第7話 一年と一日ぶりの再会
はじまり
その世界には、神様がいた。
神様は人間に問題を与えた。
「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。
人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。
だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。
やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。
一人の女の子が問題を解いてしまった。
しかも、神が一人死んでしまった。
人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。
なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。
出会った人々は納得し、神様は宣戦布告し去って行く。
多くを盗んだ女の子から、神様らしく取り返すために。
これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。
桜島――それは知る人ぞ知る、桜の名所。
といっても桜の木がいっぱいあってそれが満開になる光景がすごいというわけではない。むしろその逆。桜島には桜の木はひとつしかない。
島周り10キロメートルほどの小島、その一番高い所、草むらに覆われたなだらかな場所の中心に、一本、大きな桜の木がある。
その桜の木が凄いのは、生命力の強さ、大樹と化すまで重ねた年月、咲かす花びらの見事なこと――だけじゃない。ある独自の『境地』に達した生命だけがなれる特徴にある。
桜島の桜の木は――意思=心を持った『心樹』なのだ。
とは言ってもこの桜、心を通わせるのは至難の業。かつて奇跡的に『声』を聞いたというひとつの噂を聞いて、多くの者が内海で波も荒くなく、一年通して穏やかな晴れと雨のこの島を訪れては桜の木との『会話』を望んだが、桜はついぞ答えることなく、人々は失望して去って行き、帰っては桜の悪口を言い立てた。それが遠い遠い昔の話。
時は流れ、いつの間にか桜に関するどっちの話も風化したころ。単に寂しい桜の大樹が一本咲いている。島に対する皆の認識もそうなっていたころ――。
ひとりの女の子――いや、どちらかといえば女性ともとれる人間がこの島を訪れた。
女性は桜に関する『奇跡の話』を信じて、ここにやってきたのだと、見つけて対面した桜の木に語りかけた。その詞には、今まで桜が聞いてきた有象無象の人間達とは違う、特殊な心地よさがあった。桜の木がそう思ったのは、その本質がその『女性』から発せられる『想い』にあったからだと気付いた。並みの人間でもそれ相応の想いがあるだろうが、その女性は『人間』として際立っていたのだ。幻の肉体、そして頭に被った影を糸にして作った影帽子。一体どんな環境に置かれればこんな『人間』ができるのかと、桜の木が興味を持ったのだ。心樹の関心がつきないその女性は、桜の木に背中を預けて座り込み、風が花びらを踊らせる中、自分の話を始めた。気象一族のレインとして活動していたこと。神様の歌声が聞こえたのでそれまで興味もなかった神様の問題を解いて会いに行き、そこでお互いの『宿命』を知ってしまったこと。その神様が先に『消えた』ので、残された歌を受け取って、神様連中に一波乱起こして帰ってきたこと。もう今までの自分でいられなくなったので気象一族もすぐ抜けて、ミコ=R=フローレセンスと名を変えたこと。そして自分も残り少ない時間の中、『残せるもの』を『預けられるひと』を探すべく旅を始めたこと。その旅の最中、どこかの町で風の噂に桜島のことを知り、こうして会いにきたのだと。
そこまで聞いて桜の木はミコの思惑を察した。この女性は自分に心樹の力で旅の行き先を導いてほしいのだと。それはそうだろう――残りの寿命もままならない中、無軌道に俗世をぶらぶら歩いてまだ姿も知らない『本当に託せるひと』に会える確率はどれだけのものだろうか。桜の木にもわかった。それは限りなく0に近い、少ない確率だということ。なにも残せず消えてしまう恐怖。在り続けた自分には及びもつかない恐ろしさだ。ならば助けを求めようと、心樹の噂にすがってきても不思議ではない――桜の木はここではじめて久しぶりに『声』を出してミコに『そうなのでしょう?』と確認を取った。利用されるなんて、昔の利己的な連中となんも変わらないけど、この子に限っては拒絶したいとは思わなかった。ひとりの少女が背負うにはあまりにも大きく、重たい『宿命』。それをまっすぐに受け止めここに来た少女にほんのちょっと好感を持ったし、今まで散々無視し続けて話さず通しで少々飽きてきたというのもあったから。
そして少女――ミコはやはり桜の木に尋ねてきた。尋ねてきたのだが。
それは桜の木の名前を知りたいということと、枝泥棒してもいいかという、予想斜め上の要求だった。
『心樹の力で託せるひとを探しにきたんじゃないの?』思わずそう『声』に出していたが、ミコはその詞を豪快に笑い飛ばした。彼女はおよそらしくない、こんな台詞を吐いたのだ。
「だってわたし、急いでないもの。残せずなくなるなら“完成”しても“無意味”になった。どっちにしろ消える――それでいいじゃない。それよりもわたしにはあなたの名前とその枝一本拝領できるかどうかのほうが今は余程重要。この中には影養土膜もあるから枯らさないし。どうなの?」
呆れるほど楽観的で、笑っちゃうほど清々しい――桜の木、オピィはここで初めて『自己紹介』し、花の咲いた枝を持ち下げた。ミコは立ち上がると自分の手で枝をぎゅっと掴み、パキッと折った。痛みを受ける与える、その行為こそが二人の縁だった。
「さて、綺麗な桜も見れたし……そろそろ旅に出るとしますか」少女はそう言ってオピィの枝を影帽子の中から出現させた黒い手に抱えさせ、至極大事そうに影帽子の中にしまった。『その中でちゃんと育つの?』というオピィの質問にミコは「なんなら証拠を見せて上げるわ。一年後くらいに」とさらりと再会を口走った。『それまであなたは生きてるの?』と皮肉を返すが、少女は顎を指で押し上げしばらく考えると、「じゃあ口約束ってことで」と約束の質を下げる手段を取った。この一連の会話が、なんだかとっても楽しかった。「じゃあね」少女――ミコはそうさよならを告げて、島を去って行った……。
あれから本当に一年経った。今年もオピィの桜は晴天の中、開花の時期を迎えた。ミコに折られた傷口からも、新たな芽が伸びて、ひとつふたつと花を咲かせた。心樹の生命力は半端ないのだ。出迎える準備はできている。というより出迎えることしかできない。オピィは木なので動けないから。
(それでもなー、あの子は勘がいいと言うか、タイミングを計るのに長けている風だったから、そろそろ来そうな気がするんだよね)
オピィは桜の花を咲かしながら、そんなことを考える。でも結局その日――一年ぶりの記念日にミコは現れなかった。心中複雑な思いで桜寝入りするオピィ。
だが、翌日。
少女は現れたのだ。一年前と全く変わらない姿で――強いて言うなら影帽子から黒い腕が伸びていて、その手が海の移動に使ったと思しき大きな機関付ボードを掴んでいる点が明確な差異だが、まあ影帽子の機能だし文句も言わない。基本歩くときに手を揺らさないミコの代わりなのだろうか、その黒い手は豪快にボードを振り回している。まさか秘めた感情を影のほうで表しているの?――オピィはちょっと詮索したが、野暮なことだとすぐに放棄した。考えないこと――長寿の秘訣だ。
そしてオピィの延ばす枝の下、枝や花の影が草を暗色に染める域までやってきた少女――ミコ=R=フローレセンスは上を見上げて「へっへ〜」と笑うと黒い腕とその先の手が持っていたボードを影帽子のがま口チャックの中にしまい、勢い良くチャックを閉じた。
見つめるミコにそれを受け入れるオピィ――静かな対面。それは再会の確認。
そして次にミコが喋った詞こそ、再会を喜ぶ絆で結ばれたもの同士の挨拶だった。
「おひさしぶり、オピィ。今年も来たよ。ちゃんと来れた。これって結局わたしが自分の『宿命』を果たしてないってことだけど……こういうのが旅なんだよね。思い通りに行かない。思ったのとは別のことに出会う。だから、旅する意味がある」
『本当に……もう『宿命』果たして来ないんじゃないかって冷や冷やしたわよ。桜(わたし)が花を咲かせるのは春、梓弓の月だっていうのに。だって昨日はあの日から――わたしとあなたが出会って別れてから丁度一年だったのよ?』
「だからよ。“一年ぶり”より、“一年と一日ぶり”をやってみたかったの。ホバーボードの航路到着タイマーもわざと今日に設定したのよ」
