第3話 野に雪を。雪に背中を。

 はじまり

 

 その世界には、神様がいた。

 

 神様は人間に問題を与えた。

 

「私達の大切なものを盗めたら、新たな神様にしてあげましょう」と。

 

 人として知らぬ者のいないその問題に、多くの人間が挑んでいった。

 

 だが、今まで誰一人、神様の場所に辿り着くことすらできなかった。

 

 やがて人々が諦め、問題を知っていても無視するようになった時代。

 

 一人の女の子が問題を解いてしまった。

 

 しかも、神が一人死んでしまった。

 

 人々も、神様も揺れた。割れた。驚いた。

 

 なぜか――その女の子が事実を一切明かさずに姿をくらませたから。

 

 人々も、神様も、世界中が探し始めた。その女の子を。

 

 すべてを知ってる女の子を、それぞれの目的のために。

 

 これは、それを知りつつ旅をする一人の女の子の物語。

 

 

 気象一族の中でも年少の部に――いや、幼少の部類にカテゴライズされていたわたし。

 わたしにとって、レインは憧れだった。自分達幼少組にはないものを持ち、かといって自分達を年少だとか劣るとか言って見下さず、一族の一員としてちゃんと扱ってくれていた。年寄り連中なんかよりよっぽど好感が持てたし、事実レインは双方の緩衝材だった。一族をまとめあげ、未来を切り開けるのは彼女しかいないとわたしたちは勝手に思っていた。

 だからレインが神様の問題を解いたのも、格段不思議とは思わなかった。彼女ならそれくらいのことはやってのけると、納得する気持ちの方が強かった。

 なのに――。

 帰還した彼女は、一族から去っていった。なにも言わず。なにも残さず。

 年寄り連中は激怒した。同年代のライバル達仲間達友達は個々に複雑な思惑を持った。

 そしてわたしが抱いた感情は――不可解、だった。

 それは神様の問題なんかよりずっとミステリアスでエキサイティングな問題だった。

 なぜ行き着いたのか? なぜ去ったのか? 知りたかった。教えてほしかった。

 だから個々の思惑は違えども一族が一致団結し、レインを追った。でも彼女は逃げるのがうまくて、いつも余裕の後六歩で逃げられた。それでもわたしたちは諦めなかった。

 わたしだってそう、諦められるわけがなかった。

 知りたかったから。訊きたかったから。

 そして――もう一度会いたかったから。

 以上がわたし、気象一族スノウのレインへ抱く思いである――。

 

 雪原。崖。泉。木々――。自然と気象が創り上げる素敵な造形美の中、スノウはとうとうレインに対峙した。吐く息は白く、大きく、荒々しい。必死で追ってきたので呼吸がままならないのだ。なんとか冷静になれとスノウは自制を身体に促すが、おそらく無理だろうとは理解していた。身体は心より正直だから。そのことを知っていたから。

 だって、レインさんが目の前にいるんだよ?

 そう、レインが目の前にいる。対峙しているとさっき言った。対面していると言ってもいい。なら興奮しない方がおかしいじゃないか。脈は加速し、動悸も早まる。気象一族の中で一番に追いついたという無価値な称号もあいまって、スノウの身体は火照っていった。

「レイン! う〜ん、なんか違和感が。やっぱ違うよぉ……。でもレイン! ここで会ったが運命よ! わたしと神様の宝物を賭けて勝負してぇ!」

 スノウは迸る熱気を抑えられないと知るや、逆に追い風に利用しようと一気に宣戦布告する。臨戦態勢を取り、意識を周囲の雪原に撹拌する。そう、今は冬。スノウの呼び名の雪の季節。周囲の雪はそのままスノウの手となり足となり武器となる。

 この上ないほど有利な状況だ。戦略ももう10パターン思いついた。頭もオーバーヒート気味ながらちゃんと役目を果たしているようだと、スノウはちょっと感心する。

 さあ、あとはレインの出方次第――スノウは改めてレインを見やる。でもレインは、泉に張り出した岩の上に座ったまま、まるで木のように動かなかった。寒くないのか、そうお節介を焼いてしまいたくなる。冬なのに、いや冬だからだろうか。

 ずっとこっちを見てるレインの目はまるで一世代前のゆとり世代のように能天気に、そしてどこか生温く見えた。まるで見守ってもらっているよう――そう錯覚さえさせられる。

「――って! そんなんじゃダメぇ! わたしはレインと闘うのぉ!」

 スノウはその生温い視線に我慢できず雪を地団駄踏みつけながら叫ぶ。危ないところだった。すっかりレインのペースにのせられるところだったと頭を振り払い、ついでに雑念も振り払ってスノウはレインを指差して再度通告する。

「早く闘ってよぉ! こっちはいろいろ急いでるんだから、決着が優先で特急なのぉ! もう、なんで闘ってくれないのよぉ!」

 子供らしさ満点の台詞でスノウが無理難詰すると、レインがようやく口を開く。

「だーかーらー。わたしは急いでないんだってば、スノウ。さっきも言ったでしょう? 待ってあげるって。まずはあなた深呼吸して、そして心を落ち着けなさい。まあ、無理にとは言わないわ。なんせ『感動! 八ヶ月ぶりの再会! レインとスノウ』なわけなんだしねー」

 レインは開口一番素っ頓狂な台詞を吐いた。あまりの天然ぶりに、スノウは思わずずっこける。顔に触れた雪は、とても冷たかった。だが寝てばかりもいられまいて。

「なに映画のキャッチコピーみたいなフレーズ勝手に創作してんのよぉ! わたし感動なんかしてないもん。だってあなたは気象一族の裏切り者で……そうよ、感動なんか――」

 雪の布団から飛び起きて、感動なんか――ともう一度告げようとしたときだった。

 スノウの視界が、突如歪んだ。物体の輪郭がぼやけ、目が情報を認識できなくなる。

「えっ? わたし――?」そうぼやいたときには、既に手遅れ。

 スノウの身体は、雪に沈んだ。

 

 

 スノウが倒れたことを受けて、これまで岩の上に座っているだけだったミコは、ようやくその身軽な腰を上げて、倒れたスノウの方へ歩み寄った。一歩一歩、雪を踏みしめながら。

 そしてスノウの肌に触れてみると、案の定――冷たかった。この寒中雪天の中、全力で走って追いかけてきたのだ。身体は火照っているようでも、その実外側から確実に熱は奪われていたのである。それなのにあんな冗談でからかった自分を、ちょっと恥じた。

「まったく……面倒かける子なんだから、この子は。でも、仕方ないわよね? 命の危機――なんだものね。放ってはおけないわ」

 ミコはスノウを抱き上げると、崖の一点に開いていた洞窟に向かって歩きだした。その身体は、変わらず軽かったが、昔に比べると、少し重くなっていたようにも感じられた。順調に成長してるのね――ミコはちょっと嬉しくなった。

 

 

 夢――夢を見ていた。

 スノウは母に抱かれ、その愛を一身に浴びている。温かい。母の柔肌が背中に密着し、温もりが染み渡ってきている。なんて幸せ――。

 ――ん? スノウはここで意識の自由を取り戻し、思い返し、考える。

(お母さんとは四年前に別れたはず……じゃ、これは夢?)

