ミコの影帽子 夢心背話

心環一乃

第1話 水の名所にやってきた旅人

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 人々も、神様も、世界中が探し始めた。その女の子を。

 

 すべてを知ってる女の子を、それぞれの目的のために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。

 

 

 世界に三つある水の名所、アルコ村。

 文明レベルも低い一局地の地名ながら、その名声は、世界中に知れ渡っている。

 その名声の源泉は――産出される水の美味しさ。

 飲めば若返る、病気が治る。寿命が延びるとも噂されるほど、アルコ村の井戸や泉から湧き出る水の美味しさ、効能は広く世に知られていた。

 そんなアルコ村の名水を目当てに、訪れる旅人は多い。輸送して他の地で入手したものではなぜか不味くなるので、現地で飲むのが重要なのだ。

 だから、アルコ村は観光業で潤っていた。

 そして、またある一人の女の子も、アルコ村にやってきた。

 

「あ、いらっしゃいませー」

 アルコ村の数ある宿のひとつで来客を知らせる鐘の音と、老朽化して立て付けの悪い扉を開ける独特の音が響く。中でそれを聞いた看板娘のフランがあいさつしたのだ。

 しかしその音は唐突、かつ意外なものだった。フラン自身、この時期に客が来るとは思っていなかったのだ。

 夕暮れ時でもないし、ましてや今のアルコ村は……。

 ともあれ、いろいろ事情があってもそれを匂わせないのが看板娘。フランは書き物をしていた机からめいいっぱい愛想のいい、満面の笑顔でお客の側へと振り向いた。

 振り向いて――驚いた。

 そこに立っていたのは白い服に色とりどりの七色をあてがった、清純、いや神秘さえ感じさせる服に身を包んだ女だった。女の子というほど幼く見えないけど、成人というふうにも見えない。身長からも顔つきからも、年齢が全く伺えない。

 なにより奇妙で驚かされたのが、頭である。身体はそんないいものを着ているのにも関わらず、頭に被っている帽子は――おとぎ話の魔女が被るかのような奇天烈で気味の悪い、黒一色にがま口チャックのついた頭ひとつかふたつはあろうかという、とても大きな帽子だった。その真っ黒な帽子が薄紅色の髪と異様な対比をなす。

 それに手ぶらでいかにも旅人っぽくは見えないその女の子。

 それが、今日この宿を訪れる、二人の客人の一人目だった。

「あ……あの」フランは見た目に戸惑ってしまい詞をうまく紡げなかった。

 すると、女の子の方から話しかけてきた。透き通るような、潤った声で。

「泊まりをおねがい」

「あ、はい。一名様ですか?」辿々しくも、必要事項を訊いてみる。

「連れがいるように見える?」返ってきたのはやや毒のある返事。フランは迂闊な質問をしてしまったことを知り、謝罪もほどほどに慌てて引き出しから記帳を取り出す。

「それでは、ご署名をお願いします」

「ええ、わかったわ……」女の子は流れるような足取りで机ひとつ隔ててフランのすぐ近くに来ると、フランが差し出していたペンを拝借し、自身の名前を記入した。

 

 巫=R=フローレセンス――と。

 

 フランは最初の字が読めなかった。おそらくこれが名前なのだろうと思ったが、読めないものは読めない。無理もない。アルコ村では漢字は使われていないからだ。

「すいませんお客様、この字はこの村では使われておりませんので、できれば最初の字もカタカナで……」

「あら、そうなの? これは失礼」女の子の顔がその時だけ少女のようにパッと華やぐ。読めない巫の字に二重線を引き、その上に、カタカナでこう記入した。

 

 ミコ――と。

 

「ミコ……さん?」フランは思わずその名前を復唱していた。限りなく小声だったが、机ひとつしか隔ててないその女にはまる聞こえだったらしい。

「そうよ、ミコ=R=フローレセンス。それがわたしの名前。そういえばわたし……あなたの名前を知らないわ」

「あ、はい! 申し遅れました。わたしはこの宿で働いているフランと申します」

 指摘されたフランは慌てていた。する必要のないお辞儀までした結果……。

 ゴン!

 盛大に机に頭をぶつけてしまった。

「いった〜い」

 逃げるように机から頭を起こしてぶつけた場所をさするフラン。それを見て、ミコがくすくすと笑った。涙目のフランにはもう泣きっ面に蜂だった。笑われていることに思わずムキになり、こんな火種を巻いてしまう。

「な、なにも笑うことないじゃないですか。わたし、痛がっているんですよ?」

「え〜、だっておかしいんだもの。フラン、さすっている手に目をやってみて」

「ん……?」

 フランが訝しがりながら言われた通りに、さすっていた手を降ろしてみると……。

 真っ黒だった。そう、フランが頭をぶつけたのはミコが今さっきまでインクを走らせていた記帳の紙の上だったのだ。

「あわわわわ!」手よりも頭の方が気になったフランは、慌てておでこを両手で隠す。

「洗ってきた方がいいわ。待っているから」ミコが笑いつつも、優しく提案してくれた。

「すいません、すぐに戻ります!」

 フランは急いで洗い場へと駆け込んだ。背中越しに、「急いでないわ」とミコの気遣う声が聞こえてきたが、看板娘としてそうはいかない。仕事はできる限り迅速に。それが宿で働く娘の心構えだから。

 

