第5話 帽子を正し、いざ決戦!


 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 人々も、神様も、世界中が探し始めた。その女の子を。

 

 すべてを知ってる女の子を、それぞれの目的のために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。

 

 

 たったたたたか、たたたたた。

 花の都ガデニアの中枢地区地下最下層、地下365階の金庫室、大宝庭にツバキ、サクラ、萌枝、そしてミコの四人が駆けつけた。未だ警告音がなる非常事態。エレベータは最寄階でドアを開けたまま緊急停止してしまっているので、四人全員階段である。地下77階のツバキの研究室から最下層の地下365階まで移動するのは、下りと言えど苦行であった。

 延々とターンを繰り返して下を目指すこの移動。階段がコの字型で下が見えないから、終わりもまるで見えないのだ。これが螺旋階段ならば中の中空を飛んで落ちられるのにと、萌枝以外の三人は道中かなり愚痴った。飛べない萌枝を抱えてでも飛行して一気に下まで落ちられればどんなに早く、なにより楽だろうかと現実に苛立ちつつも必死に駆け抜け、288階分降りきった。地下365階へ滑り込んだ時、四人は到着の達成感よりも苦行からの開放感と安堵感に浸っていた。サクラと萌枝は立っていられず仰向けに寝そべっているし、ツバキとミコも膝に手をつき、肩で息をしている。汗が熱気で蒸発し、不気味に空気を歪ませる。

「つ、着いたあ……はあ、ひぃ」

 ツバキがなんとか詞を紡ぐが、聞いてもなんの御利益もない無味乾燥なフレーズだった。聞くだけ無駄、無理して喋らず黙ってりゃいいのに――と、サクラは胸中でぼやく。ともあれ、自分は寝転がってヒイハア言っている状態なので、口にできなかったのは不幸中の幸いであろう。泥沼にならずに済んだのだから。

 と、階段の入口スペースで息も絶え絶えに身体を落ち着けようとしている四人のもとに、中から現れる人影が三人。

「来たわね、ツバキ!」「サクラも。萌枝も」「うわ! ほんとにレインちゃんいるよ」

 中から現れたのは花一族の重鎮、委員会の委員である三人の女性――。

 営業・プレゼンテーション担当委員、キク。

 研究現場統括委員、カーネーション。

 環境管理統括委員、コスモス。

 以上三名の女委員が、サクラたちのもとへと駆け寄ってきた。出てくる過程、ちゃんと金庫の扉は閉めて。

 駆け寄って早速、キクがサクラたち四人に労いの詞をかける。

「早かったわね、貴方達。私達が非常ベルを鳴らしてからまだ30分も経ってないわよ。特にツバキは会議室のある地上区画から来たんでしょう? エレベータも止まってるのに。無茶したら老化が進むわよ」

「労うならそれっぽいテンプレがあるだろよ! キク、お前のトークは営業癖が板に付いてて謙遜するくせに我が強いわ! 俺達ゃエレベータのドアもロックされてたから、マジ階段駆け落ち回りして疲れてんだぞ。いかん、突っ込んでたら気が……」

「ツバキ兄さん!」サクラの心配も一歩及ばず、そう言ってとうとうツバキまでもが膝を地に着けた。肩で息をしていてなお呼吸は荒い。労うつもりが茶化してしまったキクや傍らにいたカーネーションとコスモスもその様子に気まずくなったようでお口にチャック。気まずい沈黙が場を支配する――。

 と、そうは問屋が卸さなかった。ふゅーと聞こえる落ち着いた感じの呼吸音。サクラを始め、皆がその方向を向くとそこにいるのは――。

 ミコ=R=フローレセンス。

 すっかり汗も乾き涼しささえ思わせる清涼な顔つき目つきでキク、カーネーション、コスモス達の方を向くミコ。周囲がどよめくのも気に留めず、ミコは嬉々として話しだす。

「お久しぶりね。キク、カーネーション、コスモス。もう何年ぶりになるかしら? ほんと、時が経つのは早いわねー。お互い女の子とは名乗り辛い年齢になっちゃったかな?」

「はあ、あんたまだ女の子とかほざいてんのかよ? 嫌味にしか聞こえね。あたしらもうアラサーだ。あんただって知ってんだろ」

 普段から女っぽさ皆無の男勝りな口調でカーネションが思いっきり毒づく。長身美女の外見に、秘めた年齢はもうすぐ30。しかもこの三人、揃って独身。通称「アラサーシングル」のトリオである。女の子なんて詞はとうに捨てた――そんな覚悟が聞こえた気がした。

 が、決して一枚岩ではないのがこのアラサーシングルの欠点(もしくは美点?)。未だに乙女心全開満喫の者もいる。今が出番よと永遠の幼女、コスモスが口を割って入れる。

「あら、心がピュアなら女はいつまでも女の子よ。ねーレインちゃん。あ、ゴメンねー。今はミコちゃんだったねー」

 調子のいいことお花畑な妄想虚言をのたまうコスモスによって場は混乱の体を示しだす。真っ先に先の自分の発言を否定されたカーネーションがコスモスの肩を揺さぶり説得行為に打って出る。

「いいかげん目を覚ませよ、コスモス! あたしらはもうすぐおばさん……残酷だけどそれが現実なんだ。そりゃあたしだって、いつまでも乙女でいたいさ。でもな、人生の若い時期にいつまでも留まってばかりじゃその先に未来はないぞ! さあ、目を覚ませ! 共に未来への一歩を踏み出そうぜ……」

「えー、そんなの親に摺り込まれた悪しき風習だと私思うなー。それに、カーネーションは勘違いしている。私は永遠の幼女だけど、同時に常に進化し、そして成長するタイプだよ。言わば『革命女子』ってとこ。この若い感性はそのままに、大人の知恵を貪欲に吸収しかき混ぜ練り上げ焼き上げてこそ至高の料理……もとい成果が得られるのだ。さあ、心の根に水をやって! これからも一緒にミコちゃんみたいに女の子を名乗ってこ?」

 カーネーションとコスモス。どちらも一本芯が通っているので、どっちもこっちも引きやしない。どうやら通った一本の芯は、交わることはないようだ。つまりは平行線ということ。

 となると重要なのがその二本を繋ぐ可能性のあるもう一本――もとい最後の一人ことキクの主張。カーネーションもコスモスもそこに気付き、同時に視線をキクに向ける。

「キク、お前はどうなんだよ」「キクの意見で全てが決まるねー」

 二人からの熱視線を受けたキク。が、その様子にたじろぐ気配はまるでない。彼女の指差す人差し指が指し示したのは、ミコだった。

「カーネーション、コスモス。貴方達は既にミコの権謀術数に引っかかっているわ! 思い返してごらんなさい。貴方達二人の主張が水と油の関係なのは、他ならぬ貴方達自身が一番よく知ってるはずよ。それでも貴方達は根本で認め合っていたはずでしょう? それがどうしていまさらになって、アラサーの歳になってまた火種になるのか――答えは決まっている。火をつけた奴がいるからよ。貴方達を踊らせた犯人――それがミコよ!」

「てめえ!」「ミコちゃーん」

 キクの責任転嫁を真に受け、カーネーションは憤り、コスモスは泣き寝入り。しかしミコもなんのその。全く悪びれる様子も見せずに応対する。

「バレちゃった? もー、キクが余計なこと言うから私が悪者みたくなっちゃったじゃない。少し暇つぶしになればいいと思ってやったのにー」

「その動機、一体何の本音を隠しているのかしら?」

 キクのさらなる追及に、ミコは口笛をぴゅーっと鳴らして答えた。

「ほら、来てほしい人達がまだ到着してないこのごろでしょ? じーっと待つよりも少しばかりドラマ性があったほうがおもしろいかなー、なんてね」

「そのためにあたしらを仲違いさせようと思ったのか? 何様だお前!」

 ミコの傍若無人な発言にカーネーションがカッとなるが、その身体を後ろから、抑える影が二つ出現。キクとコスモスの二人である。この二人はミコの言い分も一理あると理解していたのだ。そしてもうひとつ、別の意味で時間を忘れさせてくれた点も評価していたらしい。こんな詞でカーネーションをなだめにかかる。

「まあまあカーネーション、落ち着き給えよ。ミコの言う通り、時間をぐだぐだイライラと過ごすよりかは有意義だったわよ。ちょっと面白かったしね」

「どういうことだよ、キク。まだこいつら以外、誰も来てねえだろ」

「そっちは残念ながらだけどねー。でも、ここに来てバテていたツバキ達は、この間に持ち直したみたいだよー」

「あん?」そりゃどういう意味だコスモスと繋げるカーネーションにキクとコスモスはミコじゃなく、別の方角を指差した。そこにいるのはさきほどの間に呼吸を整え立ち上がったサクラ、萌枝、ツバキの三者。その光景を見てカーネーションの目から鱗が落ちる。

「なんだお前ら、いつの間に回復したんだ」

「コスモス姉さんの言ってた通り、ミコさんの戯れで姉さん達が踊らされていた間にです」

 サクラがはっきり明言すると、カーネーションもそういうことかと呟いて、暴れようとしていた体勢を取り止め、キクとコスモスにも制止の手を解かせた。首を横にならしてサクラ達の方を真っ直ぐな目で見つめるカーネーションは、やがてその手で綺麗な長髪をがさつに掻きむしって愚痴る。

「なるほど、あたしらがミコの脚本で寸劇かましている間にツバキ達は立てもしねえ状態から持ち直したってわけか……。コスモス、お前いつ気付いたんだよ?」

 カーネーションが自分と同じく踊らされておきながら、自分よりも早くサクラ達の回復に気付いたコスモスにそのタイミングを訊く。するとコスモスは顎に人差し指を当てて、子供っぽさ全開の仕草と態度で答えたのだった。

「うーんとねー。キクがミコちゃんを犯人って指差したときかなー。そのとき私の視界にはね、ミコちゃんだけじゃなくて大分息を整えてたサクラと萌枝ちゃんが遠目に見えたんだー。それが見えたとき思ったの。ひょっとしてこれは『あれー?』ってなことなんじゃないかって」

「くそ……やられた! あたしはあのときミコしか見えていなかった。サクラ達なんて眼中になかった。研究現場統括委員として、一生の不覚なり!」

 両手の拳を握りしめ、絶叫するカーネーション。反省するのはいいことだが、この暑苦しいノリにはどうもついていけないサクラである。そんなサクラに萌枝が寄り添ってくる。萌枝もまたこの熱狂発狂的姉貴分委員カーネーションを苦手としているのである。元から。

 この状態になったカーネーションを止められるのは、アラサーシングルの仲間のみ。サクラ達はキクとコスモスに目配せする。その視線をすぐに汲み取ったキクがカーネーションの肩に手をのせ、そこまでよと諭す。その後すぐに両手でパンパンと手を鳴らし、話題転換を図りだした。

「話を戻しましょう。こうしてコントで時間を潰しても未だ他の面子が来る気配はナシ。リバムークが奪われたっていうのに、なにをノロノロしてるのよ」

 営業で鍛えた仕切り節でほんとに話のポイントを変えたキク。その手腕はたいしたものだが、現状への文句は少々的を外している。ならば諌言しなければとでも思ったのか、ツバキが手を挙げ意見する。

「仕方ねえよ。委員会の会議の途中で現物持って来ようぜって流れになって、お前達を取りに行かせたら、やってきたのは有無を言わさぬエマージェンシーモードじゃねえか。何事かってあわてた俺ら会議室の委員会メンバーにお前らが寄越した連絡が『リバムークが盗まれた!』だぜ? ご丁寧に証拠画像付きで、ショックを受けない奴がいるかよ。俺だから会議室をすぐに飛び出したけど、他の連中は皆唖然呆然。挙句の果てには椅子ごと倒れて気絶した奴もいたんたぞ」

「はあ? なによそれ。それがこの一大事に対する対応なの! けしからん! 時は金なりよ! 仮にも一族を束ねる委員達でしょ。ちょっと確認する」

 ツバキの説明に怒り心頭となったキクは携帯電話を取り出すと、端末操作モードで地下365階の壁に格納していたディスプレイを展開すると、そこに呼び出す相手の電話番号を入力し、その映像を映し出した。

 そして確認し……絶句し顔を引きつらせた。

 キクだけでなく、残る皆も。ただ……ツバキとミコだけがその映像を――彼は苦々しく、彼女は興味深くだが――眺めていた。

 ツバキの言う通り、残る委員達は全員地上の会議室で気絶、自失、現実逃避という有様。唯一花君だけが一人ゆっくりと階段を降りてこっちへ向かっているようだが、映像で確認できた現在位置は地下85階。遅すぎる。

 これでは今日のリバムークの発表会など二重の意味でできようが無い。サクラ達は事態の深刻さを再認識させられ、にわかにじりじりと慌てだす。考え悩む女達。しかしなんの解決策も見えてこない。万事休すの地獄入りかと思われたとき、ミコの声が聞こえた。

「誰か答えて。この非常事態モードは解除しないのよね?」

 唐突な質問に聞いた皆が戸惑うが、時は金なりの営業姿勢を実践するように、キクがその問いに回答した。

「しないわ。私達が把握しているのはこの大宝庭に保管していたリバムークが盗まれたという事実だけ。そもそも調査部門は私達の管轄外だしね。それでも犯人がまだこの中にいるかもしれない可能性を否定できない。ならば出口は封鎖する。エレベータも止め続ける」

「なかなかの推理に的確な対応ね、キク。それじゃ次の質問。今あなたたちが解決すべき唯一無二の問題はなに?」

 ミコが投げかけた第二の質問。またも聞かされたサクラたちは瞬間的に戸惑うが、やはり考えてしまう。訊かれたら答えるのが礼儀だし、ミコの問いもこの事態を収拾するための質問だとサクラたちにも理解できたから。

 だが今度の質問はなかなかどうして難しかった。理由はミコの質問文にある「唯一無二」という文言。たったひとつの最優先事項はなにかという求めに、キクでさえも考え込む。

 と、ここで上がる一本の手。その手の持ち主――カーネーションがミコに答えを語る。

「悩んだけどこれしかねえ。ズバリ! この無様な体たらくを晒している残りの委員達に今起こってる事態の深刻さを教えてやることだ!」

 やはりそうなるか――サクラも無言で頷いた。他の面子も沈黙という名の肯定を示す。実はサクラは悩んでいた。というのも今もっとも問題なのは、カーネーションも言った通り映像中に映っている委員達の無様な光景の解決ともうひとつ、そもそもの原因であるリバムークの奪還のふたつであり、このふたつに甲乙をつけ難かったのだ。それくらい悩む二択だったが、率先してカーネーションが口にした委員達の問題解決でよかったのだろう。たとえリバムークの奪還が優先とされても、この機能不全を解決しないことには意味がないからだ。それに、仮にも一族を束ねる立場の委員達の今の醜態は度を越している。綱紀粛正が必要であろう。

 そういう感じにサクラが納得していると、回答を聞いたミコがまた評価を、そして再度最後の質問をしてくる。

「分別のある判断よカーネーション。それじゃ最後の質問。問題解決のためにはいったいなにをどうすべきか?」

 ……はあ?