『“一年と一日ぶり”? そっちの方になにか思い入れでもあるの?』
「それほどのものでもないけど……ほら、覚えてる? わたしの口癖」
『「急いでない」でしょう?』
「そう、わたしは急がない。たとえ『宿命』が迫ろうとも“なるようになれば”って受け止める変わり種。だから一年の記念日なんてものに縛られるのはわたしとしてどうかと思ってね……。それにさ、“一年ぶり”はみんな考えるだろうけど、“一年と一日ぶり”なんて考える人、他にいる?」
『……いないわね。わたしの長い生を通して蓄積された情報を調べ上げても、該当者0』
「でしょ!」ここでミコは楽しそうに嬌声を上げた。「他に誰も考えつかないことをやる――それは特別な思い出になって、あなたの枯れそうな記憶の山の中でも、きっと色褪せないだろうって海の上で潮風受けてたら閃いたのよ」
『それで今日になるようにホバーボードの速度を調節?』
「そう。大体オピィ、あなただって桜の花を咲かせる時期は外界の環境気象と応相談でしょう? 一年ぶりの記念日に咲いてなかったら悲しいじゃない」
そこまで言われるともうオピィも苦笑するしかなかった。ミコの言っていることが本当に正論で、図星を指してばっかりだったからだ。そう、確かに自分は花を咲かせる時を自分で選ぶことは出来ない。それは心樹となって心を持っても『声』を持っても決して『行動』できない木の運命。夏の暑さに冬の寒さ、雨の降る量に降り注ぐ陽射し。これまでで最大の開花時期のずれはおよそ10日ほどだっただろうか。今年は去年と同時期に咲いたのでその考えは心のどこかで棄却してしまっていたのだろう。まったく、心樹にまで昇華された身ながら、時々思慮のたりなさを見せ、恥ずかしがるオピィだった。
観念した風という念のオピィ。心を切り替え、風の噂で聞いたミコの噂を話しだす。
『冒険風に聞いたわよ。あなたここに来る前に、花の都ガデニアで神様とひと勝負してきたらしいじゃない』
「うぎゅ!」ミコはここで盛大に身体を横にずらした。それはあと一歩、影帽子から取り出した黒い足で支えてなければ横たわってしまうくらいに大げさで、感触善しのリアクション。重心のバランスを崩すほどのニュース、どうやら元気象一族の女の子でも自然そのものの底力を甘く見ていたらしい。
「冒険風……みっつの大陸とふたつの大洋を股に掛ける春の季節風よね? わたしもガデニアから直行で来たのに、先を越されたわけですか」
『そういうことになるわね。そのときの冒険風は、いつになく饒舌にあなたの活躍を語っていたもの。自然学派に花一族の精鋭――かつて覇権を賭けて闘っていたライバル達を従えて闘い、挑んだ神様達をことごとく撃退したって情報は、今、自然達の間では一番ホットなニュースになっているわ』
「そっか……ウィンドを呼んだのがマズかったのかな。まあいいや、旅に後悔はつきもの。噂の人にはなりたくなかったけど、自然の噂ならまだマシかもね。人に噂されるよりは、数段マシ。またしくじっちゃった」
そう言って身体を支えていた黒い足で地面を蹴り、もとの直立二足体勢に戻ったミコは、黒い足を影帽子の中に引っ込めて、改めて上を見上げる。
「綺麗な桜の花ね。一年前より満開に近い気がするわ」
『そうかもね。わたし自身花の開花は制御できないけど、今年は特に景気よく咲いているわ。まだ8割3分9厘ってとこでしょうけど、もう去年の満開を上回っている気もする。いいところに来たわねミコ。昨日の咲き具合は8割1分9厘よ』
「それだけ満開に近い時期に来たわけね……成る程確かに、運がいいかもしれないわ。桜並木が染める桜色の鳥瞰図も中々だったし、その桜公園の下ベンチで休むのもそこそこだったけど、わたしにとってはやっぱりオピィの桜が緑の中、桜色を魅せてくれるのが一番心に焼き付いてる」
『ミコ……』
「そして今更新された」ミコはオピィの感動を手の平ごとひっくり返すような詞を吐きながら、一年と一日前と同じようにオピィの幹に背中を預けて座ったのだった。オピィは言われた当初こそ大いに皮肉を感じたものだが、やがてミコの詞の真意を理解し心を落ち着けていく。去年より今年の自分の方が綺麗だと――非常に遠回しではあるが褒められたのだと気がついたので。
そんな他愛もない会話の後、ミコはある一点――一年前と変わらぬ場所を見て呟く。
「わたしが折った枝先……ちゃんと後が育ったんだ」
『ええ。わたしは心樹の領域にまで達した桜の大樹。生命力はざっと人間37564人分はあるからね。一本先を折られた痛みも、時とともに糧になり、送り先になる。わたしを流れるエネルギーが「ここが痛いよ。育てないと」って気付いて養分を送った結果、一年と一日でちゃんと再生しましたよ。どうかしら枝泥棒した犯人さん? 折った先から伸びた新たな枝への印象は?』
オピィが誇らしげに話す。するとミコは影帽子のがま口チャックを黙って開けて黒い腕を取り出した。それだけならいつもとまったく変わらないだろうが、その腕の先――黒い手に持っていたものがいつもと違った。その掌には一年と一日前のあの日、ミコが折って泥棒した枝が、根付いてちょっとだけ育ち、花を咲かせていたのである。
先輩と後輩。初代と二代目。前後の関係にある桜の枝をそれぞれ見比べ、ミコは柔らかに微笑んだ。
「よく似ているわ。わたしの子も。そこに新たに生えた子も。さすがに同じ親から生まれ出た家族よね。まあ、わたしの貰った子のほうはあれから一年と一日、この影帽子の中で影養土膜に根付かせて育てていたわけなんですが。そっちの子もまた愛情に包まれて育ったようで、立派な花を咲かせておいでね。比べるなんてこと、無粋なことだとわかっているけど……それでもいいものね。こうしてあなたから生まれた花を奪い、育て、比べられる。こんな贅沢他にないわよ。やっぱあのとき枝泥棒しといてよかったって、今さらながらに思えるもの」
風がミコとオピィのいる草原一帯を駆け抜け、洗う。同時に喋っていた詞も洗い流され、一時の静寂が訪れる。静寂と言っても風に揺られた木々のざわめき有りだが、それでもミコとオピィの会話は停まり、相対的ながら静けさがもたらされる。つまりはそういう類のささやかな静けさ。それはまるで、心が停まったかのような、休憩時間。
そうこうしていたら太陽は一日の登山を半分終え、登頂へと昇っていた。いつの間にかお昼過ぎ。それに気付いたミコは影帽子の中から布で包まれた箱を取り出す。それがなんなのかはオピィにもすぐわかった。お昼に箱。ならお弁当だと。
実際、それを他ならぬミコ当人が、珍しく歌いながら証明した。
「おべんとおべんとうれしいな♪ つくってたべるのたのしいなっと♪」
『まあ、そのお弁当自作?』
歌を聴いていたオピィの素朴な疑問。ミコはそのまま歌う調子で「うん♪」と答えた。
「ここの海に入って最後に寄った町でいい食材が手に入ったからね。ちょいとお店の調理場借りて作っといたのよ。潮風や保温の問題は、影帽子に入れてしまえば解決だし」
説明を終え、「いただきまーす」と箸を合わせて袋を解き、蓋を外したお弁当の中身を頬張り始める。頬張って咀嚼する度にオピィの花と青空を見上げ、まるで写真や絵でも鑑賞しながらいざ食べましょう食事会――というような趣で満喫しているようだ。
一本の桜の大樹にたった一人の花見客――無人島の桜島における花見は世間一般でいうところの花見とは全くもって対照的なものだったが、とうのオピィとミコが楽しんでいるので問題とはならなかった。だってお互い「孤独」だから。そう、周りは緑の木々に囲まれ、下は芝生の中、中央で孤独にぽつんと立つ桜の大樹、オピィ。そしてミコは友達を得ようとも、理解者を得ようともついぞ「共に歩める者」を得られず、一人背中を『宿命』に押されながら旅をする孤独な旅人。ふたつの孤独、ふたつのひとつという共通点があるオピィとミコ。その組み合わせは雑踏のそれにも負けない趣があり、絵であった。そして双方共にそれを受け入れ、好んでいたから、悲観的になんかなりゃしない。むしろこういう落ち着いた環境のほうが楽で好きなこの連中。異端と言われりゃそれまでだが、これはこれでいいものだと、当人達は感じていたのだ。
『美味しい?』色んな意味をひとつの単語に含ませて、オピィがミコに尋ねると、ミコは「うん。景色も最高だしね」と微笑みながら頬張るのだった。
最高の料理に最高の景色。どっちも本人基準だが、その詞が与えてくれる満足感を胸に腹に栄養を取り込むミコ。オピィはその様子を心行くまで堪能する。
「ごちそうさまでした」ミコが全ての料理を食べきった。箸を弁当箱に並べ、両手を合わせて合掌する。うん、実に見ていて気持ちいいとオピィは感じた。
だが、重要な問題が残っていた。それは――ゴミの後始末!
