第12話 やっぱり空々寂々ね

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。


「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 出会った人々は納得し、神様は宣戦布告し去って行く。

 

 多くを盗んだ女の子から、神様らしく取り返すために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。



 背後から、不意をつくように発せられた祝の発言。その詞を切欠に、翠の手が停まり、剰え震え出したのを他の神様仲間達が見逃す筈が無かった。皆が先ずした事は、特等席に座りながらそんな事を云って翠を困らせた祝とその周りに居る神様仲間達への非難の視線を送ること。じと〜っと粘着質で且つ陰険で「この一件は根に持つ」的ないや〜な視線。

 然し其の視線を全周囲から向けられている当の祝は泰然自若と落ち着いたもの。後ろに控えている師匠の魚は其の姿が頼もしくもあり、心の片隅には一抹の不安も在った。祝を護りたいからこそ、祝の味方でいたいからこそ、祝には早めの説明をしてもらいたいところだった。師匠と云うのも中々苦労しているのだ。思わず他の面子と一緒に「うっ……」とたじろぐ位には。

 其の兆候を感じ取った祝師匠の為よと思話通信(ゴッドチューニングver.)で翠含むこの大ホールに居る全神様仲間達に事のあらましを語り出す。

(わからないかなー? ミコおねーちゃんはイカサマなんてしてないの。正々堂々フェアプレイ精神――スポーツウーマンシップに則ってこの“ファニータイム”を闘っていたんだよ)

(んなバカな! 証拠はあるのかよ、祝!)

 治が荒ぶった口調で祝を難詰するが、祝は逆提案とばかりに道を示した。

(じゃあ訊くけど、みんなはこのゲーム中ミコおねーちゃんがイカサマした証拠をひとつでもつかみましたかー? わたしは聞いてないなー。それが逆説的に、イカサマしてない、何よりの証拠になっているんじゃないかなあ?)

 時間が死んだ。

 祝の指摘に神様仲間達はぐうの音も出せない程黙らされた。確かに、イカサマしていないのならイカサマの証拠なんか出る訳が無い。そして実際問題神様達は、ミコがイカサマしたと云う証拠を塵の一つとて掴めていなかった。

(マジで? 正々堂々と闘ってたって云うの? イカサマし放題の翠をあれだけ追い詰めたプレイングは、全部運が良かったとか然う云うレベルの話なの?)

 女神連中に動揺が走る。男神連中に悪寒が走る。事実は残酷だ。認識した途端、これまでの価値観や信じていたものが卓袱台返しのようにひっくり返されるから。

 そして此の神様応援団はミコと直接対峙している翠が一番苦しんでいる事を分っていた。

 仲間意識? そんなんじゃない。同じ神様としての共通した感情反応だ。

 此の事実を突き付けられて、翠はいったいどう出るのか。神様応援団の注目はいつの間にかそっちに集まっていたのだ。

 

 止まれ停まれ。

 止めろ停めろ。

 止めてやめて。

 止めろやめろ!

 

 翠は震える手で手札を丸めた新聞にする勢いで握りしめると、今にも決壊しそうな苦悶苦渋の表情でミコに相対する。手札に有るメイクカード、『原稿は落ちた』を使えば勝ちなのに、其れこそ勝負は終るのに。出すことを、使うのを躊躇っている自分が居た。

 カードのテキストがブレて読めない。其れ程迄に分り易い動揺を、遊戯の神翠=ミュージックは見せていた。事も在ろうに対戦相手の目の前で。みっともなくて仕方がない。プライドの高い翠にとって、其れが何れ程の屈辱か。何れ程の苦痛か。永い神様神生の中、翠にとって初めて感じる整では無いが正にキャパシティブレイクの状態。完全に心は理性の制御を外れ、身体の自由は奪われた。

 そうこうしている内に、視界が曇り出したのを翠は自覚した。気付いた時にはもう遅い。翠は五里霧中の視界の中、自分の答え――アンと向き合わなければならない“神仙境地”に其の身を置いてしまっていたのだ。

「ど、ど……どうして……ミュー、こんな無意味な空間に……。ミューは今、泥棒ミコさんと闘っているのに。其れこそこんな人を待たせるような真似、するべきじゃあないんでしょ? とっととあのカードを出して終わりにすれば……ミューの、勝ち――」

『それでいいのかい?』霧の向こうから声がした。はっきりと透き通る、良く通る声。自分の答えたるアンの声だ。翠と似ていても似て非なる声のアンは翠に揺さぶりをかけてくる。いや、やっていることはもっとえげつない。翠に自分自神をプレイバックさせようとしているのだ、アンは。

(ミューは、イ、イ、イカサマをした。其れは今迄の神様神生の中で当たり前のことだったし、どんな手段を使ってでも勝つのが、強者の必須条件……)

『ミコは別に自分の事、強者だなんて思っちゃいないよ。抑強いって勝てば強いの? なら翠、ミューは『原稿は落ちた』を使って勝てばいい。でも其れを押止めているのは、他ならない翠、ミュー自神だ』

 アンの指摘が鋭く刺さる。翠は口から詞を発する事さえ出来なかった。何故なら口は固く噛みしめられ、歯ぎしりしながら閉ざされていたからだ。ギリギリ擦れ、ガタガタ震える翠の歯。図星を突かれて悔しいからだ。そう、翠自神分っていたのだ。此の勝負、勝ち負け云々其れ以前に、ミコの方が上だと云う事を。祝の発した詞を鍵に、翠の頭脳は導き証明してしまっていたのだ。だからこそ悔しくて、涙も鼻水も涎も血も、割れんばかりに滲み出る溢れ出る。

「分ってる……もし泥棒ミコさんがイカサマしてないのだとしたら、ミューより泥棒ミコさんのプレイングが神懸かっているって事――ミューの上をいっているって事なんだ。ミューがイカサマで有無を云わさず短期決着を狙ったのに、泥棒ミコさんは其れを天運と神をも越えたテクニックで互角、否互角以上にしてみせたって事。強いとか勝ちとかじゃなく、明確事実に腕が上。其れを認めなければならないから……ううん、心の奥底では認めたくないから、ミューはこんなに悔しいんだよぉ……そして悔しいからこそ、認めたくないんだよぉ……」

 翠は両手を手札ごと握りしめて誰も居ない“神仙境地”の中、ポツンと一人立ち尽くしてミコに圧倒された悔しさに心と身体を震わせる。其の時ふと、悔しさと云うキーワードから審判役を務めていた希の事が頭を過った。あの日、ミコに襲われ負けたのに設計図を奪われず、見逃された屈辱で復讐心の塊と化していた神様仲間の一人の事を――。

(ミューが降参したら希はどう思う? きっと……ううん考えるまでもない。平然と勝った泥棒ミコさんへの憎しみを一層募らせてしまう。そうだよ、希だけじゃないんだよ。此処迄してミューが降参なんかしたら悠久の時を共に過ごした神様仲間達に見せる顔がないんだよ。だから勝たなきゃ……)

『でも勝ちを選んだらミューは負けるね。少なくとも劣等感かな?』

 

 ドキリグサリブスリ。アンの一字一句たる主張が翠に一々突き刺さる。何せ云っている事が一々其の通りだから厭らしい。

 

 勝ちを選ぶか負けを選ぶか――。

 勝ちを選んだら、仲間意識を採ったと云う事。

 負けを選ぶのは、自分の堕落を防ぐと云う事。

 どちらを採るか。二者択一。

 

 よく『究極の選択は二択だ』と俗世では云われているらしいが、金言だと思う。神にも通じる詞だと思う。だって今正に翠は二択で悩んでいるのだから。

 逸そ此の“神仙境地”でずっと悶々答えを出さないという『逃げ』の選択肢も考えついたが、自分の答えたるアンはそんな翠の思考回路など御見通し。自分から翠を“神仙境地”に『答えを出せ』と云わんばかりに巻き込んだのに、翠が逃げの兆候を見せると直ぐさま“神仙境地”を解除しにかかったのだ。霧が晴れ始め、周りの空間が徐々に在るべき姿へと変貌していく戻っていく。其れは、『逃げ』なんて第三の選択肢は絶対に許さないと云う、アンの厳しい最後通牒。

 でも翠としてはもう一寸時間が欲しかった。未だ答えも決めてないのに。大体答えはアンと話して確かめて、決めるものではなかったのかと、アンを問い詰めたい衝動に駆られたのだ。そんな慌てふためく翠に姿無き声の主は囁くように笑う。

『確かにミューは答えのアン。でもね、別に今直ぐミューに憑いていなきゃいけないってこともないんだよ。此の後ミューの出した“答え”、其れがミュー、翠=ミュージックのアン其の物だ。思索の機会だけで十分だったでしょう? 後は大事な御仲間さんと相談して決めなよ――』

 聴き終わった刹那、霧が晴れた。夢の世界が弾ける様に“神仙境地”は消え去りて、翠の視界にはミコと天と希、他十把一絡げの神様仲間達がクリアに映る。戻ってきた。どうやら寒い事云った時みたいに時を停めていたらしく、周りの連中は翠の機微や変化に気付いた様子がまるでない。なんだよ、ミューだけ時間切り取って引き延ばされて悩まされたのかよ――翠は自嘲気味に溜息を吐いた。溜息一息吐いた後、感じてくるのは取り敢えず、アンへの怒り――だった。

(アンの奴ったら何よ。自分はミューに『逃げるな』とか云ってたくせに、自分は答えも見せず云わず聞かさずに“神仙境地”解除して逃げやがって〜。くぅ〜悶々する〜)

