第4話「太陽と空と大地と」

「希望」

「……おかしいなぁ」

 朝の配達を終えた帰り道。からになった台車を押す手を休めて、ソレイユは呟いた。顔上げ、空を眩しそうに見上げた。その隣で、シエルもつられて顔を上げる。シエルは図書館で読書をするようになってからも、たまにはソレイユの配達に付き合っていた。運動不足解消、そして住人達との語らいのために。

「良い天気じゃないか」

 シエルは首を傾げる。雲一つない青空。

「雨が全然降らないんだよね。土も乾いちゃってるし……」

 ソレイユは視線を地面に向けた。足下の土はカラカラに乾ききっている。植え込みの草木も色褪せており、茶色く枯れかかっているものまであった。小川に目を転じると、水位が下がっている……ような気がする。シエルは周囲を見渡し、肯いた。

「天気が良すぎる……のか」

「タンの天気予報も、ずーっと晴れだしね」

 そういえば……シエルは晴れ以外の予報を聞いた記憶がなかった。それどころが、この町に来てから一度も雨を見ていない。シエルは胸騒ぎがした。

「……テールに雨を降らすように言った方がいいな」

「わかった」

 シエルが目を向けると、テールが立っていた。そして、すぐに返答。

「駄目だった」

「何が?」

「天候制御装置が故障したようだ」

 なるほど、どうりで……と、頷きかけたシエルの顔面が蒼白になる。シエルは肩に提げた鞄から、メドサンとケーブルを取り出した。メドサンを地面に置き、起動を待つ間も惜しんでケーブルを接続。テールの首筋にも端子を挿入し、その場に座り込んでキーボードを叩き始めた。ソレイユは膝に手を当て、シエルを見下ろす。

「シエル、どうしたの?」

 シエルは答えない。やがて弾き出された結果は、テールの言葉通りだった。天候制御装置の故障。シエルはしばらく画面を見つめていたが、がっくりと項垂れ、文字通り、頭を抱えた。事情が飲み込めないソレイユは、きょとんとしている。

「それって、大変なことなの?」

「大変も何も、致命的すぎる。でもなんで、どうして……」

「予測はあくまで予測だからな。総合的な判断にしか過ぎない。不思議ではないさ」

 シエルの嘆きにテールは淡々と答える。シエルは髪の毛を両手でかき混ぜた。

「それにしたって、よりにもよって……」

「シエル?」と、ソレイユは問いかける。

「……早い話が、雨を降らせることができないってことだ」

「雨って、テールが降らせてたの?」

 ソレイユはテールに顔を向ける。テールはこっくりと頷いた。

「この地域は自然に雨が降るような場所ではないからな。海も遠く離れている」

「へぇー、そうだったんだ! それじゃ、なんというか、その、大変だねぇ」

 ソレイユの素直な感想が、むなしく響いた。シエルは深々と溜息をつく。

「ああ、大変だ。十年どころか、一年、いや、一ヶ月も持たないとはな……」

「何が原因なの?」

「……そうだ。原因は何なんだ? ちょっと待ってろ、今調べて――」

「シエル、落ち着け。場所を変えよう。長くなりそうだからな」

 シエルは手を止めテールに頷くと、メドサンを抱えて立ち上がった。


 ソレイユは台車を押して食堂へと向かい、シエルとテールは図書館へと向かった。シエルはメドサンを抱えたまま、テールはメドサンとケーブルで繋がれたまま。

 図書館に到着すると、シエルはメドサンをテーブルに置いて椅子に座り、故障の原因を調べ始めた。テールも椅子に座り、メドサンに向かうシエルを見守る。

 天候制御装置が故障した。それはもう分かっている。「修理不能」。それも分かっている。今知りたいのは、なぜ故障したかということで、それを知ったところでどうにかなるというものでもないことも分かっていた。だが、大事なのは調べることができるということで、できることがあるなら、やるしかない。