『ねえミコ、その弁当箱って使い捨て用よね? 使い終わっちゃたらあなたのいうところの無価値、則ちゴミ箱行きでしょ? でもここは無人島だから、ゴミ捨て場なんてあるわけない。さあ問題よ。いったいどうやって処分するの?』
わざとらしくイジワルな口調でオピィが突き付けた処分問題。しかしミコはつーんと澄まし顔をそむけると、影帽子から黒い腕に掴ませて、小型焼却器と灰を入れる編み袋を取り出したのだ。どこまでも用意周到な旅人であるミコの得意満面。まざまざと見せつけられ、オピィは観念する他なかった。「ここで燃やしてもいい?」そう聞いてくるミコに『いいわよ。青空には黒煙も悪くないでしょうし』と認めてしまう。ミコは黒い腕のリーチを活かして小型焼却器を枝の影先辺りにまで離して置くと、素早く火を起こしてその火と燃やすゴミを炉の中へ放り込む。ほどなくして上部の排気口から灰色の煙が立ち上ってきた。ミコにとっては遠くとも、枝の範囲内にあるオピィにはプスプスと燃えている音など、焼却処分の様子がよく伺えた。それを見越しているかのように、ミコがオピィに口を出す。
「燃えてる様子なんか見聞きして……楽しいのオピィ? 火で焼かれる燃やされるは樹種にとって最大の災厄なんじゃなかった?」
『そうね。確かにわたしたち木々は火に弱い。燃えてしまえば灰になり、焼かれてしまえばいとも簡単に命を落とす。でもね、自然の営みとして火の存在を否定するほど極端でもないのよ。周りの子達はどうだかわからないけど、少なくともわたしはそんなに怖いとは思わない。自然災害も怖いけど、わたしが応えなかっただけでわたしを蹴るような欲深い連中の方が何をしでかすかわからないしね。そっちの方がよっぽど怖い』
「それこそ、そうね……オピィはわたしだけじゃなく、これまで多くの人に会ってきたんだったね。『心樹の力』を求め縋ってきた、我侭で弱い連中と」
遠くの木々がざわめいた。黙々と昇っていた煙が風に踊らされ、空に奇妙な絵を描く。
一時の間。オピィは過去を垣間見て、忘れもしない『さいしょのこと』を確認する。
『最初に声をかけたあいつも、世の中そんな風に見ていたわ。この世は望みが多すぎる。多くの夢、成功、幸せ。そんなものに縋らなくてもこうして目を閉じほんのちょっと鈍くなるだけで、世界を満喫できると言うのに――ってね』
「ふーん、最初の人はそんなことを。なるほどちょっと似てるかも。わたしもこの俗世は無限がゆえにアリ過ぎるところだと感じている節がある。にしても、眼を閉じちょっと鈍くなれば、か――いい詞を聞いちゃった。今度誰かに試してみようっと」
『ええ。是非やってみて。これはもっと普及していいものだと、わたしは思うから』
「それで、その最初さんにどんな心樹の力を見せたの?」
改めて問うミコの詞に、オピィはうふふと笑いながら答える。
『君の泣いてる姿が見たいって言われたからまだ五分咲きの桜の花を泣く泣く全部散らしたわ。そしたらあいつは満足げに、散らした花をひとつまみ持ち帰ってさっさとこの島を後にしたわよ。ほんと気まぐれで、自分勝手でマイペースで。でも……嫌いじゃなかったな。ああいう率直にものを言える人間は』
「その散らした桜の花、『桜島の心樹の花』としてガデニアの植物館にあるんだってね。先にこっちに寄ってその逸話を聞いていたなら、ガデニアの植物館、行ったのに……」
がっかりした様子を微塵も見せずに淡々粛々と語るミコに、今度はオピィが尋ねてきた。
『そもそもさ、あなたはなんでガデニアに寄ったの? 冒険風は神様とのバトルの結果を熱く語っただけだったから、わたし他のことはぜーんぜん知らない。まさか旅人を名乗るあなたが、追跡者を待ち受けて一掃なんて考えじゃないんでしょ?』
「もちろんよ。わたしはもうすぐガデニアでコンベンションが開かれると気付いたとき、ふと気付いたの。新種の花の成功の影に幾多の失敗山積みだって。花一族はそういうのは全部花の墓所に埋葬しちゃうんだって昔聞いてたから、それはもったいないなと思って失敗品を失敬して、その種を育てたわけよ。成功があれば失敗もある――それがこの世界のありようですもの。その過程であなたの花の名を持つサクラちゃんと親交を深めたっけ。柿之本萌枝ちゃんって名家のお友達もいてね、中々将来有望だったわ。その器量はね」
『まあ……「さくら」の属性を継いだ子と? そりゃあ楽しいことでしょうよ。それで、リバムークの失敗作の種を作った翌日だっけ? まずは宝物を狙う人間達とのバトルだったって聞いたわ』
「そう、気象一族封印型端末三体の内二体、クエイクとウェイブがいよいよ崩壊症状寸前まで追い詰められたようで、その解決をわたしが神様から盗んだ設計図に求めたのよ。花一族の造反者はすぐに考えが及んだけど、自然学派とまで手を組むとは、正直な話予想外。わたしはあいつの関与があったと見ている」
『あいつって……まさか、コスモサーカス事件の!』
「シク=ニーロ」
オピィの察しにその名だけを返答として答えたミコ。しかしそれだけで十分。それだけで凍り付く。迷宮入りどころか不可能犯罪の認定を受ける一歩手前だったコスモサーカス事件。それを解決したミコと、遠いところで操っていたシク=ニーロ。その名前の重み・脅威はオピィも夏運風から聞いていた。現状姿を見せないものの、ミコに対抗し得る実力の持ち主。そして、狂気じみた思考行動の持ち主なのだと。それは、コスモサーカス事件を知るものなら誰もが納得することであった。
そのシク=ニーロが、なぜ気象一族、自然学派、花一族を焚き付けたのか。ミコは淡々と話しだす。
「あいつはコスモサーカス事件でわたしが戦利品として奪い取った『電話』で話したとき言ったわ。『もうここにいる理由がない。会いに行くよミコ=アール。でもボクがそこに行くには時間がかかる。それまで俗物や神様達と遊んでいるといいよ』ってね。だからガデニアでの一件はその一環だと思った。まだ会いに来れない、でも“獲物”のわたしが鈍らないようちょっかいかけたつもりなんでしょう。あいつ、退屈は人を堕落させると考えてる節があるから。鈍ったわたしとやり合っても面白くないって思っているんだわ。まったく……心配しなくてもわたしは『退屈自体を楽しむこと』を知っているっていうのに。で、あいつのリストから選ばれたのが気象一族封印型端末のクエイクとウェイブ。自然学派の自称猛禽類。花一族のOLさん達だったわけだ。あの子たちはシクの書き上げた犯罪時刻表に“乗せられた”。最初のアクションは些細な啓示。でも、一度動き出したら後は定時運行よ。わたしには逃げ場なんてないし、逃げるという選択肢もなかったからね。逆にこれを利用してクエイクとウェイブの崩壊を解消してやったわけですよ。銀の天候儀に硝子の羅針盤もあったからね。お節介は鬱陶しかったけど、シクの介入が無意味に終わったわけでもない。オピィが冒険風から聞いたって通り、神様と闘う準備運動になったからね」
『シクの奴が神様も操って二段構えであなたを翻弄したんじゃないの?』
「いいえ、それはないわ。あいつはわたし同様、神様の領域に達していても神様以上というわけじゃないからね。今回の日程合致は偶然の一致。むしろあいつはあの日を観察することで神様連中を測ったんだと思う。つまりガデニアでの騒動はシク=ニーロのお節介と“本番”に向けた準備観察の場だったってことでしょう。わたしがアパートからこっちに戻って一年超。同じだけの時間を神様達はわたし探しに費やしていた。そこそこ情報も溜まったところであの動きがあったら、積極的な神様達は自分達から寄ってきますって。あいつにとったら棚からぼた餅。千載一遇の幸運ってわけよ」
『なるほど。言われりゃ納得。確かにそのほうが話の筋が通るわね……』
ミコの解説が終わり、なるほどこの子は状況をよく推察していると改めて感じるオピィ。シク=ニーロの存在は神様でさえ知っているか怪しい。奴はそういう分類の秘密人物。そいつがミコに実に自分らしいやり方でちょっかいをかけてくるあたり、シク=ニーロ、根は寂しがりやなのではないかとも思った。会うまでに時間がかかる、忘れないでいてほしい。だから行動を起こした――。