 ミコの投げかけた第三の質問、最後の質問はそれにふさわしい内容であったが、それだけに一番の難問であった。抽象的すぎる。ひとつの答に絞れるようなものなのかと疑念が先にわいて出た。

 しかしサクラの熟考に反し、またも上がる他人の手。その手の持ち主――コスモスが得意満面の顔で、可愛い声でもって答える。

「愚問なり―。そりゃーもう、ここにみんなを連れてくること! そうすればいくらでも活は入れられるんだから。でもそうなると最初の答がネックになるよねー」

「そうよね。となると、わたしの出番でしょ?」

 えっ……? サクラが掻き消えそうな小声で呟くと、ミコは影帽子のがま口チャックを開き、中から黒い札束らしきものを取り出し、封を切る。突然の行動に皆が戸惑うが、やがてコスモスだけは「あー」となにやら納得の御様子。「そういうことね」と言って続ける。

「なるほどね。ここにいるミコちゃんはかつてカゲナシのレインと呼ばれた人物。影の秘術に頼れるってことだねー」

 コスモスの発言をきっかけに、皆が一様に理解する。なるほど、それはありうると。

 しかし実際にその術を見るのは、みんな今日が初めて。他人を瞬間移動させる術など、ミコとの付き合いが長いツバキでさえ知らないようである。なのでみんな固唾を飲んでミコの動作を見守った。特に好奇心の強い萌枝など、サクラの横に進み出て爛々と輝く目でミコを注視している。するとミコは平然と自分の能力――黒い札束の力について語り出した。

「影の秘術……昨日も色々使ったけど、今日のはちょっとアクが強いかな。この黒い招待状はね、他人の影をこの場に招待し、次いでその影の持ち主も招待するって代物なの」

「おおスゲー。コスモスの予想どうりの展開じゃん」カーネーションが飾り気のない質実剛健な賞賛を浴びせるが、ミコはなぜか苦笑した。

「そうでもないんだなー。これ、62枚1セットになっているんだけど、複数を同時に使用するとリスクがあるのよ」

「リスク……ですか?」サクラの復唱にミコは頷いた。

「この黒い招待状は62枚1セットをさっき切った紙の封で束ねてあるの。でもね、作ったときのこだわりっていうか、招待効果と対象を無制限に設定した反動もあって一回でも使用したら必ず招待状を再生させて62枚の封付きに戻さなきゃ次の使用はできないのよ。さらに問題なのが時間。特に複数枚を一斉に使ったときが厄介でね。1枚だけなら再生にかかる時間は62秒で済むんだけど、2枚を同時使用した場合は2枚まとめての再生になるんだけど、再生に要する時間は1枚目の62秒と2枚目の62秒×2の和になるんだなあ」

「なにそれ? 勿体無いわね。2枚まとめての再生には実質3枚分の時間がかかるってこと?」

 キクが心底勿体無いという体でまるで自分のことのように悔やんでいる。サクラからしてもそれは納得である。時は金なりを自分の是としている営業ウーマンのキクにとって、時間の浪費ほど嫌いなものはないからだ。

 しかしそれさえ序章に過ぎなかった。ミコの話はさらに続く。

「2枚同時使用のときは『62秒+62秒×2』なんだけど、お察しの通り、この2枚目以降の係数は枚数の数に対応しているのよ。3枚目は3を62秒に掛けて2枚目までの再生時間に足す必要があるし、4枚目では4と62秒の積をさらに足す――等差数列の和、つまりは等差級数ね。1枚多く使用する度にその枚数分の係数で再生単位時間62秒と掛け合わせた数の総和になるわけ。MAX62枚全部を使うと再生に要する時間は121086秒。33時間と38分6秒もかかる。ゆうに丸一日は使えなくなるわけよ」

「そんなら1枚ずつ使って62秒のインターバルでやればいいじゃない。3782秒で62人呼び出せるわよ」

 キクがごもっともな意見を出すが、ミコは悲しげに首を振って違うんだな〜と否定する。

「キクの提言は有能な意見だわ。でもこの能力、そううまくもいかないの。それやっちゃうとね、後になるほど招待の精度が落ちちゃうのよ。1枚ずつ連続して使うにせよ、インターバルは2番目なら次まで124秒、3番目なら186秒と休ませてやらなきゃいけない。これは言わば禁則でね。この禁を破って短時間に連続使用すると精度がどんどん落ちてっちゃう。この技――影殻招待は黒い招待状が招待対象の影を象ってから本体も招待するってプロセスで成り立ってる。その精度が落ちてくると影の変形が不十分なままになっちゃって招待対象の肉体まで異形な形に変えちゃったりするし、最悪の場合本体を招待している最中に影が変質しちゃって本体が出現できずに消えたままになることだってある。そうなると直すの大変なのよ。ゆえに再利用までの時間はかかっても事故の危険がない完璧な精度で招待できる複数枚同時使用が好ましいってこと。それにさ……」

「それに……?」あえて詞を切ったミコの流れにのせられ、話を聞いていたサクラ達全員が鸚鵡返しに言い返す。その反応を待って、ミコは話を再開した。

「いちいち再利用でやってくなら最初から62枚の札束になんかしないわよ。62枚の束にしたのなら最初から複数使用を前提にしなくてどうすんのって話。時間を惜しむあまり使う量まで惜しんだらそれこそもったいないわよ。使わないもの持ってるなんて……宝の持ち腐れなんじゃない?」

「あ……言われてみればもっともだ」アラサーシングルの三人が全く同時に同じ台詞を吐く。ほんといいトリオだわ――サクラは胸の中で脱帽した。

 それはともかく……ミコの意見はまさに正論、もといもっともな言い分だった。影の秘術、そしてそれを使った技を熟考し、習熟させた『使い手』だからこそ言えるセリフ。今になって考えると、他人の能力にあれこれ口を出していたのは失礼だったのかもしれない。

「さて、説明も終わったことだし、使いますか。何人ここに招けばいいの?」

 紙幣の札束を数えるがごとく、黒い招待状の札束をめくりながらミコが問いかける。

 訊かれたサクラ達は今一度キクが展開したディスプレイを眺め、そこを指差してミコに示す。代表して答えたのはキクだった。

「この残る委員達8人に花君様の計9人ね。そいつらだけでいい。他の連中にはメールでその場待機を言い渡すわ。コスモス、メールの方をお願い」

「いいよー」コスモスは相変わらずののんきな間延び口調で返事して、携帯電話を取り出しメールを打ち始めた。

 時を同じくして、ミコの方も札束から9枚めくり取ると、その9枚を誰もいない場所に放り投げた。一枚たりとも、重ならないように。

 するとどうだろう。ミコが話していた通り、黒い招待状はひとつひとつ別々の形に変化し始め、まもなく九体の人影がそこに現れた。

 そして瞬きする暇もなく、そこにあるべき九人の実体も転送され、この場に呼び出されたのであった。その光景にサクラと萌枝は圧倒される。

「9枚使ったから再生時間は2790秒……悪くないわね。ハイ終わり」

「キクー、メール送信終わったよー」

 ミコとコスモスの仕事完了の報告を受け、改めてサクラ達はミコの影殻招待で呼び出された者達と対峙する。なによりもまずは頭を下げる。招待された中にいらっしゃる一族の長、花君ストックに拝謁しなくてはならないからだ。

「花君様、此度の緊急事態、私共不覚の限りでございます。申し訳ありません!」

 サクラ、ツバキ、キク、カーネーション、そしてのんびりやのコスモスも含め、自意識を保っていた花一族の五人が花君様と呼ばれた女性に一斉に頭を下げ、猛烈苛烈に陳謝する。このような事態を起こしてしまったこと、そしてみすみす見逃してしまったことも自分達の責任と謝る。上司へ尽くす部下として当然の姿勢である。

 しかし肝心の花君はそんな部下達の謝罪をあっさりさらりと受け流し、こともあろうにミコの方を向いて彼女と話し始めたのだった。

「久しぶりーレインちゃん。相変わらず黒いヘッドにカラフルなボディ、そして影の秘術なんだね。懐かしいなあ。あのころの私はいち委員だったけど、今はこうして出世したんだよ?」

「は、花君様〜」

 無視されたサクラ達は悲しくなって涙目涙声になるが、ストックは下々の声など全く聞いちゃいなかった。完全にミコに話しかけることに夢中である。

 しかもミコまでその話に応じたのだから一層サクラ達の立つ瀬がなくなった。これでストックとミコの間にトークが成立し、サクラ達部外者が割って入ることができなくなった。

「ええ。久しぶりね、ストック。ほんと、あのころが懐かしいわ。あなたはまだ委員会の新参委員でわたしは気象一族の戦闘部隊だった。でもまあ、今の状況は当然の帰結でしょう。あなたとわたしがこの休戦をもたらしたのだから。それと!」

「それと……?」ストックは首を傾げはてなの仕草。

「今のわたしはレインじゃなくて、ミコよ。ミコ=R=フローレセンス。ツバキから聞いてるでしょう? まあレインの名のころの過去バナだったからレインの名に応じたわけなんだけど。今のわたしにとってレインはR! それオンリーなので、よろしく!」

「はい。了解しましたよ。ミコちゃん」

 ストックが花……華……否、万華鏡のような至高の笑みを見せる。サクラや萌枝、ツバキ、アラサーシングルの三人はその殿堂級の美貌に悩殺されてしまうが、ミコは全く微動だにせず、乾いた感性持ってます的な顔と適当にあしらうように手を振って、一緒に呼び出した非常にみっともない委員達を指差し、ストックにある要求を突き付ける。

「花君様にまで出世したなら部下の叱咤激励はあなたの役目でしょ? コレ、お願いね」

「はいさ、わかりましたよミコちゃん。それじゃ久々にやりますかあ!」

 腕まくりし、意気込むストック。その動作からサクラ達はこれから何が起こるのかを悟り、全身の毛が総毛立つ。萌枝を引っぱり、すぐさまその場から遠い場所へ、できる限りの遠くへと非難する。

「ちょっ……どうしたの。サクラちゃん」

 一般人ゆえにサクラに抱えられて非難させられた萌枝が、なにがなにやらわからずと言って説明を求めるが、その必要もなかった。

 避難の途中で煽りを受け、吹っ飛ばされたからだ。花君ストックが花一族の面々の中でもっとも得意とする特技、花粉散布からの粉塵爆発を起こしたのである。サクラ達の避難が完了する前に。

「ぐおっ!」「きゃあっ!」

 サクラ、萌枝、ツバキ、キク、カーネーション、そしてコスモスの六人は爆風で紙飛行機のように宙に浮かぶが、そこは五人が花一族。下級極意の枝骸装甲を纏って衝撃吸収に務めると同時に、枝で作った第三、第四の腕でしっかり壁にへばりつく。壁に衝撃を逃がして安全を確保すると、各々我流の着地を見せる。サクラは萌枝を抱えていたとはいえ、まだまだ青い芽の若手なのでとにかく友達である萌枝の安全第一を優先に質実剛健な着地。一方対外戦闘部隊の隊長だったツバキや曲がりなりにも委員であるアラサーシングルの三人は各自独特のアレンジやポーズを入れて優雅に着地と相成った。しかもその着地姿勢がまた綺麗なのである。負けた、わたしはまだまだだ――サクラはいらぬ敗北感に打ち拉がれる。

 しかし今は予断を許さぬ事態。自己嫌悪などおいておけと、すぐにサクラは気を取り直す。枝骸装甲を解除し、抱えていた萌枝を降ろし立たせて、噴煙の中を見やる。未だわけがわからずと言った感じの萌枝に友としてサクラが説明してやる。

「花君様が不甲斐ない姿を晒していた委員達を起こしたのよ萌枝ちゃん。お客様の前でなに体たらくかましとるんじゃー、いいかげん起きろーって」

「爆発で起こすの? そんなの今時のアクション映画でもしないことだよ……」

「あたしら花一族だからな。身体の造りが違うのさ」カーネーションが割って入る。

「そうねー。動物の人間に植物の花をかけあわせ、完璧な生命体となりて神の問題に挑もうとしたのが、私達花一族の由来よー、萌枝ちゃん」

 コスモスが萌枝の方に笑顔を振りまきさらに解説を入れる。なんか洗脳っぽくなってきたぞ……危惧を抱き始めるサクラ。そこに(実に)いいタイミングで、話題転換になり得る叫び声が未だ爆煙立ちこめる煙の中から聞こえてきた。

「なんなんだ一体! 目の前が真っ暗になったと思ったら突然周囲が爆発したぞ!」

「おはよう。アサガオ」

「お早うじゃねえっすよお頭! この爆発臭、やっぱあんたの仕業か、これは!」

「あら、目覚めが悪いようね。筆頭の私に口答えするなんて……」

「こんな仕打ち受けりゃ当然だろ! ふざけんな!」

 ミコの影殻招待で花君ストックと共に招待された八人の委員の一人、気絶していた輩のアサガオが怒鳴り散らす。ブランド品のメンズスーツもボロボロの布切れに変わっており、見ていて非常にみすぼらしい。

 その様子を遠くから見ていたサクラ達。爆煙が空調のおかげで収まってきたので、爆発の全体像を遠目に眺めることができた。といってもその様子はたったの二通りにしか分類できない。

 アサガオを始めとして、爆発の余波で黒焦げの咳き込み状態になりつつもようやく自我を取り戻した委員達と、爆発を起こした側&けしかけた側であるストック&ミコの二通り。大雑把すぎるかもしれないが、逆にこれ以上の細分化など到底不可能であった。

 加害者と被害者――これほどわかりやすく、かつ納得のいく構図が他にあるだろうかと言う話である。とはいえ、正義や大義といったものはむしろストックとミコの方にあるのだが。

 それにしても、あの爆発のほぼ真ん中にいながら服に灰のひとつも寄せ付けないストックの凛々しい立ち姿はさすがお頭と言わざるを得ない。特に初めてその様子を見たサクラと萌枝は、その姿に憧憬の念を憶える。

 そして、同じように隣に平然と立っていた、ミコ=R=フローレセンスにも、等しく同じ思いを抱くのであった。

「すごい……これが花一族の筆頭に史上最高のレインと呼ばれた女傑達の実力、ですか?」

 萌枝が発する感嘆の詞。それをツバキが肯定する。

「そうだ萌枝。これが我ら花一族の筆頭ストック様と俺がついぞ勝てなかったミコの奴の力量だ。怒らせるなよ? 敵に回したら百代先まで『安堵』はねえぞ」

 ゴクリ……息を呑む萌枝の手をサクラは握り、「大丈夫」と落ち着かせる。その理由を伝えるべく、ここまで全く話しておらず、話したくてウズウズしている営業ウーマン・キクに話す権利を譲った。キクはサクラにありがとうと涙目で感謝して、サクラの代わりの役目を果たすべく、萌枝にその理由を語って聞かせた。

「なぜ大丈夫かと言いますとね、萌枝。ストック様もミコも、もう敵なんて滅ぼしつくしたし、怒りつくしたからなのよ。ま、あなたとサクラは人生まだまだこれからよってことですね」

「そうだな」「そうそう♪」「そうなるな」

 キクの話を補完し、補強するがごとくカーネーション、コスモス、ツバキが同調する。

 そして彼等委員四人は「そろそろ頃合い」と各々準備運動を始めた。突然の挙動不審に戸惑う萌枝。その横にサクラが付き、こんどこそ「大丈夫」とその理由を自分で語る。

「長い前フリだった上に色々あったけど、ようやく問題解決に向けて動き出せるってことよ、萌枝ちゃん」

「あ、そうか……なるほど。でも今思うと『やっと』って感じだね」

 萌枝の意見はもっともだった。がそれだけに遠くまで響いたのだろう。萌枝やサクラ達避難民から割と離れた爆心地にいたストックと焼け焦げた八人の委員達、そしてミコの動きが変わった!

