第7話:邂逅
ぐう、と縮み、ぎゅう、と伸び、ゆっくりと。
ドアの奥から染み出してきたのは、どろりとしたヒトガタの流線形だった。浅黒く透けたゼリー状のそれの大きさは、ヒト三つ分程度。
体内を不規則に動く赤い目玉らしきものが二つに、臓器だったであろう波を打つ塊が、いくつか。鼻や口、耳は無い。
それでも確かにヒトであったのだと、認識出来てしまうフォルムに不快感を覚える。
狂気の塊。陳腐な言葉と共に沸き上がる怒りは、どこへ向けられたものか。どこへ、向けるべきものか。
「何……あれ」
「元、人間様ってやつ」
「気持ち悪い」
アミーの言葉が、軟体のソレ自身より、その背景へ向けられたものである事を感じとり、苦笑する。全く、同感だ。気持ち悪いったらありゃしない。
「でもあれならすり抜けられない? 動きも遅いし」
「いやいや、思うつぼ。あっという間に喰われるぞ」
おそらくあの緩慢な動きはフェイクだ。先にたっぷり出ていた敵意と殺気が、それを如実に物語っている。
今はヒトの形をしたあれが、どう動いてくるか。後ろにはアミーもいる。通す訳にはいかない。
とりあえず、向き先を変えておくか。「いいから下がってろよ」と投げ捨てて、広い通路の端を駆ける。
「さて、どうしてくれんのかね」
何しろ相手の射程距離すらわからない。出来る限り気配を読んで、こちらの射程の境界を目指す。
銃口は向けず、油断した風を装い、スピードを落として近付いた。もう少し、というところでヤツの赤目がこちらを捉え、細く歪む。
「はは、笑ってやがんのか」
足は止めず、加速して間合いに突っ込む。銃を構えた。引き金に指をかける。ヤツは動かない。指先に力を込め、鈍く光る鉛弾を走らせた。
熱した鉄板に肉を押し付けた音に腐臭をのせて、ヤツの一部が蒸発する。
「効いてない!」
「みてえだな」
続けて数発、叩き込んだ弾丸はいずれもヤツの体を溶かしていく。しかし、アミーが叫んだ通り。赤い目玉も臓器の某も、損傷は無い。
正確には、当たっても溶けないのではなく、体内で避けられている。俺の弾は、濁ったゼリーにめりこんでいるだけだ。
「……っ!」
次弾を発射しようとして、無意識に後ろに跳んでいた。つい先程まで俺がいた場所の壁に、アーモンド型に変形した赤い目玉が突き刺さっている。
半歩、遅れていたら串刺しになるところだった。身体ごと跳んできやがるとは。
「くそ。本格的に人間やめさせられちまったか……加減はしてやれねえけどな」
今のヤツの姿は、ヒトガタのそれではない。赤い角の生えた魚類とでも言ってやるのが一番近いかもしれない。
「アミー。さっきの無しだ」
「え?」
「ちょっとじゃ足りねえ、だいぶ下がってろ」
壁から抜け出すべく、伸縮を繰り返すそいつの胴体を狙って弾丸を撃ち出す。臓器の塊が詰まった部分。
「まあ、そう上手くはいかねえか」
がら空きの塊に弾は届かなかった。残ったもう一つの目玉が弾丸を受け止めたのだ。泡は立つが、完全に溶けてしまう事はない。
かなりの硬さと耐性を持っているようだ。しかも、溶かしたそばから、外側のゼリーが修復にかかっているではないか。
壁から抜け出し、ヒトの外形を取り戻したヤツがこちらを向き、全身を震わせる。咆哮のかわりに響き渡る重低音が、腹の奥を突き上げる。後ろで、アミーが小さな悲鳴をあげた。
「おーお、怖いね。でもアホだな。その辺が弱点ですっつってるようなもんじゃねえか」
威嚇までやっておいて、実は先端の目玉が弱点でした、なら大したものだ。しかし、だいぶ本能に傾いているこいつにそれは無いだろう。
臓器某のどれかだと思われる
身を絞り、ヤツがヒトから一本角の異形へと姿を変える。直線上にアミーが入るのを避け、置いてけぼりの左腕を取られないようにも気を配った。
「まいったね、どうも」
何度目かの突撃をかわしてぼやく。隙だらけに見えてよく出来ている。二つの目玉が攻守にしっかりと振り分けられていて、上手く弾が入らない。シンプルイズベストとはよく言ったものだ。
そろそろ、本当に無駄弾も撃てない頃合。残り時間も多くはないだろう。まさにジリ貧。全く、厄介だ。