その考えに及ぶに至りオピィはミコに一部始終を話してみたのだが、ミコは苦笑して「寂しがりやってのはないわよ。むしろあいつはワガママで、他人が自分と遊ぶのは当然だと思ってる。他人は自分が遊ぶためのおもちゃだと思ってる。常に上から目線の勝者階級。そんな奴は寂しいなんて詞理解できないわよ。最初から周りと自分は別物――すなわち孤独に身を置いているのだから」
わたしとは似て非なる「孤独」だけどね――そうミコが閉じると、オピィは思わず『勝てるの?』と『声』に出して訊いていた。ミコがそこまで評価する生命体は人間神様問わずそうはいない。その中に入る入ると評価している“敵意を持った相手”が近い将来やってきて、ミコに、友に勝負を挑むとなると、心中穏やかではいられない。親しい間柄には殊更心配性な面が出ると自覚しているオピィだけに、実に無茶苦茶でお節介なことだが、保証が欲しくてしょうがなかったのだ。ミコの、友の無事を願って止まなかったから――。
殺気とは逆方向から風が吹く。気付けば遠くで焼却処分していたゴミも煙を出さずに既に灰となっていた。時の経過を木肌で感じるオピィ。心樹は待っていた、友の答えを。
そしたら友を待たせることなく、ミコは優しく不敵に、朗らかに不遜な微笑みを見せてオピィの不安を払拭した。
「負けるつもりはないわよ。あいつとわたしは似ている。世の中へのスタンスとか特にね。でも決して交わらない。この先未来のとある場所とある時間で出会うことになっても重なるだけで向かうところは別。お互い孤独な人生の一本道。重なるだけでそのまますれ違い過ぎ去ることだってできるでしょう。でも……」
含みを持たせたミコの語り。話は続く。
「あいつは野放しには出来ない危険人物だわ。だからわたしが止める。その問題を解決するためなら、どんな手段も厭わない。あいつなんかに、この世の中を好きにさせてたまるもんですか!」
力強い決意表明。それがオピィに些末な安心を与えた。ささやかなものだけど、それでも安心できるとホッとする。ミコが言うなら大丈夫だろうと、その詞を受け入れる。なんせ言っているのは、神様の問題を解いてみせた、ミコ=R=フローレセンスなのだから。
なのでシク=ニーロの話はお終い。オピィとミコの会話の話題は乗っかる形で参戦してきた神様連中に向けられた。
『神様達はどうだったの? 確か派閥があるんだよね? あなたとして有望なのはどこの誰なのかしらねん?』
有望な神材は誰なのか――オピィの問いにミコは「ノンノン、違う……違うわよ」と珍しく自分の手を激しく振ってオピィの詞を振り払い、話の本筋を規定し直す。
「神様たちは神材なんて名称使えないわよ。使えないし。役に立たないし。考えてもごらんよオピィ、有能な神様が人に使われるなんてシーン……想像しただけでも白けてシーンと静まり返っちゃうわ。威厳があってこその神様。わたしに負けても、わたしが連れてった子達に戦闘で負けても、それでも人の上にいる――アパートに住み、不老不死の設計図をもつ高次存在。それが神様なんだから。そりゃ神格として褒められたもんじゃない方もいらっしゃることはありますが、それでも神様は見上げるもの。決して見下すものじゃない。だから神材なんて上から測るかのような言い方はダメ。神様は常にわたしたちより高い場所にその身その心を置いているのだから。それだけは認めないと、あの方たちなんでもなくなっちゃうわ」
『そうですか……ふうん、新鮮な解釈ね。それだからこそあなただったのかもね。わたしみたいなものや世間一般さまからしてみたら神様もまたわたしたちと同じようにその社会を維持しているものだと思っていたから』
オピィがこれまで積み上げてきた既成概念を吐露すると、ミコはまた手を振り回す。
「社会? ありえないわ。神様はアパートにひとり一部屋自分だけの場所にひきこもって他の神様仲間とコミュニケートしているんだから。社会なんて捨て台詞。個神でいることが神様の実態よ」
『ほう……想像もつかないけど、とにかく「個」を礎に置いて、そこからちょびちょびコンタクトってみたいな感じかな?』
「概ね正解。神様に『社会』や『派閥』という詞を当てはめるなら、それはわたしたちのものとは違うものとして考えて。ま、あれが進化か退化かはわたしにも判断つけかねるけどね」
長い注釈の最後にふと匙を投げてお手上げ〜と笑える最後で話を閉じるミコにオピィは思わず笑ってしまった。なるほど、結局はミコでも測りかねるもの、それが神様達だったのか――その主旨がわかっただけ十分だ。なら笑おう。オピィは『声』に出して『ふふふ』と上品気味に笑うと、『じゃ、認識を改めたところで再度質問。アパートやガデニアの一件を通してあなたがインパクトを受けた神様って誰がいる?』と、もうこれが最後だからと尋ねてみた。するとミコはがま口チャックから出していた黒い腕を離れた位置に置いていた御役目御免の焼却器に伸ばす。パパッと焼却器を解体し、手から黒い袋を生み出して焼却器ごと灰とゴミを覆い包むと、自らの元へと、がま口チャック、影帽子の中へと戻し、場を綺麗にし、残すのは枝泥棒した桜だけに整えてから、「そうねー」と前置きして語り出した。
「一番は消えた泉さんかな。彼女の“歌”がなかったらわたしは問題を解こうとも思わなかっただろうし。まあ、それをしちゃったせいで揃って『宿命』背負うことになっちゃったりもしたわけですが……それでもやっぱりアパートのあの場所で一緒に歌えたのは嬉しかったし……楽しかった。こう言っちゃったら物凄く俗だけど、心に届いたとか、心と心が繋がったって、そう感じたの」
へえ〜と感心しつつも次を急かすオピィ。ミコはそれを受け止めさらに続ける。
「二番手はなんといっても魚さんと愉快な仲間たちね! 祝ちゃんと哉ちゃんを弟子にとる旅の神の技量と器! 推して測るべしと言うておこう……冠詞5文字の設計図を持っているのは魚さんの他に、零、迷、絵の四人がいるけど、わたしの見立てじゃ、三本の指に入るのは泉さん魚さんに零。迷と絵はちょい下、祝ちゃん哉ちゃんコンビに近いほうだけど消えた泉さんと零以外はみんな魚さんの言うこと聞くもの。人望ならぬ神望って点では魚さんは群を抜いているのですよ。孤独な集団を見事に束ねる――正にあれこそ魚=ブラックナチュラルの神業ね。今上げた面子だけで整や透、帳に極、完、失&幽と、次いだ実力を持った連中を完膚なきまでに従えられる。只でさえ頭数で2名(泉さん含めて)少ない女神間の繋がりは強いから、最大勢力を作り出せる魚さんが次点だと思うのよ。そもそも泉さんを一番に据えたのもわたしの極めて個人的な体験からなるひいき目だからね。実力的には魚さんが間違いなく神様仲間のリーダーでしょうね」
『ほほう……一気に名前上げたと思ったら終わってしまったわね。後は有象無象かな?』
「いや……これが全員個性的でね、“人間”であるわたしからしてみりゃその点神様同士みたく分け隔てなく仲良くするなんて不可能だったわけで、取った態度は千差万別。落にはコント対決でたまたまうたまるに笑われたからって『神様なってコンビ組もうや』ってうるさいし、希にはその嘘と騙しの資質に期待してあえて天の邪鬼な対応して奮起を促そうと発破をかけたら『見逃された!』って泣かれ恨まれるし……うまくいかない方々も多くてね。その点みんなを束ねている魚さんがわたしの理解者なのは本当にありがたいわ。通じ合えるところもあった方だからね。『背中を魅せ合える関係』って点で」
なんと……オピィはその詞に絶句した。ミコの体得した定律に以下のようなものがある。
人の背中は嘘をつかない。人とは、口ではなく背中で“真実”を語る生き物――と。