「本当にすみませんでした……」額と両の手を洗って戻ってきたフランが、控えめにお辞儀し、ミコに詫びる。

「いいのよ。そういう恥ずかしい経験、わたしにもあるもの。奥から聞こえたわ、おかみさんらしき人の豪快な笑い声」

「はわわ……」フランは恥ずかしさに顔が真っ赤になる。普段お世話になっているおかみさんをこのときばかりは、ちょっと恨んだ。

 いけない。

 フランは頭を振って余計な邪念を振り払い、自分を立ち直らせて接客に戻る。

「それで、何日間お泊まりですか?」と。

 そしたらミコは、こう答えた。

「そうね、ここのお水が美味しいって聞いたからから飲みに来たのよ。飲めたらもう十分だから一泊でいいわ」

 ああ……やはり知らないんだ。フランはミコが気の毒に思えた。思えて思えてしょうがなかった。

「あの、ミコさん……大変申し上げにくいのですけど、今アルコ村では、その湧き水は飲めません」

 残酷無情な知らせでも、言わずにはおけなかった。これも看板娘の役目である。

「え? そうなの」ミコがキョトンとした顔を見せた。その身に纏った神秘的な雰囲気に似合わない、とても女の子らしい表情だった。

「はい。現在アルコ村では全ての井戸と泉が枯渇しているんです。水は村の水脈とは離れた遠くの川からの汲み出しと隣村から買っているのが現状です」

「外はあんなに曇っていたけど……雨も降らないの?」

「ええ。雨はもう二ヶ月降っていません。10日前から曇り天気でそれにみんな期待しているのですが、一滴の雨も降らないんです」

 フランは窓の方を見やる。ミコもつられて視線を動かす。窓から見える空は灰色の曇り空、なのに雨は全く降らないのだ。

「そっか……、だから旅人も少なかったのね」ミコが合点のいったという感じで言う。

「はい。当初は井戸や湧き水の蓄えを振る舞えば良かったので観光も成り立っていましたが、雨が全然降らないのでとうとう蓄えも尽きてしまいました」

「そう……、またしくじっちゃったな」ミコは遠くの曇り空を窓越しに見つめながら、フランに聞かせるように呟いた。

 そして肩を竦め、こんなことを言い出した。

「じゃあ飲めるまでいるわ。急いでないしね。宿代はどれだけ払えばいいのかしら?」

「えっ、長期滞在ですか? ちょっと待っててください。おかみさんを呼んできます」

 思いもよらぬ発言である。そういうことは宿の女主人であるおかみさんに伺うしかない。フランはまた慌てて、奥の部屋へと駆け込んでいった。

 程なくして、フランは戻ってきた。恰幅のいいおかみさんを横に連れて。

「アンタかい、今日来た変わった客人っていうのは。……なるほど確かに、変わっているねえ」

「おかみさん……」隣のフランがその図太さに顔を赤くしながら肘で小突く。それをものともせずにミコのことを豪快に笑うあたり、やはり図太い。

「それで? この村名産の水が飲みたくて来たんだって? アンタ」

「ええ。そうです。すぐに飲めないのなら、飲めるまで泊めてください。すぐに雨が降ったとしても、ただちに飲めるようになるというわけではないのでしょう? 待ちますよ。わたし、待つのは慣れてますから」

「へえ〜よくわかってるねえ。こっちはもちろん大歓迎だよ。そうさね……初めてのケースだから、とりあえず週ごとに払ってもらえればいいさね」

「わかりました。じゃあとりあえず一週分」ミコはそう言って銀貨を机の上に並べる。それはアルコ村では珍しい、都で流通している鋳造銀貨だ。滅多に見ることのない銀貨を惜しげもなく出すミコを見て、フランとおかみさんは目を見開いた。

「アンタ……ひょっとして金持ちかい?」おかみさんが探りを入れる。

「え? そんなことないですよ。まあ、昔学都スコラテスで学んでいた程度です」

「へえ〜。都暮らしのエリートさんだったのかい。でも一人だから一人部屋だよ」

 これだけお金を積まれても一人だから一人部屋と言い切るおかみさん。フランはますます恥ずかしくなった。そりゃ、この宿に都のホテルみたいなスイートなどあるはずもないのだけど。

「それじゃフラン、部屋まで案内しておやり」おかみさんはそう言って奥へと戻っていった。食事の仕込みがあるためだ。

「あ、はい。こちらです」部屋の鍵を棚から引き抜き、フランは引き戸からミコの方へと出てきた。これから看板娘としてお客様を部屋へと案内する重要任務が待っている。

「よろしく、フラン」

 ミコは両手をポケットに突っ込み、余裕綽々と言った感じでフランの後についてきた。

 やっぱりこの人変な感じだ――フランは改めてそう思う。でも、旅人は千差万別十人十色。こういう人もいるのだろうと納得するしかなかった。そもそも、旅人とも思えない風貌だとも、一瞬思っちゃったけど。

「こちらになります。すぐに毛布持ってきますね」フランは一人部屋0号室にミコを案内すると、部屋の鍵を渡して、毛布を取りに下へと戻った。

 そして、毛布を抱えて、再び階段を上がろうとしたとき。

 また、客が来た。聞き間違えようのない鐘の音と木の音がしたのを、フランは聞き逃さなかった。それにしても、タイミングが悪い。自分はこれから毛布をミコの所へと運ばなければいけないのに。

 しかし他に人手もなければ猫の手もない。しかたなくフランは毛布を横に置き、先程ミコにしたように、愛想良く、接客する。

「いらっしゃいませ、お泊まりですか」

「ええ」その旅人は答えた。さっきのミコよりも余程旅人らしく見えた。鞄を持っているし、風格ありきの、妙齢の女性だからかもしれない。

「ではこちらに、ご記帳ください。あと、お代は先払いですので……」

 そこまで言いかけたとき、フランの詞は遮られた。割って入るように、その女性が喋り出したのだ。

「雨を降らせてあげるから、お代はタダにしてもらえないかしら?」と。

「ええっ! そんなこと言われましても……」フランはまた回答に詰まった。そりゃこの宿は宿代の融通が効く方であるが、まけることはあってもタダというのは前例がない。一体どうしたものだろうか。

 そうこうしているうちに、女性は記帳に名前を書いて、その紙を回転させ、フランに見せた。名前の欄にはこう書かれていた。

 

 レイン――と。

 

「私は気象一族のレイン。雨を降らせることができるわ。世界三大名水地のアルコ村に、商売として、雨を降らせに来てあげたのよ」

 それを聞いて、フランはぞぞぞと後退った。書類棚に背中を寄せても、まだ震えは止まらない。無理もない、天候を操るとされる強大な力を持つ一族――気象一族。その一人が今、目の前にいるというのだから。

「お、お、お、おかみさーん!」フランは接客も看板娘業務もすっぽかして、奥の部屋へと入り込む。最初は「仕事しな!」と怒鳴られたが、看板娘だって負けてない。村の一大事なんですと捲し立て、ようやくおかみさんを奥から引っ張り出すことに成功した。こうした大きな商談が自分には不向きなことを、フランはよくわかっていたのだ。

「あんたかい、気象一族のレインって」おかみさんがいつになく強い口ぶりで問いかける。それと同時にフランには外へ出て他の宿の主人や村長などの有力者をここに集めてくるよう指示を飛ばした。こうしたことならそれが当たり前、フランも頷き、すぐに曇り空が覆うアルコ村へと飛び出した。



 アルコ村はそんなに大きな村ではない。人口は200人もいない。その上いい居住区も場所が限られているので、村の有力者の家を巡るのはそんなに難しい仕事ではない。せいぜい10分もあれば、終わってしまう。

 そして帰ってきてさらに10分も待てば、村の有力者達が宿に全員集合となった。

 宿の一階にある酒場の中央にレインを囲んで、皆が思い思いの目でレインを見ている。半分は村の窮状を救ってくれることへの期待。そしてもう半分は何もそれらしいことをしていないことへの疑念だろう。レインは「もうすぐ雨は降る」と言うが、初対面の女の詞は俄には信じ難いもの。それだけ村人は皆待っているのだ。恵みの雨を。