 シエルはキーボードを叩き続ける。シエルがその原因にいきついたのは、ソレイユが図書館にやってきてからだった。単純かつ、致命的な原因。

「……基板が壊れたみたいだな」

「きばん?」と、ソレイユ。

「天候制御装置を制御する……人間で言えば、脳というか、心臓というか……」

「うーん、よく分からないけど、大切な部品が壊れたってこと?」

「まぁ、そうだな」

「修理はできないの?」

「これも何と言えばいいのか……なぁ、テール?」

 シエルはテールに話を振った。に、動揺していたのである。

「基板の修理はできない。だが、交換すれば天候制御装置を直すことができる」

 ――そう、直すことができるのだ。もちろん、交換用の基板を用意する方法など、シエルには想像もつかない。だが、基板さえあれば、自分でもガルディアンを修理することができる……その事実が、嬉しかった。例え、その可能性がゼロに近くても。

「じゃあ、テールの地下工房で新しい基板を作ろうよ! 何でも作れるんでしょ?」

「残念ながら、何事にも例外があるのだよ」と、テール。

 基板を始め、ガルディアンに関わる全ての部品を作製する技術と施設を保有しているのは、アヴニールだけである。日用品からオートマタまで、資源があれば何でも作れるガルディアンでも、自分の一部である基板は作れなかった。単純に考えれば欠陥だが、それがを持って課せられている制約であるとすれば、話は別である。つまり、アヴニールなしではガルディアンは成り立たないという構図……それは公言こそされていないが、周知の事実であった。テールはそこに触れることなく、単純に、アヴニールでなければ基板を作ることが出来ないのだと、ソレイユに告げた。

「じゃあ、アヴニールまで取りに行けばいいんじゃない?」

 ソレイユの素朴な提案を聞いて、シエルは天井を見上げた。

「……どこにあるか分かれば、な」

「分からないの?」

「目星はついている」

「なんだ、それなら大丈夫だね! どこにあるの?」

 シエルは天井を指さした。ソレイユも顔を上げ、ポンッと手を打った。

「分かった! 空にあるんだ!」

「もっと上だ」

「もっと?」

「宇宙だよ」

「……何でそんな遠くまで行っちゃったの?」

「何でって……」

 シエルが返答に困っていると、テールが助け船を出した。

「星間移民船アヴニール。つまり、アヴニールは宇宙船なのだよ。百年前、人類がこの惑星に降り立つまでは、そこが世界の全てだった」

「へぇー……ここから呼び出したりできないの?」

「出来るかどうかといえば出来るが、可能かどうかといえば可能ではない。それに、接触する事ができたとしても、基板をこころよく譲ってくれる事はないだろう」

「なんだぁ、アヴニールって、ケチなんだね」

「そうだな」

 ソレイユは不満そうに頬を膨らませ、テールは頷く。シエルは二人のやり取りを眺めながら、ソレイユがすっかり忘れてしまっているであろう言葉を、ぐっと飲み込んだ。アヴニールは、この世界を見捨てた可能性が高いということを。

 ……だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

「何か手はないものなのか……」

 腕を組んで考え込むシエル。基板。ガルディアンの基板。アヴニールで作られた基板。そういえば……と、シエルはメドサンの画面をまじまじと見つめる。これも、アヴニール産の機械だった。もし壊れてしまったとしたら――。

「諦めないのか?」

 不意に話しかけられ、シエルはテールに顔を向けた。テールは言葉を続ける。

「以前の君なら、もう諦めているのではないかと思ってね」

「諦められるわけないだろう? 状況が状況だ。水がなければ、生きていけない」

 それに、可能性はある。基板さえあればいいのだ。それさえあれば、自分でもガルディアンを修理できる。修理できなければ、終わりだ。人間は水がなければ生きていけない。ビブリオは滅ぶしかない……そんな結末は、嫌だった。

 さらに考え込むシエル。ソレイユも腕を組み、首を傾げる。――長い沈黙。

「ねぇ、どこかでこっそり、基板を作っている町とかないのかな?」

 ……堂々巡りだが、シエルにはソレイユの気持ちが分からないでもなかった。理不尽だと感じているに違いない。自分だってそうだからだ。それでも……。

「だから基板を作る技術は、アヴニールの専売特許で――」 

「作っている町はある。正しくは、作っていた、と言うべきかもしれんが」

 テールに言葉を遮られたシエルは、思わず首を振った。

「そんな馬鹿な……」

「可能性はある。というより、そうでなければ戦争など起こらんよ」

「……どういうことだ?」

「君も知っての通り、ガルディアンはこの星で人類が生きていくためには欠かせない存在だ。そして、それを本当の意味で管理しているのは、アヴニールに他ならない。これは、この惑星に平和をもたらすためのシステムなのだ。アヴニールが全てのガルディアンの生殺与奪の権利を握っている限り、戦争など起こるはずがない。そんな危険な町があれば、ガルディアンの機能を停止してしまえばいいだけの話だからな」