元々推察視力62.0を誇るミコ、パッと見ただけで真実を見抜くが本当に重要視しているのは顔でも目でも口でもなく“背中”――曰く、背中は『表現の死角』に位置し、事実真実のごまかしがきかないのだとか。一年と一日前の梓弓の月、初めて出会ったときにミコがおよそらしくない、得意気に話していたのをオピィは今も鮮明に覚えている。それだけに驚いたのだ。その背中を魅せ合える間柄に旅の神、魚=ブラックナチュラルがいたことが。だが同時にオピィは心のどこかで納得もしていた。ミコの“背中”。その“意味”を知っているものは自分を含め、存外俗世に多くいる。元気象一族の仲間だったウィンド、カーレント、メテオに花一族ならストック、自然学派ならエレーヌほどの学部長クラスで面識がある者なら当てはまるし、伝承楽団は言うに及ばずだ。それだけ俗世で知ってる連中がいて神様が1体もその背中の“印象”に気付けなかったら幻滅失望しかねないから。神様程の存在が61,2体もいて……という感覚になったのだ。安堵にも似た気持ち……オピィは神様の中にもミコの理解者がいることに安心した。それなら彼女の旅路を引っ掻き回すことはあっても、狂わせることはないだろうから。本当に、ことあるごとに「急いでない」というミコだが、残り時間は限られている。それこそ『次』があるかどうか。
そして、まさにオピィがそこに考えを巡らせたそのとき、ミコは上体を持ち上げ、片腕を軸に背を伸ばして身体をほぐし、こんなことを言った。
「ここだけの話、勘なんだけど、もう『次』はないかもしれない気がするんだ。予感がするの。わたしがオピィの花を見られるのは今日がきっと最後だろうって」
『ミコ……だったら!』
「言わないで。あなたは友達なんだから。お願いするならわたしからするわ。だからちょっと……昼寝でもしますか」
『はい?』素っ頓狂な抑揚の『声』で、オピィが肩透かしをくらったかのような反応を見せた。そりゃそうだろう、気を許した間柄、まだ魅せていない心樹の力、そして次はないという予測――当然すぐにでもオピィの力を見せてほしいとねだってくるもんだと思っていたのにミコったらこれである。人間だったらきっと足を滑らせてズッコケるんだろうなと、心樹は自分の心境を、人間に重ね合わせて表現した。話し相手が人間なだけに、中々ユーモアが利いている。
――と、それどころではない。本当に寝られる前に、聞いておかないといけないことが。
『ミコ、本当に寝るつもり? そりゃ今日の満開はここまでで、これ以上の花景色は魅せられないけど……瞼を閉じて寝ちゃうなんて』
オピィにはわかっていた、これは説得でもなんでもない、オピィの心を映し吐き出した駄々なのだと。だからミコが応じず寝ることは半ば認めていた。諦めていた。しかし、そこは相手がミコ=R=フローレセンス、聞かずに行動する勝手気ままさはあっても、愚痴を受けて釈明するくらいの優しさがあったのだ。
「オピィ、わたしね、『今が幸せ』だって胸を張って言える。だってそうでしょ、この俗世に知られた伝説の名所で伝説の樹と心通わせ、あまつでさえその樹の花に包まれている。この桜島の景色が、空気が、息吹が、みんながいることが凄く心地よい。だから、目や意識しての認識に頼らずに、無意識の“わたしという存在全部”でその心地よさを、ユメをさらに感じてみたくなったの。ううん違うわね。わたしは寝る子。それをあなたたちに見守ってほしいんだわ。あなたたちという絶景の“環境”に包まれて“わたし”が眠るとき、そこはきっと“宇宙”になる」
『“宇宙”に……』
“環境”と“宇宙”の違いは“わたし”。見て、触って、感じるわたし自身。オピィ達とわたしがひとつになる、全てを含む“宇宙”になることでここが絵になるのよ――ミコはオピィに柔らかで、微睡みを誘う声でそう語り聞かせた。そこまで聞いて、オピィもハッと気付く。
(そうか。ミコはわたしたち桜島の“仲間”になりたいんだ。この子は旅人、何にも混ざらない葉っぱだけど、今この子はその不文律を破って、わたしたちとひとつになる“思い出”を求めているのね……)
ミコの真意を察し、オピィの枝と花が大きく揺れる。感動しているのだ。唯一無二の葉が、この桜島に混じってくれることに。人間だったら涙を流せるのに。この思いをもっとストレートに伝えられるのにと、心樹は自分が木であること、涙を流せないことをこれでもかと悔しがった。だってミコの気持ちが、本当に嬉しかったから。
そんな感じに心樹オピィが感動していたら、根元から安らかな寝息が聞こえた。
「すー。すー」
『あら?』
オピィは突然のことに虚を衝かれてしまった。ミコはもう、眠っていたのだ……。
影帽子で顔を隠すこともせず、本来影のあるべき場所を黒で塗り潰したその顔は一件異様で怖い顔。でもミコ自身の豊かな表情に目、耳、鼻、口の愛らしさと「すー、すー」と子供みたいに純朴な寝息を立てるミコ=R=フローレセンスからはそんな怖さを上回る、今までにない愛らしい寝顔か感じられる。オピィの張り出した根を枕にし頭と影帽子を預け、背中から足までを草むらに寝かせ、横になって微睡んでいる一人の少女。旅人であるという自意識のスイッチがオフになったことで、ミコの姿は彼女自身が行った通り、「旅する葉っぱ」を一時だけ休み、たまたま寄った桜島の春の風景に無意識のうちに同化した「絵の中の葉っぱ」になったのだろう。その少女がここにいることにオピィを始め、桜島全ての生命がなんの疑問も抱かなかったのがその証拠。ここに住んでるわけでなし、世話してくれてるわけでもなしの、単なる余所者の旅人がこんなにも自分達と調和している事実――それがオピィを震えさせた。人間で例えるなら泣かせたのだ。この長い生の中で、この桜島の歴史の中で、今以上の『瞬間』は、もうこないかもしれない。いや、きっとない。そんな諦めじみた勘と断定がオピィ達桜島を一層満たしてくれていた。草、木、花、土、石、波、そしてオピィ、桜島全てのモノがミコと一緒の“絵・宇宙・思い出”になるべくありのままの桜島でいた。旅人一人を寝かせる桜の心樹オピィに、それを取り囲む周りの自然。皆が感じた。確かにそのとき、自分達はひとつになっていたんだと。
それこそがミコの行っていた宇宙なのだろう。オピィはミコの詞を噛みしめて痺れる気持ちを抑えきれずにいた。そんなとき、ミコが寝言を呟いたのだ。
「あたたかいね」
至極単純なその詞、しかし心樹の域に達したオピィはその何気ない詞にふたつの意味があることを感じ取った。
ひとつは今“絵”になっている桜島の“環境”を暖かい、心地よいものと感じている。
もうひとつは他でもない、ミコが枕にしているオピィの根が暖かいと感じているのだ。そう、「暖かい根」という詞に、そういう意味に聞き取れたのだ。
『こんなごつごつした根を暖かい根なんて……あんた、優しすぎるわよ。ミコ……』
オピィはミコの詞にさらに身体と心を痺れ震わせて自分の意識も自ら閉じた。
ミコと同じ“絵”になるために。
同じ“宇宙”に共に在るために。
そして同じ“思い出”を共に過ごすために。
昼過ぎの桜島、島全体が静まり返り、ひとつの切り取られた“宇宙”として誰にも穢されることのない“絵”になる風景を作り上げていた……。
俗世からちょっと離れた場所に位置する、神様達の俗世本拠地。
其処に先の味酒の月、標的であるミコ=R=フローレセンスと接触してきた神様達39体が帰還した。神様仲間の面々が思っていたのはミコとの接触を果たしたという高揚と他の人間無勢にも負けたと言う悔しさ、そして人間の底力を肌で感じて畏怖した、等である。満足残念悔恨天晴と個々に思う感情は違えども、皆がガデニアでの夜の思い出に浸り戻ったのだ。
だから中に入るまですっかり忘れていた、此処に置き去りにしていた神様連中――ミコとの決着の為に仕事に励んでいる神様達がどんな状況で働いていたかなんて。