 フランもおかみさんや有力者達とレインのやりとりを遠巻きに見届けていたのだが、商談途中のおかみさんにこう言われて、大切な仕事を失念していたことを思い出す。

「フラン、そういやアンタ、最初のお客さんに毛布は届けたのかい?」

「ああっ! いけない! すぐに行ってきます!」その場にいた全員が振り向くほどの大声を上げたフランは置いてあった毛布を抱きかかえ、階段を上っていった。

 コンコン。一人部屋0号室の扉をノックするフラン。すると、「開いてるわ」と、ミコの返事が聞こえてきた。よかった、怒ってはいないみたい――フランはちょっと勝手に安堵しつつ、扉を開けて、部屋の中へと入っていった。

 ミコは、読書中だった。小さな子本サイズの本を両手で開き、その物語の中に入り込んでいる。その様子を見て、思わずフランは、息を呑んだ。

 すると、ミコが読書を中断し、こっちに目を向けてくる。

「毛布、持ってきてもらえたのね。御覧の通り急いでも焦ってもなかったけど、どうしたのかしら、フラン?」

 まるで下で何が起こっているのかも見透かしたような発言――フランはますます飲み込まれていく。

 息が続かない。声が出せない。必死に息を呑み込もうとするけど、できない。

 なぜかなんて分かっている――フランはミコに見とれていたのだ。絵になるようなその光景に、心盗まれてしまっていたのだ。

 だがこのままでは、案山子も同然、なにか……なにかきっかけはないだろうか。

「毛布、持ってきて」と、そこへ実にいいタイミングでミコが声を掛けてくれた。

「あ、はい。ただいま……ありがとうございます」ベッドの上にいるミコの元へ機敏に駆け寄り、ベッドに毛布を置くフラン。するとそこに、ミコの笑い声が聞こえてきた。

「やっぱりフランって面白い子……どうしてお礼なんていうの?」

「ええと……それは、その……」フランは照れてしまって詞に詰まる。まさかあなたに見とれていましたとか言えない。何者よ、と自分で問いかけてしまう程だ。

 フランは話題を変えようと頭の中を探り回す――すると、あるではないか、うってつけの話題が。

 早速話しかけてみる。多分食い付くはずだ。

「そうです、ミコさん。さっき別のお客様がいらっしゃって……本当に雨が降るかもしれませんよ?」

「へ〜え、そうなの?」

「はい、なにしろそのお客様というのは、気象一族のレインさんですから」

 その名前を出したとき、フランはミコの目が一瞬見開いたのを目撃した。やった、驚いてくれたんだ。フランは理由不明の満足感を感じていた。見るとミコは、しばらくう〜むとなにか思案中であったが、やがて目を窓の方に逸らすと、またも目を見開いた。同時に小さく結んでいた口も開いた。

「うわ……ほんとだわ。見てフラン、雨……降ってるわ」

「えっ? えええっ!」

 教えられてフランも窓の方へと急いで駆け寄る。すると……あった。

 窓についた雨滴がぱらぱら。しっかり雨が降っている。

「やったあ! 二ヶ月ぶりの雨が降ったあ!」フランは嬉しくなり、その場ではしゃぎだした。喜怒哀楽をはっきりと見せよう――アルコ村の住民気質だ。

 はしゃぐあまり遂にその場で踊りだしたフランの両目に、珍しいものを見ているという感じのミコの視線が刺さっていた。だけど嬉しさの前ではそんなこと問題ない。フランはミコに駆け寄って、両手を引っ張り立たせにかかる。

「え? ちょっと……フラン?」

「待ち望んだ雨ですよ。ほらほら、ミコさんも一緒に踊りましょう」

 誘いの詞をかけるフランに、ミコはとても戸惑っているようだった。

「わたしはいいわよ。これも下にいるレインさんとやらのおかげでしょ? だったら下の酒場に行って、報告してあげなさいな」

「それもそうですね……。じゃあ、一緒に行きましょう!」そう言ってフランはミコを引っ張り部屋から飛び出した。

「わたしも?」ミコの困惑気味の声が聞こえるが、フランは気にせず、ミコと一緒に部屋を出る。祝い事はみんなで楽しむのが一番――おかみさんに叩き込まれた、看板娘の心得だ。

「みなさん! 雨が、雨が降ってきましたよ!」

 階段を駆け下りてきて一階の酒場にミコを連れてきたフランが、酒場にいたみんなに声を掛ける。するとみんな、窓の方に向かったり、一目散に立て付けの悪い玄関口から外へ飛び出したりと、思い思いに雨を確認し始めた。そして窓の雨粒を見て、フランと同じようにはしゃぎだした。

「そっか……みんな、待ってたのね」その光景を見ていたミコが感慨深そうに呟く。

「そうです! これでまた美味しい水が飲めますから」フランは元気よく答えた。周りの村人達もまるで水を得た魚のようにはしゃぎまくっている。

 そこにとどめとも言える、おかみさんのひとこと。

「よーし、商談成立! 今日はウチで宴だよ! みんな、材料持って来な!」

「おーっ!」

 村人達は一斉に自分達の家へと戻っていった。おかみさんも奥へと消えた。後に残されたのはフラン、ミコ、そしてレインの三人だけ。

「宴には早過ぎたみたいね、フラン?」

 ミコが今引っ張ってくることはなかったんじゃないかと言質に匂わせフランに問いかけるが、フランはミコの方を向いて、満面の笑顔で答える。

「すぐに始まりますから。ミコさんもここで待っているといいですよ。おかみさんの料理は美味しいですよ〜。それがたくさん並んでいく様を見ているのも、楽しいですから。きっと! きっとそうです!」

 フランは看板娘の経験から来る力説でミコを説得しにかかった。だってミコだってこの村の水を、雨を待っていてくれた人だ。だったら一緒に祝う権利がある――そう思ってのお節介だったのだ。無論、お節介はお節介でしかないのだが……、フランはミコにいてほしかった。部屋に戻るなどという選択肢を選んでほしくなかったのだ。

 だが、ミコはフランの期待を裏切った。首を横に振り、拒否を表明したのだ。

「遠慮しとくわ。部屋で待ってるから、時間になったら呼びに来て」

 フランの顔に影が射す。心は曇り落ち込んでいく。と同時に、堕ちた心の底から沸き上がってきた感情のままに、ミコに説明を求めて詰め寄った。

「なんでですか! みんなで談笑するのを拒んで一人部屋にこもる方を選ぶだなんて……納得できません! 理由を教えてください。わたしが納得できるりゆ――」

 それ以上フランは喋れなかった。ミコの人差し指がフランの唇を抑えたのだ。

 柔らかい感触と熱い熱気がフランをわけもわからず高揚させる。詞を指一本で遮られたことだけはわかった。理解できたのだが、この熱い気持ちはいったいなんなのだろうか。

 そうして固まっていたフランに、ミコの囁いた詞が届いた。

「わたしはね……あなたのお客様なのよ、フラン。それはあそこのレインさんも同じだろうけど、看板娘は仲介役の橋渡し? 違うと思うわ。だいたいあなたいいの? わたしがあなたより今知り合ったばかりのレインさんと親しげに話していても」

