第2話「ビブリオの一日」

「朝活」

 ――ドゴン!

 突然の轟音に、シエルは叩き起こされた。目をぱちくりする間に、さらに轟音は続く。空気が震え、窓や家具も軋んだ音を立てた。シエルはベッドから跳ね起き、メドサンが入った鞄を引っ掴んで肩に提げ、部屋から飛び出す。

「おや、おはようさん。よく眠れたかい?」

 シエルが顔を向けると、廊下にエプロン姿のキュイが立っていた。

「おはようございます……って、この音はなんです?」

「ああ、これかい?」

 ――ドゴン!

 シエルは思わず壁に手を突き、身構える。その一方で、キュイは平然と一言。

「ソレイユだよ」


 ――ターゲット、ロックオン。ソレイユはトリガーを引く。放たれたミサイルは一直線に目標へと飛翔し、着弾。ターゲットの消滅を確認し、ソレイユは頷いた。

 ソレイユはキャノピーのロックを解除し、押し上げる。吹き込む風が心地よい。オートマタを改良したパワードスーツには、空調などという人間に配慮した装置はなく、その内部は常に蒸し風呂状態。ソレイユは搭乗口の縁に両手をかけ、全身を持ち上げるようにして操縦席から抜け出と、パワードスーツの上で足を投げ出し、肩に提げた水筒をひょいと掴み上げ、栓を開けて口に含み、ごくごくと喉を鳴らした。

「ぷふぁ~! 生き返るぅ!」

 ソレイユは水筒から口を離すと、手の甲で口元を拭った。そこで手袋をはめたままであることに気付き、片手が水筒で塞がっているので、白い歯で噛みついて手袋を脱ぎ去る。テールには行儀が悪いとたしなめられているが、ソレイユ自身は「ごーりてき」だと思っていた。水筒を持ち替え、もう片方の手袋を外すと、水筒の残りを飲み干す。その途中、風が強く吹き込み、金髪がなびいた。ソレイユは乾いた風が吹き止むまでの一時を、目を閉じて楽しむ。

 ――大きな欠伸。寝不足気味なのは、昨晩、夜更かしをしたからだ。ソレイユにとっては、生まれて初めての経験である。昨晩の出来事を思い返すと、ついつい頬が緩んでしまうソレイユだった。

 ……シエルはまだ寝てるのかな? テールからもらった「アレ」を、渡さないと。ソレイユは操縦席に頭を突っ込み、手を伸ばして紙袋を取り上げた。ほんの一瞬なのに、熱気で汗が噴き出してくる。ソレイユがシャツの袖口で汗を拭っていると、遠くの方から人影が近づいてきた。ソレイユは大きく手を振って、声を上げる。

「シエルー! おはよーう!」

 向こうも何かを叫んでいるようだが、遠くて聞き取れない。ソレイユはパワードスーツから飛び下りると、シエルに向かって駆け出した。シエルはきょろきょろと辺りを見回していたが、ソレイユが近くに来ると、立ち上る黒煙を指さす。

「おい、これは……朝っぱらから、何の騒ぎだ?」

「何のって、朝活だよ、朝活!」

 ソレイユは事も無げに答える。ビブリオの外れ、西門を出てすぐの一帯は、ソレイユがパワードスーツの運用を学ぶための演習場として利用されていた。演習を町中でやるのは躊躇われたし、第一、そんなスペースは存在しない。ただ、演習場とは名ばかりで、荒野に点々と標的となるオートマタが置かれているだけだった。

 演習に用いられる兵器や標的も、全てテールが地下工房で作り出したである。しかし、テールは標的となるオートマタを操作できないので、ソレイユが自らパワードスーツで標的を配置し、それを遠くから破壊するという一人芝居だった。

 それでも。最初は動かない標的相手に、ミサイル一発を命中させることも一苦労だったソレイユだが、今では遠く離れていても、移動しながらでも標的を仕留める自信があった。…もっとも、相手が動かなければ、という前提が必要だが。

 ソレイユは昨日、初陣を迎えたが、標的のオートマタは一直線に向かってきたので、動いていないも同然だった。一発必中。演習の成果。

「……毎朝、やっているのか?」と、シエル。

「うん! オートマタがいつ攻めてくるか分からないからね! 昨日みたいに」

 何気ない一言に、苦い顔をするシエル。ソレイユは首を傾げ、ぽんと手を叩いた。

「そだ! シエルに見せたいものがあったんだ! ちょっとこっちに来て!」

 手招きしながら走って行くソレイユ。シエルは肩をすくめ、その後に続いた。


 シエルが案内されたのは、小さな倉庫だった。ソレイユが扉を横に引くと、ガラガラと鉄製の扉が開いていく。日差しで内部が明らかになると、シエルはぎょっとして後退あとずさった。――頭部を失った、オートマタの残骸。