「ただいまー」神様仲間の代表格、魚=ブラックナチュラルが隣に可愛い愛弟子2名、祝=エイプリルフールと哉=アリバイを引っ付けて本拠地の扉を開く。魚達3名が率先して玄関先の大ホールに向かう。其れに同調する絵=パッションと迷=アンティックを中心とした女神勢力に、女相手に気後れすることもない整=キャパシティブレイクと熱=デファクトスタンダードを中心とした男神勢力。女神と男神の別は在れども、皆此の一年間ミコを追っかけた仲間として、其の一年の体験を解放するかの如く、我も我もと大ホールの長椅子やソファに腰掛ける。先月ミコと闘った後、言伝も終わったので大挙しつつも一目散に此処本拠地に足を向け、数日掛けて帰ってきた。軈て39名全員が椅子に腰掛け背凭れに寄りかかり、終わった仕事の疲れを今から取ろうと思った矢先。
疲れを癒すどころか逆に疲れさせてくる、熱い咆哮が聞こえてきた。
「できたあぁ! 遂にできたぞゲームの概要! 待っていやがれ製作班、今俺僕達スーパークリエイタ達が概要を持って行ってやるぜ!」
そう言って吹き抜け2階の一室の扉を開け、長袖ポロシャツの上にマフラーを巻き、ボロジーンズをパタパタ動かし同じ2階の製作班待機部屋まで完成データを持って行こうとしている奴が居る。神様仲間の中でもお調子者で名が高く、其の場の勢い任せで動く事で殊更知られる進化の神、進(すすむ)=スターマインだ。
出来たと進は叫び現れた。然しその様は見窄らしかった。何時間、何日、何ヶ月寝ずにゲーム創作作業に勤しんだのかは分からないが、1階大ホールで休んでいた魚達から見た進の目は濁り澱んでいた。最初の叫びの声量とは裏腹に、身体も落ち着きなく上下して、まるで燃え尽きた灰だ。服もはっきり小汚いと分かる。そんな進、見下ろせる絶好の位置にいる外から帰ってきた一階大ホールの神様仲間達には目もくれず、飛び出してきた「創作班」の表札が書かれた部屋に向かって先までとは一転して、息も絶え絶えに嗄れた声を掛ける。
「ほら……士(つかさ)、直(なお)、剣(つるぎ)、巧(たくみ)、巡(めぐり)、颯(はやて)、守(まもる)、いくぞ、俺僕に着いて来い……ハァ」
「うゔうゔうゔうゔ〜」
白衣の直をはじめとする進に急かされた神様達は、まるで怪物のように生気のない不気味な表情で先の呻き声を上げながら創作班の部屋から出てくる。中にはドアの縁に寄りかかった途端廊下に倒れる神達まで居た。其の異様な雰囲気に、下の1階大ホールで見ていた魚達外出組も流石に動揺する。特に魚より神望が少し劣り、そのくせ心の余裕も劣る環や葵をはじめとする女神連中が反応し、声を掛けた。
「ちょっと! 直、巡、大丈夫? そんなに疲労困憊って身体で……無茶しちゃだめって外に出る前アタシあれだけ言っといたのに……」
其の環の声が響いて初めて両者は相互関係を構築した――1階大ホールに帰って来ていた外出組の存在に気付いていなかった進達8名が、ようやくその存在に気付き、各々大ホールに目を向けた。というか進以外の7名は全員部屋のドアから動かぬ身体に鞭打ってぞろぞろと手摺の柱に首を嵌めて、此方に泣きっ面を見せて訴える。最初に声を出したのは直だった。
「ゔゔ〜みんな〜、帰ってきてくれたんだね。立派に仕事を果たしてきたんだね。ミコに宣戦布告してきてくれたんだね。直達はもう、ボゴボゴだよ」
「整の兄貴ーっ! 助けてくれーっ! 俺達兄貴達が出てってからゲームのルールとか作ってたら突然製作班の進が乗り込んできて我が物顔で無理矢理俺達を従わせやがったんだあ! それからの扱いは見ての通りだあ! さあ見てくれ、さあ!」
直の簡潔な現状説明に続き、整を一方的に慕う士が事の経緯を個神的な熱は在れど詳細に説明してくれた。そして其れは魚をはじめとする外出組全員にとっても聞き逃せない事だった。徐に長椅子から立ち上がる外出班の神々達。進に問いを投げたのは魚ではなく、母性の神こと葵だった。
「進、今の証言この状況、聞き捨てならずまた捨て置けませんね。あなたはゲームを作る留守番組の製作班に編入されたはずです。それがどうして創作班にいる不真面目男になったのですか? 直達本来の製作班をこんなになるまで……見るに耐えません。返答に因っては、分かってますね?」
母性の神の通り名に違わず、虐げられてると映りし直達の味方を気取った追及だった。其れに同調したのが神様屈指の情報通。情報の神紫=ミュージアム。
「そうだよね。留守番組はミコに勝つための必勝ゲームを作る為に“創作班”、“製作班”、“プレイヤー班”に割り当てた。決め方だって籤とかじゃなくてちゃんと魚、絵、迷の珊瑚衆で公平且つ適正に神材を分配したはずだし。進、お前は類稀な『素質の設計図』を持ってる自分を活かせるならどこでもいいけど、強いて言うならイラストデザイン系、実物を作る製作班がいいって言って、珊瑚衆はそれを叶えてくれたじゃないか。それがなんで創作班にいるのさ?」
葵に続き、情報通の紫が抑の経緯を解説しながらより明確に進の現状、其の矛盾を指摘する。すると見る見る内に顔色を悪くする進。干し柿を始めとし、まるで干涸びて皺だらけに成った実の様に、如何にも「苦し紛れ」と行った表情を見せてくる。下から前から其の視線を一斉に浴びせかけられる進に、更に創作班もう一人の女神、巡=サーキットドリームが追い討ちを浴びせる。
「あたしら創作班がゲームクリエイティングに勤しんでいたらさ、いきなりドア蹴破って現れてさ、“素質覚醒”で作業を捗らせてくれたよ。でも同時にさ、支配信号も組み込ませてさ、あたしらを徹底的に働かせ続けたわけですよ。休憩返上報酬カット、その上尊厳一切無視ときたもんだ。そりゃあたしら人間じゃなくて神様だから過酷労働もドンと来いだけどさ、さすがに現度を越えてたぜ」
巡の詞は止めだった。遂に渋顔止まりでまだ立っていた進が体勢を崩したのである。其れも此れも巡の発言を聞いた神様達が一斉に非難轟々の強い視線を進に届けたからだ。
と、此処で謎の逆転現象。徹底的に追い詰められていた筈の進が、何かを悟ったかのようにすっくと立ち上がり、自分に目を向けている神様仲間達に向かって言い放つ。
「お前らー、俺僕が製作班でどんな扱いを受けたか知っているのかー? 俺僕は親切にも製作班に“素質覚醒”を施したー。しかし中々創作班からの連絡が来なくてジリジリしてなー、遂に俺僕が一寸様子見てくるって製作班部屋を飛び出したら……閉め出されたんだ」
「……え?」
今迄本人だけが秘めていた事情の告白。聞いていた神様仲間達は被害者達の情報から「どうせ実際やってみたけど合わねえって判断したから鳴り物入りで押し掛け乗っ取ったんだろ」程度の解釈であったが、進の告白は全く別ベクトル。閉め出された? それではまるでリストラではないかとちょっと進に同情してしまう。進は更に続ける。
「俺僕は必死にドアを叩いた。『入れてくれー。戻してくれー』って。しかし中の連中の返答は『NO、お前はもう用済みデース。我々が飽きない為に創作班にも“素質覚醒”して仕切ってこいって』内容だったー。そうだ、俺僕は締め出された、追い出されたんだー。お前らにー、リストラされた奴の気持ちが分かるのかー? お前らにーっ! リストラされた俺僕の気持ちがわかるのかーっ! あああああああーっ!」
そう吠えて男泣き、吹き抜けから奥の方の製作班部屋に突貫する進の姿を見て皆何故か一抹の寂しさを覚えた。利用された残り7名の神様に1階大ホールにいた外出組の39名は進の詞にやられた。特に最後の叫びは皆の胸をキュンと射った。利用された筈の7名が「進……進ゴメン!」と這いずる状態から叫び匍匐前進ででも追いかけようとする姿勢を見せたのだが、遠い奥に消えた進からは「来ないでくれー。一人でやらせてくれー」と悲愴な返事が帰ってきた。そうか……進には進の事情があったんだと、受けた仕打ちに掻き消され、そんな当たり前のことにも気付けなかった。彼もまた大事な神様仲間の一員だというのに。進、ゴメン――一部始終を目撃した神様達の大半は進を責めた己を恥じた。其れが此の後あんなオチになろうとは、まだ誰も知る由もない。