 あっ――。

 フランは目を見開いた。その目に映るのは現実の光景ではなくミコに指摘された幻想。自分のいないところで、ミコさんとレインさんが仲良く談笑している光景――なんだろう、胸がキュンとする。なんだかわからないけど、それはイヤだと思った。

 そのとき、視界にミコの顔が大きく映り込んだ。そっか、現実に帰ってきたんだと気付いたのもつかの間、ミコが影ひとつない明るい笑顔で問いかけてきた。

「じゃ、行くね」と。

「……はい」フランは同意した。その返事を聞いたミコは微笑みの色彩を変えてまた別の笑みをフランに見せるとヒラリ、人差し指を離して華麗に身を翻して踊るように階段を駆け上がっていった。その姿はおとぎ話に出てくる舞姫様のようだった。

「フラーン! サボってないで宴の準備、手伝っておくれー!」

 ミコの後ろ姿に見とれていたフランを呼ぶおかみさんの声。その声がフランを再度我に返す。

 そうだ、わたしは手伝わないと。手伝って準備ができたらミコさんを呼びに行くんだ。フランは踵を返し、食堂に一人残ったレインの姿を背に、奥の厨房へと向かっていった。

 

 部屋に戻ったミコはドアを閉めると、そのドアに寄りかかり背中を預けて「ふぅ」と溜息をついた。寄りかかったドアに自重の幾何かを預けて軽くしたい、そんな気分になった。そうでもしないとやってけない……そんな状況だったから。

「やれやれ、またしくじっちゃったな。色々と」

 ミコはそれだけ、簡素な一人言を呟くと寄りかかった背中を落としてドアに接したままその場に座り込んだ。出会ったものの多さ大きさに少し圧倒されたのだ。

 ミコにとって旅ははじめてのことじゃない。これまでも何度も経験してきたこと、今は人生そのものだ。

 だがなかなかどうして旅路は予想通りとはいかない。波瀾万丈疾風怒濤、思いもがけない出来事が次々とやってきて、ときどきその凄さに驚かされ抱えきれないこともある。

 そう、ミコの背中でも……。

 それをわかっているからこそ、ミコはこうして休みを取る。初めは気圧されるようなことでも、ちゃんと背中に抱えられるように……。

 だって、捨てられるようなことでも逃げられるようなものでもないし、なによりそれはミコの生き様に反するから。どんなものでも出会ったものは背中に背負って旅をする。

 それが、泉との嘘っぱちだけど大切な約束――なのだから。

 昔の約束に想いを馳せ、ミコは瞳を閉じてしばしの眠りについた。そこからどれだけの時間が経ったのかは知る由もないが、ドア越しに伝わるノックの感触とフランの声でミコは起きた。どうやら宴の準備ができたようだ。ドアは廊下側に開くタイプだからフランにドアを開けられて背もたれを失い倒れないようにミコは立ち上がった。その背中はさっきより格段に軽い。どうやら背負い込む準備はできたようだ。

「お待たせしました、ミコさん、宴の場へどうぞ」

「ええ。待ってたわよ、フランが来てくれるの」

 ミコはそう告げてフランにまた鮮やかな笑顔を見せる。フランはなぜか顔を赤らめた。どうやら、また自覚のないうちに好感度を上げてしまったようだ。

 まあそれはさておき、ミコは一階の食堂へと導かれる。そこにあるのは食卓を覆いつくす料理の山と主賓席に女性が一人。他の客はまだ来ていない。

「なるほど……彼女がレインさんね」ミコはフランに囁いた。

「そっか、ミコさんにはレインさんのこと紹介していませんでしたね。そうです、あの方がこのアルコ村に待望の雨を降らせてくれた気象一族のレインさんです!」

 フランの大仰な紹介を介してミコとレインの目が合った。お互いに牽制しあうような視線を投げつけあったが、やがて両者共に視線を逸らして不敵な笑みを浮かべて終わった。それと同時にミコは食卓の一席に座る。その位置は主賓席から程遠い位置だった。

「あれ? ミコさんそこに座るんですか? そこはわたしたちの近く――末席ですよ?」

 フランの問いにミコは食卓に肘を付き、フランにニコリと笑みを見せて答える。

「ここでいいわ。わたし、フランの隣がいいもの」

 その告白を聞いたフランが真っ赤になったのが、ミコには最高の御褒美だった。


 

 村人達が持ち寄った食材、おかみさんとフランがそれを料理し、食卓に並べ、みんなが集まって、ほどなくして宴が始まった。

 皆思い思いに楽しむ。ある者は食事に食らい付き、ある者は酒に溺れ、ある者は伝統音楽に洒落こみ、またある者は騒いだり踊ったりする。酒場でなかったら近所迷惑だ。

 もてなす側のフランとおかみさんも、用意が終わると一緒に騒ぐ。それがアルコ村の習わし。フランも看板娘として、音楽にのせて踊りだした。酒は苦手でも踊りができるから看板娘にされた経緯もある。久々の宴なのもあって、フランの舞は上り調子だった。

 何より今日は特別だった。踊りにパートナーがいたからだ。言わずもがな、相手はミコだ。最初一人で踊っていたフランに自分から名乗り出てきてくれたのだ。訊けば学都スコラテスで学問を修めたころ、芸事の一環として覚えたらしい。二人で踊るなんて初めてのことだったけど、ミコの踊りは不思議とフランの踊りによく合った。見ていた村人達からも大好評、大成功で幕を閉じた。

 そして踊り終えて舞台から降りた時、ミコはこう宣言した。

「わたしはこのへんで遠慮しとくわ。みんな、今日はごちそうさま!」

 村人達からの大歓声を背に、ミコはまだ踊っているようなテンポで階段を上って行く。フランはそれを最初眺めていただけだったが、やがて意を決して、後を追いかけることにした。

「わたし、部屋まで送ってきます。ミコさん、大分飲んでましたし……廊下で眠ったりしちゃうといけませんから」

 そうだね、行っておいで――酒を飲んでいつもにも増して威勢の良いおかみさんに発破を掛けられ、フランは階段を駆け上がって行った。早く、早く追いつかないと。その思いを胸に、ぎしぎし悲鳴を上げる階段を踏みつけた。

「ミコさん!」階段のなくなるまさに終盤、終点、終着地帯でフランはミコの姿を捉えた。見るが否や、声が先んじて出た。不思議な感覚だった。

「あら、フラン……ひょっとして、見送りに来てくれたの?」

 ミコが振り向いて答えてくれた。全身――特に頭が暗闇の中際立って目立って見えるのは、真っ黒な帽子のせいだ、多分。でも着ている服が明るい色調だから、首だけしか見えずに怖いとか思うことはなかった。フランはそれも含めて安堵した。

