「現実」

 ――夜。食事を終えたシエルに、キュイが声をかけた。ペイが呼んでいるという。シエルは紅茶を飲み干し、立ち上がった。ソレイユはシエルにフォークを向ける。

「お話が終わったら、続きをやるからね! 私、今度こそ負けないんだから!」

 そう宣言すると、ソレイユはもりもりと食事を再開。シエルにはゲームの才能があったのか、操作を覚えてからは連戦連勝……これにはソレイユだけでなく、テールも驚いていたが、当のシエルはこんな才能があってもなと、複雑だった。

 シエルは悔しさを食欲に変えるソレイユを食堂に残し、ペイの寝室へと向かう。


「どうだね、この町は」

 ペイは相変わらずベッドの上で、上半身だけを起こしていた。部屋は薄暗く、光源はいくつかのカンテラのみ。油が焼ける臭い。眩しい光は、目にしみるのだという。

「図書館が……その、凄かったです」と、シエル。

「あれは、私達の夢だったのだよ」

「図書館を作ることが、ですか?」

「少し違うな。懐古趣味……と言ってしまえば、それまでだがね」

「ビデオゲームにも驚きました」

「ああ、あれはビデオゲームが好きな男がいてね。もうこの世にはいないが、彼一人の願いによって実現したようなものだ。執念とでいうか……面白い男だったよ」

「この町には、皆さんの夢が溢れているんですね」

 シエルはそう言ってから、よくそんな恥ずかしい言葉を口にできたものだと驚いた。……カンテラの光に、誘われたのかもしれない。ペイは感慨深げに頷いた。

「夢……そう、夢だ。我々の夢は、些細なことなのだよ。遙かな昔、人類は宇宙へと進出し、いずこかを目指して、散らばっていった。どこへ? そして何のために? 宇宙で生きる術を身につけた人類にとって、居住可能な惑星はもはや必要なものではない。なのになぜ、それを執拗に求めようとするのか。宇宙での暮らしは完全だ。人類はそうやって何百年も生き抜いてきた。だが、この惑星……ミッドガルではどうだ? たかだか百年余りで滅びようとしているではないか? それなのに、なぜ……真の目的地は、過去にこそあったのではないか。過ぎ去りし日々の中に人類の絶頂があり、人類は、ただ滅びゆく過程の中にいるだけなのかもしれない。生まれた時にはもう死んでいるも同然だったのかもしれない。本当に行きたかった場所は宇宙などではなく、過去、過ぎ去りし日々、在りし日の陽だまりの中だったのかもしれない」

 ペイはどこか宙を見詰めながら、うわごとの様に喋り続けた。シエルはその話にじっと耳を傾けながら、この部屋の雰囲気があの場所……テールと再会を果たしたあの部屋に似ていると気付いた。喋り終えたペイは、シエルに顔を向ける。

「シエル。君さえ良ければ、いつまでもこの町にいてくれてもいいのだよ」

 突然の申し出に、シエルは首を振った。

「いえ、お気持ちは嬉しいのですが……」

「だろうな。この町には未来がない」

 その一言に、シエルは緊張した。そして、ペイが本題に入ったことを感じる。

「その様子だと、知っているようだな」

「……ええ」

「ならば話は早い。君に頼みたいことがあるのだ」

「頼み?」

「ソレイユを、一緒に連れて行ってもらえないだろうか?」

「ソレイユを……?」

 シエルはその言葉の意味を考え、唐突に悟った。自分がこの町に呼ばれた理由を。

「それが、目的だったんだな」

 思わず口調が硬くなる。目上の人、それも英雄に対して口にすべき言葉ではないという自覚はあったが、怒りがそれに勝った。そう、この男は……最初から、俺がガルディアンを修理できるとは思っていなかったのだ。ペイは頷く。

「そうだ。君には悪いことをした。弁解の余地もない」

 あっさりと肯定され、行き場を失った怒りが、長い溜息と共に抜けていく。自分には何もできないということは、誰よりも自分が分かっていたことだ。むしろ、自分が必要とされている理由がはっきりしたことで、シエルは安堵すら感じた。だが。