 記憶と記録を整理し、スノウはこの経験が夢であることに行き着く。同時に、自分の役目も思い出す。

 そうだよ、わたしはレインさんと闘っていたはず――。

「これは夢! 起きろぉ、わたし!」スノウは遂に覚醒し、意識を引きずる夢を破壊し、瞼を開く。すると――。

 左肩にのしかかる重み。振り向くとすぐ横にレインの顔があった。いたのだ。密着するほどすぐそばに。それはもう鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離。スノウの回路はその時点でショートした。

「えええええぇ!」

 思わず仰け反ったスノウだが、大して離れることができなかった。なぜなら――。

 レインの影帽子から取り出したと思しき黒い毛布が、二人の身体をぐるぐる巻きで密着させていたからだった。

「なにこれぇ……ちょっとぉ、レインさーん!」スノウはもはやレインに泣きすがるほかなかった。一切の抵抗行為が無に帰してしまうのだ。だったら術者本人にすがるしかないではないか。

 だけど肝心のレインは熟睡中……もとい爆睡中なのかちっとも反応しなかった。それどころか、寝ぼけてスノウの身体を抱き寄せる。いい匂いと生肌の感触が心地よい――。

「――って、レインさん裸?」

 今度こそスノウは飛び出した。火事場の馬鹿力とはよくできた詞だ。いままさにスノウはこれまで太刀打ちできなかったレインの黒毛布からの脱出に成功したのである。これを詞で言い表すに、火事場の馬鹿力ほどふさわしい詞はなかろうよ。

「ん……? スノウ、起きたの?」

 と、ここで今まで寝ていたはずのレインが微睡みから目覚めたかのような寝言を発する。

 あ、起きた。スノウはまずそっちに安堵した。

 ふぃにゃあぁ〜と欠伸をあげて大きく腕を伸ばし裸のレインが上半身を黒毛布から起こす。ただ裸と言っても下着はちゃんと着けていたのがスノウにとっては救いだった。

「さて」レインがその目を開きスノウを見つめてくる。その視線を受けると、スノウは思わずドキッとなる。なぜなのか自分でもわからなかった。

 するとレインは毛布をどけて下着姿の半裸姿を見せびらかしてこう言った。

「寒いでしょ? こっちに来るといいわ。憶えてる? スノウ、あなた凍死寸前の状態だったのよ。だからわたしの体温プラス火熱で暖めてあげたのよ。その姿じゃまた凍えちゃうから、こっち来なさい」

 そう言って毛布をマントのように羽織り、こっちこっちと手招きするレイン。

 その詞を聞いてようやくスノウは自分も下着以外全て脱がされていたことに気付いた。逆に言えば今まではレインとの密着状態や彼女の下着姿に夢中で気付かなかったということなのか。そして自分はレインにされるがままに脱がされたということなのか――と、スノウは沸き立つ雑念に悩まされる。

 だが大事なことはそうじゃない。スノウはその結論に達し吠える。

「って! そうじゃねぇもんねぇ! わたしたちは対決する関係なのぉ! だから闘う……闘う、ハクシュン!」

 吠えは吠えでも負け犬の遠吠えで終わった。スノウの名を冠しておきながら、寒さに負けた。屈服したのだ。だからくしゃみで中断&終わり。凍死寸前というのは本当だったようだと、スノウは改めて確認させられた。別にスノウだからって寒さに強いってわけでもない――これが(厳しい)現実。スノウなのに。

 でもレインの誘いに応じたらまた余計な雑念、煩悩を抱いてしまうかもしれない――その自覚がスノウにはあった。その詞に甘えてしまったら、昔のように「レインさん」とさん付けで呼んでしまうかもしれない。そんなことが知れたら現在の気象一族の主流派にこっちが狙われるかもしれないのだ。目下その主流派は「レインのことを呼び捨てにする」という方針を掲げている。逆らえるのはウィンド姉さんくらい。年少組の自分では到底逆らえないのだから。子供はどれだけたくさんいても、所詮子供――でしかないのである。

 それにレインの詞を聞いて確認したのは、自分の半裸姿だけじゃない。いま自分達がどのような状況下にあるかもスノウはちゃんと観察していた。

 場所は洞窟。その奥で自分は寝かされていたわけで、その近くには文明・村レベルの焚き火がメラメラ燃えていた。その熱をレインの体温同様受け取っていたのかと納得すると同時に、その焚き火のすぐ近くに自分の着ていた服とレインの着ていた白に虹色をあてがった服が、これまた影帽子から取り出したと思しき折りたたみ式の木製服掛けに掛けられてきちんと暖められていたのもスノウは見逃さなかった。

 なのでスノウはレインに向かって呼びかける。だが。

「レイン! ……いや、やっぱ合わないなぁ、二人っきりだし」と、呼び名の段階で詰まってしまう。主流派が決めたこととはいえ、スノウにとってレインはさん付けがふさわしい相手なのだ。なのでその気持ちに素直になることにした。他に誰もいないし。

「レインさん! 焚き火のとこにあるわたしの服取ってくださいよぉ。もう人肌は十分です。服だって暖まっているんでしょう?」

「あら、つれないわね。一族の里では一緒にお風呂に入ったこともある仲だったのに。……ひょっとして、第二次性徴が始まってわたしに見せられない身体になったとか?」

「なっ! 違いますよぉ。人として当たり前に恥ずかしがっているだけです。とにかく! 服取ってください!」スノウは慌てふためき否定しつつ、自分の要求を押し通す。その頑固さにレインもとうとう肩を竦めた。

「はいはい。取ってあげますよ」レインはそう言って黒毛布を放り投げると、側に置いていた影帽子を抱え、焚き火の近くにあった自分の服を先に着込み、「あったかい」としみじみ呟いてえらく勿体振ってからスノウの服とコートを渡してくれた。ほんとに全然変わってない、この人を食った所――スノウは服を受け取り着込みつつ、しみじみとそう思ったのである。

「うわ。あったかいなぁ」

「そうよ。感謝なさい? この火だって文明レベルは村クラスだけど使った薪がいいんだから」レインが胸を張って威張る。

「えっ、名産なんですかぁ?」

「もちろん。木の名産地モルク村の天狗山に生えている薪として最高ランクの薪だもの。火の勢いも火の持続性も、俗世一の高級品なのよ?」

 そりゃ大盤振る舞いだ――スノウは貴重な焚き火の恩恵を服から感じつつ、素直な感想をレインに告げた。すると――。

「いやーモルク村もこの前行った水の名所のアルコ村もすんごい辺鄙なところにあるのよねー。辿り着くまで何度テントで野営したことか。ああいう僻地に人が住んでいることが今でも少し信じられないわ。まあ文明レベルは僻地にふさわしく村なんだけどさ」

 レインは名産地、されど辺境の地へと旅することへの苦労話を始めた。そりゃ徒歩ならそうだろうとスノウは頷く。ただアルコ村には自分も行ったことがあるので会話に加わることができた。きっとそれもレイン一流の気遣いなのだろうが、あえて乗っかりスノウは話しだす。

「アルコ村ならわたしも行ったことがありますよレインさん。ウィンド姉さんとクエイクを連れた三人組でした。でもそこまで遠いとは思いませんでしたよ。わたしたちは車でしたので。なにしろあなたを追いかけてましたからね。スピード命」

「あら、あの村にやってきた追っ手はあなたとクエイクにウィンドだったの? 豪華メンバー大判振る舞いね。逃げてよかったけどちょーっと見ておきたかったかもなあ……。ん? わたしを追いかけてたってことはアルコ村特産の名水も飲まずじまいで帰ったの? もったいないわねー」

「別に……そんなの気にしてません。さっきも言いましたけど、わたしたちは車でしたから。舗装されてないとは言え、一応村に通じる道はありましたから車を飛ばせば隣町から一日で着けますよ、あそこ。この件にケリが付いたらそのときにこそ飲みに行きます。車で」

 レインのちょっかいも意に介さずしれっと返してみせるスノウ。実はレインの話し方・話術を真似てみたのだ。言わばミラーコピー。さてさてどんな反応をするだろうとスノウなりに悪知恵を働かせてみたつもりである。気象一族のスノウ、背伸びしたいお年頃。

 するとレインは気難しそうに頭の髪の毛を掻いて、全く違う話題に切り替えてきた。

「さっきから気になっていたんだけど、レインって呼び名、やめてくれない? 捨てた名じゃないけれど、今のわたしは巫。ミコ=R=フローレセンスなのよ」

「それは無理です」スノウはピシャリと切って捨てた。その神業所業に、今度はレインが頭をずっこけさせられる。「あれ?」とレインは不思議がるが、全然疑問ではない。むしろレインがミコなんて名乗っていることの方が疑問だ。

 それにしても、都合が悪くなったと見るや、全く関係ない話題に切り替えるとは――スノウはまた勉強になったとここぞとばかりに悪知恵を本家から吸収する。若いときほど伸び盛り――教育の極意だ。