 突如現れた(と云っても求めたのは自分だが)くせに何もくれずにさぱっと去られてしまった事が無性に悔しい。例えるなら突如現れた台風に掻き乱されて挙句一矢報いる事も出来ずに終ったみたいで本当悔しくて仕様がなかった。変に嫌な気分にだけさせられた気分が、未だに心中燻っている。

(其れでも……二択って事だけは分った、か……)

 混乱していた頭を落ち着かせ、選ぶべきカード(選択肢)を明示してくれた事は紛れもない事実。其の点に関しては翠も感謝していた。只選び切る前に元の場所に戻されたのが矢張り燻る材料なのだ。

 そんな風に自分の中自分の殻に閉じこもって全く動きを見せなくなった翠を、周りが放っておく訳もなく……御節介な位に翠の感情を更に不安定にさせるのである。

「ちょっと! 翠! 早く其のカード出しなさい!」

「ちょい待て希! お前の発言は審判役にあるまじき行為。此処は此の軍師様が言う処だろ!」

「ぐっ……認めざるを得ないわたし。じゃあ哲、アンタが言いなさい!」

「おう。翠、お前……これで勝っていいのかよ――ってあたーっ! 何しやがんだ盗まれた組!」

「其れはこっちの台詞だアホサンボー! 翠に投了を勧めやがって! これで負けたら神様の権威が The END になるってことが分らんのか!」

「ちょーっと待てーい。手前等、哲の言い分に異論申し立てようってのかコラ! そんな無粋な真似、此の扉=カレイドスコープが見逃さねえってぐおっ! 顔面に純金分銅9kgだとお……な、何しやがんでい、血頭病患者が!」

「イカサマに加担していたあんたが言える台詞ですか! この、バカドア!」

「なによ、扉のことバカドア呼ばわりして! アンタ達だってミコちゃんの手札覗いていたでしょ! つか私達みんな共犯でしょうが!」

「バカーッ! 要らん事迄喋ってんじゃないわよ。此の気配りゼロゼロマックス共が! 全部全部バレちゃったじゃないのよ!」

 

 あっ……。

 

 翠の怒号を聞いた神様仲間達の間に、すんごく気まずい空気が漂い出す。賢しい者もそうでない者も一様に手で口を覆うが、もう後の祭り。

 翠の対称線上に居るミコが、ニヤニヤ笑っていたからだ。

 翠は墓穴を掘った情け無さで頭に血が上って恥ずかしさの余り顔が真っ赤っかになった。そんな翠の顔を見てなのか、ミコはフリーの黒い手を全部使って「まあまあまあ」となんか宥めてくる。其の数が矢鱈と多いので、まるでピアノ演奏で和音を奏でるシーンに似ていて、地味に怖い。

 屈辱。恥辱。畏怖。恐怖。混乱。錯乱。過失。喪失――。

 あらゆる感情と玉葱、胡椒、唐辛子が心の中で調理され、気付けば料理は出来ていた。

 然う、翠にとっての答え=Answer=アンは此の時遂に発現した。

 

 ぐるぐる目を回しながら涙を流し、本気モードのトライテールは萎びて乱れ、そしてゲームに使う手札全てを口の中に纏めて飲み込み噛み切り砕き、空の両手を上から下へ。

「不味い、不味いわ……此れが敗北の味と云うものなのね。うぅ……ごめんなさい! 此の勝負ミューの負けです!」と叫び土下座する翠の姿。

 

 負けを認める。其れこそがアン=翠の出した答、だった――。



 室内なのにミコが喚び出した雨の水面に土下座し負けを認めた翠=ミュージック。

 神様仲間達にとっては共謀も協力も無に帰させられる最悪の裏切り。だが、其れを責められる者は誰一人としていなかった。理由など頭よりも身体と心が理解している。自分達の所為――自分達が翠の不利益に加担した失敗談と翠を土下座に迄追い込んだ罪の意識が身体も口も金縛りにし、ギャグは疎か気の利いた台詞、何より翠への励ましの詞さえ、発音することが出来なかった。

 そんな非常に気まずい空気――に当てられない奴が一人居た。誰でしょうか――ミコだ。

 翠と違い、食っていない手札を一枚一手と持たせている黒い手で扇でもないのに自身の首筋を扇がせながら、こんな詞を言い放つ始末。

「なーんだ、翠様イカサマしてたのかー。道理で忙しいゲーム進行だったわけだわ。全くもう……イカサマしていいなら言ってよ。1本目でわたし勝てたのになー」

 其の最後の一文が、固まっていた神様連中を刺激した。全員飛び道具を瞬時に装着し、手摺から乗り出してミコに向かって此の突っ込みと共にぶっ放す!

「てめえが云うなあ! てか勝てたってなんだ。図々しいぞコラァ!」

 全方向(マイナス一方向)からミコに向かって放たれる火器の大群。近場に居た審判役の天と希も防護境界を張りつつミコに向かって銃を撃つ。防御する間も与えず全弾命中。全てを喰らい被弾したミコは着弾時に立ちこめた爆煙が薄く空気に溶けていくと其の姿を現した。天蓋付きのお姫様みたいな態度も此れで一変ボロボロだろうと、神様連中は睨んでいたが、或る意味正解で或る意味間違い。ミコはボロボロ傷塗れ且つ黒焦げになった天蓋と椅子、足置きに服も黒焦げ髪アフロ、マジ被弾者ボロ雑巾の様になっていたのにも関わらず、心底落ち着き払った顔で黒い手が出していたティーカップで紅茶を啜っていた。まあ端的に言えば、剥く事焼く事は出来たけど、ダメージはこれっぽっちも与えられず、びくともせずにピンピンしてやがるって云う攻撃した側が愕然とする絵図面。其の不死身振りにあの日メビウス・ラウンズで闘った外出組もゲーム作っていた留守番組もげんなりする。もう性欲……じゃなくて戦闘欲も減衰し、全ての武装は神様達の身体から外れ落ちて床にそのまま沈んで消えていく。

「うーんいい味♪ やっぱ紅茶は焦げ臭いくらいがちょうど良いわね」

 攻撃されといてこんなことを宣うミコに流石の神様連中も参る訳だ。口々に「くつろいでやがる」「びくともしてねえな」「全く効かんのかい」「萎える」「萎む」「つーかあの子火薬を食べる物と思ってんじゃないの?」等々多様な様で其の実同義で画一的な捨て台詞を口走って最後は皆床にへたり込む。正座、蟹股、しなっ、くなっ。其の崩れ方は矢張り多種多様の千変万化。神々62名の個性を象徴するかの様に色とりどりの落胆振り。特に此の勝負に神生賭けていたと云っても過言ではない留守番組の面々に並々ならぬ個神的事情から審判役を買って出ていた天と希、そして二度目の敗北に戦意どころか自我とか神格とかプライドとか、その辺りの柱をもう喪失してしまっている。重圧から解放された脱力感が限りなく空しく、床の冷たさに癒される。そう、神様達は負けた筈なのに何故か気分は悪くなかったのだ。

 何故だろうか――項垂れながらも考える神様達の耳に甘く甘美で癒される声が響き通り過ぎる。誰の声でしょうか――祝だ。

「みんなー、おつかれさまー。負けちゃったけど、よく頑張りましたよみんな。悔しいよね、泣けちゃうよね。でもね、そんなみんなにはご褒美が貰えちゃうって噂、知ってましたか〜?」

 ピク……利益の話となると途端に現金になるのが神様と云う生き物。各方はむくむくと空っぽになっていた身体にワタを詰めると起き上がる。そして翠の背中後方、絶好の場所に居座っている祝達の方を向く。皆は祝がご褒美をくれるって信じていたし解釈していたのだが、なんと現実は予想以上。動いたのは祝ではなくミコだったのだ。彼女は自分と翠のプラニスフィアを一体化させ、使ってなかった設計図も合わせて62個の設計図を水面上の宇宙儀に集めると、其れを全て、元の持ち主達に返し始めたのである。超極小の概念恒星達が踊る様に軌道を描き回り踊り、元々の持ち主の元へと帰っていく。

 元在る場所へ。元居る場所へ。

 なんでこんなこと――なんて訊く選択肢が頭に浮かぶ暇さえ無い。何せ神様と設計図は一神同体。其の繋がりは零距離引力線より強く、夫婦の様に蕩ける柔さも併せ持つ絶頂の快感其の物本質。ミコに奪われ永きに離れ離れになっていた者達も、奪われずに翠に一時レンタルしていた者達も、恋人以上配偶者以上、最愛極まる設計図を我が身に取り込み抱き締めて、嬉しくならない訳が無かった。各方が天を見上げ屋根を見上げ、まるで光のスポット天の祝福でも浴びているかの様に自己陶酔の気配を見せる。

 でも神様は幸福とは縁遠いもの。否、一寸語弊が在った。神様は幸福が長続きしないのだ。理由は簡単、慣れてないから。

 頭の中から消えていた「なんでこんなこと」と云う疑問を祝達、いや祝と其の仲間達そして翠が蒸し返してミコに詞を投げかけたのである。其の問答に絶句させられたのだ。其れこそ幸福なんて幻なんじゃないかって思わせる位に皆の目を覚まし冷ました。どんなやりとり?――こんなだよ。