取り敢えず覚醒した進が創作班の完成データを古巣の製作班に逆襲と言わんがばかりに持って行く、それで神様達の俗世本拠地の騒動は一段落とは……ならなかった。手摺や廊下に倒れ込んでいる製作班の7名を、放っておけない“仲間意識”からミコとの接触を体験してきた外出組39名が引っぱり上げ、疲労回復効果のある1階大ホールへと其の身柄を宙に浮かせ、ソファに落とした。直と巡は女神仲間のど真ん中、堂々と横になって勝手に膝枕とか借りつつ眠る。其の相手が愛と男神の湊なのがまた神望を自負する環と葵を刺激する。シャツに背広姿の士は敬愛する整に飛びつこうとするが、周りの女神仲間達に実力行使で阻まれ、当の整も女神仲間達にさりげなく移動され隔離されるが逆らえない。古代の凝った民族衣装に身を包む守と着の身着のまま荒布の修行装束一枚着である颯は仲間の了解を得て長椅子に寝そべり毛布迄羽織る守と此れも修行と言わんばかりに椅子に背中を預けるだけで、座ったまま寝る颯と云った此れまた実に対照的な休息の取り方。ウィンドブレーカーに身を包んだ巧と俗世でも剣を持ったまま歩けそうな騎士服を着込んだ剣は、『常識神』のポジション・評価に違わず、何の騒ぎも起こさずに、外出組の輪の中にすんなり入り込み、自分達も長椅子に座ると背もたれに上半身と首を預け、そのまま寝に入った。創作班の最後である巧と剣が見せたその余に自然な仕草に感化され、帰ってきた外出組の面々も、残る製作班の面々も狸寝入りの疲労回復と我も我もと眠りこける。
そんな中、隣に可愛い華こと愛弟子の祝と哉を膝枕している魚は、帰ってきたなり起こった此の騒動を経て、確実着実に事態は先月自らが相手に直接告げたミコとの決着に向かっている事を漠然と思っていた。此れから製作班が“実物”を作って、プレイヤー班がゲームをテストプレイして試験し、確実にミコに勝てる迄戦略と戦術を練り上げる迄、もう殆ど時間はかからない。創作班が其の身を削り絞っている間に、連中は連中で「勝手」に作業を進めている筈だから。個神個神は違っても、長年一緒にアパートで暮らした神様仲間、なんだかんだ言っても抜群のチームワークを誇る集団、其れこそが神様連中。多少予想と違うのが完成品として上がってきても直ぐ適応し、其れ以上の物にしてみせる。其れが神様クオリティ。ただ、相手はあのミコ=R=フローレセンス。突如として現れ、想像以上の騒動を起こした人物。そしてなにより、神を死なせた少女――その存在が魚に別の可能性を想起させる。こちらがどんなに策略謀略を練っても、其れをひっくり返してしまう可能性を魚は頭から切り離せなかった。ミコちゃんなら、やってのけそう――そう思うと同時に、そっちの可能性もまた面白そうな気がするのだ。其の片方は神様仲間達への裏切りだろうが、どっちの可能性も楽しめる神生、其れも一生に一度有るか無いかの稀少度である。魚は此の時密かに決めた。
(わたしはこの勝負、両方の立場から楽しもう)と。
そう決意すると一気に眠気が襲ってくる。魚は小さく欠伸をすると、ソファの背もたれに寄りかかって、傍らの祝と哉を抱きかかえるように眠りについた。
一応完全に眠りに落ちる前、今回頑張った創作班のメンバーへの賞賛も忘れずにこなす。
進化の神、進=スターマイン。
深窓の神、士=インフィニティループ。
切札の神、剣=スペード。
発案の神、颯=ピンポン。
戒律の神、守=ウェルス。
夢望の神、巧=キャットウォーク。
密室の神、直=ファンクション。
騒動の神、巡=サーキットドリーム。
以上8名の創作班を担い完成させた神様仲間達への偽らざる感謝を胸に、魚の意識は深層に沈んだ……。
夢を見ていた。心樹のわたしにはこれが夢だと、わかっていた。
わたしは蝶になって桜の木では得られない自由を謳歌していた。
蝶のわたしは自由に飛び回り、たくさんの花を行ったり来たり。
まるで本当の蝶になった気分――そんな気持ちが心を躍らせる。
そのときふと思い当たった。これは本当に夢の中なのかどうか。
蝶の自分が夢なのか、それとも桜の木である自分が夢なのでは。
しばし考えるわたし。どっちがわたし、どちらもわたしなのだ。
そうだ、夢とか現実とか関係ない。どちらもわたしに違いない。
本質のわたしは夢でも現実でもちゃんと生きている。それが証。
ならば起きよう、そしてその場にあるわたしで生き楽しむのだ。
夢も現実も、一生の中でわたしが生きる場所。それだけが真実。
そこに違いなんてないのだきっと。ねえ、そうでしょう……?
オピィは夢から覚めた。身体は根を張り枝は伸び花を咲かせているいつもの身体だ。
(少々名残惜しい気もするわね、また蝶になれるかしら)
夢への淡い希望を抱きながら起きると、随分と寝過ごしていた事に気付くオピィ。
西に沈む太陽が、そこから空を強く眩しく、光そのものの黄金色に染める一方、反対側の東の空には、夜を彩る星々が、ぽつり、ぽつりとまだ小さな夜空に光を放っていた。
そう、今はまさに日没の時。夜空と夕焼け、そして上空の青空が混じり合う、ありふれた、でも神秘的な時間帯。
そんな風に時間確認したオピィに投げかけられる、一陣の声。
「いい夢見れたみたいねオピィ。そして起きるタイミングも完璧。みっつの色に別れた空がわたしたちに空と言うカンバスを彩るマジックを魅せているところよ」
詩人ね――オピィは自分より先に起きていたミコの詞を聞いてそう思った。それでもオピィはさっき見た夢の意味と、ミコの旅をダブらせていた。
どっちも主体は自分であるなら夢でも現実でも楽しめばいい。知が区別する領域など、どうでもいいことなのだからと、あの夢ははっきりオピィに教えてくれた。
そして、一年と一日前、ミコと初めて出会ったとき、ミコは言った。“残せる”かどうかに興味はない。そんな些細なこと、最後どっちに転んでもいいじゃないって――ミコの目的があるようで決してそれにこだわらない旅。逍遥――自由な境地のままに。ミコの旅路が気まま気まぐれにこの世を渡り、そして遊ぶ。旅する生き様を“楽しむ”ことを、ミコはその背中で一年と一日前から示してくれていたのだ。一年と一日を通して、ミコの生き様とオピィの認識が合致した瞬間だった。そしてオピィははっきりと意識を覚醒させる。
ミコはもう寝てはいなかった。オピィよりも早く起きて、オピィの身体を昇り、幹から枝分かれした枝に腰掛けていた。背中を預けられている感触でわかると同時に、こんな構図もいいなと一考する。まあ、それよりも先にミコの詞に応えてあげなくてはいけないだろう。それは友達としてできることであるだけじゃなく、友達の証であるのだから。
『本当……空が絶妙なバランスで何色にも彩られているわね。夕焼け、普段は陽炎のようなオレンジ色なんだけど、今日はすっごい黄金色ね。でもいいのミコ。わたしに跨がってなんていて? これだけ空が綺麗な色で塗られているのにわたしの中に入っちゃったら、頂の花とかで空が見えないんじゃない?』
オピィの至極もっともな美意識を感じさせる問い。されどミコもまた美意識を持っている。ちょっとオピィや世間一般のそれとはちょっとずれているけど、ミコはこう話してくれた。
「オピィの枝葉に花に守られて、オピィを傘にして隙間から覗くこの空も、いいものよ。この自然の奇跡にあなたの満開の花が散りばめられ、それを見上げる。不完全の美――想像させる美になっていいもんだわ。それに――」
『それに?』
「わたしはあなたに守ってほしいのかもしれない。こんな空の奇跡みたいな景色、いつまでも見ていたらそれだけになっちゃって毒されてしまうかもしれないから。あなたという傘に、守ってほしいとか……ね?」
このおくびょうもん――と『声』では言いつつもオピィはそのいじらしさ・愛らしさ溢れる詞に大きく同調した。なるほど、過ぎたるは猶及ばざるが如くとはこういう場面で使う格言なのだろうと、納得する。
そうしたら……一気に心が軽くなった。心と身体が繋がって、エネルギーが循環する。生きているって実感を、オピィに与えてくれる。
その生き生きとした生の実感が、ある直感をオピィにもたらした。
もう覚悟はできてる――オピィは黙ってその詞を待つ。
そして、枝に立ち上がったミコからその“詞”は出た。