「なぜ、今なんです? その時が来たら、彼女だってこの町を出るしかない」

「ソレイユは出て行かないさ。この町と……いや、テールと運命を共にするだろう」

 シエルはその言葉を、否定することができなかった。ペイは先を続ける。

「だから、君にソレイユを連れ出してもらいたい。その先は……君の自由だ」

「あんたは……あなたは、自分が今何を言っているか、分かっているんですか?」

「もちろんだ。だが、何がどうなろうと、ここよりはだろう?」

「どうしてそこまで……」と、シエルは戸惑いを隠せなかった。

「この町には未来はない。それでも、希望はあるのだよ」

 少し昔話をさせてくれ……そう言って、ペイは語り始めた。それはビブリオの歴史であり、ペイの、そしてソレイユの物語だった。


 ――ビブリオは今から百年前、ペイを筆頭とする宇宙軍の元軍人達が中心となり、作りあげた町だった。その戦力は危険視され、各町の代表者の前で武装解除。結果、ビブリオには他の町と同等の戦力……テールのみが残されることになった。

 ビブリオは良く言えば古風、悪く言えば懐古趣味的な町であり、ガルディアンの力を借りているとはいえ、住人自らが作物や家畜を育て、衣服を作り、紙の本をたしなむなど、旧世代の……「地球人的な」生活を営んでいた。そんな暮らしを望むのは少数派であり、変わり者だったので、ビブリオの住人はひっそりと暮らすことになる。だが、それこそが、住人達の望みでもあった。小さな楽園。小さな、地球。

 だが、ビブリオも時を重ねる程に、色々な考えを持つ者が増えていった。町は独立しているとはいえ、外部からの情報の流入は避けられず、外の世界へ憧れを抱く子供達も増える一方で、取り分け向上心に溢れたペイの息子や娘達も、父親の懐古趣味には付き合い切れないと、町を出て行ってしまったのである。

 やがて、五十年前に戦争が始まった。戦況が悪化した町は、老いたりとはいえ宇宙軍の英雄であったペイ、そして戦いのプロである住人達の武力を利用しようと、こぞってビブリオに支援を要請。しかし、ペイがそれに応じることはなかった。だが、刺激に飢えていた若い世代の住人は、戦争すら現状打開の好機と捉え、進んで参戦の意思を表明。それを、ペイは止めることができなかった。かつての英雄も、歴史を知らない子供達にとっては、ただの老いぼれに過ぎなかったのである。

 ――ビブリオは急速に過疎が進み、町に技師も訪れなくなった。ペイは戦争の終焉を察し、人類が見捨てられたことを悟った。そして、この町が長くないことも。

 ペイは僅かに残った住人達に、現実を伝えた。他の町の状況は分からないが、この町も長くはない。共に朽ちていくか、町を出るか、自らの意思で決めて欲しいと。

 住人は次々と町を出て行った。ペイからの紹介状を手にして。そして、ビブリオの町から若者がいなくなった。子供も、一人残らず。残ったのは、宇宙軍時代の仲間と、その子供達ぐらいであった。好きに生きて、終わりを迎える。そのために、住人達は思い思いに日々を過ごしていた。

 料理をする者、機械をいじる者、歩く者、釣りをする者、草木を愛でる者、惰眠を貪る者、音楽を愛するもの、知を競う者、紡ぐ者、空を読む者、命を育む者。

 ……ただひたすらに、終わりの時まで。

 だが、そんなビブリオに、ソレイユとその両親がやってきたのである。聞けば戦争がもたらした負の遺産、オートマタが増殖を繰り返し、次々と町を襲っているという。そして、オートマタの侵攻を退しりぞけた町も、ガルディアンの故障により滅び去っているという。そのような絶望的な状況の中、ソレイユの両親はかつての英雄が治める楽園があると聞き、すがるような思いでやってきたのだ。オートマタとの邂逅に怯えながら、荒れた荒野を、車が故障してからは歩きで、僅かな食料と水は娘に与え続け、衰弱しきった体で、辿り着いたのである。ここ、ビブリオに。――だが。

「……間もなく息を引き取ったよ。実際、生きている方が不思議という状態だった。娘を生かしたい……その一念だけで、ここまでやってきたのだ。まさに、希望だ。私達は、希望を託されたのだ。だから、技師を呼ぶことにした。何としても」