「ありがとーミコおねーちゃん。みんなよろこんでるわ。場違いなくらい」

「どーいたしまして」

「ははっ、祝は凄いなー。コレだけのことができんのは神様62体の中でも祝只1名だけだよ。そうでしょ、師匠?」

「ねえ。哉ちゃんもそう思うわよね? 祝ちゃんのひと振りで問題は有耶無耶に解決、ですよ」

「え……? ちょっと待ってよ御三方。そ……そ、そ、そうだよおかしいよ。なんでミューが勝負に負けたのに、泥棒ミコさん設計図返すって画になるわけ? ドボジデ?」

「振ったからだよー(返してって)」

「振られたからねー(返したのよ)」

「そりぇだけ? なんで! どうして! だってミューは降参したんだよ。負けたんだよ。なのに祝の詞で『はいワカリマシタ』って返しちゃうの?」

 翠の道理と理屈を求める必死の訴え。然しミコの返事は残酷な位軽いもの。

「うん、返しちゃうよ。ぶっちゃけ勝負での賭けより祝ちゃんの声の方がわたしの動機を動かすのよねー。あんな御膳立てされちゃったら、期待に答えないわけにはいかないじゃない? それにわたしは気分屋だし。翠様が降参して勝って気持ちのいい反面、降参という形で勝ったことに対する気持ち悪さもあるんだなー。だから全ての根源である設計図、返しちゃおうと思った次第ですよ」

「ガガガガーン!」

 祝とミコの説明――果たしてあれが説明と云えるものだったのかどうか、説明責任説明役割を果たしていたものだったのかどうかは翠を始め神様仲間達ほぼ全員が分らないが、ショックを受けた。これは事実。そりゃ時節の変化に伴い状況なんて天気の様にコロッと変わるもんですが、敗北宣言して奪還を諦めた設計図をあんな短い会話で持ち出されたから返されるって展開、誰が予想し得ましたか? だから「ガガガガーン!」ってショックを受けるしか無かった。気が触れるしか無かった。いじけるしか無かったのである。実際対戦相手と云う大役看板娘を任された翠は自分の質疑からこんな流れになって撃沈。文字通りミコが雨で大ホールのゲームエリアに作っていた水面盤の中に沈み始めたのである。金槌でも鋸でも沈まないと謳われた気象一族の水面盤に溺れる事を選ぶとは……大ホールを覗いていた神様仲間達は翠の「沈みたい」と云う心境の最果てを理解し、同情していた。神様達は仲が良いから。ね。

 そんなどんよりした雰囲気は倦厭モノ。元からそんな気に当てられる気ゼロミニマムの祝と、彼女を囲っていた哉、迷、絵、失、幽、そして魚の7人組が手摺を乗り越え大ホールの開けた空間に飛び出した。7名の少女と女性が宙を舞い、風と踊り、水面に静かに着水する。小さな波紋を奏でた上で。其の着水位置は7名全員ミコと翠の中間線翠寄り。詰りは翠の前方直ぐ傍に単横陣で陣取った。「なんだなんだ?」「翠の一本釣りか?」等と周りの神様仲間達は怪訝な顔して訝しむ中、哉が先手雷管と云わんがばかりに指弾の要領でミコに向かって何かを弾き飛ばした。でもミコがそんなちゃちな攻撃でやられる訳も無い。只びくともしないだろうから受けるのではという大方周囲の予想に反し、ミコはティーセットを持っていなかった空きの黒い手で哉の弾いた其れ――最低銅貨1枚を受け止めた、否、受け取ったのだ。余裕の無視する目に反して、口はきちんと応対してくれた。

「哉ちゃーん。なんですか? この銅貨」

「ソレ代金よ。あたしと祝にもソノロイヤルドリーム社製の椅子と天蓋と足置き貸して。いやね、アパートにいたときから憧れてたんだよー。贅沢調度品で極楽するの」

「ずっぴょぉぉぉん!」

「いやぁぁぁぁぁん!」

 とてつもなくしょーもなく且つどーでもよすぎる哉の詞に手摺の奥で眺めていた神様仲間達は全員が倒れた。魚が釣り竿で釣り上げていた途中だった水中の翠迄愕然とし、又沈んだ。

 どこまでも一枚岩ではない、纏まりに欠ける神様達。

 然し、そんな神様達の有り様をミコは褒めてくれた。

「ほんと、素敵な神様達ね。泉さんが好意を歌に残すわけだわ……ちょーっと気分がひらひらしてきた。丁度善いわ、まともに話をしたことなんてなかったし、そしてなにより急いでないし。どう? ここでお茶会でも」

 予想外の提案に驚きどよめく神様達。あの日通り雨の様に降っては去って行ったミコが、ゆったりお茶会に興じるだと? 此れは罠か――神様連中は一瞬そんな事を考えたが、直ぐに其れが損な事だと知る。ミコは“ファニータイム”の手札及び山札やボツボックス、ストックプールにロストホール、自分のデッキ全てのカードを其の黒い手で掻集め、黒い手の生えている根元、影帽子がま口チャックの“口”の中に入れ片付けると、擦れ違い様に黒い四面体座の頂点4つを握り締めて取り出したのだ。

 其処から先は、ILLUSION……。

 ミコは海老が撥ねる程度の力で凭れ掛かっていた椅子と足掛けから飛び跳ねる。一瞬の浮遊・空中静座の間に影帽子の黒い腕・手はミコが使っていた今はボロボロロイヤルドリーム社製の天蓋、椅子、ワークアシスト(足置)を掴み全て祝と哉に向かって放り出す。ミコに一切擦る事も無く貸す椅子を投げた後、残りの黒い手が黒い頂点をミコの周囲にバラまく。只其れ丈で影の秘術に依るアイテム・黒い頂点は自動的にミコの周りで正四面体を象る位置に着き、座標を固定して力場を発生させる。其の力場が形作る座布団の様な黒い三角形の上にミコは胡座をかいて体勢を整える。残る1個の黒い頂点を頭上影帽子の上に待機させ、黒い三角形の上に浮かび、座って祝、哉、翠、魚達の方へ顔を向け、水飛沫を上げて近付いた。一方祝と哉も欲しがっていた箔付き家具を黒い手から受け取ると、直ぐに二人一緒にぎゅうぎゅう詰めで座り込む。お判りだろうか、一つの椅子を二人掛かりで使っているのだ。天蓋や足置は兎も角、いみじくも一人用の椅子を二人で使える処が凄いのだ。祝も哉も軽くて細く、そんなに大きくないからこそ出来る友情の合体技にして神業である。

 迫ってきたミコが停まったのは、其れと略同時刻。ミコから貰った椅子に背中迄預けて天を見やる祝と哉の眼前に、前傾姿勢で飛んで来たミコの顔が迫り近付く。

 視線が繋がる。呼吸が止まる。鼓動が共鳴する。

 其の『手続』を経たミコと祝、哉の3名は緊張の糸を鋏で切ったかの様に屈託なく笑う。

 どうでもいいことをどうでもいいというふうに――。

 其れで十分だった。空気は変わった。場が整ったのだ。「もう争ったり闘ったりする必要は無い、フレンドリィな関係になりましたよ」と云う合図。

 其の合図を、目敏さウザさ人一倍神八倍の神様仲間達が見逃す訳が無いのである。魚の手拍子と「さあさみんなもいらっしゃいな」という声は正直蛇足。手拍子がなる直前寸前目前時点で、もう皆飛び出していた。

 手摺を飛び越え身体を翻し、ミコが雨水集めて作った水面盤に降り立つ神々。元から其処に居た者達も含め、皆ミコの周りへと詰め寄って来る迫って来る。今、ミコを中心に世界が……いや神様が動いていたのだ。

 集まった神々は徐に懐から思い思いの宴会アイテムを取り出し陣地を確保し水面盤に座り込む。或る者は酒とツマミと云う典型的アルコホリック。又或る者は陶器の茶器に抹茶と甘味菓子と云った渋い趣味で固めてる。そんな提供者に各群がる趣味神同士の小集団。其れがミコや祝や哉、魚の先行組に翠、天、希の元居た組の周りを囲む母集団になっていた。準備善し。気分善し。空気善し。騒ぐ条件は整った。

 騒ぎに関しては人一倍神八倍を称号として贈られる、祭=エネルギィチャージが音頭をとった。其の透き通る様な青白色のポニーテールを踊らせて。

「んじゃ! みんな杯は持ったかい? ぐびっと一杯イッとくれ! ミコとあたし達神様連中の恨み辛みも痼りも流しておくれ。終了だ終了さ! カードゲーム対決も。あたし達とミコの道違いも、な!」

「ぃええええええええーい! ふぃぃぃばぁぁぁっ!」

 祭の音頭に皆も「乾杯! 完敗! 万歳!」と負けはしたけど元に戻った、設計図奪還の目的は果たせたことへの歓喜の声で乾杯する。先ずは自分の好きな物飲んで、緊迫したゲームを見ていて乾いた心を潤すと、早くも雑談の時間。ワイワイガヤガヤ団欒酒乱、早くも神々とミコの宴会はテラボルテージ、ヒートアップし始めた。宴会の当初、ミコに向かい合っていたのは祝や哉だったのだが、其れを掻き分けるように翠が、周りを蹴散らす様に希が、宙に飛び上がってダイヴする様に落が、ミコに突貫迫って来ていた。3名はミコを祝、哉と一緒に取り囲む様に着水する。他の神様仲間達は「お? なんだなんだ」とか「遂に積年の鬼ごっこに決着が……」と三味線をベベンと弾いて吟唱したりと、矢鱈めったら煽りに煽る。神様とは崇められる者。転じて上に見られる者。持ち上げられると気分がいいのだ。そして早速落が動いた。

「ミコちゃーん! ウチとお笑いコンビ組もうや。I need you.ウチのパトスが……もう我慢できんのや!」

「お断りだし『男割り』出し!」

 ミコに抱きつこうと飛び出す落の顔面に、男を一刀両断ならぬ一頭両断する俗世で逸っている拳法『男弱強女拳』の裏拳『男割り』が見事に決まり、落は飛び込もうとした姿勢の侭水面盤に落ちた。神様仲間達は仲が良いが、此の時の落に同情した者は1名もいない。寧ろ皆清々しい表情で「終ったな」「振られましたわね」「ま、当然」「役者が違うしね」等と散々に捲し立てている始末。落の強引で気弱なストーカーじみたお笑いコンビへの勧誘行為の成果は一頭両断に粉砕されると云う顛末を迎えた訳である。