「はい。お客様に快適な就寝をお届けするまでが、宿で働く者の務めですから」

「えっ? わたし、別に他になにもしないわよ? 部屋についたらすぐ寝るけど……?」

「えっ?」フランは鸚鵡返しにミコの詞を繰り返した後、頭が完全に固まってしまう。ミコがなにを言っているのか、すぐには分からなかったからだ。

 そしたら、ミコはそっぽを向いて、顔を赤らめだした。

「それに、ほら……女の子同士っていうのも、ね?」

 そこまで聞いて、ようやくフランは回路が繋がった。にしても酷い誤解である。すぐに否定しなければと思い、捲し立てる。

「あやわわわ、違います。ミコさんが思っているようなことはしません! この宿は健全な宿ですよ!」

「そ、そうなの……」ミコが気圧されたふうに頭を後に仰け反らせてフランの声を受け取る。

「そうです!」フランは大声を張り上げた。酒場ではないので今度こそ近所迷惑だ。でもそんなこと構っている余裕はない。自分は普通の女の子であると、ミコには分かっていてほしかったから。

 そしてフランの大声が収まるのを待って、ミコが口を開く。

「よかった。じゃあわたしとあなたはいいお友達でいられるってことね」

「はい……」動揺したのとさっき怒鳴ったことの代償で、肩で息をしながらも、フランはそれを肯定した。受け止めた、と言った方がいいかもしれない。初めて「お友達」と言ってもらえたのだ。

「さ、行きましょう。話すなら階段より部屋がいいわ」

「そ、そうですね。さ、お送りいたします」

 二人して連れ立って残った階段を昇りきる。部屋に入ると、ミコは蝋燭の灯りをともすこともなく、一目散にベッドへ飛び込んだ。

「ふぃやぁ〜。天国だわぁ〜」曇り空ゆえ決してふかふかとは言えない枕を抱きしめながらミコがゴロゴロ寝転がる。まるで猫のようなその意外な一面に、フランは胸がキュンとなった。思わずこうなってしまう自分の不覚を慌てて否定する。さっき健全だって主張したばかりなのに。

 

 でも、ミコさんなら――。

 

 そう思えたフランは、今にも眠りそうなミコに、勇気を振り絞って声を掛ける。

「あの、ミコさん、明日、予定ありますか?」

 するとミコの転寝行動が止まった。ちゃんと首と腰から上を上げて起き上がり、フランの方に顔を向けて、答えてくれる。

「わたしの予定? 明日も雨っぽいから、一日中子本親本を読書するつもりだけど……」

「なら、一時間だけ、わたしに村を案内させてくださいませんか? ミコさんにぜひ見てほしい場所があるんです――」

 どうですか?――そう訊くつもりだったのにそれは遮られた。阻まれた。

 なぜか――ミコが先んじて「いいわよ」と賛成してくれたからだ。

 フランは胸が高鳴るのを確かに感じた。その後のことはよく憶えてないくらいだ。確か「約束ですよ? じゃあ、おやすみなさい」と別れの詞を告げて、ミコの「そうそう、レインさんには気をつけて」との詞を賜り、階段を下りてきて宴の終わるのを見守り、やがて主賓のレインが部屋へ戻るのを合図にみんなが雨の中各々の家へと帰って行くのを見届けていた。

 気付いてみれば、あれだけ賑やかだった酒場にいたのは、自分と酔いどれたおかみさんだけ。そのおかみさんも久しぶりにベロベロの泥酔状態だ。こうなったら自分が片付けるしかない。

「よぉーし!」

 明日のためにも。飛ぶ鳥後を濁さず、である。フランは一人片付けのいう名の闘いに突入した。

 

 

 夜更け。蝋燭の灯りが人の影を部屋の壁に映す真夜中――。

 フランの闘いはまだ続いていた。おおまかに言って食器をまとめて厨房へ運ぶ一連の作業の第一段階がまだ終わっていない。それもこれも食器の数が多すぎるせいだ。

「まったく、おかみさんも張り切りすぎよ。運ぶだけでこんなに時間かかるなんて」

 愚痴をこぼしながらも懸命に働くフラン。いい看板娘の条件は「よく」働くことである。

「よし、これで最後の束ね。うん……しょ」

 最後の皿束を持ち上げて、厨房へ向かおうとしたときだった。

 突然、背後から手が飛び出してきた。

 その手がフランの口を覆い、塞ぐ。同時に思いっきり後へと引っ張られた。

 フランに抵抗する術はない。引かれるままに引き寄せられる。あまりに力が強いので、持っていた皿を全て落としてしまった。皿の割れる音が痛く鳴り響く。そのおかげで両手が自由になったと言ってもろくに抵抗できないままではあったが、目は動かせたので顔が確認できた。

 その手の持ち主は――レインだった。

(レイン、さん? なんで……)

 突然の出来事に頭がパニックになるフラン。でも次の瞬間、レインの本性とさらなる脅威が待っていた!

「むにゃ……今の音なんだい? フラン……?」

(おかみさん?)

 酒場で眠りこけていたおかみさんが、皿が割れた音を聞き取り起きようとしていた。やった、気付いてもらえる――との願いも水泡に帰した。

 バン!

 なにかが、雷鳴のような爆音が轟いた。あまりの音量に、フランの動きは制止される。

 ただ……、固まった目だけが異様な光景を見させられていた。

 倒れた椅子、腰をぬかしたおかみさん、そして……その先の壁に開いた、大穴。

「驚いたかしら? これは銃って言ってね、銛よりも早く、弓矢よりも遠くのものを狙える町レベルの文明兵器。さあ、おかみさん、これをこうしたら、どうする?」

(えっ? あっ! いやっ!)

 レインはその銃の先をフランの頭に押し付けた。熱い銃口がフランの髪を焦がしだす。

「フラン! おやめ! やめてちょうだい!」おかみさんが叫ぶ。そう、今のフランは人質――だった。

「だったらこの宿の有り金全部持ってきなさい。硬貨よ、銀貨とか金貨とかね」

「なんでだい? 雨を降らせてくれたから村が資産の5分の1をやるって約束したじゃないか!」

「金以外の現物支給なんてお断りよ。私はね、車っていう乗り物で旅をしている。でも一人用だから小さくてね。それに積みきれない量の荷物なんて、いくら価値があっても無意味なのよ! さあ急ぎなさい! 早く立って金を持ってこないと――」

「この娘の頭にそこの壁みたいな穴が空くわよ――かしら?」

(えっ? 今の声――)

 フランは口を塞がれた状態ながら驚いた。だって、その声は――。

「誰!」レインが声のした方に向きを変えた。押さえられているフランも当然一緒に動かされる。そして見てみると――いた。

 階段入口に背中を預けた、あの黒い帽子を被った、ミコ=R=フローレセンスが。

 