 ま、目的たるレインの反応を見られたのでもう十分と、スノウはレインの話題替えに付き合うことにした。なんか喋ろうかとも思ったが、それより先にレインが口を開いた。

「おっかしいわ〜。神様の居場所から帰ってからミコってちゃんと改名したのに」

「わたしたちは追った過程で知りましたけど、一族の大半は知りませんよぉ」スノウが応じるが、レインは次にとんでもないことをさらりと発言した。

「ちゃんと都の官庁に正式な届け出出したわよ。戸籍改竄手続願」

「なにとんでもないことしてるんですかぁ! そんなんだから一族の大半から裏切り者ってレッテル貼られるんじゃないですかぁ」

 言質を掬い取って詞責めしてみたが、レインは知らぬ存ぜぬ感じぬの三拍子で鉄壁の防御を敷いているのか、全然堪えた様子を見せない。さすがだ。

「別に裏切った憶えはないわよ。ただね、問題解いちゃった後のわたし――つまり今のわたしは、自分の宿命を知ったせいで生きる意味って言うか……目的が人間とも神様とも違うものに変わっちゃったからね。それに則って行動している時点でもうなに言っても相容れないと思うのよ。ま、年寄り連中に参考書扱いされるのはゴメンっていうのも理由の片隅にはあるけどね」

「うわ……毒舌ぅ」スノウは衰えどころかさらなる冴えを見せるレインの滑舌に感服敬服する一歩手前まで心が揺らいだが、自分の立ち位置を思い出して、慌てて心を建て直し、立ち上がって宣言する。

「危なぁ! すっかりのせられるところでした。レインさん! わたしも回復したんですし、神様の宝物を賭けて勝負――」

 ぐぅ〜きゅるるるる。

 二度目の宣戦布告は腹の虫に遮られた。どうして今鳴るのかと、自分の身体を問い詰めたかった。心はこんなにも滾っているのに。精神と肉体はコインの表と裏なのか?

 するとレインが、くすくす笑った。

「あらら、おなか空いちゃったのね、スノウ。ごはんなら提供できるけど、い――」

「施しは受けないっ!」いる?――と言おうとしたレインの機先を制する形でスノウはピシャリと断った。さっきの名前の時といい、ツッコミの時はキレが出るようだ。

 だが、口は災いの元。そのツッコミはレインを怒らせる結果となった。影帽子を薄紅色の頭に飛び載せたレインは開いていたがま口チャックから黒い巨腕を白いハリセン装備で繰り出すと、ハリセンで一閃、スノウの頭を引っ叩いた。先の先を取られたツッコミ返しに、スノウは為す術無く敗れ去った。その悔しさと哀しみから、思わずこんな詞が出た。

「ぶったぁ……レインさんがぶったぁ。里にいた頃は一度もぶたれたことないのにぃ……」

 嘘泣きまでしてみたが、レインには全く通じていなかった。さすが。

「食を大事にしないからよ。身体を大事にしないから凍死寸前までいったり、いざ闘いってときに腹の虫に邪魔されたりするのよ。とにかく、まずは食べなさい。食事中でよければ質問にも答えるわよ」

 この発言に思わずスノウは面食らった。破格の条件を意図せずに、相手側から引き出せたからだ。

 質問に答える=質疑応答ができる――そんなことが実現すれば、自分の一族での地位もうなぎ上りとなるだろう。そもそも自分達気象一族はレインの持つ『神様の宝物』だけでなく、神様の居場所に行く方法、宝物を盗む手練手管とレインしか知らない秘密も知りたがっているのだ。それを手中に収められれば第二の解答者になることだって夢じゃない。

「わかりました。お食事いただきます。でも、会話ありの食事ですからね。それに身体がいうことを聞くようになったら、闘ってもらいますよ」

 スノウの意気込みと了承の返事を得たレインは、ニッコリ笑う。

「ええ、そうでなくっちゃ面白くないわ。それでこそわたしの見込んだスノウね」

 ハリセンを持った黒い腕をがま口の中にしまったレインは、その口から食品を取り出した。相変わらず便利ながま口チャックだが、以外にも出て来た食品は文明レベル・町の缶詰食品だった。でもラベルに貼られている。食材はどれも美味しそうで食欲をそそるものばかり。ましてや調理するのは気象一族でも有数の料理人レイン。身体が訴える食欲に心を預ける形で、スノウはレインの提案に乗った。

 

 

 ぐつぐつことことタンタンタン。軽快に缶詰食品の食材を調理する音が洞窟内に響き、やがて程なくして缶詰からとは思えない温かい食事が振る舞われた。スープや生姜入りのメニューも全ては身体を冷やしていた自分への配慮なのか――スノウは感謝感激感動で頭が下がる思いだった。勿論実際に行動では示さない。食べる方が先決なので。スノウはレインから渡された手料理を拝領すると即食べる。口の中でとろけるその手料理は文句無しに美味しかった。里にいた頃より腕を上げたんじゃないかと勘ぐりたくなるほどだ。

「やっぱり。おなか空いていたのね。それだけ無我夢中でがっついてもらえるとこっちも料理人冥利に尽きるってものね」

「ええ。おいひいですよ、レインさんの手料理は。腕は衰えていないようですね」

「どうかしら。旅を始めてから自分で料理する機会はむしろ減ったけどね。でも他人からの評価が芳しいなら杞憂みたいね。そう言えば嘘の神様もわたしの手料理喜んでくれていたっけ……」

「むむむっ! 食い付く話題に乗っかるチャーンス」スノウはここでスープを呷って口の中の食べ物を胃に流し込むと、急いで会話を切り出した。

「そもそも、レインさんはどうやって問題を解いたんですか?」単刀直入に訊いてみた。

 こればかりはしかたがない。気象一族のスノウ、まだまだ若年なので、語集に乏しいから。

 するとレインも、頬張っていた口の中の食事をよく噛みしっかり飲み込んでから、答えてくれた。

「たいしたことじゃないわ。与えられた問題をこの頭で整理演繹して取るべき行動とはなにかを紐解いた――それだけよ」

「? わっかんないわぁ。もうちょっとでいいから他人にも通じるように話してもらえません? レインさん」

「そんなこと言っても」レインはこれが精一杯の解説だと答えた。だがスノウには全然理解できない。頭が悪いのかと言われれば素直にそうだと答えるだろう。今は。客観的、相対的に見てレインに頭の良さで敵うとは思っていないからだ。

 だが、説明というものは相手に通じなければ意味がない。これは学都スコラテスで学んでいたときに鉄の掟として摺り込まれたものだ。レポートの書き方がいい一例だ。読んだ読者がその通りに行動実践したとき、書かれた通りの結果が得られる。その報告がレポートであり、レポートを読む人間は書かれている事象の再現という最大期待値を得ることができる――それが科学の真髄だと、頭の小さな教授から教わった。レインだってその教授から教わったと言っていた。ならば忘れるはずはないと思うのだが。

 その旨を丁寧に伝えると、レインはああと遠い目をしてから、いきなりあははと笑い出した。その突拍子のない連携が、スノウには理解できなかった。神様の居場所から帰って来た直後からこの傾向はあったが、一族を抜けてからさらにひどくなった気がする。心の基礎が壊れたのかと逆に心配になるほどだ。

「ちょっ、大丈夫ですか、レインさん? 感慨深げな目をしてから一転、笑い出すなんて。おかしいですよ。変ですよ。ひょっとして――」

 神様になるための改造手術でもされたんじゃ――という詞をすんでのところでスノウは飲み込んだ。いくら懐の深いレイン相手とは言え、言って大丈夫なこととそうでないことくらいあるだろう。さっき食を、身体をおざなりにした自分を厳しく叱ったように。その点まだ人間らしいとも言えるのだが。とにかく、改造手術という単語は危ない、そうスノウは判断し自重した。

 だがそうなると、途中で台詞を打ち切った自分の立場がない。事実レインはこっちの続きを待っている風体。なにか言わなければ……そう思って苦肉の思いで出たのがコレ。

「女優に転身とか、ですか?」

(なに言ってんのよ、わたし……)スノウは冷や汗を一筋流してもう取り返しのつかない過去について考えを過らせる。でもこれが自分の限界、そう割り切ることにした。無念ではあるが。

 するとその詞を聞き取ったレインは、笑った表情を崩さずに答えた。

「女優転身はないわよ。変わったことは……いっぱいあったけどね。身体も心も能力も、訪問前と訪問後ではまるっきり別物になっちゃった。ほんと、意義ある訪問だったわ……。今のわたしはレインだった過去を被った別の人間。そう、ミコ=R=フローレセンスなのよね」