 然し落の執念も又凄まじい。倒れても尚腕立ちし、顔を持ち上げミコに迫る。

 が、そんな落の執念も身内によって木っ端微塵にされてしまった。落が自ら所有する『グループの設計図』で創り出した式神軍団“メンバー”の一員にしてお笑い担当、白猫ぬいぐるみの形をした式神うたまるが主人である落の辛うじて持ち上がっている頭に自ら爆弾と也て爆弾投下攻撃。落は悲鳴さえ上げる事も出来ずに沈黙。そしてそのうたまる君、「にゃあ〜」とミコの方にぴょんぴょん撥ねて近寄り、頬を擦り寄せたのである。周りの神様仲間達でさえ、「え、反逆?」「鞍替え?」等とキョトンとしてしまう謎の光景。唖然としてしまう一部始終。そんなトンデモ行為を主観で体験させられた落から、憑き物が落ちた。ミコへの執着が消えたのである。なぜか?――ミコより永らく苦楽を共にした、と云うか自分が生み出した式神の方が大事だから。

 いつだって決断はありきたりで強大なモノ、落の決断も正に其れであろう。でも其処には創造主としての“愛”が在った。自ら産み出したうたまるへの愛が。「戻って来てやうたまるぅ〜」と巻き舌捲し立てて泣きを入れ詫びを入れる落の姿を見て、ミコの側に寝返っていたうたまるも「にゃあ〜」と一鳴き蜻蛉返り。落の元へと帰っていく。此処に至って神様仲間達は白いハンカチ目元に当てて、感動の涙を拭っている。其の様子を見ていたミコは「なんつうちょろさ。神様簡単すぎよ」と、単純明快コンピュータや化学式の如くシンプル且つ破壊的な神様達のアホさを笑っていた。其れが善い意味悪い意味どっちの意味なのかは、神様仲間達には伺えなかったが……。

 続いて第二弾。ミコに“ファニータイム”で完全に叩きのめされた神様翠が徳利片手にぐびぐび飲みながらミコに絡んできた。

「ど……泥棒ミコさんさあ、なーんでイカサマしてくんなかったのよ? 御陰でミューさあ、すんごい劣等感覚えて敗北宣言しちゃったんだよ? わかってるんでしょ?」

「そりゃもちろんわかっちゃうわ。わたし、感受性強いもの。でも翠様? 劣等感を感じそれを何とか解消したいと思ったからこそ、みなさんから請け負った役目放棄してあんな凄い真似したんでしょ? いや〜あの降参行為は見ていて背筋が凍ったわ。顔は鉄面皮だったけどね。でもね翠様、前にも言ったかしら? わたしにゲームでイカサマ許したら最初の1ターンで終わりよ終り。もう瞬殺で決まっちゃうから、それじゃつまらなすぎるだろうと思って遠慮した次第よ。こんな結果になったってことは……翠様、わたしのイカサマの技量がどんなもんか調べておかなかったんでしょ」

「あどきっ」翠はミコの回答を聞いて心当たりを射抜かれ固まる。ミコの云う通り、ミコのイカサマ技量に関しては全然調べてあげていなかったから、図星を指された格好になった。尤も、ミコに関して調べ上げるなら留守番組の翠の役目では無く、ミコを俗世で追跡、伝言しに出ていた外出組の仕事と云えなくもないので、其の点に関して翠は、完全に運が無かったと軽くブルーな気分に墜ちる。其れ丈にミコのイカサマの技量がどんなものなのか無性に知りたくなった。

「ね……ねえねえねえ。泥棒ミコさん改め只のミコさん、あっちむいてホイしよーよ。其れでミコさんのイカサマ見せてよ〜ねーねーねー」

 鬱陶しい粘着質な声色で翠はミコに提案し、逃がさない様断れない様後ろに回り込んで蛇宜しく巻き付いた。周りの神様仲間達は一斉に「翠キモっ」と唱和したが、その行動自体は止めなかった。皆も気になっているのだ。ミコのイカサマの技量の程を。

 そんな空気を肌で感じ取ったのだろう。ミコは「はいはいやってあげますよりょーかいです」と脱力気味に了承すると、未だ全周裂開していた黒い手を多数動員し翠の身体を引き剥がし手前にぶら下げると、じゃんけん用の黒い手を翠の眼前に突き出した。其の状況に神様達唖然。ミコが「いいよ」なんて云うから直のこと突っ込まざるを得なかった。

「って! じゃんけんすんのも黒い手任せかい!」――てな具合に。

 でもミコは其れこそ心底心外と云う顔をして一寸いじけた風に言返す。

「なに言ってるの。わたしの完成させた影の秘術の秘跡そのものたる黒い手の方がリアルマイハンドよりイカサマしやすいのよ。知らなかったの?」

「し……し、し、知らなかったっす……」

 神様連中は呆気にとられて気の聞いた返事も出来ず不覚にも無様さを見せた。まさか素手より黒い手の方が凄いとは……俄に信じられない其の詞。だけど本人が云うなら良いだろう。翠は黒い手に摘まれて宙にぶら下がった体勢の侭、ミコの出した黒い手と睨み合う。「じゃーんけーん」さあ、イカサマ前提のあっちむいてホイが始まった。

 ――経過省略して、39本目。

「あっちむいて、ホイっと」「ぐお! 又負けたぁ!」

「なんというイカサマ無双」「ミコっち、負け無し!」

 39回あっちむいてホイして39勝全部ミコ。翠はじゃんけんであいこをとることすら出来ず、じゃんけん全敗ホイも一発的中で全敗。其れが39連続である。最早翠の精根も尽き果て、敗北女神は首の力を抜いて下を向く。其れを返事と受け取ったミコは、翠を摘んでいた黒い手の指を放す。翠の身体は自由落下し、水面盤に打ち付けられた。

 意気消沈と失意の所為で、起き上がることすら出来ぬ翠。完全に打ち負かされただけでなく、ミコが39連勝の鍵として使ったイカサマがどんな類のものなのか、全く分らぬ“不可知の現実”が翠の気力を削いでいたのだ。もう精神年齢は幼児レベル迄劣化が進み、いじけて「ブクブクブク……」と水面盤に口から空気の泡飛沫。完全に末期症状になっていた。

 其の翠の有り様を、本意では無いと云いつつも、ミコは柔く、だが手厳しく称する。

「ありゃりゃ、翠様。万年単位で生きてきた神様62名の一角が、人間のイカサマを見破れなかった程度でなんですか、いじけちゃって。俗世で絶賛発売中の『如何様百科』読んで勉強するのね。はい、あげます」

 然う云ってミコは影帽子の中に黒い手を一本突っ込ませると其の口其の中其の空間から一冊の本を持たせて取り出した。分厚いカバーで覆われつつも、本自体の厚みは其れ程でもない其の本には、ミコの云う通り『如何様百科』と書かれていた。

 ミコは黒い手を動かし、其の本で浮いている翠の後頭部を小突く。するとどうしたことだろうか。翠は飛び魚の様に跳ね起き上がり水面盤に胡座をかくと、頭を垂れて両の手で、丁重にミコから『如何様百科』を拝領したのでした。

 此れにて翠の問題も解決。残るは希だけとなった。

 ……が、此の希こそ、一番厄介と仲間は見ていた。

 あの日――ミコがアパートに来た日暴れた日。被害を受け神様としては珍しく負けを認めて設計図も「持ってっていいよ」と云った潔さを持ちながら、其れを無下に却下され見逃され、屈辱に打ち震えた希=ニックネーム。

 恨み真髄の希に対し、ミコがどう対応するか――神様仲間達の注目が集まる。

 口火を切ったのは矢張り希。落ち着いた風を装いながらも実は激情を其の仮面で隠しているだけの表情であくまで最初は穏やかに語りかける。

 だけど、其の切り込みは、単刀直入ストレートすぎるものだった。

「どうしてわたしを見逃したのよミコ。わたし、負けたのに納得したのよ。貴女になら設計図を渡しても善いし譲っても善いって思えた。なのに貴女は其れを断った。無下にした挙句上から目線で『見逃してあげる』って言ったのよ? さあ、もう逃げられないわよ。ちゃんと説明して頂戴!」

 矢張り秘めたる狂熱は抑えきれずに翠は詞の締めと同時に水面盤を掌で叩く。其の迫力に神様仲間達はほぼ全員、背筋に電流が走ってピンと背を伸ばした。祝と哉でさえ目付きが変わる。問題の質が違うのだ。シリアスなのである。

 是ばっかりはミコだって真剣に遣らざるを得ないだろう。抑前に絡んできた落と翠が阿呆過ぎたのも問題だったのだが、今度の希は恨み骨髄の大真面目女神。最初穏やかな口調に合わせて柔らかかった顔も、話してる途中から歪む歪む。全2者のギャグでほっこりした空気が一転、どうよと云わんばかりに重くなる。

 一体ミコは何と答えるのか。全オーディエンスが注目してたら――。

 

 なんと、ミコは泣いていた。

 嘘でも比喩でも偽でもない。正真正銘本物の涙を目尻から零して。

 一言も喋らず、泣いていた。

 

 突然の意外な反応。当然神様連中は面食らいどよめきざわめきだす。特に問い詰めた張本人である希の動揺は大きかった。正論ぶつけた正義の筈が、一転泣かせた悪者の如く。イメージの逆転、転落ぶりが半端ではないから滂沱の汗……とは行かない迄も、冷や汗タラリと一筋流し、ミコから自分に移りつつある“周囲の目”を払拭すべく、敢えてキツい態度そのままに捲し立てる。