「ちっ……そう言えばこの宿にはもう一人いたわね。すっかり寝静まっていた頃だと思って決行したのに……」レインが苦虫をすり潰したような声で愚痴をこぼす。

「村で銃なんてぶっぱなすからよ。うるさくて起きちゃったわ」ミコは平然と答える。まるでこの状況を受け止め、理解しているかのようだ。その上で硬直状態を自ら破るかのように、自分勝手に階段を下り、酒場の方へと歩み寄ってきた。

 その行動は、とても危険なはずなのに。

「止まりなさい! それ以上近寄ったら、本当にこの娘を撃つわよ!」レインの大声が酒場にこだまする。それを聞いたミコの動きも止まった。フランはもう既に心臓が止まる思いだった。下手したら死――それほどの緊張に今晒されているのだから。

「よーし、よーし。それでいい。そうだわ。後ろのおばさんは腰を抜かしているみたいだし、貴方に動いてもらいましょうか。おばさん、金の在り処をこの子に教えなさい」

 レインが金の在り処を聞き出そうと、おかみさんの方に振り向いた瞬間、フランは見た。そして聞いた。

 手も使ってないのに勝手に開いた黒い帽子のがま口チャック、そしてミコの、「必要ないわよ。無駄だもの」という声を。

「なんですってぇ!」レインが怒ってフラン同様ミコの方を向くと、開いたがま口から真っ黒な、二本の線がこっち目掛けて飛び出してきた。それはフランの僅か横、レインの顔にぶつかり、そのままレインの身体をフランから引き剥がして、壁の先へと衝突させた。再び宿を揺るがす轟音が深夜のアルコ村に響く。

「けほ……けほっ」拘束状態から解き放たれたフランは、その場にへたり込み息を吸う。そして見上げてみると、ミコの帽子から伸びていたのは――黒く長い腕だった。それが同時に二本、がま口から伸びている。

「ミコ……さん?」分からないことだらけのフランはミコのことを見つめることしかできなかった。聞きたいことは、山ほどあるというのに。

 するとミコが、帽子はそのままに顔をフランの方に振り向け、柔らかく微笑み、こう告げた。

「大丈夫よ。もう終わったから」そう言ってくれた。そうしたら一本の黒い腕がミコの手元へ戻ってきた。その手にはさっきまでフランを怖がらせていたレインの銃とナイフなどの武器が握られていた。没収した――ということなのだろう。それはフランを安堵させるには十分だった。しかし安心しその場に腰を抜かしたフランはミコの姿を見て異様なことに気付く。蝋燭の明かりしかなかったから、それは際立っていた。

「み、ミコさん……影が」

「そう、わたしはカゲナシ。この帽子が影を編み込んで作った影帽子だからね」

 ミコの言う通り、ミコの足元からは明かりが産み出す影が伸びていなかったのだ。

 そして足元だけじゃない。身体のどこにも影はなかった。ミコには影が射していなかった。かわりに真っ黒な闇が、本来影のあるべき箇所で、ミコの身体を黒に染めていた。

「カゲ……ナシ」

「都で学んでいたとき習得した芸事のひとつよ。全く、レインさんには気をつけなさいと言っといたのに」

 そういえばそうだった。フランは別れの間際にミコからそう言われたことを思い出す。ではミコにはこうなることが最初から分かっていたというのか? 訊くとミコは得意気な顔をして答えた。

「気象一族のレインにはね、賞金がかかっているのよ。わたしも都に行っていたときにその噂を聞いていたから、対処をお勧めしたわけ。さ、武器は全部取り上げたわ。フラン、縄ある? 縛り上げておかないと」

「あっ、はい。すぐ持ってきます」

 フランはミコに差し伸べられた手を握って引っ張り起きると、すぐに奥の部屋に縄を取りに戻った。戻るとミコはおかみさんにも手を差し伸べていた。影でできた腕はミコの移動に関わらず、器用に関節をコントロールしているのか、壁にレインを締め上げたままだ。上手いものだと感心させられるフランだった。

 やがてミコが縄を受け取り、レインの身体を縛り上げ、口にも猿ぐつわをかませ喋らせないようにすると、ミコは黒い腕をしまってからフランにとって仰天の一言を放った。

「潮時ね……おかみさん、フラン。わたし、明日この宿を発つわ」と。

「えええええ! なんでですか?」フランが影帽子に黒い腕をしまったミコに迫る。だってそうだろう、ミコはアルコ村名産の水を飲みにやってきたのに。それを飲めるまでは滞在してくれると言っていたのに。

 そしたらミコは、残念そうな顔をして理由を述べた。

「気象一族のレインが捕まったなんて知らせ、追いかけている人達の情報網には明日にも引っかかるわ。聞きつけてここにやってくる人達の中に、おそらくわたしのことも追っかけている人がいる。その人に会っちゃったら、今回以上の騒ぎに村の人達を巻き込むことになるからね。お水が飲めないのは名残惜しいけど、人生まだまだ時間はあるから。また来るわ」

 そう言って大輪の花のように微笑むミコは一転、申し訳なさそうな顔をして、「ごめんね、約束……守れずに」と頭を下げたのだ。深々としたお辞儀――それを見ていたら、フランはいてもたってもいられなくなった。待ってくださいと引き止め、喋りだす。

「明日、村を出るまでご一緒させてください。その際にちょっと寄り道していいですか? 渡したいものがあるんです。お願いです」

 フランはミコの手を自分の手で掴んで顔も近づけて頼み込んだ。約束を破棄されたのは辛いけど……、目的は果たしたかったから。

 するとミコは手を開き、フランの手と指を絡め、しっかりその手を握って訊いた。

「朝イチで出るけど、それまでに終わりそう?」と。

「はい! 時間はかけません!」フランはめいいっぱいの想いを込めて、返事した。

「わかったわ。じゃ、村の出口まで一緒にね。じゃあまずは、この散らかった割れた皿、片付けないとね……」

 手を離し、ミコが促すと、フランもそれに同意し、呆然と突っ立っていたおかみさんも加わって、三人でのいろいろな後始末に取り掛かったのだった。

 

 

 翌日。朝一番。おかみさんが村警察の警官を連れて帰ってきたとき、相変わらずの手ぶらでその様子を待っていたミコは立ち上がった。出立の合図だ。フランも村の出口まで付き添う約束があるので、おもむろに席を立つ。

「もう行くのかい。ほんとアンタには世話になっちまったねえ。しかも余った宿代は返さなくていいなんて……」おかみさんが出立の準備を見せたミコに名残惜しいように声をかける。珍しい――横から見ていたフランにはそう思えた。

「お金は宿の修理に使ってください。残った分はご自由に」ミコはさっぱりとした顔で答えると、フランと一緒に宿を出た。旅人との別れ――いつもいつでも何遍も、見てきた光景である。出立の時だ。

 宿を出て、フランは傘をさす。今日も天気は雨だからだ。でも隣のミコはささない。影帽子のがま口チャックからレインコートというものを取り出して身体の上に着込む。素材が水を弾いてくれるのだという。ちなみに帽子は影なので濡れること自体ないとのこと、らしい……。