「花一族の筆頭として命じます。私に仕える委員達、全員ここに直りなさい!」

「尊命受理! 直ちに!」

 焼け焦げた八人とツバキ、キク、カーネーション、コスモスの計12名の委員会委員が全員即座に筆頭の尊命に応え、瞬時にその御前へと膝をつく。尊命の対象になっていなかったサクラと萌枝は最初見ているだけだったが、ストックの近くでその様子を見ていたミコに振り向かれ手招きされたことを受けて、慎重に、だけど遅いと注意されない程度の速さでミコのいる場所までやってきた。いざかけつけてみると、ミコだけでなく、一族の長であるストックも二人の到着を暖かく迎え入れてくれた。心遣いをありがたく頂戴しつつ、サクラと萌枝はミコの方に寄る。一族筆頭のストックの傍では虎の威を借る狐に見えかねないから。

 二人がミコに寄り添うと、あたかもその構図はミコが二人を守っているようだった。ミコも景気づいたのか、元気象一族のくせにこんなセリフを口走る。

「さあごらんなさいサクラちゃん、萌枝ちゃん。これがあなたたち花一族の中核を成す委員会委員12名よ!」と。

 

 人事・対外防衛担当委員、ツバキ。

 営業・プレゼンテーション担当委員、キク。

 研究現場統括委員、カーネーション。

 環境管理統括委員、コスモス。

 デザイン・アートワーク担当委員、ヒマワリ。

 資金調達担当委員、アジサイ。

 経理・予算編成担当委員、タンポポ。

 渉外・接待・外交担当委員、アサガオ。

 資材調達担当委員、キキョウ。

 都市管理・政治運営対策委員、ヘレニウム。

 陳情受付係の委員、スイートピー。

 諜報工作員総括兼審査部門管轄委員、カトレア。

 

 以上12名の曲者達が一族筆頭、花君ストックの前に膝をついて畏まっているのである。その光景を第三者的視点から眺めて、震えない方がおかしかった。サクラも、萌枝も、立っているだけで痺れてくる。それくらいの戦慄、壮観。

 

 

 そしてこれを機に大人モード・仕事モードに入ったのか、12名はさっきまでのおちゃらけた雰囲気から一転、八面六臂の行動力と対応を見せたのだ。

「未だ鳴り響くこの警告音……鳴らしたのはあなたたちね? キク、カーネーション、コスモス」

「はっ。我々三人がリバムークを取りに金庫を正常なる手続きにて開けましたところ、既に中のリバムークは花も種も御座いませんでした。これは非常事態と即刻判断。私共の判断で警告・施設閉鎖に踏み切った次第です」

「なるほどね、事実非常事態だったわ。報告を受けたとき、私とツバキ以外は腑抜けてしまったのだから」

 キクの返答をストックは至極道理ねと評価する。そして同時にストックの詞通り腑抜けてしまっていた八人――ミコに影殻招待で呼び出されストックの爆破アラームで起こされた八人が、ただでさえ膝まづいて低い位置にある頭をさらに下げて、自分達の不甲斐なさを詫びる。八人全員、男も女も、一字一句も違わずに。

「申し訳ありません! よもや発表会当日になって目玉の花が奪われるなど露程も思っていなかったのであります。それにここ大宝庭のセキュリティは数ある都の中でも強固な部類と自負もしておりました」

「それは自惚れですが確かな評価とも言えましょう。我が花一族の誇るこの宝物庫大宝庭は選ばれし一族の者でなければ開けることなど到底不可能ですからね。まずは手がかりです、カトレア」

「はっ!」呼ばれた女――諜報工作員総括兼審査部門管轄委員のカトレアが女らしさを押し殺した中性的な低音ボイスで応える。その返事を待って、ストックはさらに続ける。

「犯行はリバムークを最後に確認した昨日の夕方からでしょう。その時間帯から今に至るまでのカメラの記録を全てチェックなさい」

「御意。直ちに」

 言われて応えてすぐにカトレアは金庫のコンソールパネルのさらに横、管理者権限でもってのみ使うことのできるオーナーズサーバーにアクセスし、現在進行形で録画されているこの大宝庭入口を監視していたカメラの映像を、先程キクが使っていた壁面埋込型のディスプレイに映像を高速で遡らせ、再生させる。その様子をサクラ達他の面々はしばしの間注視していたが、それも短命に終わる。ストックが手を叩き、注意をこっちに向けたのだ。

「さて、調査はそれ専門のカトレアに任せるとして……私達になにができますか?」

 すかさず上がる一本の手。持ち主は経理・予算編成担当の男委員、タンポポだった。

「社長、残る我らにできることと言えば真相を推理することだと思われます。ここには気象一族屈指の探偵と呼ばれたレインことミコ=R=フローレセンスもいるのですから」

「ふむ……王道にして常道でしょうね。ではミコちゃん、あなたの意見を……」

 振り向きざまにそこまで言ってストックのセリフは途切れた。そこにいたのはサクラと萌枝、だけ――。

「あれ、ミコちゃんは?」

 ストックがそう発して初めて、そこにいたサクラも萌枝も、そして他の委員達もミコがいないことに気付く。予想だにしない事態、誰も彼もが動揺するが、特にサクラと萌枝の狼狽えぶりは相当だった。だってさっきまでいたはずなのである。花君ストックが声をかけるまで、確かにミコの『存在』はここにあった。だからこそミコが消えたことに誰よりもショックを受けていたし、それを隠せなかった。キョロキョロ顔を振り向かせ、前後左右を探すサクラと萌枝。それに釣られるようにストック他残りの面々も顔を動かしだした。

 そこに聞こえる鶴の一声。もといミコのやたら通る声。

「おーいみんなー、どこを見てるの? わたしはここよー」

「えっ?」声のする先発信元を見るみんな。そこは――。

「げっ?」と驚くカトレアの隣、大宝庭金庫のコンソールパネルの前だった。

「えっ、嘘!」「さっきまでここに居たのに!」「いつ消えた!」サクラや萌枝達のツッコミが入るが、ミコは背中を向けたまま、コンソールパネルの方を向いたまま詞だけを寄越す。

「カトレアと同時にわたしは動いていたわよ。あなたたちが『わたし』だと思っていたのは残像、残響、残影よ。飛ぶ鳥後を濁さずというけど、ちょっとみんなの動きを見てたら勝手に動くのは場をしらけさせると思ってね。かといってわたしとしてはそれに付き合う趣味はなくってね。それでこうしたわけ。理解した?」

 二の句も継げないサクラ達だったが、唯一ツバキだけは、苦笑いしながら両手を上げた。

「……たく、お前は。急がないのがモットーでありながらその実時間を本当にうまく使いやがる。これをお前流に言うなら、無駄な時間を生きないって言うのかね?」

 そのマイペースぶりに脱帽降参と言った感じでツバキが告げると、ミコは嬉々とした声で肯定した。

「正解。ちょーっとやってみたいことがあってね。思いだしたら止まらなくってさ」

「なにがしたいの?」ストックが尋ねると、ミコは平然とこうのたまった。

「キク達が気付くまで警備システムは何の問題も報告しなかった。ということは今回の窃盗行為は至極真っ当なものだったってことよ。犯人はあなたたちの決めたルールに則り真正面から勝負を挑んだ。そして奪って消えた。そゆこと」

「……ん?」サクラは頭を傾げる。ミコの説明を聞いてもいまいち話が掴めなかったから。というよりミコの話は話すにつれて抽象的になりすぎて答のイメージがぼやけるのだ。まるで意図的にピントを合わせさせないような、嫌がらせ的なものを感じたくらいに。隣の萌枝と目を合わせるが、萌枝もまた顔を横に振った。

 が、上司達は違った。ワナワナガクガクプルプルと小刻みに震えながら「てめぇ……」とかなんか、聞こえるかどうかの音量で呟いている。しかしそれも唐突に終わる。その仲の一人、都市管理・政治運営対策の男委員、ヘレニウムが実に渋いバリトンボイスでミコに自分達の受けた衝撃を告白する。

「つまりあれかね? お前は、犯人はこの中に、我ら花一族の中にいると――そう言いたいのかね」

「ええっ!」サクラと萌枝はまたも驚きを隠せず幼い悲鳴を響かせた。それでも一言で済ませたのは、二人して互いの口を手で抑えたからである。子供だって肌で感じる。場の空気がどういうものか。これ以上の喧騒は大人達を怒らせるだろう――そう判断した結果である。

 しかし、口は抑えても頭の中はパニック状態のままだった。ミコの指摘が、まさか花一族の身内を疑っているものだったなんて、幼いサクラにとっては予想の斜め上もいいところだったのだ。完全に視野の範囲外。受ける衝撃は大きく、深い。遅まきながら、サクラと萌枝も震えだすが、それさえ刹那の感傷で終わる。

 口を互いの手で塞ぎ合うサクラと萌枝の背後に現れる大きな影。目だけで見上げたのは不覚だった。なぜならその影の正体は、花君ストックだったからだ。

(はっ? ストック様……)

 サクラは遅まきに慌てだすが、遅まきと言うだけあって、遅かった。というよりストックの方が早かった。サクラの敬愛する花君様はその手をサクラと萌枝の頭に優しく被せ、優しい手つきで撫でてくれたのだ。その途端、サクラの頭に幸福の素となる信号が感じられた。頭から足元まで、五臓六腑に染み渡る。愛おしさの満足感に萌枝の口を拘束していた手も緩んでしまうが、自分の口も自由が利くことに気付く。そうか、萌枝ちゃんも同じ気持ちなのねとリセットされていたサクラの頭脳が再起動する。ちょうどそのタイミングでストックは二人を撫でる手はそのままに、ミコに声を掛けた。

「全く……ミコちゃんは相変わらず不穏ですね。わたしの率いる一族の中に裏切り者がいるなんて言うんですから。おかげでサクラちゃんと萌枝ちゃんがショックで固まっちゃったじゃないの」

 その発言を受けサクラと萌枝はハッとなる。自分達が周りの衆目を集めてしまっていることに気付き、狭く近くに閉ざしていた目の焦点を広く遠くに切り替える。すると見えてくる周囲の状況。

 こっち――より正確には自分達ではなく、ストック――を見上げる委員達に、全く見向きもせずに背中を向け続ける、ミコ=R=フローレセンス。

 ミコの態度・対応は健全か不健全かで判定するなら多数決の余地もなく不健全であった。だがその背中は不健全な行動と判定させる要素――不遜、不敵、無礼といった類のものをなぜか感じさせない。それどころか、その背中に見えるものは……あるようでないような、そこにいるようでいないような、存在の確証、ミコという『個』の証明さえ見る者に疑わせる、不思議で奇妙な『印象』だった。

 まるで、そこにいる姿は絵画の一部、背景と同化しているのではと思わせるくらいに――。

 そこまで感じてサクラはそれ以上の潜入潜考を取り止めた。目を瞑り、スイッチを切り替え、意識をサクラ個人のものではなくこの場にいる集団のものへと調整する。今大事なのは幼い自分達の心のざわめきではなく、全員が共通して問題にしている非常事態の解決だから。個は二の次におくべきであろう。そう意識してサクラは目を開けた。隣の萌枝にも目配せして言い聞かす。萌枝もこくりと頷いた。

 そんな健気なサクラの決意を皆はしっかり汲み取ってくれた。ストックの方に向けていた目をサクラと萌枝の位置にまで下げ、優しく、されど強い眼差しで見つめる。そしてアイコンタクトを取り合うと委員達はミコの方に首を曲げる。サクラと萌枝も改めてミコの背中を見やる。ミコはその動きを敏感に察知したようで、こんな詞を投げかけてくる。

「もういいの? まだストックの発言から5秒も経ってないわよ。サクラちゃんと萌枝ちゃんのこと、もう少し大事にしてあげたら? わたし、べつに急いでないし」

「そのご心配には及びません。わたしたち、子供ですけど、それ以上にれっきとした一族の一員と盟友ですから」

 萌枝の手から解放された口でもってサクラが答える。ついで萌枝もまたミコに問い質す。

「サクラちゃんの言う通りです。わたしたちは子供ですが、足手纏いになるつもりはありませんよ、ミコさん。手始めにわたしが尋ねましょう。ミコさん、本気で花一族に下手人がいるとお思いなんですか?」

 萌枝の詞は鋼の如し。真っ直ぐ、強く、光り輝く。

 だがミコは平然とその背でもって受け止め、語る。

「もちろん。でなきゃ説明つかないことの方が多いんじゃない? でも根拠もなしに言っても説得力に欠けるだろうから、こうしてわたし自ら実演しているわけ」

「実演?」サクラがぶつける疑問。ミコは解説する。

「実演って詞がわかりにくかったら実験でもいいわ。コンソールパネルの警備認証システムに要求されるまま操作して開けてみせようってわけ。そうすればわたしの唱える正面突破説も現実味を帯びるでしょう?」

 なんと……絶句させられるサクラ達花一族の面々に萌枝。そんな光景にもミコはまるで興味を持たないようで、相変わらずまったくこっちに顔を向けず、コンソールパネルの操作に夢中だ。そして実際かなりのところにまで達していた。未だ鳴り響く警告音で若干聞こえは悪かったが、システムナビゲータが『キープレートを挿入し、金庫用パスコードを入力してください』という音声を発していたのだ。もう最終関門である。早い!