「ちょっと! 答えないで泣くなんて卑怯よ! ミコ……あんたホントに性格悪い。如何してわたしをこんなにも困らせるのよお。泣きたいのは……わたしの方、っていうか……もう何度も泣いているのよ、わたし……。ひっ……なんで、なんでわたしのだけ盗らなかったのよお!」

 目には目を。

 歯には歯を。

 涙には涙を。

 最早逆ギレ……元逆泣き状態となった希は強面を更に歪ませて今や泣き顔。難詰途中から泣き声うるると湿らせて、其れでももう一度訊きたい事を尋ね切る。そして遣遂げた後は水面盤によよよと崩れ、ミコと一緒に泣く有様。只ミコと違うのは、ミコが口を結んで息を切らしていたのに対し、希はワンワンギャーギャーと、声を上げて泣いている点であった。何たる無様。酷い有様。最早会話も成り立たないだろと、周囲の神様仲間達が思い、何とかして慰めて遣ろうと声を掛ける寸前に――。

「だって、希……『持って行って善いわ。好きにしてよ』とか言ってたくせに、隙が全然なかったんだもん!」とミコが答えをシャウトしたのだ。

「はあああああああ?」「なんじゃそりゃあ!」「好きとか隙とか、洒落ですか!」とおろおろして困り果て、何とかして遣ろうと心を決めた神様仲間達が一斉に声を張り上げる。

 此れを初め一々ギャグめいた一連のリアクションは、神様を名乗る女と男達の本能、条件反射と云った類のものである。もう仕様が無いし、救い様も無い。だって神様、救う側だし。

 ともあれ遂に明らかになったミコの詞と真実に、皆当然驚いた。一番は勿論、云われた相手の希である。何時の間にやらピタッと泣き止み、でも少し潤んだ涙目でミコを見つめる希は暫し呆然とした後、「隙、無かったっけ?」と確認を取る始末である。悠久の時を永らえた存在。決して昔の事では無いとは云え、神様は基本忘れっぽい。今回の希も矢張り忘れていた……否、忘れていたと云うよりも無自覚に隙を見せて無かった様で。

 だからこうしてミコに尋ねてしまうのは仕様が無い。神様連中全員の心が今、一つになった瞬間だった。

 そして一つとなった61名の神様達に対し、ミコは「うん。なかったよ隙。そりゃもう一分の隙もないってくらい――」と希の設計図を奪うのを断念した経緯、希に意地悪した経緯を語り出した。

「希はね、わたしとの記憶しりとり勝負に負けたよ。それは確か。でもね、負けを認めた余裕っていうのかな、それとも満足していたことから来る充溢感とでもいうのかな? 『持ってっていいよ』って詞とは裏腹に希からは設計図を取れる気配がまるでなかった。あれだけあっぱれな負け姿っていうのをわたしは久しぶりに見た気がする。それも今までで最高に輝いていた。そのとき自分の心に『負けるが勝ち』って文句と変な劣等感、敗北感を感じたの。なんだよわたし勝ったのに、希の神々しい潔さに見惚れている――ってね。惚れたら負けでしょ。それを自覚した途端悔しさが湧いて出て来た。でも勝負には勝ったからもう心の中はぐっちゃぐちゃ。どうにかしてもっと追い討ちどん底へって、いつの間にかわたしはそんなことを考えていたわ。で、出た案が神様一流のプライドを無下にするって策だったのよ。で」

「『見逃してあげる』なんて云われた訳ね……なるほど、わたしってば『好き』な相手に『隙』を見せなかったと。しかも其の姿は魅せるレベルのものだったと。こういうわけか。うん! 心当たりも記憶も全くない!」

「馬鹿野郎!」「えっ? いやっ。うお!」

 ミコの真摯親身な解説を聞いて、当の希は納得しときながら開き直った態度を取った。其れに神様仲間達猛反発の猛攻撃。先ミコにしたように立つより早く水面盤から飛び上がると、間髪容れずに再度火器を手に取って上から下へと撃ちまくる。水面盤に座ったままの希は其れを視ると「わたしはミコみたいに焦げる趣味はないの」と軽く自分を囲む防護境界を張ってしまう。無駄か――上空に飛び上がった神様連中が諦めかけた時、希の背後から防護境界を破る一撃を喰らわせた神様が居た。飛び上がらなかった祝と哉のコンビだ。

「哉! 祝! って魚達も! あんた達飛んでなかったの? くそっ! 元から影が薄いから気が付かなかった……」

 邪魔したことに対して悪態を吐きながらも、其の内容に防護境界を破ったことに関する恨み辛みが無いことからしてもお判りの通り、希はもう諦めていた。そんな彼女を集中砲火が襲ったのが喋り終わったすぐ後だった。身一つで甘んじて受ける希。爆風爆煙が大ホールを煙色に染める。其処に含まれる赤色は、希の血の色か火の色か。答えは両者共存だった。其の赤は爆発による火の赤と、其れで皮が焼け爛れ炙り出された希の血の赤。両者が熱で蒸気と化し、灰色の煙に彩りを添える。尤も、そんな危ない芸術美も儚く終る。ミコに設計図を盗まれてもいない希は、持ち前の不死性で直ぐに身体を元通りにしたからだ。慣れ親しんだ仲間達の攻撃など、実の所、ハリセンで叩かれている程度の認識実害でしかないのである。

 其れを視認していた攻撃してきた神様連中が続々と着水。煙は希の直ぐ近くで座って事の次第を眺めていたミコの力で水面盤に爆煙を全て溶けさせて吸収、空気をエコに戻し、水面盤の雨水も濁らせたりせず、溶かした煙の微粒子は水面盤の中で一点に凝固されて、一つの塊になって水面盤を飛び出し、ミコの手に納まる。ミコは其れをがま口チャックの中に無造作に放り込んだ。コレクションにでもするつもりなのだろうか?

 希に怒った神様仲間達や同調せずとも邪魔はした祝と哉を初めとする実力ノッポの神様達が一円に揃い、起こした一部始終を確認する。基本仲の良い神様達、今希に攻撃迄したのは皆なりのメッセージである。『もう、水に流そうぜ』っていう、天の邪鬼な神様達の御節介だったのだ。

 希も其れを知っている。というか、攻撃される口実となった自分の開き直り発言、あれを喋り切った時、矢鱈と心がスッキリしたのだ。つっかえていたモノが、取れた様に。

 希の恨みも又、氷解した――。彼女は今、仲直りに最も適したタイミングに居るのだ。

 其れはとっても、素敵な切欠――。

 そして其の切欠を希もミコも逃す筈が無かった。だって此の2人、目敏いし。そりゃあもう、他とは比べ物にならない位。他の連中が自嘲する位。

 突然に見えて、皆予想していたタイミングで希とミコは足を折曲げ力を入れて立ち上がった。他の神様仲間達が腰を据えて見上げる中、カゲナシの人間と粋の神はニコリともせず見つめ合い、不意に右手でパンッと掌をぶつけ一瞬だけのハイタッチ。其の時には口元がニカリ。其れがミコ=R=フローレセンスと希=ニックネームの仲直りの遣り方だった。

 其れを見ていた魚様が、思わずこんな詞を洩らす。

「つくづく不器用ねー。希ちゃんもミコちゃんも。なんなの、かっこつけすぎだっちゅーのよ。大事な事だから言うけど……目敏くても損するタイプでしょ、二人とも?」

「やかましかよ魚左衛門」希は無骨な詞で魚の投げたボールを跳ね返す。粋だ。

「わたしはぶきっちょマルチだからねー」ミコは不思議な表現で答える。謎だ。

 三者三様に一寸足りない、二者陰陽の応え方。然し其れがまた味のあるもんだから、宴の肴になって神様仲間達を大いに盛り上げるのだ。然う、再び宴会が始まったのだ。

 希とミコも我先にと水面盤に腰着けて、手持ちの飲み物をグビグビ呷る。其の口に呷っているのが酒か水かなんてな野暮な問題。宴会ってのは空気活気雰囲気で酔うもんだから。喩え酒を飲んでなくても、水しか飲まない素面でも、楽しむことは出来るのだ。

 そして今、ここ神様の俗世本拠地大ホール、水面盤に集まった神様60名とカゲナシミコ=R=フローレセンスは盛り上がるを通り越して、舞い踊っていた。

 ミコと神様、踊りに踊る。其処は上機嫌を通り越して有頂天になった俗物達のユートピア。どこからともなく鼻歌聞こえ、誰かが一発芸をする。楽しい愉しい娯楽の時間。

 然し大事な問題は未だ残っていた。神様達は大半が其の事を忘れ踊り、ミコは其れを知りつつ黙って踊る。含み笑いで愛想良く神様連中と享楽に浸るミコの役者振りは大した者だが、煙に巻かれては堪らない。其の想いが形に成ったのが、透の此の一言だった。

「宴会は満点、されど真実究明は盲点……ってね。ミコちゃん、貴女大事な事を云ってないわよ」

「ほえ? なんのこと?」

「恍けないで。泉さんの死の真相、1から7まで全部教えて」

 其の詞を口にした途端、馬鹿騒ぎはピタリと止んだ。皆がミコの方を向き、視線の銃で取り囲み、皆一斉に着水する。腰を据えてミコを凝視。其れ程なのだ。此処に居ない神様、嘘の神泉=ハートの死の真相。其の重要度は。

 ミコは「ありゃら、気付いちゃったんだー」と矢張り話したくなかったのだろうか、口を結んで考え込む。其の様子は『果たして喋っていいものかー』と悩み思案している様であった。然し神様連中は『知りたい』で一致しているので、妥協することなく視線の銃口をミコに向け続ける。此れには暢気屋の魚でさえ祝と哉を差し向けているのだから、彼等彼女等が相当な事と思い認識しているのが分ろうと云うもの。ミコも其の熱視線包囲網に遂に観念し、「口下手な説明になるけど、いい?」と前置きしつつも語り出した。