 別の人間と言う詞に、スノウはちょっとした戦慄を憶えた。別人という意味だろうか? そうは見えないけど……。だけどレインはつまらない冗談を言う人間ではなかった。ならばどういう意味だろう? それと同時にスノウはレインの曖昧な言動がちょっと心配になった。畏れているのかもしれない。

「大丈夫ですか? レインさん。レインさんですよね?」と、訊いてしまうほどに。

「……ああ、うん。わたしはミコ。そしてレイン。ええ……そうよ。そうね、まだ辞めたわけじゃないわ。大体レインの属性をどうするかもまだ決めてないんだから」

「そうですよぉ。レインの名は気象一族の中でも最も継承するのが難しい名前です。まさかその力、自然に返すつもりですかぁ?」

「それも考えに入れてるけど……目下現在思案中、かしらね。後継者を捜すのはしんどいし。かといっていつまでも抜けたわたしがレインの名を持ってるのもね……神様の問題を解いて大切なものを盗んだ上、一族からも裏切り者と追われる今となっては、レインの名は裏切り者でない誰かに受け継がせた方がみんなにとっていいんじゃないかとも最近思うのよ。つまり、引退?」

「なっ! 早過ぎますよぉ! まだ若いのにぃ!」

「そうよね。女の子って呼ばれるくらいだものね」

 えっ……?

 さすがにその詞には、スノウも即答賛成しかねたものだ。若いとは言ったが、女の子って名詞で表現できるものか?――そう勘ぐったのだ。第二次性徴が始まった自分よりも明確に年上のレインである。いくら年齢の読み取れない風貌とは言え、女の子って表現はちょっとおかしい気がする……。ああ、なんか考えていると、自分に自信が持てなくなっていく。昔のレインは他人に勇気をくれる存在だったのに。神様の問題なんかを解決したせいか、目の前のレインが自分の知らないなにかに変わってしまったように感じられる。本当に別人のようだとも考えてしまう。

 するとそれを見越したかのように、レインはスノウに話しかけてくる。

「変わったでしょ? わたし」心を見透かされたことに一瞬ドキリとしたスノウだったが、ここは素直に事実を認め、会話を続けることにした。話し続ければ、そこに手がかりが見つけられるかもしれない。そんなおぼろな期待を込めて。

「ええ、そうですね。こうして会ってみると、レインさんは変わりましたね。あながちさっきの別人発言も嘘ではないってことですか?」

「そうよ。神様の居場所に到達したわたしはそこで自分の宿命を知ったわ。それまでの自分がやってきたことの重大性に、あそこに辿り着いてようやく気付けた。自分が本当になすべきこと、自分が本当にやりたいことに。それは今までの自分では到底できないことだったから、今それをやっているわたしが別人のように感じられるのは当然なのよ」

「なるほど……そういうニュアンスがあっての詞でしたか。ほむほむほくほく」

 スノウが納得した際に呟く口癖を聞いて、レインの顔がちょっとほころんだ。

「久しぶりに聞いたわ。ほむほむほくほく。やっぱりあなたは変わらないわね、スノウ。でもそのままでいいんだと思う。今となっては問題を解く意味も無くなったんだし」

「え? それってどういうことです?」さりげなく飛び出た重要語句を、スノウは決して聞き逃さなかった。間髪容れずに尋ねてみる。

「あら、知らないの?」レインは心外といった顔をした。「じゃあ教えてあげる。ついでに年寄り連中をはじめ一族みんなに伝えといて。神様はね、今全員この人間・生命世界に降りてきているのよ」

「えええええぇ! そんなアホな!」スノウは食器を持ったままレイン、焚き火から一気に遠ざかり距離をとった。衝撃の度合いと動く距離は比例するのだ。

「ほんとに知らないのね……いいわ、教えてあげましょう。わたしが神様の大切なもの――『面白さの設計図』を盗んだ元の持ち主、嘘の神ね。その神様接触後消えちゃってさあ……わたし、神々からは神殺しの容疑者だーとか、欠員した分も含めて神様にふさわしいとか、ついでに他の神様からも多数設計図を盗んだからその神様達からは設計図を取り戻すって大義名分のもとに付け狙われているのよ。それぞれの思惑はあれど、残りの神様61名全員に。みんなわたしを追跡するために神様の居場所からこの人間・生命世界に降りてきているからもう問題解いて神様に会おうとか無意味よ。大体問題自体神様達はわたしが解いた時点で問題解かれたからこれ以降の挑戦はもう受けないとも言ってたもの」

「な、ななな……なななななぁ!」スノウは事の重大さに開いた口が塞がらなかった。しばらくそのままでいたが、やがて自分の不格好さに気付き、手で覆い口を閉める。そしてレインがその様子をニヤニヤと満足げな顔で眺めていることにも気付き、顔がボッと沸騰した。恥ずかしさのあまり身を隠したかったが、隠せるものはなにもなかった。せいぜい自分の着ている灰色のコートを脱いで顔を隠すくらいだろう。それも手間がかかるので絶対やらない。ならば八方ふさがりだ。ニヤニヤ笑われるしかない。試練である。

「本当に知らなかったの? 気象一族も堕ちたもんだわ」レインの冷たい詞が痛い。

 でも知らないものは知らないと、はっきり明言する必要がある。自分のためにも、そして一族の名誉のためにも。だからスノウはもう一度確認を取ることにした。

「ほんっとうに、神様は全員、この人間世界に来ているんですか?」

「ええ。来ているわよ。実際に神々と会ったわたしにはわかるの。どこにいるかまでは知らないけど、あの時空隔絶領域じゃなくてこの人間・生命世界にいるってことだけは断言できる」

「ああ……、なんてことなの。そんな事実が隠されていたなんてぇ」

「気に病むことはないわよ、スノウ。神様の挙動行動言動なんて、知らなくて当然なんだから。というか、知らない方が幸せだわ」

「なんでですか?」

「神様は気まぐれで、意地悪で、気分屋だからよ。接触してきたわたしが言うんだから、信頼してもいいんじゃない?」

「ふーん」間延びした詞でお茶を濁したスノウだったが、この情報は素直に信頼できるような気がした。相手から語りかける経験談は、嘘の成分が少ないからだ。

「じゃあ問題を解くこと自体、もう無意味ってことですか?」

「そういうこと。全員こっちに来ているからね。わたしの奪った設計図、そしてわたしの身柄を狙ってるわ。偶然嘘の神の死を目撃観察したわたしを、さっきも言ったように、いろいろ難癖つけて狙っているのよ。こっちとしてみりゃ、いい迷惑だけど」

「レインさんが問題を解いたときわたしたち人間の世界にデカい神告宣下がありました。『遂に問題は解き明かされた! 一人の少女が我々の大切なものを盗むことに成功したぞ』って。でも問題を打ち切ったとか、神様がこっちに来たとかは全然教えてくれなかったなぁ。『その少女は人間の世界に戻ったぞ』って情報だけでしたよ」

「それが新しい問題なのよね。つまりはわたしも体よく神の悪戯に巻き込まれたクチよ」

「じゃあ、やっぱりレインさんは……」スノウが見上げると、レインは穏やかに頷いた。

「ええ、持ってるわ。嘘の神からの『面白さの設計図』。他の神様からもいろいろ奪って、62個の設計図のうち29個はわたしが持っているのよ。そりゃ神様も必死になるわね」

 ゴクリ……スノウは息を呑み込んだ。神様の大切なものである、レインの言う『設計図』、それを彼女は今、29個も持っていると言った。その数の凄まじさに圧倒される。一体どんな努力をすれば、そんな大漁成果を得られるのだろうか。知りたい。でもすぐに諦めた。もう問題は打ち切られたと、さっきレインから聞いたからだ。なら質問しても意味がない。この俗世に全員総出で来ている神様から盗むのなら、いくらかは参考になるのかもしれないが、なにしろ問題は実質撤回と聞いたばかりだ。それに神様達がどんな連中なのか、自分はおろか、レイン以外は誰も知らない。それよりも今目の前にいるレインから盗む方が効率的に見ても間違っていない気がするのだ。神様だって、会えたところで28/61の確率でハズレだからである。その点レインは29/1。大当たりにもほどがある。一等賞……いや、特等賞と言ってもいいくらいの価値がある。やはり狙うならこの人なのか……。問題は打ち切られても、神様の宝物を、『設計図』を持っているとなるとやはり食指がそそられる。