「ここまでね。再会も果たしたし、桜島は満喫したし、なによりわたしは行かなきゃいけない。ごめんねオピィ、旅立ちの時、別れの時よ」
空が、落ちてきた気がオピィにはした。ミコがいなくなる心の穴を埋めるべく、空に縋ったのかもしれない。それでもやっぱり埋めきれない。ミコの存在はそれほどまでに大きく、輝いているから。
そしてこれが『最後』の機会になるかもしれない――なぜだかそれをオピィに確信させるひとことを、ミコは続けて告げたのだ。
「心樹の力の使い道……わたし、思いついちゃった。このリバムーク・プロトタイプが華々しく避ける場所まで、わたしを導いてほしいの」
そう話すミコの手には影帽子から取り出した黒い箱と絹の布、そこに包まれた、19粒の瑠璃色の種。
遂に来たか――オピィは感極まる思いだった。一年と一日前に心樹の力を使っていいよと提案したもののすげなく却下されてから、いつか、いつか……と待ち望んでいたときがきたのだ。
さらにミコが自分に関することではなく、持っている花の種のために自分の力を願ったことも、また予想の範疇だった。そういう気ままなことで動くのがミコ達“旅人”だし、この願いもある意味、花を幸せににしたいという、ミコ一流のお節介。つまりは嘘偽り無く、ミコの願望でもあるからだ。この場のタイミングと状況によってそれは変わり得るものだけど、オピィとしては同類の植物を、花を導くべく力を使うというのは実に本懐、心が弾む願いだった。異論など挟む余地もない。いや……それでも冗談混じりに『声』に出そうかとも思っていたが、やっぱりやめた。ミコは全てお見通しだと気付いたからだ。なら今から『声』に出して切り出そうとした会話もきっと出す前に終わってる。会話しないのは愚行だろう。でもわかりきったことを蒸し返すことだって愚行。どっちに進んでも“愚か”に繋がる道の上で生きてる自分達。オピィは黙することを選んだ。それがきっと、オピィとミコの繋がり……そういうものなのだと思ったから。
オピィは葉から思いっきり息を吸い込み、力を『声』にのせて叫ぶ。
『よっしゃ! 数百年ぶりの心樹力最大解放よ。ミコもよーく見ておきなさい。これが、“心咲かせる花の魔法”よ!』
オピィが叫ぶと同時に、オピィの身体である桜の木からほのかな緑色の光が、花、葉、枝、幹、根など全ての場所から飛び出してきた。まるで蛍を思わせるその淡い緑の光は、放出されると同時にオピィからそれ以上離れることはない。むしろオピィに纏わりオピィを『桜の木』から『桜の木・奇跡行使モード』へと変貌させているのだ。緑の光はオピィに吸収され、そこで変わらぬ光を放つ。こうして蓄えていた心樹の力を解放すると同時に、目的のために力を留めておくのだ。
(そう、この子がわたしに願ってくれた。今はそれが、何より嬉しい)
願いの中身など関係ない。ミコが願ってくれたことこそこの感動の源だ。それを知っているからこそオピィはこうして数百年分にも匹敵する奇跡を起こせる魔法の力を使い切ろうとしているのである。
そうしてオピィが緑の光に染まりきったとき、光は消え、遂に魔法が発動した!
オピィの桜の花びらが、咲いている分も蕾の分も、全て花開き「一瞬の10割満開」を見せつけると、全ての花びらがオピィから飛び散り浮遊し、ひと回りオピィの周りを飛んで遊ぶと、全ての花びらがミコの足元から「ある方向」へと、花びらの道を作ったのだ。
空の先へ続く、一本の道を……。
一切合切全てを見届けたミコは、「わぁ……」と感嘆の詞を上げて静かに顔の前で静かに量の手を合わせる。目で追う花の道の行き先に、思いを馳せているのだろう。
そしてミコとオピィは、今生最後の会話を始めた。
「すごい魔法ねオピィ。全ての花びらを使って、わたしとこの子たちに“道”を示してくれてる。この空に架かった橋を渡って行けば会えるのね、この子たちが輝ける場所に」
『惑星全体に問い合わせて、最高の場所を導き出したわ。行ってあげて。そこにはあなたの手にあるその子たちを待ち望んでいる人がいるわ』
「それにしても空の道とは、くふ……あはは」
ミコはケラケラと笑った。屈託なく笑った。心の底から笑っていた。空に敷き詰められた桜の花びらからなる花の道。これを歩くこと、それは空中散歩と同義だということ。目立つわね、ただそれだけの理由、ちょっとした羞恥でミコは笑ったのだ。それはとてもちっぽけで、幸せと思える、素敵な出来事……。
だからオピィも一緒に笑った。一緒に笑いつつミコの笑い声を賛辞として、拍手として、そして最後の声として聞いていた。もう二度と、忘れることのないように。
そしてミコとオピィ、二者の笑い声は自然と止む。ミコはその目を立っている枝の根元から枝先、そしてその先っぽから果てなき空へと伸びる花の道に向けていた。どれだけ時間が経っただろう。やがてミコは無言で一歩、また一歩と枝先へと、花の道へと進んでいく。これでお別れ。いつもずっとこれからも経験し続けていく出来事だが、久々に心を許したミコ=R=フローレセンスとの別れは、名残惜しく、物悲しさを感じさせる。
わかっているのに。止められないと。見送らなければならないと。
でも……勇気が出ない。
そんな臆病風にオピィが怯えていたら、ミコは枝先と花の道の始まりまで歩みを進め、そこで立ち止まっていた。顔をこちらに向けることなく、いつも魅せるのはその背中。
そしたらなんとミコはオピィの予想を裏切り、最後の詞の上書きをしたのだ。
「オピィ、わたしはもうあなたと再会する『次』を感じられないけど、わたしがもし『託せる子』に『残せた』なら、きっとその子もここに来る。あなたに会いにわたしが来させる。だから……これで最後だけど、さよならだけど、これで終わったなんて思わないで。終わるのはそれこそ生き物が生を閉じたとき、物事に決着が着いたときだけで十分。そうして繋がって行くものでしょう? 絆って。時間って」
『ミコ……そんな先の世話まで焼いて、あなたは優しすぎる。それが旅人だと言われればわたしは反論できないけど、もうちょっとその優しさを自分にあげてもいいんじゃない?』
「なにをいいますか。系統樹を外れ舞う葉ことこのミコ=R=フローレセンスが自分を労らないわけありますか。ただ他の人間には愛想つかしているぶん、世話を焼いちゃうだけですよ」
『そう……』
「そう……」ミコとオピィの会話が途切れる。まるで、夜が隙間風を吹かせたよう。しかし、この二名に隙間風なんて表現は似合わない。ミコは小刻みに身体を、顔を、背中を震わせながら、精一杯の真心込めたと思しき声で、オピィに最後の詞を贈った。
「願いを聞いてくれてありがとう。この道の奇跡、無駄になんかしないから。魔法が見れて、わたしすっごく嬉しかったから……だから、さよなら」
オピィ――最後に一年と一日前、知った心樹の名前を呟いたミコは、それを合図に一歩一歩、オピィの用意した花の道へと足を進め、夜空に向かって旅に出た。そんなミコの背中に浴びせかけられる、オピィの『声』
『行ってらっしゃい! わたしはここにいる。ずっと、死ぬまでずっとここにいるから!』
その『声』を届けた瞬間、ミコの歩みは一旦止まった。しかし、その場で夜の中大きく深呼吸をすると、手を持ち上げて背中越しのオピィにサインを見せ、改めて花の道を進んでいった。既に踏まれ通過された道の花びらは魔法と奇跡の力でまた一番前へと循環して行く。そうして花の道はミコを目的地まで空中散歩の形で運ぶのだ。
いつしか夜空の闇と恒星の瞬きが空色をいつの間にか染め上げていたころには、ミコの身体も気配も、既に桜島から消えていた。それでもなおオピィはやったという満足感と希望を心に秘め、ずっとミコが歩いて行った方角に思いを馳せていた。
その心を満たすのは、眩しく輝くたくさんの――『ありがとう』
そうしていつになく短い桜の開花時期を終えて、心樹オピィは『声』を噤んだ。
これからもずっと、ここにいる。その“道”にずっと、在り続けるために――。
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