「そもそもね、わたしがあなたたちの出した問題を解いたのは、泉さんがきっかけ。元更興味なんてなかったわたしの耳に、聴こえたのよ。泉さんの歌声が」

「何と!」「俗世に居て泉の歌声を?」「アパート音漏れか?」ミコの告白其の初っ端から神様連中は驚きを隠さない。然しミコは待ったなし。告白は澱み無く続く。

「その歌声はとても綺麗で、わたしの心を惹き付けた。だから会ってみたいと心から思ったの。そしたらどう、手元に“鍵”が手に入ってたわ。それが神様の問題に関するキーアイテムだと気付く前に使っちゃってたわね。まあ挨拶もノックもなしだったから、驚いたと思うけど」

「驚いたでえ」「ああ、驚いたな」「そうです。ミコさんは礼儀が足らないのです」ミコの説明の続きに相変わらず合の手を入れる神様達。ミコは粛々と聞き流して、終った処で又話し出す。

「そうよね。土足でアパート上がっちゃったけど、それにも構わず」「おい、構えよ」「……それにも構わず一路歌声のする泉さんの部屋へと駆け込んだわね。そして歌っていた泉さんに出会ったの。後ろから不意打ちドッキリ仕掛けてね。ビックリしてたわよー泉さん。んで、ここに来た経緯なんかを説明していたらさ、泉さん突然こう言ったのよ『ああ、完成してたのね』って。それ聞いたとき、わたしも気付いたの。『そっか、わたしも完成させていたんだって』ね。間抜けな二人が気付かぬままだったどうでもいい宿命に気付いた瞬間だったわ。ホント、いくらでも対策打てるいい加減な、でも絶対な宿命でね。先に音を上げたのは泉さんだった。『わたしが先に行きますね』って。そして許された“残しもの”として最後の“ウタ”をわたしと一緒に創った後、一回歌って……そのあと消えていったわ。綺麗さっぱり実にあっさり、とね」

 ミコの長くも短く感じる語らいが終る。神々が感慨深く浸っている中、

「成程ね……其処が分んないわミコちゃん。だってわたし調べたんだけど、生命が死後還る場所“冥海”のどの高さにも泉の“生命の痕源”はなかったのよ? 泉は死んだんじゃないの?」

「そんなニュアンスは使ってなくってよ透さん。わたしはただ『消えた』って言った。泉さんは万物が辿る“冥海”からなる死の概念とは違う消失の運命を迎えたのよ。すんごい少数派なんだけどねー、いるのよ。普通の死に方しない人って。泉さんにあと一人、2名の実績があるわ。1名ならまだしも、2名もいれば十分じゃない?」

「それは違うわよミコちゃん。こういうのは格言経験則に則っていかないと。『二度あることは三度ある』、三度目を見ない限りは……って、あっ……」

 此処で口を挟んだのは魚。神生で培ってきた信用の経験則を格言に例えてミコに突き付けるが、其の途中持ち前の聡明さで気付いたのだ。ミコが説明しながらも明言しなかった真実に。魚が割り込んでおきながら言い淀んだ事に他の神様達は怪訝な顔して首を傾げる。

 そんな中ミコは、魚の推測に○を与えた。ほんの数秒、喋る詞で。

「永くはないわよ。期限はもう、死より先に来ているのよ」

「やっぱり、そういうこと。ならわたしも先んじて、信じざるを得ないわね」

「え? え? どういうことですか師匠?」

 ミコに相槌を打つ様に持論を捩じ曲げ先んじてミコの云う事を信じると表明した魚に弟子の哉と祝が口を揃えて疑問を打つける。愛弟子の莫迦弟子ぶりに流石の魚様もげんなり。弟子2名に輪をかけて分っていない周りに対しては尚更だった。なので魚は「バカ者揃い」と貶しつつも、其の疑問に答えてやる。

 

 ミコの真実を、教えてやる――。

 

 魚の説明を聞いて、神様連中は静止した。硬直したなんて表現は生温い。余りの衝撃に脳は思考停止。筋肉は痙攣し神経は感度が鈍る。只々熱さに咽が乾き、首を辛うじて上下伸縮動かす事で呼吸を維持している――そんな状態になった。静寂な時を経て、軈て神様連中は込上げてくる感情で身体をプルプル震わせる。ミコの背中が背負った重すぎる宿命に漸く気付いたのだ。あの日其の背中を見て以来、ミコの背中に魅せられていた魚も、如何して自分が心惹かれていたのか注目していたのか気になっていたのか――一気に全てを感じた知った悟ってしまった。

 重すぎる共通認識に押し潰されて、神様達は声が出せない。

 暫く其の侭時は過ぎ去る。だが、ミコが黙って立ち上がる。

 神様達は瞬時に悟った。此の静けさが宴の幕を引いた事を。

 引き止めようなど出来る筈ない。何故なら無粋な事だから。

 其れでも無理して声を絞り出す。此の侭終るのは嫌だから。

 が、先に詞を口遊んだのはミコの方。何て俗世の無常さよ。

「宴もたけなわ。潮時ね。喋ることも喋ったし、知らせることは知らせたわよ。もう十分でしょ、喋り疲れたわー正直。ととっと俗世に帰りますか。じゃあね、バイバイ」

「ま、ままま待って!」

 其の場に居た神様60名が全員揃って黒い頂点をがま口チャックの中に仕舞い其の足を水面盤に着けて立っているミコに手を伸ばし声を掛ける。だが腰は上げられなかった。

 其の隙を見逃す筈もなく、ミコは水面盤に溶けて消えた。



 気象一族としてのレインの能力、水門連絡だと知っても遅い。ミコはもう雨水を通して何処かに行ってしまったのだから。神様と云えども、追うのは不可能。

 途端、両手で頭を抱えて悶絶後悔絶叫する神様達。追跡しようにも手掛かりは無い。

 万事休すと云った感が場の雰囲気を支配し始める頃、不意に声を張り上げる者がいた。

 騒動の神、巡=サーキットドリームである。

「追いかけるのが不可能なら逆転だ。あたしたちがミコの名を騙って騒ぎ起こして本物を誘い出せば善いんじゃん!」

 ピク――神様共の動きが止まる。暫し固まっていた頭脳がカタカタ動き働き出す。で。

「そっか! 其の手が在った!」と、莫迦な相槌を打ってしまった。

 俗に云う『魔が差した』と云う奴である。神に魔を差したら『魔神』って詞に成るし。

 其処から先は早かった。発案の神、颯=ピンポンが居たからだ。

 只でさえ熟練老獪な謀略家の颯のあくど〜い発案。其れに計算能力では上を行く密室の神、直=ファンクションが改良案を出しブラッシュアップ。以下の大綱が纏め上げられた。

 

・場所は犯罪の起こらない街「セフポリス」

・ミコに近しい者を利用し、ミコの仕業と疑わせる

・殺すのは無し。ミコが好きな縁壊しの暗躍に絞る

・遣るからには徹底的に。ミコを貶めるつもりの事

 

 以上の要項を纏め上げた神様達。其処迄決まると神様達の行動は速かった。皆ミコが残した水面盤を利用し、ミコの水門連絡と似て非なる業で徳利や杯、盆を片付け、傘にコート、帽子と云った外出着を引き出し身に着けハイ準備完了。神様仲間60名は、今再び俗世に降りる格好と成って、大ホールの向こう側、正面玄関へとゾロゾロ歩く。そして扉の向こうを目的地セフポリスに最接近させると、扉を開け、皆して飛び降りた。

 神様にとって、落ちるのも飛ぶのも大差無い。行き先を選べる点も共通だ。

 斯くしてあの日『問題』を解いたミコ=R=フローレセンスに又も完敗上を行かれた神様達は性懲りも無くミコをギャフンと云わせるため、ミコとの思い出をもっと作るために今一度俗世へと大挙して降りるのであった――。



 翌日!

 ミコは大陸間移動を強いられた。神様の俗世本拠地からなんとなく選んだ霧の大陸の秘境『鏡の洞窟』にいたところを携帯電話一本で呼び出されたのだ。どんなに離れていても携帯電話は繋がってしまうから恐ろしい……などと身震いするミコではない。かかってきたのなら無視するか取るかの二択。たまたま今回は気分が乗ったので取っただけの話。それだけである。

 ともあれ不用意不注意不届きで済ませられなかったのも事実。何せ影帽子のがま口チャックから取る気になって取り出した携帯電話の発信元は、「レオ=クルサード」となっていた。かつて医療都市メディケアで起こった通称「コスモサーカス事件」。敵との「出会いになっていない出会い」をもたらしたあの事件を共に解決した警察側のエリート警視さん。イイ男とダメ男は憶えていられなくてもデキる男とショタ系男子は憶えているミコの記憶回路はその名を見通しただけで姿形立ち振る舞いを思い出すことができた。だから電話に出る気がちょっとだけ、増した。

 そして出てみるとまあ案の定、呼び出し電話だったわけです。

「ハーイ、Mr.クルサード。相変わらず職務に精進ですか?」

「ああ……繋がったか。久しぶりだなミコ。その……なんだ。今、暇か?」

「は? うーん、旅してるから暇ではないけどー、旅してるくらい暇ではあるよー」

 クルサードの問いにミコはある意味哲学的な、その実全く回答になっていない詞を返す。電話の向こうのクルサードもこの返事に参ってしまったようで、わかりやすく「ハァ」と溜息をついてから仕切り直しといった意気込みで下手な口調で話しだす。