「欠片を、狙って」
後ろからぽつりと聞こえたアミーの言葉に驚きつつ、やはり、と思う。サクヤを初見で特異種だと言い当てた時から、予感はしていた。
色素の抜けかけた金髪に灰色の瞳。俺を見て、普通ではないと言うのであればまだわかる。
しかしサクヤは黒髪。襟足の赤だって自分で染めている。瞳もカラーコンタクトだと言い張れる程度の色合いだ。
それをあの一瞬で「あなたも」と言ったのだから。何かが、視えていてもおかしくはない。
ここはひとつ乗せてもらうとしよう。
もし駄目でも、思いついていた手のいくつかを順番に試すだけだ。
「あのぐちゃったモツのどれかじゃねえのか」
「違うの。それの脇。右端に浮いてる欠片の、一番小さいのがそう」
「うわ、あれかよ」
これ見よがしな赤い目玉が、わかりやすく守っているように見せていた臓器のような何か。その影で、何でもない振りをしていたヒトヒラが核だと言うのだ。
「ありがとな、正直ちょっとやばかった」
「……どういたしまして」
「よーし。借りたからには返すまで、死なねえようにやってみますか」
視える事を話しても良かったのか。そんな浮かない顔のアミーを横目に、突進をかわす。
ヤツが再び、全身で雄たけびをあげた。俺を仕留め切れない事に苛ついてきたらしい。今までより更に身を縮め、先端の紅色を研ぎ澄ませて、力を溜めているようだ。
敵意と殺意と、好奇心。
ああそうか。ヤツ自身も、ここまで暴れるのはきっと初めてなのだ。自分がどうなったのか。何が出来るのか。どこまで、出来るのか。
確かめながらやっていたという訳だ。
「遊びは終わり、か。悪くない」
トントン、と靴先でリズムを刻む。やはり左腕に力は入らない。もうコレはいいか。俺はにやりと笑い、足を前へ出す。アミーから離れる方向へ、壁の際をつたう。
限界まで縮んだヤツが、爆ぜた。速い。狙いは一直線に心臓か。
右半身を前に出す格好で身を捻り、そこから少しだけ逆回転を加える。ヤツの射線上に、ぶらりと揺れる左腕を差し込んだ。
「やるよ、それ」
貫かれ、持っていかれた腕の継ぎ目が、質の悪い音を立てる。
初めての突進成功に歓喜の声をあげたヤツが、戦利品である俺の左腕を天井にかざす。瞬間、目玉だと思っていた先端が二つに割れ、千切れた腕が噛み砕かれた。
なんだ、口だったのかよ。随分と下品な喰い方だな。
心の中で毒づき、肩の軋みに抗って身体をヤツに向ける。押し切れ。ここで吹き飛ばされたら喰われ損だ。
「最後の晩餐が、汚ねえ腕で悪かったな」
食事に夢中になっているヤツの懐に飛び込んだ。右腕を振りかぶり、ヤツの体内へ突き刺す。
肩口までめりこませ、アミーが核だと宣言した肉片の前にぴたりと銃口を合わせる。差し込んだ腕が濁ったゼリーに溶かされていくが、お構いなしだ。
赤い目玉、改め笑っていた口が歪み、必死の形相に変わる。ガード役の塊も、銃口と核の間に割って入ろうと動き始めた。
「色々おせえよ、ばーか」
引き金を、三度引き絞る。核の蒸発と同時に全ての制御を失ったソレは、地に飛び散って動かなくなった。
完全にヤツの全てが色を失ったのを確認して、アミーに振り返る。どうやら追撃もまだのようだ。ここにコイツがいた以上、近辺に大物はいないはずだ。
少し進んで上に出てしまうか。しばらくはまともに撃てそうにないが、脚は使える。逃げ切るには十分だ。力の入らない右腕でなんとか銃をしまった。
「よし行くか。こんなとこは早く――」
「だめ、後ろっ!」
「ああ?」
首を回しきらない内に、俺の胸から青白い腕が飛び出した。細くしなやかな五本の指には、脈打つ心臓が握られている。
「ごめんね。久しぶりなのに」
「て、めえ……」
なんて事しやがる。
そう抗議する間もなく、掴まれた心臓が丁寧に握り潰され、そっと腕が引き抜かれる。
「お願い。この件……彼女からは手を引いて」
揺れる視界に飛び込んできたそいつは、見覚えのある顔で、今にも泣きそうな笑みを湛えていた。
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