「なんで、こんなところに――」

「テールが持って来いっていうから、私が運んだんだよ。色々調べたかったみたい」

「……何か分かったのか?」

「うん。えっと、テールが言うにはね、このオートマタは、自己発電機能を備えていたんだって。えーっとどれだったかなぁ……」

 ソレイユはオートマタの残骸に歩み寄ると、紙袋を脇に置いた。手袋をはめてしゃがみ込み、あれでもない、これでもないと、残骸を漁り始める。やがて、数枚のパネルを探り当てると、シエルに掲げて見せた。黒くて、細長い板。

「これこれ。太陽光発電装置。これが頭とか背中とか、色々なところに入ってたの」

「太陽光って、そんな単純な――」

「単純なものほど効果的なんだって、テールが言ってたよ」

 シエルは閉ざした口をへの字に曲げる。ソレイユはパネルを元に戻し、紙袋を手にして立ち上がった。うんと背伸びをしてから、「こほん」と咳払い。

「偵察用だからすぐに動かなくなるだろうという考えは、改めた方がいいぞ」

「……なんだって?」

「テールからの伝言だよ。シエルに伝えて欲しいって」

「あいつ、何で直接俺に言わないんだ?」

「うーん、何でだろうね?」

 ソレイユは首を傾げ、頬に指を当てる。首を振ったシエルは、オートマタの残骸に背を向け歩き出した。ソレイユは倉庫の戸締まりをして、シエルを追いかける。

「シエル、どこ行くの?」

「いや、別に……」

「そだ、昨日はありがとう!」

 ソレイユはシエルの前に素早く回り込み、頭を下げた。面食らって立ち止まったシエルに、ソレイユは頭を上げて続ける。

「たくさんお話ししてくれたし、眠っちゃった私を、家まで運んでくれたんでしょ? びっくりしたよ、広場にいたと思ったら、ベッドの上で寝てるんだもの。全部夢だったのかと思ったら悲しくなっちゃって、すぐテールに確認したら夢じゃないって、シエルが家まで運んでくれたんだって、毛布までかけてくれたんだって!」

「毛布?」

「シエルって、見た目はちょっとおっかないけど、優しいんだね!」

 満面の笑顔。顔が熱くなり、シエルは思わず視線をそらした。

「あ~! シエル、もしかして照れてる?」

「ば、そんな――」

「あはは、照れてる、照れてる!」

「違うっ! 俺は、ただ……そうだ、礼を言うのは俺の方だって話だ」

「へっ?」

「さっきの……オートマタから俺を助けてくれたの、お前なんだろ? それに、気絶している俺をこの町まで運んでくれたのも」

「ああっ! いや、そ、そんなの、全然! 気にしないで!」

 ソレイユは頭を振り、手も振って答える。シエルはしばし考えた後、頭を下げた。

「……ありがとう。助かった」

「えーっ! いやいやいや、そんな、嫌だなぁ、シエル、そんな頭、下げちゃって。私、別にお礼を言われたいからやったわけじゃないっていうか、でも、お礼を言われるのは嫌な気持ちじゃないっていうか、むしろ、嬉しいっていうか……あれ? 私、何を言ってるんだろう? ……いやー、なんか暑いね! うん、今日は良い天気だ! ほら、太陽があんなに、ね!」

 ソレイユはもじもじしながら早口でまくしたて、空を何度も指さした。その照れっぷりは、見ているシエルも赤面してしまう程である。……やり過ぎだったかな。

 ……気まずい雰囲気。だが、それ吹き飛ばすような光景が、シエルの目の前で繰り広げられようとしていた。「暑い暑い!」と連呼しながら、ソレイユが服を脱ぎ始めたのである。オーバーオールの肩紐をずらして下ろし、シャツの裾を――。