「済まん、訊き方が悪かった。単刀直入に言う。君がどこにいるのかは問わない。これからセフポリスに来てくれないか?」

 唐突な依頼。さすがのミコも一瞬呆然としてしまった。驚いたせいで拍子抜けしてしまった声色で何とか答えるのが精一杯。

「セフポリスに? あなたのいる? 何の用事でわたしを呼ぶの?」

 問いかけワンツー三拍子。ミコの逆質問を受け、クルサードは面倒そうに事情を話しだす。余程面倒臭いのか、その際頭を掻いていたのが電話越しに聞き取れた。

「昨日、ここ絶対安全都市セフポリスの安全神話は崩壊した。事件が起こったんだ。しかも、常人には到底できそうにない凶悪な事件だ。で、我々セーフティ・ガードは犯人を迅速に逮捕したのだがその犯人ってのが問題でな……整=キャパシティブレイクって名前、知ってるか? こいつ自分のこと神様だって言い張っているんだよ。弁護だって現れた59名の自称仲間達も『自分達は神様だ』って。それでミコ、お前が証人だって言うからさ」

「ぶっ!」ミコは携帯電話から条件反射的に顔を逸らし、おもいっきり噴いた。整? なんで昨日別れたばかりの奴の名前を今日聞かされるハメになるのだ? 確かに神様だけど。確かに人間としての証人になるのは自分かもしれないけど……証人なら他にもいるはず。例えばコスモスとか。整は味酒の月、花一族の本拠地ガデニアで起こった花一族気象一族自然学派絡みの騒動のとき都に来ていた神様連中の一員で、そのあと神様達が起こした戦闘事件にも参加し、コスモスと闘っていたはずだ。整は最後まで残っていたからその姿は他にも花一族ならスイートピーにカトレアとか、気象一族ならウィンドにカーレント、自然学派でもエレーヌとかが確認している。なぜわたしなの――ミコは深謀遠慮と考え込む。他がダメでわたしを必要とするわけ。整。事件。犯人……。

 ポクポクポクチーン、ミコは事情を察知した。黒い手で取り出し、そして黒い手に預けたまま遠ざけていた携帯電話に振り向き寄せて、クルサードに語りかける。

「わかった。整は確かに神様よ。そんでもってあいつ、『自分は無実だ』とも言い張っているんでしょ。でも逮捕に至った捜査の過程は、整が犯人だと導いている。違う?」

「違わない。全くもって君の言う通り。正解だよミコ。事件は殺人未遂の障害事件なんだが、どうしても彼ではなくてはできない類の異能系犯罪だ。実はその被害者なんだが……」

「“狂活字獄”。全身全霊余すことなく狂活字が細かく浮き上がってびっしりと埋め尽くすこの世の物とも思えない惨劇に襲われたんでしょう? 喰らったことあるから言うけど、あれはきっついよー。検分した医師達とかもうダメでしょう?」

「ああダメだ。検分した医師65名、全員狂って再起不能。重度の昏睡状態に陥っていて今セーフティ・ガードの法医学部門は全滅機能不全状態。因みに先に挙げた65名には正規の担当がいなくなったので外部から雇った余所者医者やモグリの医者も含まれてる。話は逸れるがその件でも君に言っておかなきゃならないことがあってな……」

「え? なに? わたしの推察範囲外の情報? うーん、思いつかない。教えて」

「その外部雇われ医者の中に、あいつがいるんだ?」

「あいつ?」

「シャーロック=ローだよ。コスモサーカス事件の時お前にベッタリつきまとっていたあの男。妻のクララ=ローとその親友ナミコと一緒にここセフポリスに8回目の新婚旅行に来てたんだと。で、タイミングの悪いことにこの事件が起こってな、事件を嗅ぎ付けたあいつ、『検分やる』って押し掛けてきて。案の定くたばりやがった。奥さんのクララもそれ見て卒倒。二人は今警察病院でナミコが見守る中他の壊れた医師達と同様に入院中だ。ちなみにシャーロックは53番目。……ん? おいミコ、聞いてるのか?」

 電話の向こうのクルサードがミコが黙りこくってしまったことに気付き、状態確認の質問をする。それに対するミコの返事は「はあ〜」という地を這うような重苦しい溜息だった。ミコは心底ウンザリといった口調でクルサードに答える。

「マジで? あのシャーロックがそこにいるのー? うわー気分が一気に萎えたわー。なんか行く気がなくなっていくような気がするよー。あいつほんと鬱陶しいんだもん。勝手に助手名乗って。子犬かってくらい引っ付いてくるし」

「だよな。私もこのことは伝えるべきか一瞬躊躇った。だけど言わずに君を招けば結果騙したことになる。それは不義理だと思って伝えたんだ。君には不愉快な情報だけど、それだけに伝える意味があるとね」

「クルサード……わかった、今からそっちに向かうわ。あなたへの友情と誠意には応えなくちゃね。シャーロックは露骨に無視でいくわ。じゃ、黒い切符に黒い判子使って速達移動するからそっちで会いましょう。ざっと35分くらいね」

「引き受けてくれて感謝する、友よ」クルサードは感謝の詞を述べて電話を切った。ミコも携帯電話を切り、持たせていた黒い手ごと引っ込め、交替で別の黒い手を3本取り出した。その手に握られているのは、黒い切符と黒いペン、そして黒い判子(速達)である。

 黒いペンで黒い切符に必要事項を記入してから、黒い判子をポンと押す。『速達』の印字がなされた黒い切符は、普段なら移動にかかる時間以上の時間消費を条件とされる難問を速達印の力で実質無効化し、短時間での消失→最出現による時間空間移動を可能にするのだ。

 準備は整った。ミコは黒い切符を使うため、黒い手から自分自身の手に取る。それだけで黒い切符は持ち主を『発車』させる。

 ミコの姿が周囲の景色に溶けて薄くなる。鏡の洞窟の中、洞窟内の鏡面壁に写っているミコの鏡像も光で掻き消されるように密度を下げる。程なくしてミコの身体は洞窟内から『消失』した。



 ……で、きっちり35分後。

 ミコはセフポリスセンター地区ペンタグラム広場に突如『再出現』した。35分かかったが、ミコ自身が意識している時間は停まっていたも同然なので、外の世界では何分何秒何時間過ぎようとも、使用者の体感はいつも瞬間移動そのもの。時差が生じるだけの話だ。無論それで時差ボケするミコではない。

 現れた場所はペンタグラム広場。黒い切符にはセーフティ・ガードがある「セフポリス センター地区」としか書かなかったための空間の誤差。でも広場の方が目立たないし丁度よい。お堅いイメージそのままに、セーフティ・ガードの門前というのは人がいないし、そのくせ監視カメラは多いのだ。厄介事は御免。怪我の功名ね――ミコはしたり顔で笑う。

 そんな胸の高鳴りもすぐに堪能しつくし飽きたのでポイと捨て去り、ミコはペンタグラム広場からほど近いセーフティ・ガードへと歩いて移動しようとしたのだが――。

 行く先を塞ぐように大挙して現れた神様連中に迎えられてしまい、止まらざるを得なかった。神様達の中でも癖の強い連中が、旅の神魚=ブラックナチュラルを筆頭に10名前後の数でミコに向かってきたのである。

 そしてミコの手を取り魚がなんだか感慨深げな表情で迫りくる語りくる。なんだこの状況――ミコは自分の身に起こった不運をそう評した。それは、久しく感じていなかった不満、だったのかもしれない……。

「ミコちゃん、会えて善かったよ。昨日の今日で悪いんだけど、困っているわたしたちを助けて欲しいの。昨日60名全員で降立って街をウロチョロしていたら、突然整が逮捕されてわたしたちの予定は強制キャンセル。取調べと弁護に追われた一日だったの。でも被害者の身体は“狂活字獄”だったから警察さんの言う通り整以外には容疑者がいなくってね。途方に暮れて閃いた案が『ミコちゃんに泣きつく』だったのよ。クルサード警視と組んでコスモサーカス事件を解決したのは知っていたから一か八かで打診したら受け入れてもらえたの。大半の連中は今もセーフティ・ガード内で整の傍に待機中。お願いミコちゃん、力を貸して! とっても大事な事だから、了承してくれるまで引下がらないよ!」

 そう言ってミコに抱きつきしがみつく魚。それに倣ってなのかは知らんが、一緒にいた祝に哉の両弟子、整と組んでいた帳、“ファニータイム”で遊んだ翠、希、天の三バカトリオ、真実一直線の透にお嬢様なおろおろぶりを見せる愛、仲間のピンチに今にも泣きそうな㬢、こんな最中でもマイペースに情報屋であり続ける紫。改めて数えてみると10名前後改め11名の女神集団がミコに詰め寄り「仕事受けて!」と必死だった。ミコは昨日の今日で再開するハメとなった女神達の顔を飽きたように眺めながらも、がま口チャックから出した黒い手11本を一人一つ使い「どうどう」と抑えつつ、「大丈夫よ。依頼受けたからここに来たんだもん」と宥め安堵させる。その詞を聞いた女神様達11名。おすわり命令された犬のように離れかしこまって待機した。でもすぐに仲間内で手を取り合って「よかったね〜」と声を掛け合っている。全く仲が良いことで――ミコが感心しつつ、「じゃあ行きましょうか」と声をかけ、女神様達率いてセーフティ・ガードへ向かおうと一歩を踏み出そうとしたときだった。

「やあ」

 唐突に横を歩いていた若いカップルが声をかけてきた。ミコも女神様連中もビクッとして振り向く。しかも妙なのは振り向いてこっちが返事するより先にそのカップル、さっさと離れて去って行ったのである。なんのために話しかけてきたのか――謎だけ残って頭が濁る。だがこれは前座に過ぎなかった。本当の驚きは、ここからだったのだ!