「それで、先生がやってきた」

「そうだ。君と一緒にね。奇跡が起こった、そう思ったよ。だが、甘くはなかった。それでも、我々は諦めなかった。諦めるわけにはいかなかった。我々は技師を呼び続けた。ヴァン先生も手を尽くしてくれた。かんばしい結果は得られなかったがね」

「……そして、先生も亡くなった」

「そう、そんな予感もしていた。それはヴァン先生のことだけではない。遅かれ早かれ、こういう日がくることは分かっていたのだ。幸い……というと君は気分を害すだろうが、これは神が我々に与えてくれた最後の機会だと、そう思ったのだ」

「そんな……」

「一方的な話であることは承知の上だ。だが、私達の希望を……どうか受け取ってもらえないだろうか?」

 そう言ってペイは……かつての英雄で、二百歳を越える老人は、深々と頭を下げた。シエルは肯くこともなく、ただ、両の拳を固く握り締める。


 ソレイユは図書館のゲーム部屋……みんな、この部屋をそう呼んでいる……のソファーに座り、クッションを抱き締めて、シエルが来るのを今か今かと待ち侘びていた。ソファーにはテールも腰掛け、『それいけ!』を一人でプレイしている。

 ……ソレイユはゲームで負けることが、こんなに悔しいことだとは思わなかった。エシェックにチェスで負けることはあったけれど、あれはもう、実力が違う。勝てたとしても、手加減してもらったことがすぐに分かった。でも、シエルは今日から始めたばかりの初心者なのに……勝てない。いや、最初は勝てていたし、わざと負けてみせる余裕もあった。だけど、一時間経ち、二時間も経つと……形勢は逆転。凄いと思う反面、堪らなく悔しかった。と同時に、かつてない程の高揚感もあって……そして今、誰かを心待ちにするというのも、不思議と嫌じゃない。だから、扉が開く音を耳にした瞬間、ソレイユの感情が弾けた。ぐるっと後ろを振り返り、口を開く。

「おっそーい! 待ってたんだからね! じゃあ早速――」

 シエルの表情を見て、ソレイユは声を詰まらせた。何かおかしい。どこかつまらなそうなところはいつも通りだけど……その奥に、何か思い詰めたものがあった。そんな表情を見ていると、自分まで不安になって……ソレイユはモニターに向き直る。

「ぺ、ペイのお話、長かったんだね! 私は、その、怒ってないから、全然っ!」

 ――返事は無かった。ソレイユは溜息をついて振り返る。

「……シエル、何があったの?」

「何でもない」

 そんなはずはなかった。ソレイユはテールに顔を向ける。テールは静かに首を振った。……確かなのは、もうゲームをするという雰囲気ではないこと。

「あー……っと、きょ、今日は十分やったよね! だから、続きはまた明日――」

「俺は明日、この町を出る」と、シエル。

「えーっ! な、なんで?」

 ――聞き捨てならなかった。ソレイユはソファーから飛び上がると、シエルの前まで駆け寄り、その顔を見上げた。そこに隠された、見えない答えを探すように。

「……まだ、案内していないところがたくさんあるよ? テールの地下工房……は、あまりお勧めはできないけど、本だってたくさん、ゲームだって……」

 シエルは何も口にしなかった。……何を言っても無駄だということを、その沈黙が何よりも雄弁に物語っている。だからソレイユは、自分を無理矢理にでも納得させるしかなかった。そうでもしなければ、とても、耐えられそうにない。

「そ、そっか、残念! シエルは忙しいもんね! 待っている人がたくさん――」

「そんなわけあるかっ!」

 壁が拳で強く叩かれ、ゲームの箱がカタカタと鳴った。ソレイユはびくっと身を震わせる。急に目頭が熱くなり、溢れる雫を抑えることができなかった。

「あの、私……その、ごめんなさい!」

 ソレイユはシエルの脇を擦り抜け、ゲーム部屋を飛び出す。ソファーに座っていたテールがおもむろに立ち上がり、その後に続いた。去り際に一言。

「君は来ないのか?」

「俺は……」

 シエルは震える拳を見詰めていたが、何度も頭を振って、部屋を後にした。

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