 しかしそこでミコはそれまで躊躇いもなく動かしていた手を停めた。当然であろう。キープレートはゲスト用の特別製を借りているが、パスコードについては全体を守る金庫用と個々を守る個別用問わず一切知らないはずだから。だって、赤の他人だし。そもそもここのパスコードなど、一族の一員であるサクラでさえ全く知らない。金庫に入る必要も入れる必要もないからである。大多数の一族メンバーでさえ知らない暗号。ミコが知っていたらそれこそが問題だ。

 にもかかわらず、ミコが再び手を動かし、指でなにやら入力したら――。

 金庫の扉が開いたのだ。重厚な軋みを響かせながら、ゆっくりと。

 唖然とさせられた。サクラだけじゃない。萌枝も、12人の委員達も、そして花君ストックさえも。皆が受け入れ難い現実に顔を強張らせている。

「Oh、開いた開いた」唯一開けたミコ当人だけがその様子を当然のように見つめ、無邪気能天気な声――端から見ればサクラや萌枝より子供っぽい声を上げてコンソールパネルを閉じ、澄ました顔で金庫の中へと入って行く。その際ようやくミコの横顔を見れたが、それも些細な問題。今は詰問が先である。一番槍は資材調達担当委員にしてツバキと同じ元対外戦闘部隊の偉丈夫、キキョウだった。

「不可解なり! なぜ貴殿はパスコードを知っているのだ! これは花君閣下が作成し我々幕僚に配備する最高機密の暗号だぞ。はっ……さては貴殿、正面突破と見せかけて栄華会館のシステムに破壊工作を仕掛け深刻な損害を与えたのではあるまいな?」

 対外防衛担当のツバキよりもよほど戦士らしい話し方をするキキョウの投げた一番槍、とりあえずミコの歩みを止める程度の効果はあった。ミコがこっちにその顔を向けて、サクラ達全員を憐れむような目で眺め、やれやれと嘆息してから買い詞を返してくる。

「今でも兵站を担当していたころの口調が直ってないわね、キキョウ。まあいいわ。いい機会だし、答えてあげる。破壊工作なんてしてないわよ。ちゃんと正解を入力したの」

「馬鹿な……入手経路を説明しろ! ミコ=R=フローレセンス!」

「入手経路て……仰々しいわねー。そんな大したことはやってないわよ。ヒントを元に推理しただけ。パスコードを知らなくたって、それがどういうものか考えることはできる。そしてヒントも知っている。かつてあなたたち対外戦闘部隊がわたしに語ったこと、今もわたしは憶えてる。大宝庭をはじめとして栄華会館のセキュリティは全て一族筆頭、花君が決めることだって。それを知っているならあとはストックの思考回路を推理すればいい。ストックは礼儀正しく、人望がある爆破マニア。そして先達を非常に尊敬していた。そこまで考えて閃いたの、ストックは先代筆頭、トケイソウの名をネタに使うんじゃないかって。かといって単純に名前や花詞を使ったのではひねりがない。少しもじっているはずと思ったわ。トケイソウの花詞は『聖なる愛』、それと名前を組み合わせればうまい詞ができあがる。『saintclock=聖なる時計』ってのがね。で、入力したらドンピシャ。どう、異論があるならぐうの音でも出してみたら?」

 出せなかった。誰一人。ミコの導きだした答が正しいことは、開いた扉が証明している。パスコードを知らなかったサクラと萌枝も、パスコードを当てられた委員達やストックも、口を縫い付けられたかのように、一切口答えできなかった。

 その反応を見届けたミコは、「ほら、次行くよ。ついておいでよ、カトレア以外」と言って金庫の中へと消えていく。サクラは頭を動かして頭上の花君様にお伺いを立てると、花君ストックはその視線を受け止め、小さく頷いた。それを合図に、サクラと萌枝、ストック、そしてカトレア以外の委員達の順に続き、金庫の中へと入って行く。

 大宝庭の金庫の中、床と天井、そして扉以外の三面壁は全て様々なサイズの個別保管庫で綺麗に埋め尽くされている。初めて覗く大宝庭の内部に、サクラと萌枝は少なからず圧倒された。

 だが、そんな感動もさておき、今はミコに注目である。この大宝庭のロックを開けてみせた、ミコ=R=フローレセンスに。

 ミコは保管庫の壁をじーっと眺めている。左、右、前と視線を顔ごと動かしているが、やがて正面右側の保管庫目掛けて進み出た。その一歩を踏み出した途端、デザイン・アートワーク担当の女委員、ヒマワリが吃驚仰天と甲高い叫声をあげる。

「どうして……なんでそこだってわかるのよ、あなた。ここのセキュリティシステムは金庫の扉が閉まった時点で仕舞い忘れの保管庫も全て床から飛び出すロボットアームが片付ける。たとえキク達が動転して保管庫を放置していても、ちゃんと片付けられているはず。なのにどうして見つけられるのよ?」

「ヒマワリさーん、保管庫はちゃんと戻したよー。わたしがねー」

「そうそう。あたしらトリオのアラサーシングル。一人抜かっても二人で補うってね」

「つか盗まれたって報告受けて自失状態だったあなたに言われたくないわ。ヒマワリ」

 ヒマワリの詞に反応したのは、ミコよりも発見者であるアラサーシングルの三人の方だった。まあ気持ちはわかる。謂われなき流れ弾で疑惑を持たれちゃ敵わないだろう。もっとも、そこはシステムがきちんと補っているのであるから、然程の問題でもない。アラサーシングルの抗議は横道だ。今問題になっているのは、ミコが(サクラは知らないが)リバムークの保管庫がどれか判別してのけた疑問の解決である。先のヒマワリの詰問も、要点はそこだ。

 するとミコはいくらか進んだ歩みを止めて、ふふふくくくと不敵に笑う。

 そしてある一点――紛れもないリバムーク用の保管庫を指差しこちらを向いて喋りだす。

「ちょっとヒマワリ、なによこれ。保管庫に名札付いてるじゃない。さすがに『リバムーク』とかじゃないけど、今日の日付と主賓って書かれてる……わかりやすいわねー。これだったらもーちょっと目を凝らしとけばよかったわね」

「なに、あなた……その名札を見たんじゃないの? じゃあ、どうしてその方向に」

「そりゃわたしはここに入ったの初めてなんだからどこにあるかなんて知らないわよ。でもさ、一緒に入ったあなたたちならどこになにがあるかくらいわかっているはずでしょう? 花一族を束ねる委員会委員と筆頭なんだから。そこで顔ごと視線を泳がせてみて、カマをかけさせてもらったわ。当たりに視線を向けたときと外れに視線を泳がせたときじゃあなたたちの挙動に変化があると思ったから。目は囮に使う必要があったけど、耳であなたたちの心拍数や呼吸の変化を捉えてた。その結果もっともあなたたちが挙動不審になったのがこの位置だったのよ。あなたたちはわたしに利用されたわけ。おわかり?」

「ぐぬぅ……」ヒマワリを始め大半の委員達が歯ぎしりし、苦々しい顔をする。でもサクラと萌枝は別に利用されたわけでもないので(だってどこにあるかなんて知らないし)、むしろこの一筋縄ではいかない曲者揃いの委員達を見事手玉に取ってみせたミコの手腕に感心していた。もっとも、委員達の中でも唯一コスモスだけはサクラ達同様ミコのことを褒めていたが。ほんとおめでたい人である。その姿といいマジ幼女だ。

 話は続く。ミコは改めてリバムークの保管庫に近寄るとまたも備え付けのロック管理パネルにキープレートを差し込んで、パスコード要求画面を引き出す。ここでミコの手は止まった。ふ〜むと顎に指を当て、実に絵になる思案顔でパスコードを推理しているようだ。

「今度のパスコードはなにかしらね―。専用パスコードだからリバムークにちなんだ詞が使われているはず……」

「そんな一朝一夕でわかられてたまるかよ。金庫用パスコードを当てられただけでも正直あたしらのプライドはズタズタなんだぞ」

 カーネーションの悪態が響く中、ミコは「そんなんだから女の子になれないのよ」とちゃっかり皮肉を浴びせつつ、不気味な沈黙の中、意味深なくらい考え込んでいた。が、その瞬間は来た! 顎に当てていた指を離してパチンと鳴らす。その音を聞いたサクラ達は思わず身震いしてしまう。「まさか」「マジで」「バレたのか」などと十人十色の懸念が出る中、ミコがさっささささと入力すると、信じられない現実が。

 赤色のランプが青色になり、保管庫のロックが外れ、空っぽの中身が登場と相成ったのだ。それ即ち、正しいパスコードを入力したということ。

「だあああああああああ!」ことここに至って遂に委員達の精神の箍が外れてしまった。認めたくない現実への鬱屈した感情が爆発したのである。それがこのシャウト!

 しかしこんな中でも花君ストックは別格である。バカ共の絶叫からサクラと萌枝を守ろうと二人の耳をその御手で抑えてくれたのだ。若く清らかなわたしたちの精神を汚染させまいと花君様が守ってくれている――感謝の思いが一層の崇拝へと変わったと自覚したとき、やはり一人はぐれている別ベクトルのバカ、コスモスがミコにまともな質問を投げる。

「すごいねーミコちゃん。どうしてパスコードわかっちゃうのー?」と。

 叫ぶ方のバカ委員達に呆れ返っていたミコも、女の子を自称し合うコスモスの質問は無下にできないようで、叫ぶバカを笑う顔はそのままに、でも丁寧丁重な口ぶりでもって、正解を導きだした推理の過程を語り出す。

「ストックのことだからねー、これも盲点をついてくるんだと思ったわ。盲点って言うものの本質は気付かない点じゃなく、気にも留めない点なのよ。気にも留めないことで考えると、もう用なしの死文がうってつけ。実験コードトリコロール。トリコロールは第三言語、アルファベット表記でtricolore。でもこれだけじゃ体当たり式攻撃で当てられてしまう怖れがある。なら変換処置だと思った。アルファベットは26種、数字やアルファベットオンリーじゃやはり不安だと思うはず。両方を混成させた方式――なら13進数でしょ!」

「13進数……?」サクラと萌枝が頭を傾げる。聞いたこともない詞である。

 ミコはその表情変化を見逃さなかった人差し指を一本立てて、実に得意気に説明する。

「普通この人間・生命世界で使っている数の数え方は0から9、10でもって桁が上がるでしょ? 10が2桁目の始まりだから10進数。でもね、数学では0から9にアルファベットを加えて、10の表記――2桁目の始まりを普通の10とはずらす手法もあるのよ。よく使われるものと言えば、0から9に足してAからFまでもつかう16進数。コンピュータの表記とかで使われるものよ。これは10がAになり、その後15のFまでが一桁で表され、16になって初めて二桁目の最初、10表記になるってわけ。で、わたしがさっき取り上げたのが13進数表記。13を10に当てはめるから数字にアルファベットのA、B、Cを使うのです。ここ、テストに出るよ」

 でないでしょ……サクラは無言でツッコミしつつも、ひと呼吸おいてくれた間に、ミコの説明を飲み込むことができた、つまり10番目はA、11はB、12はC、そして13の表記が2桁の10になるということだ。萌枝の心配はしない。だって自分より頭がいいから。四半期ごとに一緒に受けてきたIQテスト、ずっと負けているのである。地頭の良さはさすが柿之本家の娘よと委員会からも評価される萌枝。きっと自分よりも理解は早いだろう。

 とりあえずそこまで理解したタイミングで、ミコの説明が再開される。

「0を当てはめるかどうかでちょーっと悩んだけど、ストックなら1から20までだと思った。キリ番が好きなタイプだって、わたしはストックを見ていたから。あとはこのルールで『tricolore』を変換すると、『17159312c12155』になる。アルファベットもひとつだけど入ってる。これを入力したら見事正解。どう、正面突破説の実験成果は?」

 ミコが両手を広げ、自分の実績を誇らしげにアピールする。黙ることしかできないサクラ達だった――と思いきや、ここでとんでもないことをぶちまけた奴がいた。資金調達担当委員にして担当する部門の通り、金にうるさい女狐。アジサイがいままでの流れをぶった切るかのような詞を発したのだ。

「わかったで! 犯人はミコ、お前やな!」

 ズルッ! ゴン! バナナもないのにミコは盛大に足を滑らせひっくり返り、後頭部を床にぶつける。それでもすぐに跳ね起きて反論するところがさすがである。

「バカ言わないでよ! なんでわたしが犯人なのよ!」

「ここのセキュリティを突破してみせたやんか。そーゆー奴こそ一番怪しいで」

「な、なるほど……」「あり得る」タンポポとキキョウがアジサイの意見に納得し始めた。これにミコは危機感を抱いたらしい。珍しく強張った顔して弁明に走る。

「ここの存在も知らなかったわたしが盗もうなんて思いつくもんですか。昨日初めて栄華会館に来たとき、地上階層だけの建物と勘違いして、ツバキとサクラちゃんと萌枝ちゃんにこっぴどく笑われたのよ。ねえ?」

「アンタら、そらホンマか?」

「おう。笑いまくったぜ」「ええ」「はいです」

 アジサイの確認取りに頷くサクラ達三人。忘れもしない昨日の出来事。ミコの唯一無二の失敗と言ってもいいあの事件は、とても笑えるものだったから。

 だからその旨説明したのだが、アジサイはさらに飛躍して食って掛かる。

「騙されたらアカン! 昨日知った、それで十分やろ。忘れてへんか? こいつはカゲナシのレインと呼ばれた女やで。かつて敵対勢力を貶めるために都ひとつを滅ぼした女や。何をしでかすか分からん奴、そしてなによりコレクター――容疑をかけるにゃ十分や!」

 やたら主張を押し込むアジサイ。ミコはさらに激しく反駁する。

「言いがかりにも程があるわよ! わたしは大宝庭の存在自体今日のさっきまで知らなかったし、リバムークにも興味ない。わたしの関心はあなたたちに切って捨てられたリバムーク・プロトタイプの種を作ってどっかの荒れ野に蒔きに行くことなんだから。それに都ひとつ滅ぼしたくらいなによ。わたしね、レインだったころ気に入らなかった国を滅ぼしたことあるわよ。損得勘定一切抜き、激情に任せるままにね。都5つ、街34、村59の国を丸ごとひとつ、毒素信号ブレンドした雨を降らせて滅ぼしたの!」

 ミコは勢い余ってアジサイの言いがかり以上にとんでもないことを口走るが、そのインパクトは一定の効果があったようだ。言いがかりをつけていたアジサイが口に詰まったのである。ミコはそれを好機とばかりにさらに押し返す。サクラにはその様子が逆襲に見えた。

「大体、リバムークの種なんて盗ってどうするのよ。真のコレクターってのはね、最初から話題になってるようなものには靡かないのよ」

「だったら金やろ。リバムークは金になる!」ここでアジサイが間髪容れず切り返す。が、ミコはその論理を鼻で笑った。

「金が目的だったらなんで手間がかかって換金も面倒な栄華会館大宝庭のリバムークを狙うのよ? 真っ先にここよりセキュリティが甘くて金そのものがある金融都市プリスの銀行を狙うわよ」

「そう言われれば、そうやな……」至極真っ当なミコの主張にこれまで散々難癖つけてきたアジサイさえもううむと唸る。言ったことはことごとく物騒かつ危険極まるものだったが、ミコの力説が実を結んだのだろう。もちろんサクラはミコの無実潔白を信じていた。リバムーク・プロトタイプにかまけていたミコの慈愛溢れる眼差しを知っていたから、本気でリバムークには発表会を覗く以上の興味がないと感じていたから。