 そんなふうに頭が思考の道路を進むと、レインが先手を打ってきた。

「今はダメよ? 食事中&会話中なんだから。食べ終わってもう話すことも無くなったら、こっちから勝負してあげるわよ」

「えっ? あっ……ひゃぁ! そんなんじゃ! いやぁ、そんなんだったけど……まだ話していたいっていうか、食事美味しいっていうか、闘うには準備運動ですから、はい……。今は食事に夢中ですぅ」

 どの思考道路を選んだのかも完全に看破されていることに気付かされたスノウは慌ててその場を取り繕った。下手な単語を飾らない本心、誠意を持って並べ立てる。するとレインは「ええ。飲んで、食べて、話しましょ」とこちらの意を汲んだ詞をお告げになってくれたのであった。危なかった――スノウは急いで思考道路を組み替えた。その道は正解のひとつであろうが、まだ進むべき道ではない。今選ぶべき道は別にある。だから乗り換える必要があった。それがひとつのけじめでもあったから。

 そして、一口食べてから深呼吸して、スノウは情報収集目的の会話を再開した。

「さっきまでの話を整理すると、人類の歴史と共にあった神様からの問題はレインさんによって解き明かされてその意味を失った。よって他の人間が解いても無意味。そういうことですよね?」

「そうよ。長い歴史の中で忘れられたのか、それとも最初から提示されていなかったのかは過去のことだから知らないけどね。あの問題は最初に解いた一番手にしか用はないの。二番手以降は総じて御遠慮よ」

「んで、ここにいるレインさんが問題を解いて、神様の大切なもの=設計図とやらを大量に奪った影響で、神様は総出でレインさんを捕らえようとこの俗世までやってきている。レインさんが設計図を盗まなかった神様も含め、全員が」

「そういうこと」レインは嬉しそうに微笑んだ。「時代が変わった証拠ね。その場に立ち会えたことが問題を解いた一番の御褒美だわ。ほんと、設計図を手に入れて神様になったところで、不老不死や神秘の力が使えるくらいのおまけしかないのよ? それだったら今のままで十分だと思わない? スノウ?」

「えっ……まあ確かに、人間の大半は解けない歴史を鑑みて、諦めて、問題を知っても我関せずって暮らししてますけど……でも、わたしたちは別でしょう? 気象一族はこの星の天候脈動を管理して人間の歴史と文明を預かっている特別な存在なんですよぉ? 気象を操る力もある。持つべき者としての矜持がある。だいたい一族成立の根幹は『神々の問題を解くべく力を付ける』ことだったんですよ? そのわたしたちがより高みを目指すのは間違ってはいないと思いますけど。ただでさえ同じような力持ちとして花一族や自然学派、伝承楽団とライバルはたくさんいるんですからぁ」

「諦めが悪いのよね。わたしたちも含めて。でもそれももうおしまいよ。時代は変わったし、これからもっと変わるわ。神様は身近な存在になった。今までどう足掻いても無理で終わった千載一遇が遭遇可能になったのよ。これってすごいことじゃない?」

 両手を広げ、大きなかぶりを振ってみせるレインを見たスノウは凄まじいスケールの未知なる大きさを感じ取った。それは多分、実際に問題を解き、神様の居場所を訪ねたという体験と、頭並みに大きな影帽子のせいだろう。大きな経験に大きな影が、洞窟の中焚き火の光を受けながらも決して背後に影法師を持たないレインの姿を――リアルそのままありのままのレインの姿を大きく見せていた。わたしが勝手に大きく感じた――そうかもしれない。それでもいい。スノウは感じた印象を素直に肯定する。

 だからその印象が消えない内に訊いておきたかったことを訊いておこう――スノウの口から自然と詞が零れ落ちた。変な前提なのに。

「レインさんは……どうして問題を解いちゃったんですかぁ?」

 そう、気象一族の里にいた頃のレインは神様の問題に一番関心が無かった部類の人間であった。年寄り連中や同世代が頭比べ知恵比べと称して問題解決に熱中する中、彼女とウィンドだけは違った。日々を楽しみ、花を慈しみ、四季に感じ入るところありと、諦めていた側の人間のように、普通に役目を果たしながら、いつかその役目を誰かに継がせて消えていく――そういうふうに見えていたのだ。

 だからなおさら不思議だった。そのレインが問題を解けたことが。それが一番訊きたかったこと――いつしか偽りのない本心をスノウは詞に出していた。その本心を感じ取ったのか、レインはすぐに回答しなかった。口を結んでじっとこちらを見据えている様子は、頭の中で詞を選んでいるという風に見て取れた。

 訪れるのは静寂なひととき。パチパチと火花を飛ばす焚き火の音だけが狭い洞窟に霞んで消える。それはまるで線香花火のようで、この現実自体が夢じゃないかと、そう思わせるほど儚くて、心に不安を掻き立てられる。

 しかしその後聞いた詞は、絶対に忘れることなどできない詩だった。

「聞こえたのよ……神様の歌がね。それを聞いたら会いたくなって、話してみたくなったの。だから問題は解いた。全てはあの歌を歌っていた嘘の神、いいえ歌の神である泉さんに会うために……」

 そう告白したレインの顔は、同じ里にいて生活をともにしていたスノウが今まで見たこともないほど素敵で、心揺らぎ、裸の心を叩かれ響かされるような表情をしていた。 

 脈が早くなる。動悸が始まる。身体が火照りだす。その反応の奥底にあるのはどうしようもない現実への理解だった。そう、それはもう会話が終わったことを知らせる、現実と幻想を超えた合図。

 スノウは自分がもう料理も食べ終わっていたことに気付く。食器は空。ボトルに至るまでいつの間にか全ての水を飲みきっていた。もう食事は終わり、その上会話も終わった。終わらせてしまったのだ。他ならぬ自分が。一番訊きたいことを訊いてしまったから。もう戻れないし戻せない。時間の流れは一方通行だから。雨や雪と一緒。

 いつからかはわからない。でもいつのまにかスノウはこの洞窟での問答に御法度の愛着を抱いていた。それは変わらぬ自分の気持ちを、そのまま光で投影した影なのだろう。

 レインさんに、会いたかった。会えてよかった。話せてよかった。だから……このままでいたかった――。

 そうした自分の思いが、今になってはっきりわかる。なんで今までわからなかったのか、逆に不思議に感じるほどだ。散々考えた挙句、結局それほど夢中だったのだろう、レインとの会話に――と自分を納得させるしかなかった。そう、それが嘘偽り無き本心。

 そして同時にその認識は、自分にある覚悟を強いることでもあった。それは他人からしてみれば辛い選択なのかもしれない。でも不思議と自分には当てはまらなかった。ああ、自分も気象一族のはしくれね――つくづくスノウはそう思う。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」スノウはレインの振る舞ってくれた料理を褒め称えながら食器を手渡す。焚き火を迂回するように手を回したレインも黙ってそれを受け取り、影帽子のがま口チャックの中へと仕舞う。そのとき気付いたが、レインもまたちゃんと食事を終えて、綺麗に食べ終えた食器を膝元で遊ばせていた。偶然とは思えないタイミングに、スノウは思わず安心する。その点は里にいた頃のレインと変わっていなかったからだ。気配りの達人――里も認めるレインの枕詞である。

「では……」食器回収を確認してからおもむろにスノウは立ち上がる。「会食、楽しかったですよ。でもそれももうお終いです。初志貫徹、わたしはわたしの任務を果たします。レインさん、いえレイン! わたしと設計図を賭けて勝負してくださいっ!」

 詞が自然と飛び出し、さらにそれよりも先に身体が勝手に動く。今までとは違う感覚、これが身体と心が同調するということか――スノウはレインの詞を噛みしめながらも、そのレインと闘うべく臨戦態勢を取った。三度目の正直、そんな格言が身にしみる。今度こそ失敗しない。その自負もあった。戦闘開始と同時に先に外に飛び出すのだ。そうしてしまえば後は雪を使ってレインを洞窟に閉じ込められる。さっき閃いたばかりの斬新な作戦である。これなら勝てる! 昂った身体と心は十二分に勇み立っていた。

 だが。

 スノウの意気込みとは裏腹に、レインは一向に立つ気配すら見せなかった。その様子に疑念が生まれると、動きが鈍くなる。まさか、それが狙いか? あるいは待つことでこっちの気持ちが萎えたり、エネルギーが空転してなくなるのを待っているのか?――と、いくらでも先回りして読み取れた。いいわぁ、ならばこっちから先手取って宣戦布告代わりに雪の壁でこの洞窟に閉じ込めてあげようじゃない。スノウの腹は決まった。

 そしていつまでも座ったままのレインに見切りを付けて、いざ動こうとしたとき――異変がスノウを襲った。いや……正確にはそのときになって初めて気付いたのだ。自分が動けなくなっていることに。なぜ? どうして?