「なんで脱ぐんだよっ!」

 シエルはそう叫ぶと、ソレイユに背中を向けた。

「だって、暑いんだもん! ねぇ、川にいこうよ! 気持ちいいんだから!」

 ソレイユはシエルに駆け寄り、その前に躍り出た……水着姿で。小麦色の肌が映える、白いビキニ。そして、大きめのオーバーオールに隠されていた、線の細さ。強く抱き締めたら、折れてしまいそうな……シエルは首を振り、視線を下げる。裸足に革靴……さすがに、ここから川まで素足でいくつもりはないようだ。

「はい、これ!」

 ソレイユは紙袋を差し出す。シエルは怪訝そうな顔で、紙袋を掴み上げた。

「……これは?」

「水着だって。私、いつもは着てないんだけど、二人とも着ろって、テールが」

 ソレイユは胸元を引っ張って見せる。伸縮性のある生地。目を逸らすシエル。

「俺は水着なんて――」

「あっ、着たくないなら裸でもいいよ! 私もこれ、ちょっと窮屈なんだよね。シエルが着ないなら、私も着なくていいって――」

「着るっ! 着ればいいんだろっ!」

「よーし、じゃあ、早く行こう! あ、服を持ってかないと……」

 ソレイユは脱ぎ散らかした服を拾い集めに戻り、シエルは紙袋の口を開いた。


 川辺に到着したソレイユは、乾いた砂利の上で準備体操を開始。体を前に倒したり、後ろに反らしたり、横に曲げてみたり。だが、泳ぐつもりはなかったので、単なる暇潰しだった。というのも……ソレイユは金髪を掻き上げ、岩場に顔を向ける。

「シエルー! まだー?」

「いや、着替えるには、着替えたんだが……」

 大きな岩の影から、シエルが返答する。ソレイユは両手に腰を当てた。

「じゃあ、何してるの?」

「何というか、これ、裸より……」

「もー、早くー!」

 ……ええい、ままよ。シエルは岩場から姿を現した。大柄な体。筋肉質ではないが、無駄な贅肉もない。いつも全身が作業着で覆われているので、肌も白い。そして、何より目を引くのは……股間の膨らみを申し訳程度に覆っている水着である。シエルはテールのセンスを呪った。ソレイユはシエルの水着を見て、目をぱちくりする。とことこと歩み寄り、無造作に手を伸ばす。シエルは咄嗟とっさに叫んだ。

「じゅ、十八禁っ!」

 ソレイユの手がぴたりと止まる。効果は抜群だ。シエルはソレイユの好奇心旺盛な眼差しから逃れるように、川へ向かって駆け出す。砂利の上は慎重に歩き、やがて足先がくるぶしまで水に浸かると、シエルは身震いした。そのまま、二歩、三歩と歩みを進め、膝下したまで浸かったところで、足を止める。緩やかな、川の流れ。

 ……思ったより深いな。シエルは腰を曲げ、川面かわもを眺めた。透明度が高く、底まではっきりと見通すことができる。シエルは川の水を手の平で掬い、その感触を楽しんだ。シエルは濡れた手の平を振るうと、体を起こし、川上かわかみに目を向ける。

 川は木々の間から姿を現し、緩やかなカーブを描いている。その源では浄水されたダムの水が汲み上げられ、噴き出していることだろう。そして、流れた水は再び浄水され……何度も利用されているはずだ。だが、それらを知っているシエルにとっても、この光景は自然で、心が和む。川面の上をきらきらと、光が滑っていた。

 シエルが川下かわしもに目を向けると、橋が見えた。釣りをしている老人がいる。この川には魚がいるのだ。シエル自身も昨晩、それを味わったばかりである。……ガルディアン様々だと、シエルは目を閉じて、せせらぎに耳を澄ませた。

「シエル!」

 ――パシャ。シエルは振り返った途端、全身に水を浴びた。シエルが目を開けると、ソレイユが両手を上げた、不思議なポーズで固まっている。シエルは自分の置かれた状況を理解すると、腰を屈めた。川に両手を突っ込み、ありったけの水を掬い上げると、ソレイユに向かって放り投げる。水は綺麗な放物線を描き……パシャ。

「きゃっ! ……やったなー!」

 ソレイユは濡れた頭をぷるぷる振って、負けじと水を放り投げる。パシャ。シエルも応戦。パシャ。ソレイユも。パシャ。シエルも。パシャ。パシャ。パシャ。

 そんな二人の戦いを、テールは遠目で眺めていた。岩場の上で、膝を抱えて。

「青春、だな」

 テールは立ち上がると、岩場に置かれたタオルの束を抱え上げた。

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