 そこにさらなる弁護が入る。金庫の中にそれまで外で調べものをしていたカトレアが入ってきて、こう述べたのだ。

「犯人はミコさんじゃないわ。私、監視カメラの映像を調べたけど、地下77階のツバキの研究室でミコさんはずっと寝ていたわ。カメラの映像に残ってた。そしてミコさんの寝顔が記録されている時間帯にこの大宝庭に侵入した影が七つ。こいつらこそが犯人ね」

「なに!」犯人らしき影の発見報告に、ミコを疑った者も疑わなかった者も全員一致でそわそわし始める。早く見せろとカトレアに詰め寄ると、彼女は自前の枝と花粉で持ち運べないディスプレイの代わりにそこそこのフレームと画面端子を構成させる花一族の上級奥義、花芝居でもってその映像を再生してみせた。機械を持ち運べない&携帯電話じゃみんなが見辛いという理由から使用せざるを得なかった苦肉の策としての花芝居、いかにも植物といった感じの褪せた印象があったものの、そこは確かに上級奥義。携帯電話から電波で飛ばして再生させた映像の中に――確かにいたのだ。ミコがしてみせたように正面からこの大宝庭のロックを開け、その後リバムークと思しき花と種を抱えて走り去る七つの人影が。

「おお、ほんとにいるぜ」「複数犯かね」「ですね」「へっ、こいつらか」「これが敵か!」

 ツバキ、ヘレニウム、タンポポ、アサガオ、キキョウの順に、委員会の男委員共が口調は違えど意味は同じな詞を個性豊かに吐き散らかす。それを見せていたカトレアはじめ、女委員達は心底ウンザリした様子で心の距離を取っていた。ジェンダーの違いはテンションの違いに如実に現れるものなのである。そしてその壁を乗り越えた者こそ、一族を束ねる筆頭なのだ。ストックがとりあえずの結論を出す。

「ミコちゃんは無実、犯人はこの子達。異論がある方、いらっしゃいます?」

 ストックの確認。誰も手をあげる者などいない。なぜなら花芝居の映像には同時刻地下77階ツバキの研究室でのミコの寝姿も映し出されていたからだ。これを見せつけられた以上、ミコの潔白は証明された。サクラと萌枝もホッと胸を撫で下ろす。

 カトレアの花芝居が終わると、皆が喋らずとも一様に共通の課題を見出した。即ち、この映像に映る人影の正体究明と居場所の特定である。だがその姿は霧のような色づいた細かな粒子で覆われており、全員人影である以上の特定はできない。が、その事実が逆に花一族にとっては手掛かりであり、恥の証拠でもあった。この正体隠蔽術は花一族の中級秘伝、花粉霧装に他ならないからである。花粉霧装を使っている以上、ミコが言っていたように花一族の誰かが裏切り者として加担していることを、否が応でも認識せざるを得ない――サクラの口の中に苦渋の味がする唾液が溜まっていく。だが花君ストックはそんなサクラの微動も鋭敏に感じ取ったようでサクラの背中を優しくポンと叩き、サクラをビックリさせ、その拍子で溜まった唾液を飲み込ませ、口を開かせてくれた。開いた口を通して新鮮な空気を吸うことができ、サクラの沈みかけた心も、ちょっと軽くなった気がした。否、救われたのだろう。仮にも花君様の御業である、救われたという表現で間違ってない!

 そんな風にサクラが狭く小さな自己世界で奮闘している外では、沈黙を破るようにストックがカトレアに訊きだした。

「カトレア、この映像に映っている視覚情報の範囲内でこの花粉霧装が誰のものか特定できる?」

「残念ながら……」カトレアは首を横に振る。「あっちの高画質ディスプレイでも目を凝らして分析しました。ですが、手掛かりとなり得る色があまりにもありきたりすぎてこれ以上の特定は困難です。もう、この色の花粉を使う者を片っ端から調べ上げるしか――」

「必要ないでしょ。待てばいいと思う」

 カトレアの王道を否定するミコの邪道な発言。途中で口を挟まれ機嫌を悪くしたカトレアがすかさずミコに口火の矢を放つ。それに伴いサクラ達もみんな振り向くと、ミコはキク、カーネーション、コスモスのアラサーシングル三人組と携帯電話をいじっていた。

「人が話しているときに口を挟まないでくださいミコ! 不愉快です。不条理です。そしてなによりマナー違反です」

「そう怒んなよカトレア。こいつだって根拠もなしに言ってるわけじゃねえって」

 ミコの代わりに答えたのはなぜかカーネーション。なんで貴女が答えるのとカトレアが問い詰めると、カーネーションに留まらず、キク、コスモス、そしてミコの四人全員が携帯電話を見せて語り出す。ここで語り手はキクに代わった。

「いやね、ミコにちょっと小声で声かけられたのよ。ネットの表裏全域でリバムークのフライング売買がされていないかチェックするから手と携帯電話を貸してって。それで私達アラサーシングルが助力して四人掛かりで広く深淵なネットの海をくまなく調査。その結果、リバムークの売買契約がされた痕跡は一切なし。昨日から今日の範囲で他人もメールも通話も全て残らず盗み見たけどそれもシロ。ね、ミコ」

「そう。ここから考えられることは、連中は金が目的じゃない可能性があるってこと。あるだけ全てリバムークを盗んだのにも関わらず連中は金に換えようとしていない。ならなにが目的か、考えられるケースはふたつ」

 そう言ってミコは人差し指と中指二本でVの字を作り、そこから人差し指一本に変えて「まずひとつ」と語り出す。

「そもそもリバムーク自体が狙いだったケース。これがもっともタチが悪い。盗んだ時点で雲隠れされるからね。でもまあ、追跡できないわけでもない。問題はもうひとつの方、これは盗んだリバムークを取引に使おうとしているケース。こっちはアプローチが見込める分追跡は容易だろうし回収のチャンスも見込めるけど、何を求めているのか読めない点が不気味でわたしは嫌い。花一族が数年ぶりに目玉としたリバムークを盗ませてまで手に入れようとするものは一体何なのか――そこが全く読めてこない。まあ、どっちも一長一短。とりあえずわたしが――」

 ピンポーン♪

 先程ミコがカトレアの詞を遮った因果応報か、今度はミコの解説が場違いなメロディで遮られた。この音はサクラも聞き覚えがある。それと同時に、その出所を思い起こしてハッと今まですっかり忘れていたその存在に目を向ける。その目の行き先はここまで全く喋っていない、12人いる委員の一人、陳情受付係のスイートピー。このメロディは、彼女の携帯電話へ陳情電話がかかってきたことを知らせる着信音なのだ。

 スイートピーは鳴り響く携帯電話を取り出したが、すぐには出ずにまず場のみんなにお伺いを立てる。礼儀正しいがじれったい。そういう行動をよくとるのが、この女委員の特徴だった。

「ぱぱぱ、ミコさんの解説途中、そのタイミングで陳情のお電話。ひょっとしたら……犯人さんからのアプローチかな?」

「かもね。誰から、スイートピー?」他の連中が反論するよりも先にミコがその仮説を肯定してしまったから、懐疑的な委員達は口封じさせられてしまった。そもそもミコの論理とて根拠のない推理の段階。そんな過程の結論に飛びつくのは危険だと大半の委員達は思っているのだろう。それはともかく、電話である。

 スイートピーは着信を確認すると、「シクラメンからだよ」と電話相手を公表した。そして何食わぬ顔でその電話を遂に取った。ただし会話はみんなに聞こえるようにして。

「もしもーし、シクラメン?」

「はい。そうですスイートピー様。今ここには私、アキレギア、スオウバナ、それに気象一族のクエイクさんとウェイブさん、自然学派のイヴァンさんミヒャエルさんが一緒にいます」

「ぱー?」スイートピーが詞に詰まる。彼女だけじゃない、話を聞いていた花一族の面々に萌枝、そしてミコもキョトンとしている。シクラメンが話した内容のインパクトが大きすぎたからだ。

 

 なぜ、花一族と気象一族、さらに自然学派の面々が一緒にいるのだ――?

 

 その疑問が頭から離れない。が、答は見つけられなかった。なのに問題は解決する。答が向こうから与えられたからだ。見つけるよりも早く。見つけるまでもなく。

「いやね……今栄華会館の外にいるんですよ、私達。コスモス様からのメールも来たから、そろそろいいかなって思いました」

「ぱ? それはどういうこと?」

「大宝庭からリバムークを盗んだの、私達です」

 

 ……え?

 

 思いもがけない自白文。あまりに唐突すぎて、一瞬この場の時は止まった。

 が、時間はいつまでも止まらない。やがて時計の針が再び動き出すと、恐慌状態になった委員達の悲鳴と怒号がスイートピーの持つ小さな携帯電話に矢継ぎ早にぶちまけ始める。

「どういうことだてめえら!」「なんてことしてんのよ!」「腹心の部下が反逆を企てるとは!」「最低です!」「クビだ!」など、各々が個性溢れた絶叫と体当たりで携帯電話を持っているスイートピーを取り囲む。完全に出遅れたが、そのおかげで逆に冷静さを保つことに成功したサクラは同様の萌枝と目を合わせ、少なからぬ動揺を確認し合う。そして視線で語り合うと、まだ自分達の後ろにいた、花君ストックの尊顔を二人して見上げる。そして、その目で訴える。

 

 花君様、いったいどうするのですか――と。

 

 

 ストックはサクラと萌枝が投げ掛ける視線をストックは黙って受け止める。その眼にいつものような朗らかさはない。しかし、また一点の曇りもない。澄んだ瞳は光を吸い、輝いてその威光を知らしめる。

 その瞬間、放たれる気合い。その気力はその場の全員を振るわせた。そう、電話先の連中も、あのミコ=R=フローレセンスさえも慄き、そして畏まる。

 花一族が筆頭、花君ストックの放つ、清く強い、その『本気』に――。

「ストック……いいわね。ますます磨きがかかってる」

 誰もが固まり詞を失う。委員達は自ら勝手にひれ伏す。遠く離れた電話先の犯人達からも、緊張に振るわせた呼吸音が届く。サクラと萌枝は微動だにせず、ストックの眼下で棒となる。その中にあってただ一人、ミコだけは確固として自らの足で人として立ち、対等な視線からストックに話しかけるのだ。サクラと萌枝の目に入ってくる、凛々しくも雄々しいその立ち姿は、我が一族の筆頭に劣らぬ『存在』であった。

「ふふふ……くくく……」ミコは先程と動揺の笑い声をこぼすと、頭に被るその影帽子のがま口チャックを開き、中から一本黒い腕、手を伸ばした。

 その手はひれ伏したスイートピーが震える手で頑に握りしめていた携帯電話をいとも簡単に抜き取ると、ストック目掛けて放り投げる。サイクロイドに似た放物線を描いて、携帯電話はストックが難なく掴める位置へと落ちていく。それをサクラと萌枝の背後にいるストックは、微動だにせず手だけを泳がせ受け取った。その流れるような動き――威勢は些かも衰えない。

「シクラメン? それにアキレギア、スオウバナ。聞こえているわね。ストックです」

「は、は、花君様……きょ、恐縮であります!」

 シクラメン、アキレギア、スオウバナ、女三人が一字一句の違いもなく、同じセリフをでこぼこと震えた声で合わせてくる。やはりストックの気迫は届いていた――ストックの会話する様子を一番近くで萌枝とともに見ていたサクラは一族の変わらない序列に安堵しつつ、その仲間達が造反行為に走った理由が気になった。ストックも配下の心変わりが気になったようで、すぐにその件を問い詰める。もっともその内容は、実に筆頭らしいものだったが。

「帰ってきなさい。シクラメン、アキレギア、スオウバナ。今ならまだ間に合います。速やかに栄華会館に戻り、リバムークを返すのです」

 ストックの温情溢れる命令。命令とはいえ温かいその詞。誰もがその器の大きさに心酔する。

 だが、こともあろうにシクラメンは、その命令を拒否したのだ。

「それはできません」と。

 戦々恐々とした口ぶりだったが、ハッキリと言い切った。

「なぜ?」無礼な上、筆頭の命令拒否という事態になってもなお怒らない人格者のストックが柔らかく訊く。幼いサクラもそう、シクラメン達の意図が測れなかった。

 すると電話口のシクラメンが、ストックの問いに答えた。

「タダでは戻れません。それはただの犯罪者です。私達は手土産を持って帰ります。今日は花一族にとって栄誉の日となるでしょう。なんせ、神様の問題にあった大切なものを手に入れるのです。そこにいる、元気象一族のレインから」

 場の空気が変わる。周りの者達が一斉にざわめきだす。サクラと萌枝も目を見開くだけでなく、顔を見合わせ、身体を震わせ始める。さっきまでの秩序が綻びだす。秩序の大元であったストック自身が心を動揺させたからだ。それくらい、サクラにはわかる。

「なにを、言っているの……シクラメン?」

 さっきまでとは一転、吃り辿々しい口調でストックがなんとか詞を絞り出すと、シクラメンは驚愕の事実を明かしたのだ!

「私達もつい先日クエイクさんとウェイブさんから聞いたんですけどね。去年あった神告宣下の神々の問題を解いた女って、レインさんなんですって」

「!」ストックだけではない、サクラ、萌枝、そして委員達全員が大挙してミコの顔を見る。皆に目を向けられたミコは、さらに驚くべき詞を告げる!