 すると、ここでスノウはひとつの視線を感じ取った。レインの両目が放つ一対の視線ではない、別のひとつである。その大元を辿ってみると――いた。

 レインの被っている影帽子。そのがま口チャックの口の中から自分を見つめる――。

 黒い一つ目が。

 初めて見るがま口の中のモノにスノウは驚いた。そこにこっちを隙の無い目で観察していたレインが、ようやく重たく慎重な口を開き話しだす。

「ふふふ、驚いた? これはわたしが影で創った『モノ』の中でも特別な黒い眼。その眼を見られるのは、術にかかった後だけだから、この時点でもう手遅れよ。わたしが闘う? 冗談、可愛い後輩と本気で遊ぶことはあっても本気で命や物のやりとりをする気はないの。特に設計図を賭けて勝負なんて……まだまだ早いわ。スノウちゃん?」

「むっきいっ! じゃあなんですか。話すだけで闘う意志はなかったってことですかぁ?」スノウはムキになって早口で問い質す。だが、その台詞も黒い眼の影響で辿々しくなってしまっていた。自分で聞いてて情けないと思えるくらいに。

「大体合ってるわ」レインはその指摘を即答で認めた。そしてこのときになってようやく、レインはその身を立ち上がらせた。焚き火の陽炎で影帽子の影像がゆらめく。レインの頭ほどもあるその大きな影帽子を被ってレインが立ち上がると、口の中の眼は余計に高い位置からスノウを見下していた。

「なんか……ムカつくなぁ。謀られたことといい、この立ち位置といぃ。レインさん、結局また逃げるんでしょぉ?」

 スノウはせめてもの抵抗とばかりに悪態をついた。あまりにも人生が思うようにいかないとその経験は性格に負の影響をもたらす。今のスノウはまさにそれだった。自分の思うように事態が回らない、その現実に苛立ち、食事と介抱の恩も忘れて意地悪を言ったのだ。

 だけどレインは、その悪口さえも難なく受け止め、そして微笑んだ。さっきの素敵な告白のときにさえ見せなかった今初めてのその笑顔は、スノウが今までに――里にいた頃を含めて――決して見たことのない種類の、不思議な暖かさに溢れた笑顔だった。一瞬、我を忘れて見入ってしまった。全く新しい、レインの顔に。だがそれに見とれた瞬間、影帽子のがま口に嵌った黒い眼が妖しく光る。その光を浴びたスノウの身体は、金縛り効果が辿々しくも動かせていた口にまで及ぶ。その上意識も朦朧としだし、視界を保つこともままならなくなる。目の前のレインの笑顔が見えない。見続けていたい顔なのに。できることなら、もう、ずっと……。

(そうかぁ……わたしの、本当の気持ちは……)

 思考がある境地に達したとき、不意に身体が動いた気がした。今まで動かせなかったのに。なぜ? そんな思いが頭の中を交錯する。しかし神経系は完全に麻痺しきっていて、どう動いたのかも、今どんな体勢でいるのかもわからなかった。視界もブラックアウトしていて、完全に役に立たなかった。

 そんな中、なにかが聞こえた気がした。なんだろう? まだ落ちきっていない意識で考えるが、答えには辿り着けなかった。そしてその音が止んだとき、スノウの意識も深淵に落ちた。

 

 

 ミコは影帽子の黒い眼を光らせて最後のステップに移る。身体を止めるだけじゃまたあとをつけられたりと一人旅には面倒なことが多い。特に今は冬。雪も振っているからにして、この子――スノウには飛び出したところでまた追いつかれてしまうだろう。それなら、この子の意識もしばらく停めるべき。そう思って封印兵器、『鎮めの眼光』を放ったのだ。気象一族の中で一番最初に自分に接触した事実もある。この事実でこの子が一族から受けることになり得る不利益を可能な限り防止しつつ、またこれを活かす形で、撹乱を謀るのが作戦というもの。実に楽しい面白い。気付けば自分がスノウに向かって笑っていたことを、ミコはこのとき、初めて自覚した。

 やがてスノウの身体が崩れ、寝るように倒れ込む。世話好きのミコはことここに至って御役目御免の黒い眼をしまうと、がま口チャックの中から寝袋を取り出す。そして取り急ぎ倒れる最中のスノウの下に移動し、その身体を支えつつ、倒れこむと予測されるポイントに寝袋を敷いた。抱きとめたスノウの身体は、やはり前より重たかった。その健康と成長を確認できて、ミコは嬉しくなり、思わず笑顔が綻んでしまう。

 気付けばミコは、微睡みに旅立とうとしているスノウに語りかけていた。

「スノウ、あなたはまだ若いわ。だから急がなくていいの。いずれ『そのとき』が来るまでの間、今はここでお休みなさい。ふぅ……どうせ神様連中との衝突は避けられないし。そのとき話すことになるんでしょうね。泉さんの真相とわたしの宿命を。知らずにいた昔ならまだしも、知ってしまった今のわたしはもう無駄に人生を送れない……。未練がないと言えば嘘になるわね。でも人生は戻ることで手に入れるものじゃない。進むことで手に入れるもの――でしょう? わたしが一番に問題を解いて……そこで嘘の神様、泉=ハートに出会って歌を聴いた。そのとき知った己の宿命に、彼女と交わした嘘っぽい口約束――それらが今のわたしを動かすちっぽけな原動力なのよね。あなたもいずれわかるわ……。ふふ、いつになるかはお楽しみ♪ 最後にひとつ、御褒美にヒントをあげる。わたしの名前……巫、ミコ=R=フローレセンスはね、神様達の名前をまんま受け継いだ名前の形式なの。そこにレインを示すRを挟んだ……。これは神様捜しのヒントになるから、憶えとくといいわ。それじゃ、また会うときまで、ゆっくりお休みなさい。元気でね……」

 長い言伝を喋り終わったミコは、そっと掌を開きっぱなしのスノウの目に被せ、瞼を閉じてやる。一人旅を始めて最初に再会した気象一族の一員スノウ。旧知の間柄だっただけに、少なからず嬉しかった。再会の喜び――古めかしい詞だが生き残るだけの意味がある。ミコは詞の強さと重ね合わせ、腕の中に収まっているスノウの顔を見つめる。

 細かく手入れされたシャギーの頭髪。あどけなさと幼さ、そしてなにより若さと強さを備えた生命力に満ち溢れた顔。自分が通り過ぎていった「過去」を思い出させるその顔を見ていると無性に悪戯したくなるが、飛ぶ鳥後を濁さずの格言に従い、ミコはスノウを寝袋の中に寝かせてやる。その途中スノウの携帯電話を取り出して、同じ気象一族の連中に一通のメールを送信。続けざまに自分の携帯電話でも同じ気象一族の連中にメール送信。このメールを送った事実が、スノウの安全を保障する。

「さて、これでよしと。スノウ……またね」

 スノウの携帯電話を彼女の懐に戻したミコは別れの挨拶を感慨深げに済ませると、寝袋のチャックを閉め、焚き火に薪を補充させると、洞窟の入口へと進み、暗闇に瞬く星空へと飛び出した。

 夜間飛行と言わんばかりに。

 

 