 

「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「やあ」「ハロー」「はろー」「Hello」「Hi」――。

 

 ペンタグラム広場にいるありとあらゆる他人、果ては犬や小鳥に至る動物達までもが、ミコ達の方を向いて人語で声をかけてくるのである。不気味すぎる。そしてここまでやられたミコは既にこの異質な出来事が何者かによる「声テロ」だということに気付いた。

「一体、なんなんですか此処の人達。初対面の人に臆面も無く声掛けてきて、一方的に去って行くなんて……」

 不安がる愛にミコは同様に不安がり不気味がる他の女神様達の分もまとめて、説明がてらの発破をかける。

「気持ち悪いわね。でもそれって表現の仕方が違うだけで整の“狂活字獄”と一緒じゃない? あんまり気に止まない方がいいわ」

「でもミコおねーちゃん、なんでこんなことが起こるの? 原因がわからないよー?」

「それはね祝ちゃん、多分わたしかあなたたちへの挑発状なんじゃないかしら? 整が無実なのに逮捕された件といい、どうやら敵が攻撃を仕掛けてきたようね」

「敵? ソレってあたしたち神様の? ソレともミコっちの方?」

「多分わたしの方よ哉ちゃん。正直さっきまでは敵なんて心当たりがありすぎてでも一人として思い出せなくて困っていたんだけどね。虫の知らせと申しますか、今たった一人だけ、心当たりがあるんだよ」

「えっ? 其れって整を嵌めた犯人の心当たりが在るって事ですか?」

 㬢の反応と質問。ミコは頷いて肯定する。そのときだった。

 

 ミコの影帽子の中で、携帯電話の着信音が鳴る。

 だが、それはいつも使っている携帯電話のとは違う、ドアホンのような着信音。ピンポーンと繰り返し鳴り続けるその着信音は、ミコの趣味ではないと理解していた女神様達はハッとある事実に気付く。

「此の着信音を鳴らしている携帯電話って、もしかして……」

 透が身体を震わせながら口にすると、ミコはまた頷いて空いたままだった影帽子のがま口チャックから黒い手に掴ませ『それ』を取り出す。それは――。

 かつてミコが解決したコスモサーカス事件の際、犯罪計画を教唆していたクライムメイカーことシク=ニーロが犯人だった女性との連絡に使っていた超新型の携帯電話。

 シク=ニーロから所有権を認められてもミコは一切使わなかったし着信も今まで皆無だった携帯電話。それに着信、ということは――。

 ゴクリ。女神様達は一人残らず緊張した面持ちで息を呑み黙りこくる。そしてとうとうミコは、電話に出た。

「やあミコ=アール。元気だったかな?」

 聞こえてきたのは無邪気な、でもそれ以上に憎たらしい、あの敵の声。そう。

 だからミコも毒舌たっぷり嫌味に話す。

「さっきまで元気だったけど、あんたのせいで台無しよシク=ニーロ。あのコスモサーカス事件以来、今まで裏でけしかけるだけだったあんたがこうしてわかりやすく電話までかけてきたってことは、ようやく来たみたいね。わたしのいる、この俗世に」

「せいか〜い♪ ボクようやくキミに会いに来れたんだあ。折角だしこれから直に会おうよ。場所はもう確保してある。セーフティ・ガード? 気にしなくていい。これはただの寄り道なんだし。それよりも時間食っちゃって夜になっちゃう方が困るんだあ。夜は寝るものだからね」

「ふん、夜起きてられないなんて、とんだお子さま発言ね。でもいいわ。あんたが仕組んだ整の冤罪を晴らすより、真犯人のあんたに会えるならそっちを優先させようじゃないの」

 聞いていた女神様連中は絶句する。どんどん先を行きステップアップしていく話のステージに追いつけないのだ。それを無視して、二人の会話は続く。

「やったあ、嬉しいな。じゃあセンター地区の隣フロム地区の閉鎖された水族館で待っているよ。壁のペンキ絵が剥げた廃館だ。すぐにわかるよ。待ってるね、バイバーイ♪」

 そう告げて電話先のシク=ニーロは電話を切った。周りで傍受していた女神様達が見守る中、ミコは心底怒った顔で苛立っていた。黒い手にもその感情が伝わっていたので、携帯電話を握り締める黒い手にも力が入る。見たこともないミコの一面に、神様連中は驚愕、動揺、俯瞰していたが、やがてミコは自らの手で黒い手から携帯電話を奪い取るとそれを乱雑に服のポケットの中に押し込み、女神様達に告げる。

「ごめんなさい。今できた急用のせいで整の無罪証明にはもう少し時間をいただくわ。まずはこの事件の黒幕にして真犯人、クライムメイカーことシク=ニーロと会う」

「今の子が? あのコスモサーカス事件を起こしたシク=ニーロだって云うの? 其れに整が追い詰められている私達神様仲間達を嵌めている犯人だとも云うの?」

 劇的に変化した状況に対応しきれない女神様達の一派を代表して透がミコに質問攻めを浴びせかけると、ミコはもう元の穏やかで柔らかい表情に戻って親切丁寧に、女神様を導くように語りかける。それはまるで、おとぎ話に出てくる、お姫様と王子様のような構図。

「ええ、そうよ透さん。わたしは最初から整やあなたたち神様達の無実主張が真実だって判断してた。ならこの事件には濡れ衣を着せた真犯人がいるはず――わたしの物覚えも物忘れもいい頭に浮かんだ『こんなことできる奴&こんなことをやりたがる奴』はシク=ニーロ、この無限生意気な悪人間しかいないってね。もう思い出した時点でわたしの全感覚がビリリってきたの。敵の襲来を感じ取ったのよ。今までは奴曰く『準備中』だったから確かにいなかったけど今はいる。わたしの感覚がそう告げている。電話越しに伝えてきた面会場所の閉鎖された水族館。そこにシク=ニーロがいる。感じるでしょ? 人の気配」

「た、確かに……感じる、感じるわ!」

 ミコに言われて本当にシク=ニーロの気配を感じ取った女神様達を代表してさっき質問の矢を飛ばした透が答えると、次に仲間思いの㬢が愛と2名様で発言する。

「この子、何が目的なの……? なんで整に冤罪着せるの。ヒドい……ヒドいよ!」

「㬢ちゃんの言う通りです。よりにもよって高次存在たるわたくしたちに、仮にも神様と呼ばれるわたくしたちに喧嘩を売るなど、許せません! 断乎抗議します!」

 㬢のおろおろ愛のはきはき。この2名は事情を知った女神様達11名の代弁者。

 㬢のおろおろとした詞は皆の感傷そのもので。

 愛のはきはきとした詞は皆の決意そのものだ。

 その意味を分かっていたミコは、当たり前という風に手を女神様達に向けて差し出した。

「抗議するなら一緒に行く? あいつに会うのに寄り道はしたくないし、これ以上騒がれるのも嫌だから、連れて行くのはあなたたち11名だけになるけど……十分どころか十一分に事足りるでしょ? セーフティ・ガードにいるみんなには、“感覚共有の通神術”で外から参加させてあげればいい。この提案に異論がなければわたしの手を取って頂戴。考える時間は11分あげる。順序こそ変えちゃったけど、わたしは急いでないからね」

 ミコからの提案。願ってもない申し出だった。11名の女神様達は円陣組んで前傾姿勢で傾けた頭でも円を作り横、斜め、そして正面の仲間達と目を合わせると円陣を解き、代表として魚がミコの手を取る。二人は手が触れ合ってすぐに手首を捻り、堅く互いの手を握り締め合う。

 ここにミコと神様達の間で合意が締結されたのだ。歴史的瞬間である。

「ほんの一時に過ぎないかもしれない……でも付いていくよ、ミコちゃん。よろしく」

「ええ。わたしの他に誰を敵に回したのか、あの世間知らずに思い知らせてやるわよ」

 魚とミコとの痛快なやりとり。そこに会話を聞き留めていた紫がミコに質問をした。

「ねえミコ、君はシクが世間知らずだって断定してるみたいだけど……なんでなの?」

「どういうことです?」

「いやさ、これから初対面で今までのコンタクトは電話2回だけだったのに、そこまで判るもんかねーって。ワタシ愚考いたしまして」

 愛の説明要求に対し、紫はまず自分がミコにした質問の主旨・背景を解説する。

 するとミコはにゃふふと笑ってさらりととんでもないことを暴露したのである。

「世間知らずよ。だってあいつ、未来人だもん。この携帯電話もね、未来の新型――即ち未来電話だからね」と。

 ――はあ?

「未来人? シク=ニーロって……未来から来たの?」

 女神様達の動揺は当然だろうとミコは思った。でもこれ以上説明する気にはなれなかった。百聞は一見にしかず。今くどくどと説明するよりは直接本人を見せた方がよいと考えたからだ。

 ミコは身を翻し、魚の手を取ってセーフティ・ガードとは違う方向、シク=ニーロが指定した水族館へと歩き出す。ミコに手を引かれるままに魚が「とっ、と」と可愛い悲鳴を上げながら蹴つまずかないようにとんとんとんと付いてくる。その魚の後、魚の影を追って残りの女神様達10名も付いてくる。ほどなくしてミコ達はペンタグラム広場を出て、喧騒と静寂、そして旋律入り混じる街セフポリスの街中へと消えていった。

 今の俗世を生きるカゲナシの女の子と神様達に対し、未来から来たという犯罪スペシャリスト。

 これが後の歴史に伝わる絶対安全都市セフポリスに起きた後にも先にもない唯一無二の大事件、「ハローリターン事件」の幕開けであった――。

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