「本当よ。シクラメンの詞は嘘じゃない。そう、わたしが去年神様の問題を解き、大切なものを盗んだの」

 二の句が継げないとはまさにこの状況のことだったのかとサクラはそのとき理解した。全身の筋肉は硬直し、神経は研ぎ澄まされ、骨が軋みをあげる。生まれたての赤ん坊さえ本能でこなす呼吸という行為がこれほど難しいものかと思い知らされ戦慄する。内的な要因だけではない、外で渦中の人物となっていたミコがストックの気合いとは別物の『気』を放っていることも明確絶対の理由にあった。今のミコが放っている気はさっきまでとはかけ離れていた。ストックの『威光』ともいえる気とは断じて同列に扱えない、鋭く研ぎ澄まされた刃(または牙)による『威圧』としかいいようのない、余計なものを徹底的に排除し純化した圧力、闘気であった。昨日栄華会館の入口でツバキと戯れに一太刀交えていたときとは全く違うその『本気』に、熱も凍えて萎縮する。

 だがその場の中においてただ一人、ストックだけは気圧されても、決して屈することがなかった。それどころか、自分が持っていた、ミコから投げ渡されたスイートピーの携帯電話を返すと言わんばかりに投げ返したのだ。直線軌道を描き回転しながら向かうその携帯電話を、ミコは自分の手ではなく、影帽子から取り出した黒い手で受け、掴み、自分の元へと持って行く。その際サクラが覗き見た、ミコがストックへと向けた『眼』は、サクラにただひとつ、決定的にして圧倒的なまでの『人としての差』を、思い知らせたのだった。

「シクラメン? はじめましてね。わたしはミコ=R=フローレセンス。元レインよ」

「お初に詞を交わせて光栄です。了承しました、ミコさんですね。もっとも、その名は知っています。クエイクさんとウェイブさんから聞いていましたから」

「……そう。あの二人も仲間の作り方がわかってきたようね。重畳。どうやら相当キテいるようね。花一族のあなたたちや、自然学派の猛禽類と呼ばれたイヴァンとミヒャエルを巻き込むとは」

 会話が成立している――その事実が未知なる安堵を生み出し、サクラに再び呼吸を許した。他のみんなも「死ぬかと思った」といった感じの表情でとりあえず安心している。

 ミコとシクラメンの会話はさらに続く。

「要求は? どれだけほしいの、設計図」

「全部です。三つには割れませんけどね」

 シクラメンの要求が電話口から聞こえた瞬間、ミコが目の色を変えた。ただでさえ鋭い眼光が、密閉した暗室にさえ入り込む光のごとく尖る。目を合わせてはいけない。合わせたら多分失明するか殺される――サクラはその肌で恐怖を感じていた。生まれてからこれほどのものを経験したことはない――それくらいの、純然たる恐怖。

 ミコとシクラメンの会話はここで途切れた。その沈黙が場の空気を重くし、周りの人間に凄まじいプレッシャーを与える。咽は声に鳴らない悲鳴を上げ、瞬きを忘れた目は乾く。

 だが、やがてミコがこんなことを喋って、会話は唐突に終了した。

「会いに行くわシクラメン。それにアキレギア、スオウバナ、イヴァン、ミヒャエルと、最後にクエイク、ウェイブ。シクラメン、クエイクとウェイブに伝えておいてよ。わたしが着くまでの辛抱だって」

 ピッ。ツー、ツー。

 シクラメンの了承も待たず、ミコは通話を切り、そこで深く息を吐いた。

「にゃふぃ〜」気の抜けるような鳴き声を上げ、腕を伸ばすミコ。その途端、ストック以外のその場にいた全員が腰を抜かした。あまりに違い、変わり果てたその態度・印象に拍子抜けしたのである。解放された安らぎよりもその奇想天外な行動に対するがっくしのほうが先だった、ということだ。

 ともあれ会話の終了に伴いミコ、そしてストックの両者がその気を抜いたので、緊張緩和がもたらされ、張りつめていた空気も元通りになり、サクラはようやく気を休め、落ち着くことができた。隣で同じく多膝を地に着けている萌枝に目を向け、お互い顔を合わせて苦笑い。濃密な時間だった――つくづくそう思う。

「うーん、また厄介事を背負っちゃったわ。つくづくわたしも運が悪いわね」

「みたいね。説明して、ミコちゃん」

 ミコの嘆息もほどほどに切って捨て、ストックはミコに説明を求める。

 だがミコはその質問に対しても、深い溜息で対応した。

「説明もなにも……全部聞いた通りよ。神様が神告宣下でも言ってたように、わたしは神様の大切なもの――『設計図』を盗んで帰ってきた。連中はそれを狙ってきた。シンプルゆえに美しい、簡単な演算。驚くほどのことでもないでしょう?」

 いやいやいや、驚きますって――サクラと萌枝、それに委員達が全力で掌を振るが、無言のツッコミは届かない。ストックが「そうね」と肯定してしまったからだ。

「確かに……あの神告宣下で問題が解かれたと知らされたとき、わたしの頭にはあなたの姿が浮かんだわ。気象一族のレインを知っていたころから、あなたならそれくらいのことはやってのけるかもって思ってたもの。今聞いても納得する気持ちの方が強かった。だから然程驚かない。でも……どうして褒美を、神の座を受け取らなかったの?」

 ストックの真剣な問いかけと眼差し。ミコは目を細めて答えた。

「全部語り聞かせる趣味はないけど……自分の結末を知っちゃったから、とでも言っておくわ。今のわたしは狂いようのないその結末への過程を楽しんでいる最中なのよ。さて、与太話もここまで。どうするストック? 花一族の筆頭として、決断を迫られているのはあなたの方よ。連中はわたしの持っている神々の大切なもの、設計図を欲しがっている。逆に言えばわたしの設計図をあなたもまた求め手に入れたなら連中はリバムークを持って帰還し賛美することでしょう。要は立場の問題ね。わたしと組むか、敵対するか。さあ、どうする?」

 ミコはストックの質問に答えるだけに留まらず、そのまま繋げて逆質問を投げかけた。

 その問いにストックを始め、12人の委員達も考え込む。その沈黙・大人の反応がサクラには理解できなかった。それどころか湧き上がってくる感情は、苛立ちと怒り。

「なんで……なんで悩むんですか。みんなバカです!」

 自制なんて知ったことか。気付けばサクラはそう叫んでいた。その叫びを聞いた周囲は皆度肝を抜かれたといった目でサクラの方に振り向いていた。隣の萌枝も、背後のストックも、踊らされてばかりの委員達もみんなが揃って、雄叫びを上げたサクラを注視していた。それでもサクラの昂りは収まらない。ついぞここに至って萌枝の手を取りストックの庇護下から脱出、ミコの元へと身を寄せたのだ。その行動にはさすがのストックも動揺し、サクラ達を引き止めよう、思い止めようとなんか色々云々と声を掛けてきていたが、今のサクラは聞く耳持たず。ミコの眼下へと萌枝共々辿り着くと、ミコに背中を預けて花君ストックを始め、数多の上司達に演説をぶった!

「ミコさんが神様の問題を解き設計図とやらをもっている――なるほど驚きもするでしょう、それを欲しいとも思うでしょう……ですがなんですか! ミコさんを敵に回して設計図を奪い、それを以て盗まれたリバムークを取り戻そう? そんな選択肢、誉れ高き我が花一族にあっていいはずありません! わたしは新参者ですし、まだ清い道しか知らない未熟者だってことも自覚してます。だからみなさんの汚さズルさも許容しますし見習わせても貰います。でも今回のは論外です! 選択肢にすらなってません! 大体、花君様でも知りえなかった真実を知ったなら、まず上司である自分達に知らせて然りと思うところでしょう! それなのにシクラメン、アキレギア、スオウバナはそれをせず、ミコさんから設計図を奪おうとしている気象一族の追手や自然学派のタカ派なんかと勝手に手を結び、こんな卑劣かつ一族の仲間をも困らせる手段に打って出た。議論の余地もないでしょう。花一族の誇りにかけて、盗まれたリバムークを取り戻す! そして誑かされたシクラメン達を反省させてやらねばなりません。それが絶対! 通すべき筋道です。違いますか!」

 拳を固く握りしめ、気迫を込めて喋りつくしたがサクラにはわかっていた。これは身の程知らずな行為だと。聖者でもない自分が、子供が大人達に説法など。正しくても、いや、正しければ正しいほど逆に相手の感情を逆撫でするだけだと。わかっていた。

 でも、言わずにはいられなかった。なぜかは自分でもよくわからない。ただ、ミコを貶めるような空気を嫌っただけか、それとも説法したように、歪んだ筋道が嫌なだけだったのか……。だが、今となっては理由なんてどうでもよかった。今この心に灯った不条理への激情の炎と、それを主張してみせた事実と達成感。それだけで十分。理由なんて蛇足だろう。だって今、サクラはこの上なく満たされているのだから。

 後は野となれ山となれ。裁かれようがクビにされようが構わない。さすがに殺されそうになったとしたら、大いに抵抗するかもしれないと思ったが。

 でもそうはならなかった。ミコが「ありがとう、サクラちゃん」と呟いてサクラの頭にその手を置いてくれたことをきっかけに、委員達に萌枝、そして花君ストックとその場にいた全員が拍手でもってサクラの主張を評価したのだ。賛辞とは全く予想だにしなかっただけに、サクラはさっきまでの威勢の良さを嘘のように失い、恥ずかしさから萎縮してしまう。それでもさっきまでのストックと同じように、ミコが頭を撫でてくれたのは、素直に嬉しかった。そこに萌枝の興奮した声が届く。

「すごい、すごいよ。さすがわたしのサクラちゃん! 硬直した会社組織を改革し崩壊させるその手腕、その信念! 全てがわたし誇らしいよ! よく言ったね〜」

 そう言ってサクラに抱きついてくる萌枝。サクラは拒むこともできずされるがままにその身体を受け止めた。萌枝に抱きつかれること自体は別にイヤじゃない。だがそれも時と場合による。二人きりならまだしも今はちょっと躊躇する。なぜか? 一部始終を見ていた曲者委員達にひゅーひゅーと冷やかされるのがイヤだから。感動にノイズが悪乗りしてきたというか、せっかくのいい雰囲気を台無しにされているような、そんな感じだから。

 ともあれ彼等もまた大人。悪ふざけもそこそこに、全員が起立し各々がサクラによって示された『道』を進むべく、活発な議論を繰り広げはじめる。なぜか花君であるストックを除け者にして。

「方針は決まったな。強襲して奪還する。ふん……上等だ。久々に暴れてやるぜ」

「ツバキ、貴殿だけで暴れるのは容認できぬな。我輩も連れて行け。これは対外戦闘部隊全員の任務であろう」

「男だけで臭い冗談言ってんじゃねえよ。ツバキ、キキョウ。これだから男盛りは嫌なんだ。造反したシクラメン、アキレギア、スオウバナは全員女だぞ。ならあたしらアラサーシングルの出番だろ?」

「きゃー、カーネーション素敵! 実に女の子らしかったよ今の。はいはーい、ならわたしもついていくー♪」

「やめとけよ。コスモスはよお」

「そうね。カーネーションもやめといたほうがいいわ」

「過度な戦場への人材の投入は他方の人材不足を招きます。今は祭の危機であり、問題は山積していますゆえ、皆様自重を」

「せやな、節制は常に自覚すべき命題や」

「あなたが言う? というかもっと重要なのは時間でしょう。発表会の開会時刻を遅くするわけにはいかないわ。つまり、人選は厳選。かつ強力確実なメンバーで組むべし」

「そうだね。この一件は内輪もめ。内々に、かつ秘密裏に処理する必要があるだろうね」

「キクとヘレニウムに一票。この事態、固く口封じをする必要があります。私が全権を担い、我が精鋭の諜報工作部隊をもって巧妙迅速に黙らせますね」

「ぱあ〜あ。こういう丁々発止の議論は今やるべきじゃないと思うんだけどな〜」

「あん!」最後にスイートピーが放った議論の余地を否定する発言。それに気を悪くした委員達が一斉に眼を付ける。能天気な自称永遠の女の子、コスモスでさえ膨れっ面でスイートピーを複雑な目で見る。

 スイートピーはそんな委員仲間達の視線を「ぱれやれ」と呟きながらも逃げずに受け止め、解説する。

「こういう非常時に必要なのは議論じゃなくて独裁だよ。語弊があるかな? わかった、言い直すよ。必要なのはわたしたちを率いてくれるリーダー一人、これに尽きるんだよ。わたしたち下っ端の委員はそれに従えばいい。サクラが示してくれた道、それをわたしたちの議論で掻き乱すことなんてないんだよ。花君様はちゃんと決断できる人なんだから。ねー花君様」

 スイートピー以外の委員達にどよめきが起こる。にわかにざわつく集団がハッと気付いてそっち向く。そこにいるのは紛れもない、花一族筆頭、花君ストックの気品溢れる御姿だった。委員達はコスモスとスイートピー以外の10人が一斉に跪く。その様子をミコというゲストの懐に潜り込んでいたサクラはつぶさに観察することができた。貴重な体験、そして不思議な感覚だ。自分の上で普段偉そうにふんぞり返っている上司達がこうも滑稽な活躍をするとは。見ていて実に小気味好い。

 そんな一瞬の歓喜を経て、ストックの陣頭指揮と相成った。スイートピーの指摘通り、花一族は皆おとなしく従っていればよかったのだろう。

 しかし、その布陣は斬新にして大胆なものだった。

「誑かされたシクラメン達はミコちゃんの設計図を狙っている。ならば追手にはミコちゃんを入れなければ話にならないでしょう。よって、追手の人選はミコちゃんに一任します。ミコちゃん、あなたのことだからお得意の雨識感覚でシクラメン達がいる場所ももうわかっているんでしょう? 昨晩の雨はあなたが降らせたもの。ちゃんと知ってるんだから。後はあなたが使えると思った者達を連れて行くといいわ」

「斬新ねーストック。フリーランスのゲストを隊長に据えちゃうなんて。でもまあ、確かに連中の居場所はわかっているから、お詞に甘えて選ばせてもらいましょう。じゃあまずわたしの世話役としてサクラちゃんと萌枝ちゃんを連れて行くわ。あとはツバキにコスモススイートピー、さらに対外戦闘部隊からビンカサザンカホウセンカのデルタフラワーズを連れて行く。あとは現地集合ね、メール打つから、みんな準備して」

「あの……わたしと萌枝ちゃんを、連れて行くんですか。ミコさん?」

 サクラが突飛にもほどがあるミコの発言を受けておどおどとお伺いを立ててみるが、ミコはなにいってるのと繋いで、二人を連れて行く理由を述べた。

「だってサクラちゃんはわたしの世話係でしょ? ならついてきなさいな。萌枝ちゃんも。闘いも経験から――だからね。ここらで現実を知っておいた方が、大人に近づけるわよ。ま、花一族にも知られている気象一族がレインの闘いぶりを間近で見てみたらってこと。イヤ?」

「とんでもございません!」サクラと萌枝は揃って首を横に振り、イヤをイヤよと否定する。ミコの言う通りこんな機会滅多にあるものじゃない。飾り物の実質お荷物扱いなのはわかっていたが、それでも連れて行ってもらえるのが嬉しかった。首を振り終えたサクラと萌枝は顔を見合わせると、ニンマリ笑顔を見せ合いながら、両手をダブルでハイタッチ。

 サクラと萌枝が喜び、ミコが現地集合とやらのメールを打っている一方では、委員達が揉めていた。ミコの人選にいろいろ言っていたのだ。いちゃもん、注文、愚痴に恨み節と様々だったが、総じてミコになぜか選ばれたコスモスとスイートピーへの怨嗟だった。

「コスモス、スイートピー。お前達は戦闘には不向きだし、そもそもデルタフラワーズほど役にも立たない。サクッと負けて死んでこい」

「せやで。おまんらじゃミコみたいな大立ち回りはぜーったいできへん。だからいっそのことサクラと萌枝の盾になりや。往生したら骨は拾ったるさかい」

「ふーん……妬いてるのー?」コスモスとスイートピー、同時発声。

 その煽りに見事煽られさらに揉めだす委員達だったが、そこに届くは鶴の一声。そもそも元々の原因元凶である花君ストックの独裁的な指令が飛ぶ。

「なにしてるの。ミコちゃんに選ばれた子もそうでない子も、愚痴ってる場合じゃないですよ。選ばれた三人はサクラと萌枝ちゃんの世話とデルタフラワーズの招集をかけて。残った九人にはこっちの現場で働いてもらいます。キクとヒマワリは予定通りリバムーク発表会の準備。アジサイ、タンポポ、カーネーション、キキョウ。あなたたちは現状待機で訳もわからず待っている仲間達に事情説明と緊急シフトKFへの変更通知。カトレアは諜報工作部隊を総動員して都全域での諜報活動を。最後にヘレニウムとアサガオは役所とコンベンション実行委員会に一声かけて。祭は恙無く開催します」

