俺は暴れたり、一般人に手を出すつもりはない」
「どうでしょうか」
「あんたも同じ主義なら、場所を変えねえか?」
「……その言葉に」
「嘘はない」
俺は銃をしまい、両手を上げてみせた。
場所を変えてお話出来るなら良し。駄目でも、どの程度で撃ってくるかでイカれ具合の目処が立つ。
「わかりました」
女が両腕を下ろしたその時だった。脇のドアが開き、勢いよくサクヤが飛び出してくる。手には、わざわざ家で準備させた拳銃がしっかりと握られていた。
「私のナルカミさんに、変な事しないでよね」
「ばかよせ」
「くっ、あなたも……!」
ばら撒かれる銃声と硝煙。俺は改めて銃を引き抜くと、サクヤの前に出て弾を受けた。
こいつは俺ほど頑丈には出来ていない。本人の言う通り、ほぼ人間だ。サクヤがカウンターの裏に飛び込んだのを確認して、それに続く。
「あーあ。怒らせちまった。仲良くお話出来そうだったのによ」
「信じらんない。帰るとか言っといてなんでナンパしてんの。ばかなの」
「そんな色気のある話じゃねえんだよ」
「鼻の下伸ばしてたくせに」
「いっぺん眼科に行きやがれ」
言い合いを始めた俺達に、苛立ちのこもった破裂音が迫る。千切れ飛ぶ木片に、おっちゃんの悲鳴があがった。
「裏から出ろ」
「ナルカミさんは?」
「適当に引き付ける」
「やだ」
「なんでだよ」
「私がいなくなったら、口説く気なんでしょ」
「まだそのレベルで話してんのかこのやろう」
顔を引きつらせる俺に、サクヤが満足げに笑ってみせた。乱射されるマシンガンと、幸せそうな笑顔。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
「さっきも身を挺して助けてくれたね」
「言い方が仰々しいんだよ」
「えへへ。今も先に逃がそうとしてくれてるよね」
「本人にその気が無さそうなのが問題だ」
「ありがと」
「……なんだよ」
「上手くやってね。口説いちゃ駄目だからね」
「お前な、だからそういう」
言いかけたところで、数発の威嚇射撃を置き土産に、サクヤが店の裏へするりと消えた。流石というか、何と言うか。
それに気付いた女が、弾丸を引き連れて前に出てくる。狙いは煩雑で、武器に振り回されている感じだ。これなら。
俺は飛び出して、店の出入り口へ走る。
「そんなんじゃ、殺れるのはおっちゃんくらいだな」
「は、速っ……」
「危ねえ玩具は没収だ」
数発の弾に刻まれながら、構わずに接近し、マシンガンを蹴り上げた。宙に浮いた凶器を右手で掴み取り、左の銃口で女を睨みつける。
「じゃあな」
「行かせません……!」
「やめとけって」
銃口を向けられながらも、一回り小さな銃を必死で構える女。きっと、退けない事情があるのだろう。
しかし、特異種だと見るや、有無を言わさず襲いかかっていくようでは話にならない。関わり合いになるのもごめんだ。
「まだやるってんなら、腕の一本は覚悟してもらう」
細い指が引き金にかかる。言っても無駄か。全く、面倒だ。乾いた音と共に射出された灰色のつぶてを目で追い、左肩で受ける。
お返しに、ゴム弾を女の二の腕に叩き込むべく、引き金を――
「ああ?」
力が、入らない。合わせたはずの照準がずるりと落ちる。
肩に空いた穴は塞がらず、それどころか傷口が溶けてきていた。即座にマシンガンを捨て、背中の銃を右手に取り出し、肩口に撃ちこんだ。
女に視線を戻す。冷たく光る瞳に怯えの色は無く、腕の震えも消えている。
狙いの雑な乱射も。マシンガンをあえて俺に奪わせた事も。小ぶりの銃と怯えの色も。この一発を差し込む為の演技だったとしたら。
「やってくれんじゃねえか」
「……当てたのに、死なないなんて」
「お。そっちはそっちで予想外か。ざまあみろ」
中和弾を入れたのに、溶けた傷口が塞がる様子は無い。これを続けてくらったら面倒そうだ。
女が無言で引き金を引いた。心臓目掛けて弾丸が飛んでくる。距離が近い。避けきるのは無理か。
身を捻り、左腕で受ける。どうせしばらく使い物にならないのなら、コレを盾にするしかない。
足元のマシンガンを女に向けて蹴りつけ、中和弾入りの銃を背中にしまう。落とした銃を右手で拾い直すと、出入り口の階段へ飛び込んだ。
――案の定、やつは追ってきて、片腕で逃げ回る羽目になっている。
女の照準は正確なものに変わり、俺の服にいくつかの穴を空けていた。マシンガンなら、別に何発くらっても問題は無い。痺れを切らしてもう一丁を撃ってきた場合のみ、確実に避ける。
とは言え、頃合だろう。隠れる場所の無いビルの屋上で、対角線上に対峙した。
「ようやく諦めましたか」
「んなわけねえだろ。なあ、そっちの。小さい方の玩具はどこで拾った」
当然、女は答えない。左腕の具合を確かめるが、やはり回復の気配は無かった。溶け出すのが止まっただけでも、ずいぶんマシか。
ナルカミさんは自分の身体に頼りすぎ。いつか痛い目にあうんだから。そう言ってニヤニヤしていたサクヤの顔が脳裏をよぎる。なるほど、反省だな。
「誤解をときたい」
「結構です。害をなす特異種は排除する。それだけですから」
「だからそういうとこだろ、石頭が」
「話す事は、ありません」
「あっそ。まあいいや」
左右を見渡し、予測を確信に変えて口を開く。
「じゃあ一つだけいいか」
「駄目です。今更、命乞いなんて」
「はは、命乞いだって。リアルでそんな台詞を聞けるとはね」
俺は今日、組織の下っ端を適当にあしらってきた。やつはおそらく、俺の存在を触れ回り、都内にある程度の人数を集めたはずだ。
そこに、尋常ではない銃声がすると通報でもあれば。表向き、街の治安を守っている(実際そういう側面もあるのだが)組織が動かないはずが無い。
「あんたさ、何発か弾を飲んでも平気だったりすんの?」
「なんですって」
「そうじゃなけりゃ、頑張るんだな」
四方のビルをいくつもの影が蠢く。地上にもいる。俺の予想以上に、団体さんで来てくれたらしい。
「気付いたか? しっかり囲まれてる。せいぜい上手くやんなよ」
口角を不敵に持ち上げ、俺はビルから飛び降りた。サーチライトの明かりと、無数の破裂音をビルの壁面になぞらせて。
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