流れにその手を浸して


 流れに両手を浸し、そっと掬い上げる。


 俺達の世界は常に動いてる。流れている。
 目に見えるものも、見えないものも。
 忙しそうにしている皆が流れを掴もうと必死に生きているけど、その手に捉えられるものなんて多くはないんだ。

 両手を振り回し、もがき続ける人が多い中、作者は流れを捉えるのではなく掬い上げる事を選択したみたいだ。
 きっと気が付いたんだろうな。掴めないようなものだって、そっと掬えば手の中に入れられる事に。前に後ろに流れ去ってしまうものも、優しく掬えば、いっときだけ留めておけることに。


 でも、掬っただけではすぐに零れていってしまう。それは自然な事で、流れをずっと自分の側に置く事はできないんだ。誰にも、さ。

 だから作者は、真っ白な紙に掬った流れを染みこませていく。
 紙に映し出されるのは、五感を刺激するけどはっきりと名前の付けられない色たちだ。
 淡い色があれば、深い色もある。優しい色、激しい色、燃えるような色。複雑に波を打つ世界の中で琴線に触れた流れの色。
 多分、俳句って答えを持たない句なんだと思う。読んだ時に感じた感覚が、そのまま答えになるんじゃ無いかな。俳句はよくわからないって人もいると思うけど、それでいいんじゃないかな、きっと。意味を正確にわからなくても、色や匂いみたいな雰囲気は感じられると思う。それがそのまま正解になるんだ。
 誰かに句の意味を聞いてしまうのはもったいないから、句から思い浮かんだ感情、感覚を大事にしてみて欲しい。正しい、間違ってるとかは気にしないでさ。
 色紙はしっかりと染まっているから、必ず五感に触れるはずだ。自然体で雰囲気を感じられるようになると、一気に面白くなるぞ。


 流れがこぼれ落ちていって、色だけが残った紙に、作者は言葉を乗せていく。
 ほんとうに素直な気持ちが表れているから、読んでいて安らげるんだよな。妙に考えたりする必要は無いし、抵抗無く心に染みこんでくる感じで。作者の心の柔らかさに要因があるんだろうな。

 そして、その時々の言葉を乗せても、色紙を破る事も滲ませる事もなく、当たり前のように同化させてるのが凄い。多分、作者が流れを掬うときに、素手で掬っているからなんじゃないかって思ってる。
 バケツとかで掬えば早いだろうに、作者は必ず素手を流れに浸すんだ。流れの温度、速さ、向き、そんな感覚全てに直接触れる尊さを大切にしている。肌で感じているから、その時の感覚を自分のものに扱えて、染めた色を邪魔しないよう綴る事ができる。


 もちろん素手だから掬えないときもあると思う。
 時間の流れが速すぎて指の間からすり抜けてしまったり、世間の冷たすぎる流れに指がかじかんで動かせなくなったり。
 それでもきっと、作者は手で掬おうとするんだろう。
 時折見せる強い色が、そんな事を思わせるんだ。



 ふっとどこかで触れ合えた色。
 名称のない色で染めた小さな紙に、素直な言葉を乗せたような作品。
 この先もたくさん綴られていくんだろうな。

 じゃあさ、この作品はどこに行き着くと思う?
 俺は四季になると思ってる。
 この果てしなく高い空よりもっと大きくて、あおいあおい四季だ。
 魅力的な色で染められた、作者だけの四季。

 きっとその色は、描写できない色模様なんだろう。
 だから俺は描写する事を諦めて、素直に、こう声をかけるんだ。

「いい色じゃん!」

 って。



 ここにはみんなが忘れていった色が置いてあるかも。
 いつかどこかに置いてきてしまった色を掬い上げる、そんな読み方もいいかもしれないな。

 一話ずつ、ゆっくりと読んでいきたい作品だ。


 深麓

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