「それで、寄り道したい場所ってどこかしら?」ミコが訊いてくる。結局フランは、そのことに関してミコに言質を取らせなかったのだ。昨晩からずーっと。

 それでもいい。このときフランは、本心を隠して無邪気に答えた。

「こっちの村の出口付近にわたし専用の物置小屋があります。そこまで着いたら、ちょっと待っていてください。実は昨日約束した案内したい場所もそこなんです」

 そう言ってフランは、ミコの手を取り村の出口のひとつへと向かった。助かったのはミコが村を出るならどの出口でもいいと言ってくれたことだ。これは極めて好都合である。目的の物置小屋は本当にアルコ村の出口付近、村の極地にあるからだ。

 やがて二人はその出口にまで辿り着いた。そこにあるのは古びたボロボロの物置小屋。その小屋はたったひとつ、ポツンと建っていた。

「ここで待っていてください。お土産をお渡ししたいんです」

「お土産だったの? うん、なら待つわ。急いでないし」

 フランはミコが待ってくれていることを確認しながら物置小屋へと入って行き、その奥から、ある物を取り出す。そして物置小屋を飛び出した。ミコはまだいてくれた。

「はい……、ミコさん。これ……どうぞ」

 フランが差し出したのは、水の入った、水濡れの、飲料瓶。

 フランからそれを受け取ったミコはその中の水をしばし眺めると、ハッと気付いたようにフランに問いかける。

「ひょっとして、これ……」

「はい。村産出の水です。あそこの物置小屋の中に、わたしだけが知ってる秘密の井戸があるんです。あれはわたし専用だから、村人のみんなも知らないし、詮索もしません。もう行ってしまうミコさんに、隠してとっておいた村の名水をぜひとも飲んでほしくて、その……」

「今、飲んでみてもいい?」ミコが濡れた瓶を握りしめながらフランの傘の中に入り込んで訊いてきた。その興味津々といった顔が、とても近く、フランの動悸は早まる。

「はい、どうぞ」フランが快諾すると、ミコは自前の二本の腕でコルク栓を開け、ぐびっと一杯、その水を呷った。そしたら突然、フランの傘から飛び出して、雨の中踊りだしたのだ。

「美味しい……とても美味しいわこのお水。香りや色は全く普通だけど、まるで心を洗って潤してくれるかのような気持ちにさせてくれるのね――。今まで旅の途中で飲んできたどのお水よりも美味しいわ!」

 よかった……ミコさん喜んでくれたみたいで。隠し井戸の存在をバラしたのは初めてのことだけど、ミコは口が固そうだし、なにより彼女は信用できる。お友達だから――そう思って行動して正解だった。フランはほっと胸を撫で下ろす。

 そのときミコが戻ってきた。影帽子のがま口チャックを開けて残りが入った飲料瓶を帽子の中にしまうと、フランの両手を手に取り、握りしめてくる。

「フラン、ありがとう。目的も果たせて、わたし今すっごい幸せ。ここに来た甲斐があったわね。この思い出は忘れないわ。ほんとに、ほんとにありがとね! 安心して。秘密は絶対口外しないから」

 フランがまた近づいたミコの顔に顔を赤らめていると、やがてその手は離れ、ミコの姿も離れ遠くなっていく。そのときフランは初めて気付いた。もう「お別れ」なんだと。

「じゃあね、さようなら!」ミコの声が届いたとき、その想いははっきりと自覚できた。だからフランもめいいっぱい傘を持っていない方の手を振り、その声に応えた。

「さようなら! ミコさんもお元気で!」

 ミコの姿が、背中が道の先に消えるまで、フランはずっとそこで見送っていた――。

 

 

 ミコとの別れから2日経った。雨は昨日まで降り続け、今日はよく晴れている。なんでも、村警察の人が言うには今日身柄を引き取りにくる人達は事件現場となったうちの酒場にも訪れるとのことらしい。宿は営業中でも、酒場兼食堂はそれまで半休だ。

 と、そのとき。鐘の音と扉の音がした。来訪者だ。

「いらっしゃいませ。おかみさん、来ましたよ」

 奥にいるおかみさんに声をかけつつ、来訪者に目を向ける――暇もなかった。三人いた来訪者は一目散にフランの方へと向かってきた。一番に押し掛けてきたミコよりも小さな灰色のコートに身を包んだ女の子が喋る。

「わたしは気象一族のスノウ! こっちの男はクエイクで、ここにいるもう一人の女がウィンド姉さんよ。あなたが襲われたっていうフランね? 事件の概要を簡潔詳細に教えて頂戴! 1から100まで、全部よ全部!」

「ええっ?」突然の要求にフランは困り果てた。というのも、語れることはおかみさんが村警察に全部話しているはずだからである。被害者とは言え、今更そんな有益な話ができるとも思えない。なので理由を聞いてみようとした矢先、後ろから現れた村警察の署長が帽子を脱いでその理由を教えてくれた。

「この気象一族の方々が言うには、あの強盗犯は気象一族のレインではないそうなんだ」

 え? えええ?

「つまり……偽者?」フランは辿々しい口調で答える。「でも……あの人が来た途端、今まで降らなかった雨が降ったんですよ」

「都で空読みを学んだ者なら、気象予測くらいできるわよ」スノウが畳み掛けるような早口で捲し立てる。「それで? あなたたちはもう一人の宿泊客に助けてもらったって言ったらしいじゃない」

「あ、はい……。真っ黒な影帽子を使う、ミコさんに……」フランがそこまで言った途端、三人の目の色が変わった。「影帽子? 今影帽子って言ったわね!」とスノウに念を押されたフランは「は、はい」と頷いた。

 スノウは一瞬動くのを止めた後、フランを睨んでこう要求してきた。

「宿泊者名簿があるでしょ、それ見せて。急いで!」

 フランが言われるままに宿泊者名簿を取り出すと、スノウは奪うようにそれを掴んで、三日前の署名を確認する。確認して、あからさまに仰天してみせた。

「この字……やっぱりレインのだ。見て、クエイク、ウィンド姉さん。このミコ=R=フローレセンスって署名、レインの筆跡に間違いないわ!」

「本当だね」「あらホント」見せられた二人も同時に頷く。三人だけの早合点。

 だが、フランはそれを理解したとき、天から雷が落ちるほどの衝撃を受けた。

「ええっ! つまりミコさんが、あの影帽子のミコさんが……」

「そうよ。ミコ=R=フローレセンス、そいつこそが正真正銘気象一族のレインなのよ」

 驚いた。フランだけじゃない、後ろに来ていたおかみさんも。三人の後ろにいた村警察の面々も皆一様に驚いた。なかでもフランの受けた衝撃は大きい。両手を合わせて口元に添えたまま、何も喋れなくなっていた。発覚した事実のもたらした衝撃が音を吹き飛ばし予期せぬ静寂を呼び込む。その沈黙を破ったのはもう一人の女、ウィンドだった。