 ミコが洞窟からスノウを残して飛び立ち、まだ焚き火の火も燃え盛る頃。

 その洞窟に二つの影が現れた。

 一人は機能的なウェアを上下に着込み、その上にロングのコートを羽織った女。

 もう一人は紺色の小袖を被り股引を履き、さらに頭の手拭いを鼻の下で結ぶ男。

 二人は降り積もる雪を踏みしめ、スノウが眠る洞窟の入口へとやってくると、中を覗く。覗いて、露骨に溜息を吐く。中にいたのが求めていた人物ではなく、赤の他人の幼女だったからだ。

 残念と呟く二人は目で示し合わせると、洞窟の入口を離れて泉の縁の岩の部分に移動した。雪が降っているのを気にも留めず、寒空の中に身を置く二人。岩に腰を降ろし泉の方を見つめて静かに話しだす。

「泉ねえ……見てると泉ちゃんを思い出して涙が出てくるじゃねえかこのやろう。刀(かたな)、お前はどうなんでぃ?」

「そうね……あの素晴らしいメロディが甦るって表現がふさわしいわね。泉さんの歌声は私達神々の宝だったのだから。それだけに、あの逃げ回る小娘を捕まえられなかったことは今季最大の恥辱だわ」

 刀と呼ばれた女は拳を眼前で握りしめ、強い力で震わせる。その様子を相方の男はニヤニヤと、どこか余裕の態度で見守っていた。その視線に気付いた刀は男の方に震わせていた拳を向け、さらにそこから人差し指を伸ばして牽制する。その機敏な動作に男は一瞬硬直する。その隙を突き、刀は語り出した。

「設計図を盗まれていない貴男はいいわよね、扉(とびら)。小娘から設計図を盗まれていないから無理に追いかける必要もないし」

「魚(うお)っちでもないのに毒を吐くんじゃねえよ刀。愛(めぐみ)や湊(みなと)と違って、お前さんは設計図盗られた組でも別に力量衰えちゃいねえだろ? 撤収の神、刀=クロック。その通り名が示す属性の力量には一点の翳りも見えねえぜ? 愛や湊は自信喪失狼狽えまくりだから心配にもなるけどよ、お前や彰(あきら)を見ていると一概にあの娘っ子、レインが悪いとは言い難いんじゃねえかい。そもそも問題に『盗めたら』って文言入れちまってるんだしよ……ま、そこは俺の通り名が厄介なのかもしれねえけど」

 扉と呼ばれた男は手拭いで覆った頭を掻きながらも刀の発言に応答すると、刀も気が晴れたのか、先程までの攻撃性はなりを潜め、顔も穏やかなものになって扉の返事に応じる。

「確かに、柄にもなく毒吐いちゃったわね、私。魚ちゃんでもないのに。貴男のいう通り、力量が弱まったわけでもないし。でも扉、私だって盗まれた組として少なからず動揺はしてるのよ? それに彰の奴と一緒くたにするのはやめて。あいつ『常識の設計図』を盗まれたからって自分の個性が増したとか……ある意味当然、っていうか因果応報でしょうよ。あいつの通り名、個性の神よ?」

「違えねえ」扉も刀の指摘を認めけらけら笑う。盗まれた組の一人、個性の神、彰=ジャンクションはミコに設計図を盗られたら今まで埋没気味だった個性が一皮むけたのである。所有していた『常識の設計図』が彼の個性を束縛していたという見解は神様仲間の大半が共通して抱いていた。なので彼がミコに設計図を盗られた途端、その個性が増したのも、仲間達からすれば「ある意味当然」、「それだけのこと」だったのである。

 そんな神様仲間の話題に花を咲かせていた二人だったが、やはり最後に行き着く話題は、ミコのことであった。現状を鑑みた二人は、これからのことを話し合う。

「泉ちゃんの名前を感知したから一番近くにいた俺らが飛んできたけど、レインの奴やっぱり逃げてたな。せめて行き先の手がかりでも掴めりゃ上出来と思ってたけどよお、痕跡なし。見事に無駄足踏まされちまったぜ。でもそこの洞窟に気象一族の追っ手と思しき幼女が寝てらあな。どうする? 起こして尋問でもするか?」

「やめときなさい」刀はすっぱりその提案を切って捨てた。扉に反論も弁解もさせずに、自分の番と話しだす。

「私達の目的はレイン――今は巫=R=フローレセンスと名乗っている小娘が盗んだ私達の設計図だけよ。それ以外は放っておきなさい。探索班でもないのだからね……もう引き際よ。帰りましょう」

「そうか……そうだな、そうしよう。俺らがこの人間・生命世界に降臨している事実は神告宣下でも知らせてない極秘事項だし、自分達から厄介事を背負い込む必要もねえってか。よし、じゃあ行くべ。次の行き先は東だな」

「ええ」扉の賛同を得た刀はテキパキと動いて撤収準備を整えると、向かうべき東を目指して指揮を執った。扉もその指示に素直に従い、二人は東の森へと消えた。

 撤収の神、刀=クロック。

 泥棒の神、扉=カレイドスコープ。

 ミコ=R=フローレセンスの影を追いかける神々は、洞窟で寝ていたスノウを気にも留めずに去っていった。この寝ている少女、実は自分達がこの俗世に降臨していることをミコから聞かされていた人間だとは、結局最後まで気付かないまま……。

 

 

 夢を見ていた――スノウにはその自覚があった。これは夢だと、わかっていた。

 レインさんが自分を抱きかかえてくれていた。さっきまでと変わらない、あの暖かい笑顔のままで。なにかを語ってくれている。でも夢の中じゃ、聞いたことも憶えていられなくて……ごめんなさいレインさん、起きたときに聞かせてください。そう答えるとレインさんは小さな声で「またね」と言って、静かにわたしに背中を向けると、洞窟の入口から飛び立っていった。自分自身である影帽子のがま口チャックから、懐かしい、黒い羽根を取り出して。

 歩くんじゃなくて飛んじゃうんですか?

 意地悪なんじゃないですか?

 そう訴えてももういない。

 背中は空に飛んで消えた。

 ただ、代わりに歌が聞こえた。誰かに呼ばれているような……。身体が自然と動くような……。そんな感じに自分をコントロールされているような、変わった歌を。でも聞き心地はよかった。そういえばレインさんも歌が聞こえたから問題を解いたとか、そんなことを言っていた気がする……。気がするのだが……あれは、一体……?

 そしたら、洞窟に誰か入ってきた。レインさんではない。それは――。

「おい、起きろ。スノウ!」

「うーんっ。う? え……ひゃいっ!」

 スノウは身体を揺さぶられる感覚を受け、居心地の良い夢から、現実と幻想が絡まり合った夢から呼び覚まされた。瞼を開くと、そこにはよく見る顔、よく知った顔があった。

「うわぁ! シャイン! クラウド! なんでぇ? どうしてぇ?」

 スノウは寝袋に入ったまま器用にぴょんぴょん飛び跳ね距離を取った。ひとつに纏まった足先でぴょんぴょこ立つ姿は、まるでミミズが立ち上がったかのようだ。蛇じゃない。要注意。

 とにかくスノウはまずパニックに陥っていた。レインがいないのは納得できるが、代わりになぜシャインとクラウドという気象一族でも屈指の実力者二名がいるのか、それが不思議でならなかった。

 かくかくしかじかとそれを伝えると、二人の益荒男は「外にはウィンドもいるぜ」と軽口叩きつつ、二人して携帯を取り出した。そこにはこんなメールが表示されていた。

 スノウは二人して携帯を見せる意味が最初分からなかったが、よーく覗き込んでみると一通は自分の携帯からのメール。もうひとつはミコ=レインの携帯から送られたメールだった。スノウの携帯からのメールはこうなっていた。

 

 レインさんを捕まえた。わたしが一番。今洞窟。

 

 対してレインの携帯からのメールはこうだった。

 

 スノウに捕まっちゃった。まあ逃げるけど。他の連中には捕まらないわ。

 

 以上、二通のメールがシャイン、クラウド二人の携帯にそれぞれ映し出されていた。レイン一流のお節介にしてアフターケア。寝袋から脱皮しながらもそれに気付いたスノウはなんだか胸が熱くなるが、益荒男二名がそれを許さなかった。