「そりゃちょっとマズいかもしれないわよ」テキパキと指示を飛ばすストックに、水を差し込むミコがいた。空気読めよと周囲の視線がこれでもかとミコに注がれるが、用を終えて携帯電話を帽子にしまったミコの発言は、確かに危機の香りがするものだった。

「雨識感覚で追跡したんだけどね、シクラメン達七人の盗人はここガデニアのゾーン7、フィルエル自然公園にいるわ。ここで一番広い自然公園の中とは言え、街中よ。しかも保護特区でしょ、あそこ?」

 ミコが告げた事実。その意外さと深刻さを知り、みんな二の句が継げなくなる。しばらくそのままだったが、なるほどと前置きしてカトレアが喋りだす。

「やられましたね。てっきり盗んだら街の外、遠くの原野原生林に逃げているものだと思い込んでいましたが……確かに、リバムークを盗んだ動機がミコの保有する神の設計図なら取引の場は近くがいい。それでいてこちらが力ずくで奪還する可能性を潰すために、闘いを躊躇わせるべくフィルエル自然公園に待機しているわけですか。連中の中にも頭の回る奴がいるものですね」

「この作戦、多分自然学派の提唱ね。うちのクエイクとウェイブはそこまで知恵は回らないし、あなたたち花一族のシクラメン達は――」

「こんな風に頭が回るんだったら、そもそも誑かされることもないわ、ミコちゃん」

 ストックの嘆きに、一族みんなが同調した。あの三人はそこまで賢くない――花一族の共通見解である。

 それにしても保護特区の自然公園とは……本当に場所が悪い。戦闘そのものを忌避すべき場所だけに、出鼻を挫かれた感があった。しかし。

「ミコちゃん……私の力にも限りがあるわ。できる限り環境に配慮した闘いをお願いします」

「了解ストック。おあつらえ向きの技もあるし。その点に関してはあまり心配しないで。そもそもフィルエル自然公園って湖もあるんでしょ? 結構大きいみたいだし、水上・水中戦にでも追い込むわ」

 ストックとミコの物騒なやりとり。サクラは少々面食らった。思わずストックに上申する。

「いいのですか花君様? 国が保護すると決めた保護特区での戦闘を容認したことが万が一にもバレたら一族の名声に傷がつきます」

 サクラの真っ直ぐな進言。それを聞いたストックは気分を害した風でもなく、むしろその発言を評価するかのように微笑み、心配しないのとサクラに話し聞かせだした。

「保護特区の自然公園なんて宣っても、所詮は人間のエゴなのよ、サクラ。なら人間の本性たる戦闘行為で荒らされようともそれは人の営みであり、かつ必然の歴史となるなら私は容認します。本当に大事に思って保護特区にしているなら、荒廃したって見捨てず再生に尽くせばいい。むしろもっとも忌避すべきは荒らされた途端に掌を返して見捨てるようなことだと私は思います。もっとも、自然の営みに任せるなら放置こそが正しいかもしれませんけどね。とにかく、貴重な自然公園と言えど命としては同列。そこは数多の命が鬩ぎあう戦場だということです。遠慮せず、ミコちゃんの闘いを見届け、そしてあなたたちも存分に闘ってきなさい」

「はい!」長くも短いストックの持論。それを聞いている間にすっかり感化洗脳されてしまったサクラは機械のように機敏にお辞儀。闘う意義を得た心と身体に熱い気持ちが滾りだす。闘志は充分。準備も必要ない。あとは現場に向かうのみ。戯れに萌枝と拳を合わせてみると、彼女もまた燃えていた。それを知れたことが、とても嬉しい。

 と、ここで永らく鳴り響いていた警告音が消え、実に久しぶりの静寂が戻る。それと同時に全てのシステムもまた平時のものにもどる。止まっていたエレベータも動くし、外への扉も開くということだ。

「では、私共は部下達に事情説明と緊急シフトKFへの移行を言い渡して参ります」

「頼みますよ。アジサイ、タンポポ、カーネーション、キキョウ」

「はっ!」そう言って四人の委員がまず、地下365階から一人一基、それぞれ別のエレベータに乗り、各自各部署へと移動する。続け様に第二陣、キクとヒマワリの発表会準備組とヘレニウムとアサガオの外部運営対応組の二組四名がそれぞれ別のエレベータ、チームごと二基のエレベータに乗り込み、中からストックに敬礼、そしてミコに「御武運を」などと粋なセリフを告げて各自自分達の戦場に向かった。

 残ったのはミコとミコに選ばれた者達――サクラ、萌枝、ツバキ、コスモス、スイートピーの五名に花君ストック、そして最後に残った委員、諜報工作部隊を総括するカトレアの、計八名だった。そのツバキやカトレアも、自分の携帯電話を使って部下達にせっせと指示を飛ばしている。がすぐに通話を打ち切り、こっちに○サインを向けてくる。

「ビンカ、サザンカ、ホウセンカは任務了解したぞ。正面エントランスで合流するとさ」

「私のほうも打てるだけの手を打ちました。ゾーン7フィルエル自然公園の周囲に我が諜報工作部隊を重点的に配置、闘いの被害が及ばないように隔離、侵入規制をかけます」

 ツバキとカトレアの迅速な仕事ぶり。ストックはそれに応え労いの詞をかける。

「ご苦労様です。ではカトレアは私の側に付き随時情報を教えなさい。さて……ツバキ、コスモス、スイートピー。それにサクラ、萌枝ちゃん」

「はっ……はい!」

「これから貴方達は戦場に向かいます。相対するのはかつて我ら花一族と覇を競った自然学派に気象一族、そして残りは同胞です。戦場ですから躊躇したら自分が死ぬことになります。甘い考えは捨てなさい。かといって貴方達は仲間を粛清しに行くのではありません。救いに行くのです。今あの娘達は邪な野望に唆されサクラの言うところの卑劣な手段に打って出ています。我が一族の誇りにかけてこれは正さねばなりません。必ずリバムークとともにあの三人を連れて帰ってきてください。そして貴方達も、無事に帰ってくるのですよ」

「はい!」

 部下を心から心配するトップの気持ち――サクラは下っ端なのでそれがどんなものかわかるわけもないが、このときばかりはちょっと感じ取れるものがあった。これから自分達が向かうのは戦場、命の危険がある場所に任務とはいえ下の者を遣わすというのはきっと断腸の思いなのだろう。そんな辛い気持ちを抱えていなければ、これほど心揺さぶられることはなかったはずだ。少なくともストックの口調だって、もっと淡々としていたはず。

 でもそうじゃない。ストックの声は微かに震え、目にはうっすら涙が見える。平然と話しているように見えて、熱い気持ちが抑えられないのだろう。その思いやりが、サクラにはとてもありがたかった。

 そんなサクラの気持ちを代弁してくれるかのように、ミコがストックに自分の決意を語る。

「一族筆頭の重責と使う者への確かな思い……受け取ったわよ、ストック。仲間を慈しむその心、それがあったからこそ先代筆頭トケイソウ様や先代の委員会はあなたに後事を託したのね。心配しなさんな、花君様。未来を担う若者達はこのミコ=R=フローレセンスがしっかり守ってみせますよ。あなたはここでわたしたちの帰りを待ってなさい」

 力強く、励まされるミコの弁。それを聞いたストックから見せたのは、小さな微笑み。

「ええ。頼みましたよ、ミコちゃん」そう言ってストックは掌を上に向け、ミコに差し出す。ミコはその手目掛けて自分の手を勢いよく、叩き付けるように被せる。重なった手を握りしめ、固い握手を交わす二人。実に絵になる構図だった。

 そんな見せ場も名残惜しむこともなく消して、ミコは全員に呼びかけた。

「行きましょ。とりあえず正面玄関ね。そこでデルタフラワーズと合流っと♪」

 ミコが呼びかけエレベータに向かうと残る全員がそれに従った。サクラ、萌枝、ツバキ、コスモス、スイートピーは一緒に行くため。カトレアとストックは見送るため。

 先導しつつも全員をまず中に通してから最後に入る、礼儀をわきまえたミコが最後にエレベータに入り、地上1階のボタンと特急ボタンを同時押し。扉が閉まるとそのエレベータは途中停止することなく、地上1階までノンストップで上昇した。これが特急ボタンの威力である。

 

 

 さて、ガデニアを支配する花一族の渦中でそんなお家騒動が起こっていたころ、そこから遠く離れた街道沿いのとあるお茶屋、結構大きいそのお茶屋の野外に備え付けられた椅子にお茶とお菓子を戴きながら佇まっている二人の男がいた。

 一人は、ありきたりな服の上に割烹着を着込んだ、いかにも給食係といった感じの男。

 もう一人は、オーバーオールで身を包んだ、座っているのにこまめに足踏みしてる男。

 そんな二人の男が団子とお茶を食しながら、なにやらなにかを待っていた。

「お茶が美味いね。暇つぶしにはいいもんだ。中々どうして人間・生命世界の料理というものも悪くないね」

「そうか? 俺はとにかくこうして地団駄踏むな。暇を持て余しちまうと」

「はあ、君は相変わらずだね。走りたがりやの急かしやさんだ。酷使するばかしじゃなく、少しは休ませてあげたらどうだい? 肝心なときに動かなくなったら困るよ」

「それこそ無用の心配だろ。俺達ゃ盗まれていない組だぞ?」

「……それもそうだね。僕達はあのミコ=R=フローレセンスに設計図を盗まれなかった神様だしね。やれやれ、実に半数の神様が盗まれたとは……嘆かわしい」

 そんな対話をする二人の元に、駆け寄ってくる女が二人。その女達は物怖じせずに座っている二人に近寄り、フランクな挨拶をかけてきた。

「おーい。禊(みそぎ)、翔(かける)、来たわよ」

「待った? でも私達休まず来たのよ。咽渇いたからこれ頂戴」

「おお、来たね。巴、萌。ずいぶん遠くから来たみたいだけど、やっぱり君達は早いね」

「でも待ったぞ。俺達は。ほら、萌、このお茶いい塩梅に冷めてるからさ、やるよ」

「ありがと」

 そう言ってドレス姿の女――風流の神、萌=プリズムリリックは翔と呼ばれた男から口もつけてないお茶を貰い受け、勢いよく咽にかっ込む。相方の女――変異の神、巴=フラッグシップはあまりに急ぎすぎて案の定むせてしまった萌の背中を優しくさすってやっていた。微笑ましくも飽きさせないその様子を眺めていた残る一人、禊と呼ばれた男が二人に問いかける。

「巴、萌。君達は二人だけ? 途中で他の班とは合流しなかったのかい?」

「うん。私達の班はここを目指して直接の最短ルートで来たからね。他の班とはついぞ合わずじまいだったわよ。ねえ、萌?」

「そうね。他ならぬ茂の占いだからって、ここいらの神様全てを集めたのよね。もうじき時間だって言うのに、集合場所のここにいるのがまだ四人じゃ」

「そうでもないぜー」と、ここで聞こえる別の声、四人が振り向くと作務衣に手拭い、蟹股の草履で歩く男――奈落の神、整=キャパシティブレイクが他の神々を連れて一挙大挙とやってきていた。先導して引き連れているその面子は――。

 

 暗転の神、帳=フリージア。

 泥棒の神、扉=カレイドスコープ。

 個性の神、彰=ジャンクション。

 暗闇の神、落=パーフェクトハーモニィ。

 調停の神、務=フォーチュン。

 奉仕の神、湊=ミステイク。

 妥協の神、環=スタンドプレイ。

 節目の神、茂=エマージェンシィ。

 撤収の神、刀=クロック。

 初恋の神、愛=メトロノーム。

 粋の神、希=ニックネーム。

 印の神、透=パーソナルスペース。

 

 整い含めて以上13名の神様がいっぺんに集合場所へとやってきた。にわかにお茶屋が賑わいだす。

「来たぜ、俺達も。歩いてくたくただからよお、とりあえず、注文いいか?」

 整の問いに禊、翔、巴、萌の四人は顔を合わせ、黙って目で語らい合うと「いいよ」と簡素な返事を返す。それが合図となり、整はじめ13名の神様達は一斉にお茶屋の中に突入した。中から我先にと矢継ぎ早に注文している声が聞こえる。

 その様子を眺めていた巴と萌も「そういや私達も注文はしてなかったわね」と呟いて中に向かっていった。屋外の椅子に残ったのは、最初と変わらず、禊と翔の先客コンビが残る。

 と、中から出てくる影が三つあった。作務衣の整、着物の帳、そしてもう一人、ジャケットにジーンズで身を包む女――透だった。

「隣、いい?」透がお茶と羊羹をのせた盆を片手に、フリーのもう片方で禊と翔の隣を指差すと禊はいいよと答えて動く。翔も溜息悪態をつきながらだが禊に従い場所を空ける。空いた席に透と整、帳の三者が座り込み、それぞれ自分が注文したお茶やお菓子を頬張った。

「うん、美味しいですね。ほっぺたがおちそうになりますよ」

「全くね、帳の言う通り。これが自然の恵みを凝縮して練り上げた人間の味か……禊、食の神としてはどうなの?」

「美味しいよ。73点といったところかな」

「まあ」「え〜っ」

「厳しいんじゃねえの? 禊」帳と透の悲鳴に続き、整までもが苦言を呈する。三対一、禊ピンチである。

 そこに入る助け舟。禊とペアを組む翔が割って入った。

「73点、いい点だな。こいつとアパートからこの人間・生命世界に降りて、今まで一緒にミコの奴を追跡していたけどよ、途中で食べたもので70点越えたのここが初めてだぜ。もっとも、こいつの味覚が絶対とも俺は思ってないけどな。疲れたときに食べた甘いものってのはいつでも1000点ってのが俺の持論」

「ちょっと! 翔そんなこと思っていたのかい。とんだ泥舟に乗せられちまったね」

 禊が心外だという風に食って掛かる。だが、論点を掻き乱した翔の発言には確かな意味があった。禊をおちゃらかしていた整達がそれ以上の追及をやめたのだ。その気を削がれたのだろう。

 行き場をなくした会話の先。話は唐突に変わる。

「透、お前まだ真実を知りたいとか思ってんの?」

 翔の突飛な発言。しかし訊かれた透は悠然と答える。

「ええ。知りたい。だって謎なんだもの、泉さんの死に至る経緯。目撃者はミコちゃん一人。なんとしてでも聞き出したいわ。そもそも真実を知らずして、彼女の価値を勝手に決めていいものかって思わない?」