「Rってレインのことでしょうね。雨巫女様と呼ばれたレインちゃんなら雨を降らせるくらい訳ないわ」その指摘と解説に皆納得させられる。だから雨が降ったのかと。

 と、そのとき。フランは胸倉を掴まれ前へと引き寄せられた。目と鼻の先にはスノウの小さな顔があった。あまりの近さにフランは緊張で総毛立つ。

「ねえ! レインはどの道で村を去ったの? 教えなさい!」

「な、なんでそんなに必死なんですか?」引っ張られたフランはまず説明を求めた。

 ミコ本人は気象一族のレインには賞金がかかっているとか言っていたが、目の前の少女から感じる気迫はとても金だけが目的だとは思えなかった。もっとなにか、とんでもない執念のようなものを感じたのだ。

 そしたらスノウは深く息を吸った後、驚天動地の詞を発した。

「知らないの? このミコって名乗ってる気象一族のレインこそ、人として知らぬ者のない、あの神様の問題を解いた人間なのよ」

 それは、紛れもなくフランの人生で、一番驚いたニュースだった。

 

 

 フランが正直にミコを見送った道を教え、スノウ達気象一族がアルコ村から立ち去ってからさらに一週間後、村名産の名水も再び湧き出したころ……。

 アルコ村へと通じる道を歩く、男女のペアがいた。

 女は、鋼色の鋭い真っ直ぐな長髪を束ねておろし、上は氷じみた青白色で下にいくにつれて黒く染まっている着物を着て、その正装にふさわしい下駄で音もなく歩いている。

 そんな女とは対照的に、男の方は動きやすい作務衣姿で隠す必要もないような短髪頭を手拭いで覆い、使い古した風の草履を履き、大股蟹股で堂々不敵に歩いていた。

「ここかい、水の名所アルコ村って」男が女に問いかける。村の入口付近で歩みを止めた二人が集落を眺めつつ話しだしたのだ。だが話しかけた男は作務衣のポケットに両手を突っ込み、気を抜いた、ともすれば不真面目にも見える態度でだらしない口調だった。

「ええ、間違いなくアルコ村ですよ、整(ととのい)。ここがわたしたち神々から設計図を盗んだあの気象一族のレインさんが最後の痕跡を残した場所。間違いありませんよ」

「そうかい、帳(とばり)」整と呼ばれた男は至極丁寧に回答をくれた女、帳と呼んだその女にぶっきらぼうな相槌を打つ。しまいには片手を取り出して手拭いで覆った頭を掻きだした。

 そんなやる気のカケラもない相方の体たらくを見た帳が溜息をつき、呆れたように整に話しかける。

「まあ、もう10日も前にレインさんは去ったみたいですけどね……整、あなたもう少し気合いを入れたらどうなのですか? わたしと違ってあなたは『盗まれた』方の神なのですから」

「結果と神告宣下ではそうでもな、事実は違うぜ帳。俺はな、自前自慢の設計図、『気味悪さの設計図』を自らあいつにくれてやったのさ。そんなことした奴は盗まれた29体の神々の中でも俺だけだろうよ。バッハッハ!」

 顔に手を当てその顔を天に向けて豪快に笑う整。その姿を見て帳は呆れ返っていた。

「手加減というものを知らないから困りますよ、あなたは。聞いた話ではレインさんにも出会い頭に『狂活字獄』をおみまいしたと聞きましたよ」

「そう! あれを喰らいながら自力で克服してのけたんだぜ。その実力を見ちまったら譲りたくもなるってもんよ。惚れたねえ」

「まったく……、まあ思い出話はこの辺にしておきますよ、整。この村に来たのは、そのレインさんの近況を聞き込むためなんですからね」

 帳が会話をそこそこ早々に切り上げる。整も帳の仕切りに逆らうことはせず、むしろ楽しげな顔をして拳を握りしめた。

「おう! 神殺しの容疑者にして泉の後継候補、そしてなにより俺達神々から設計図を大量に盗みまくったレインに関する聞き込みだな。追跡チームの連中には任せられねえ重要任務だ。じっくりしっかり聞き込んで、情報提供してやるぜ!」

「ええ」帳も頷き、二人は再び歩きだし、アルコ村へと足を踏み入れた。

 暗転の神、帳=フリージア。

 奈落の神、整=キャパシティブレイク。

 かつて人間に問題を与え、レインことミコ=R=フローレセンスにその問題を解かれた神々もまた、その行方を追い、またその真意を探るために、この俗世に現れて行動を起こしていたのである。誰にも知られることなく、ひっそりと……。

 

 

 名水が再び村の各所で採れるようになったアルコ村。だがその知らせが他の地域にはまだ届いていないので、村はまだ賑わいを取り戻してはいない。旅人もいない、静かな村。

 そんな静かなアルコ村の旅館の受付机で、看板娘のフランは暇を持て余しながら物思いに耽っていた。

 一週間前、ここを訪れた気象一族の人達は自分がミコの去った道を正直に教えると、携帯電話というもので強盗犯の引き取り手続きを電話先の警察街警官と済ませ、嵐のように立ち去っていった。宿からも、アルコ村からも。

 あれから一週間。嵐が過ぎ去り強盗犯もいなくなりすっかり落ち着きを取り戻した宿の窓口で、フランは一人あの日のことを思い返していた。雨のこと、宴のこと、事件のこと――そしてミコのことを。

(あのミコさんが本物のレインで、しかも神様の問題も解いた人だったなんて……)

 湧き上がる気持ちは素直な感嘆。今思い返してみると、あのレインを騙った強盗犯に注意しろという警告も、自分が本物だからそいつは偽者――ということだったのだろう。

 さらに気象一族の人達いわく、あの雨もミコさんが降らせてくれたものらしい。だとしたら、ますますミコには感謝の気持ちで一杯である。そのおかげで、ようやく町も本格的に復興に弾みがついてきたところだ。事件現場となったうちの宿の壊れた壁も、昨日ようやく修理が終わったところである。

 隠された。騙された。踊らされた。ミコとの思い出全てが、思い起こすと心地良い。

 やられたな――フランは一杯食わされたことを自覚すると、ふと嬉しくなり微笑んだ。

 同時に、ミコの旅路がいいものでありますようにと願う自分がいることに気付いた。

 きっと彼女は、あの道を進み進んで、また別のどこかへ行くのだろう。そこでもこんなふうに、見知らぬ誰かに出会い、そして心に残る「楽しさ」を残していくのだろう――きっとそう。そう思えたから。

(……さてと、わたしもここで頑張らないと)

 フランが決意を新たにしたとき、来客を告げる鐘の音が鳴った。久しぶりの客だ。

「いらっしゃいませ」

 看板娘のあいさつが宿に響く。それはまた、新しい「出会い」のはじまり――。

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