「スノウ! 逃げられたとはいえ、お前の成し遂げたことは偉大にして意義がある。年寄り連中の言いがかりからは俺達とウィンドが守ってやろう。そのかわり交換条件だ。ここであったこと全部話せ。1から1000まで全部話せ。俺の嫁、レインと一体何を話したんだ、さあ!」

「おいおいシャイン、いつからレインはお前の嫁に決まったんだ? お前より俺だよ、レインの花婿に相応しいのは。クラウドとレインこそベストカップルなんだ。ああ、あの美尻に敷かれたいぜ……」

「尻じゃねえ! レインの魅力は究極の脚線美にこそあるんだ! あの美脚で無下に踏まれる――それこそ極上の快感だろうよ!」

(出た。自分勝手な俺の嫁発言にドMな性癖暴露。だから女連中の受け良くないのよぉ)

 スノウはレインの伴侶を自称する二人の益荒男の唯我独尊ぶりに眉を顰めつつ、その二人に迫られていたんじゃ逃げ場がないともわかっていたので、お望み通りこの洞窟でのレインとの会話内容を全部話した。1から1000まで、包み隠さず。

 スノウの話を聞き終わったシャインとクラウドは実力者の名に違わない、その尋常でない頭脳でもって、たちどころにレインと神々の事情を理解する。それはスノウが及びもつかないスピードだった。

「ふ〜ん、ミコ=R=フローレセンスか。携帯メールの差出人名で見たときは『は?』って思ったけど、レインの別名なら素敵かもね。さしずめこのクラウドを祭る巫女ってとこから取ったんだろう。健気な女だ。早く捕まえてやりたいが、それが新たな問題として神告宣下されるまでは、しばらく様子見に入るとしよう」クラウドが長い髪をいじくりながら喋る。

「ふっ、お前はおめでたい奴だなクラウド。レインの思考は俺達よりも更に至高、だから神の問題も解き明かしたんだぜ? そのレインの別名義名乗りにかける思いなど、俺達の及ぶところではないことと知れ。だが、様子見には賛成だ。レインは神なんかにゃ捕まらねえ。そうなればいつかあいつを捕まえることが新たな問題として神共から布告される。それを見事解決して捕まえる、それこそがあの女に対する最も効果的なプロポーズだからな」

 下唇に指を当て、洞窟斜め上の土天井を見上げながらシャインが一人言のようにぼやく。二人ともスノウの話から無駄な肉を削ぎ落とし、必要必須な情報を確認する。レインを我がものとしたいがために正々堂々の勝負に拘るところはこの益荒男二名唯一の美点と言ってよかった。裏を返せば、それ以外の長所など(全くと言っていいほど)ないのだが。

「ねえ、ウィンド姉さんが来てるって言ったよね? 話してきてもいい?」

「おう、お前はもう用済みの飼い犬だ。保護の対象として好き勝手してろ」

 スノウのお伺いに対してシャインとクラウドは一字一句も違わない返答を、絶妙のハモリでよこしてきた。本当、里にいた頃から変わらない。レイン一人に入れ込みすぎて他の女性を軽んじるところ――スノウはこんな連中にこれから保護されるのかと内心複雑な胸中になりつつも、さっさと洞窟から抜け出した。外はまだ、銀世界。

 そこにウィンドが立っていた。しんしんと振り続ける雪を、漠然と眺めていた。

「おはよう、ウィンド姉さん。外で待っていて、寒くなかった?」

 スノウが挨拶がてら訊いてみると、ウィンドはその澄み切った目をスノウに移し、柔らかく微笑みながら答える。

「大丈夫よ、わたしは寒さに強いから。それにあいつらと一緒にいると暑苦しくてかなわないわ。正味な話としてね。結果あなたに最初押し付ける形になったのは、謝るけど」

「いいですよぉ、そんなの」スノウは軽く笑って許した。レインの大らかさが移ったのかもしれない。むしろ礼を言うのは自分だろう。レインのルームメイトで一番の親友だったウィンドがいてくれたことで、こっちの方が多少救われたのだから。

「嬉しそうね、スノウ。話してくれる。レインちゃんのこと」

「うん。いいよ」

 スノウはウィンドに全てを話した。アルコ村でウィンド、クエイクと別れた後のことを全て。1から10まで包み隠さず。知っていること、得たこと全てを。見た夢の内容まで話したのは、ひとえにウィンドが聞き上手だからだ。

「なるほど……あのバカ二人が当面自分を追わないように仕向けたのね。さすがだわ、レインちゃん。……いいえ、今はミコちゃん――なのかしら? だとしたら、ちょっと寂しいかな。一人先を行かれちゃったな。ずっと隣にいたつもりだったけど……」

「ウィンド姉ぇ……」

「ねえ、最後にひとつだけ訊いていい?」ウィンドが澄んだ目に力を込めて願い出た。勿論スノウに断る余地などない。訊かれるままに答えるだけだ。何を訊いてくるのか、正直に気になってもいたから。だから聞いた。ウィンドの求めるものがなにかを。

 ウィンドが雪の中白い息を吐き深呼吸して問うたのは、次の質問だった。

「レインちゃんの髪は、まだ桜色だった?」

 言われて一瞬、スノウは固まる。だがすぐにその意図することを察し、落ち着いた表情で、「ええ、綺麗な薄紅色――桜色で変わりなしだよぉ」と答えた。

「そう……じゃ、早い方がいいか。忘れられないうちに」

 ウィンドはそう呟くと、懐から携帯を取り出し、指が消えて見えるほどのスピードで文字入力を行う。スノウに見えたのは最後の一押しだけ。

「なにしたの?」気になってスノウは聞いてみる。

「レインちゃんからのメールに返信したのよ。ほら」

 

 久しぶりね。わたし、元気です。会いたいな。改名したんだね。いい名前だよ。

 

「多分レインちゃんも待っているんだと思うの。わたしたちからの返事をね。あーわたしも見たかったなあ、レインちゃんの新しい笑顔」

「それは、一番手だったわたしの役得だよぉ。でも……姉さんにだったら頼めば見せてくれそうだけどぉ? それこそメールでも」

 スノウが思ったことを素直に喋ると、ウィンドはスノウを抱きしめた。柔らかい身体特有の弾力が、服に邪魔されつつも感じ取れた。スノウは雪の中ウィンドの腕の中で白い息を吐きながら去ったレインのことを想っていた。レインは今どんな思いで旅をしているんだろう――そう思っていたら、ウィンドの携帯に着信があった。差出人は、レイン。

 

 わたしの髪は今も桜色。変わってないよ、親友。

 

 その文面は今も変わらぬ親友への短くも暖かいメッセージ。やっぱりこの二人は凄いや――スノウはこれこそ本物の絆だと実感する。そしてそれを近くで見させてもらっている自分は、ちょっとした幸せ者なのだろうとも思った。

「あったかいね」スノウがこぼすように呟くと、ウィンドは微笑みつつ携帯電話をしまってスノウを抱え上げるとこう告げた。

「じゃ、いったん町まで戻りましょ。飛んで行くからわたしに捕まって」

「シャインとクラウドは?」

「放っておいていいわ。付き合いきれないしね」

 そりゃもっともだ――スノウも頷く。抱きかかえられるまま身と心を委ねると、ウィンドが起こした風が吹く。それに乗っかるように、スノウとウィンドの身体は空に舞った――。

 

 

 ミコはあの洞窟から遥か遠く、雪も降らない向かい側の地方の原っぱの真ん中にいた。

 冬にもかかわらず風もなく、穏やかな日差しが草原を暖めている爽やかな陽気の中、ミコは着陸しウィンドからのメールを読んだ後、返事を書いて送信した。本当はすぐにまた飛び立つ予定だったのだが、一足先に春の到来を感じさせる景色との出会いに感じるところがあり、歩きに切り替えた次第である。

「もうすぐ春ね……そうだ、あそこ、行こっと」

 そう呟くとミコは携帯電話の地図機能で現在地と目的地までの道のりを確認する。必要な情報を頭に叩き込むと、用済みの携帯電話を影帽子のがま口の中にしまい、両手を手ぶらにして歩きだす。

 自由気ままに。流れるままに。

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