「神様が筋道を畏れてどうするんだ? 神様の行く道作る道こそ筋道だろ。そもそも筋道と正しい道はイコールにはなりえねーと思うぞ俺は。ミコの奴が何を知っているかなんて問題じゃない、あいつが俺達の定めた問題を解きながらその褒美を蹴ってこの人間・生命世界に戻ったことの方が余程問題だ。まずはあいつを捕まえてきちんと神の座に就ける。俺達神様の面子にかけてな。それが済んだ後、真実でもなんでも聞けばいい」

「さすがは道の神ですね。道に関しては一家言あるようですよ、透」

「みたいね、帳。ま、それでもミコちゃんの捜索を共通の行動原理としているだけ私達神々は捨てたもんじゃないわね。降りてみて改めて知らされたけど……人間っていうのは悲しいくらい仲良くない」

 透の詞に皆が頷く。神様62体、喧嘩すれども仲は良い。殺し合うなどもってのほか。それが蔓延るこの俗世――人間・生命世界に呆れているのだ。

 と、そんなことをぼやきながらお茶やお菓子を食していた五人の脳裏に強烈な『信号』が届く。人間でいう予感を超えた、神の感じる信号は、人間のそれよりも確実性と信憑性で勝っていた。

「感じた? 今の……」

 透が尋ねると四人とも頷いた。空模様が変わったのだ。とんでもないことが起こる前兆――緊急時対応を取る必要があることを五人は本能と神としての義務感で理解した。残るお茶とお菓子を袖に置き、中で休んでいる連中に声をかける。

「おい! いつまでも休んでるんじゃねえよ! すぐにガデニアに行くぞ!」

「どうしたのですか? 翔」どこぞの学校で着ている制服のような格好のお嬢様風女神、盗まれた組の愛が怯えるように尋ねる。それに答えたのはこの中のリーダー格、透だった。

「空模様が変わったわ。ガデニアで大きな動きがある。もう茂の勘とか占いなんて不確定要素を飛び越えている。これはこの俗世での大きな波乱の予兆だわ」

「えー、私の予報がそんな非常時警報になっちゃったのかい?」

「そうですよ茂。みなさん、即時スタンダップ! 店主、私達のお代はこれで。お釣りはいりませんよ」

 神々が集まるそもそものきっかけたる予報を発した茂が確定してしまった現実に複雑な気持ちを覗かせるが、上物の着物に鋼の髪を靡かせた帳がそれを一喝し、同時に神々17人分の代金を、標準金貨17枚を入れた袋で店主と思しき人物に投げ渡して支払う。それに呼応して店の中にいた神達も余りを残して立ち上がり、みんな一斉に外に出る。空を眺めると、彼等も『信号』を感じ取り、その重大性を肌で理解した。

「なんてことよ……とんでもない力の集結が起こってるじゃない」

 姉御肌で知られた環が戦慄しつつ呟くと、翔と禊が前に進み出て皆に声をかける。

「ガデニアはこの道走ってあと1時間だ。俺の走力貸してやるから、お前ら、ちゃんとついてこいよ!」

「おう!」「ええ!」「はい!」バラバラな返事ながらも皆が翔の走力付加提案を受け入れる。翔が皆に手を向けると、その手は四つの輝きを持ってその光を禊はじめ、他の神々に分け与える。その光を各々の身に取り込んだ神様達17名は、目を合わせて頷き合うと、瞬きする間も感じさせないうちに消えた。

 食の神――禊=ハレルヤ。

 道の神――翔=スリースピード。

 そして他の神様、全部合わせて17体。

 神様達も感じ取っていたのだ。ガデニアで起こっている事件の気配に。ただ、それに自分達が追っているミコが絡んでいるとは、まだ知らないままであったが……。

 

 

 特急仕様に変えたノンストップエレベータで栄華会館の地上1階に辿り着いたミコ達8名は、真っ直ぐ正面エントランスを抜けて雨上がりの空の下に踊り出る。アンダースフィアの密閉空間から出た開放感なのか、ミコはステップを踏み、その場で軽く踊りだす。その様子を見ていたストックやカトレアは「これから戦場に向かうというのに……勿体無いくらいいいダンスを」とミコの舞踊を称えつつも、サクラと萌枝の身体を確保し注意する。曰く、戦場に向かう前に踊るのは死亡結末の条件成立だから真似してはいけません――と。なるほど確かに、闘いの前の踊りとは綺麗なまでにいっそ散るというような結末を想定しやすい。サクラと萌枝は口を結び、固唾を飲んで見守るだけにした。

 なのに。

 ミコと一緒に踊りだす奴が二名いた。言わずもがな、コスモスとスイートピーだ。なるほど、他の委員達から死んでこいと言われるわけだと、サクラはいまさらながらに理解する。こんなの理解しない方が幸せだったんじゃないかとも一瞬思ったが。実際ストックにカトレア、ツバキの三人は頭を抱えて嘆いている。

 が、上には上がいるように、下にはさらに下がいる。それはやはりやってきた。

 突如聞こえる謎の曲。やたらと格好つけときながら、どこか理解し難いセンスの曲に合わせ、そいつらはサクラ達の後ろ、正面エントランスの玄関口にいた!

 

 改造人間を思わせるモンスターじみた風貌の大柄な男。

 我罪人と言わんばかりに矢やら剣やら身体に刺した男。

 もはや生気の欠片も感じさせない、死体そのものの女。

 

 どれもこれも悪趣味極まる、コスプレで身を纏った三人が、曲に合わせてポーズを取り、面倒臭い名乗りを上げる。

 

「ビンカ!」「サザンカ!」「ホウセンカ!」

「コスプレ」「タクティカル」「フォース」

「我ら三人、デルタフラワーズ!」

 

 風が……冷たかった。

 涙も出ないとはこういうことか――サクラは今大人の嗜みというのを理解した。雨上がりの天気のはずが、吹く風はこんなにも乾いているだなんて。自然も中々空気が読めると感心した。

 そして、こいつらは空気が読めないと改めて確信した。だってみんな固まっているんだもん。直属上司のツバキや委員会委員のカトレア、そして花君ストックに、さっきまで踊っていたミコ、コスモス、スイートピーの三人も含めて、全員が沈黙させられたのだから。

 それでも筆頭は度量が大きい。ストックが詞をかける。

「待ってましたよ、ビンカ、サザンカ、ホウセンカ」

 かなり引きつった声だったが、詮索するだけ野暮である。それよりも自分を立て直すほうが先と思っていた矢先、困り者部隊の三人は全く恥じらうこともなく堂々と立ち上がり、筆頭ストックに頭を垂れる。代表して発言したのはデルタフラワーズの紅一点、ホウセンカだ。

「ありがとうございます、花君様。改めて花君様より今回の任務を賜りとうございます」

「自然学派と気象一族の過激派が客人であるミコちゃんの持つ神様の設計図を奪い取ろうと、シクラメン、アキレギア、スオウバナの三者を誑かしリバムークを盗んでフィルエル自然公園で待ち構えています。ですがそんな取引は論外です。貴方達はミコちゃんの指揮下でリバムークとシクラメン達を奪還してきてください。また対外戦闘部隊の実力でミコちゃんが選んだサクラと萌枝ちゃんの護り手としても働くようにお願いします」

「かしこまりました」

 命を下したストックに頭を下げたデルタフラワーズは歩を進め、ミコの元に歩み寄る。それと同時にストックとカトレアの居残り組はサクラと萌枝の身体を解放した。ミコの元へ向かいなさい――そう無言で語り聞かせるストックの意図を感じたサクラは、萌枝の手を取りデルタフラワーズとは別の方向から先にミコの元へと駆け寄った。ミコはそんなサクラと萌枝を温かく迎え入れる。ツバキもやって来て、これでミコが選抜したメンバーが全員勢揃いとなった。このころにはすっかり自分のペースを取り戻していたようで、ミコはいつもの陽気な口調で、物怖じせずにデルタフラワーズに語りかける。

「久しぶりね、デルタフラワーズ。そのコスプレ好きは相変わらずかー」

「然様でござる。拙者達対外戦闘部隊の精鋭デルタフラワーズ、何時如何なる時に死んでも恥ずかしくないよう、仮装には気を使っているのでござるよ」

「その通りじゃ。儂等が如何なる戦闘にもコスプレに興じ臨むのはその素晴らしさに殉じる姿勢と覚悟を示さんが為よ。戦闘ほど宣伝になるものもないからのう」

「変わってないわー。サザンカはござる口調でビンカはまだ若いくせに爺口調。それにしても今日のコスプレはどういう趣向? 『闘う前に死んでます』的なメッセージ?」

「んーん、ダーツで選んだらこうなっただけよ」

 ミコの問いにあっけらかんと答えるデルタフラワーズ。その変人ぶりにサクラは頭痛を覚える。こんなのに守られるのかと思うと、ちょっと悲しくなる。

 が、個人的な感傷は捨てなくてはならない。そのときが来たからだ。ミコが「OK、それじゃ、行くわよ」と告げて周囲に万遍なく手を翳す。すると周りに点在していた水たまりの水がミコの足元に集まりだす。やがてそれらはミコの元に集まったサクラ達の足元をも覆うほどの大きな水たまりになった。

「ぱはは。雨を操るレインの力。コスモス、相変わらずですよこの人」

「そうねースイートピー。ここから一気に水門連絡を使う気よこの人」

「水門……連絡?」

 萌枝が初めて聞くその単語に疑問を挟もうとした矢先、ミコは影帽子から一本、黒い腕を取り出して萌枝の身体を掴み取る。ご丁寧にその先は手ではなく枷になっていた。

「きゃっ……ミコさん?」

「ゴメンね萌枝ちゃん。これから向かう先は水面の上、なのでね……」

 ああ、そういうことか。サクラは一人納得した。友達として萌枝に目配せして挙動不審を戒めると、ミコから「ありがと」と言われてしまった。そんなつもりはないのに、なんかすごく心地良い。

「それじゃ、行ってくるわ」

「行ってきまーす」「ぱよーならー」「出動だ」「アイアイサー!」

 ミコの挨拶に続き、コスモス、スイートピー、ツバキ、デルタフラワーズの順に放たれる挨拶。そのときサクラと萌枝はハッとする。もう出動なんだと。そしてミコ達が誰に挨拶しているのかも。大急ぎで二人して振り向き、継ぎ接ぎながらも見送ってくれているカトレアとストックに「行ってきます」と最後の挨拶。

 それにカトレアとストックが微笑みを返してくれたのを最後に、感覚全てが暗転した。

 

 

 ガデニアゾーン7、フィルエル自然公園。その面積の16%を占める湖、トニーサ湖。

 その湖畔に佇む、七つの人影。

 自然学派の一人、イヴァン=山野辺。

 同じく自然学派、ミヒャエル=河野。

 花一族の人基、シクラメン。

 その同僚、アキレギア。

 その友、スオウバナ。

 そして気象一族の封印型端末、クエイクとウェイブ。

 昨晩栄華会館に侵入し、リバムークの種を盗んだ七人が特別な感情も目的もなく、ただただ漠然と湖を見つめ、待っていた。なんの動機もない、ただの暇つぶしとして。

 シクラメンが携帯電話でスイートピー、ストック、レインと会話を終えてから、この七人は一切会話をしていない。当然だ。話すことなどなにもない。この七人――もとい三つの勢力に仲間意識などない。たまたま目的・欲しいものが一致したから手を組んだ――そういうビジネスライクな関係である。相互理解など必要ない。

 求めるものは明確。レインの持つ神様の設計図。それによる救済――それこそが気象一族の封印型端末、ヒストリークラスの災厄をその身に閉じ込めたクエイクとウェイブの願いである。交渉は成立した。早くレインに来てほしい。自分達が負けてしまう前に……。

 そうクエイクとウェイブが願っていた矢先、願いは現実のものとなった。目の前の湖面が突如水しぶきを上げた。その向こう側に姿形は覚束ないが確かな人影が現れたのだ。それで充分だった。これは見間違えようもない、レインの十八番、水門連絡!

「来たぞ!」

 クエイクの叫びを聞いて七人全員立ち上がる。そして目の前に現れた人影を迎える準備をする。

 が。

 クエイク達は異変に気付く。感じる気配がひとつではない。1、2、3……9つ。

 多すぎる。レインは取引を飲んだはずなのに……。

 混乱に頭を悩ます中、水しぶきの中から3つの影が進み出た。レイン……?

 違った。突如聞こえる謎の曲。やたらと格好つけときながら、どこか理解し難いセンスの曲に合わせ、現れたのは――。

 

 改造人間を思わせるモンスターじみた風貌の大柄な男。

 我罪人と言わんばかりに矢やら剣やら身体に刺した男。

 もはや生気の欠片も感じさせない、死体そのものの女。

 

 どれもこれも悪趣味極まる、コスプレで身を纏った三人が、曲に合わせてポーズを取り、面倒臭い名乗りを上げる。

 

「ビンカ!」「サザンカ!」「ホウセンカ!」

「花の」「散る頃」「舞い踊る」

「デルタフラワーズ、ここに見参!」

 

 風が……冷たかった。心臓がくしゃみしそうになる。

 と、そこにそいつらの後ろから、「バカ!」という聞き慣れた声による叱責と一緒に黒い足が三つ飛び出してそいつらを前に蹴り倒し、水につける。水しぶきの収まりと、前を占拠していた邪魔な三人の退場に伴い、確認できたのは、紛れもなく影帽子。

 本物のレインが、そこにいた……。

 


 ミコの水門連絡なる瞬間移動術によって、水面上に出現したサクラはすぐさま下級極意の張り根足でもって水面での起立を確保する。ミコが萌枝を持ち上げていたのはこれが理由だったのかと、改めて納得する。武道の心得があるとはいえ、萌枝は一般人。水面に立つことはできないからだ。

 それにしても……デルタフラワーズの出しゃばり過ぎにはつくづく呆れる。ここでの隊長はミコだとストックからも言われていたのに、おいしいところを平然と持って行くその神経がサクラには理解できなかった。携帯電話で曲まで流す演出のとこなんか特にである。ミコにバカと叱られ水面に叩き付けられたのも因果応報自業自得であろう。しばらく水に浸かって頭冷やせと心の中で思った(ついでにメイク落とせとも)。

 ともあれミコが引率者、代表者としての威厳を見せつけたのでとりあえず安堵したサクラはミコと同じ方を向く。その先にいるのは――。

 身構えている同僚――シクラメン、アキレギア、スオウバナの三人。

 そして険しい表情の男二名と、この状況を憂いているかのような、困っているといった感じの顔をしている男女のペア。ミコは影帽子の鍔をつまんで改めて被り直すと、その男女に向けて話しかけた。

「久しぶりね。クエイク、ウェイブ。追い詰められたからってバカなことして……。他人様に迷惑かけないで頂戴」

 なるほど、あの男女が気象一族のクエイクとウェイブか――残る自然学派の連中の認知も済ませたサクラの耳に、聞こえるか聞こえないかという小声でミコの声が届く。

「さあ、決戦よ」と。

 サクラは鼓動が高鳴るのをハッキリ感じた。今まさに、決戦の火蓋が切って落とされようとしているのだと。

 鼓動が高鳴るとき、狂乱物は大捕物へと変わる。

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