「……随分と、乱暴な話だな」

「人類は長い歴史の中で、一大統一国家の形成が不可能である事を、身を持って学んだ。多種多様な人種、文明、言語……それらを統一するなど、はなから無理な話だったのだ。結果として、町という小規模な単位での統治が、最も安定する事が分かった。まぁ、本当に安定するのは移民船という閉鎖空間ではあるのだが……ここではミッドガルに話を絞ろう。この惑星に降り立った人々がまず行ったのは、ガルディアンを中核とした町作りだ。町は一つの世界とでもいうべき物だからな、人々は理想の町で暮らすことが出来た。例外はあるものの、町は完全に独立していたから、もし何かが起こっても、その影響は町単位で済む。実に合理的だ」

「それでも、戦争が起きたぞ?」

「その理由を推測するのは簡単だ。アヴニールに依らず、ガルディアンを維持できる目処が立ったからだろう。そうでなければ、戦争をするまでもなく滅ぼされるよ」

「……独自のガルディアンを作ったのか?」

「その可能性もあるが、大方、技術の流出だろうな。門外不出のアヴニールの技術とはいえ、それを管理しているのは人間だ。技術、あるいは技術者を自国に引き入れる事が出来れば、アヴニールから独立することも出来る……勝算があったのだろう」

「アヴニールからの独立、か。それだけなら、何も問題が無いような気がするな。アヴニールの管理下にある状態の方が、よっぽど問題じゃないか?」

「アヴニールはガルディアンの管理者ではあるが、支配者ではない。立場はあくまで中立だ。余程の事がない限り、惑星のまつりごといさかいに口を出す事はない。つまり、余程の事が無い限り、町はアヴニールから独立する必要が無いのだよ」

「余程の事……それが、戦争か」

「そうだ。嘆かわしい事だが、何時いつの世も支配欲に囚われる権力者という者は必ず現れる。それがまさに、アヴニールがガルディアンを管理している理由の一つでもある。自分の町だけでは満足できず、全ての町を支配しようと欲する。なぜ支配するかといえば、支配したいから……何とも、非合理的な話だがな」

「……そうだな」

「だが、戦争は起こった。そして断言はできないが、終わったと言っていいだろう。これも簡単な推測だが……単に、見通しが甘かったのだろうな。技術が不完全だったのか、内乱でも起きたのか……いずれにせよ、現状はもはや戦争と呼べるようなものではない。アヴニールは全ての町との通信を遮断し、沈黙した。世界には人類を刈り取る事のみを目的としたオートマタが溢れ、ガルディアンは次々と故障していく……そんな不毛な時代となったわけだ」

「……なぁテール。アヴニールはどうして無関係な町との通信まで遮断したんだ?」

「それも簡単だ。無関係じゃないからだよ」

「えっ……」

「それとも、無関係だからと言うべきかな。アヴニールは星間移民船だが、全ての人間がこのミッドガルの地に降り立ったわけではない。技術者はもちろん、惑星での生活を望まない人間達は、今もなおアヴニールで暮らしている。の者達にとっては、惑星で暮らそうという時代遅れの人間は、全て等しく『地球人』なのだよ。だから、今回の戦争にしても彼の者達にとっては『地球人』が起こした出来事として認識されている可能性が高い。もちろん、アヴニールに暮らす全ての人間がそのように考えているわけではないだろう。そうでなければ、ガルディアンの管理など、煩わしいだけだからな。だが、今回の戦争を受けて、アヴニールの情勢も大きく変わったはずだ。『地球人』にとっては、余り愉快とはいえない方向にな」

「……それは何とも途方もない、夢のない話だな」

「そう言うな。私の話は全て推測に過ぎん。君に問われたから、自分の考えを述べただけだ。率直にな。だが、確信もある。私もかつてアヴニールにあった。私だけじゃない。ミッドガルに暮らす『地球人』もまた、アヴニールの子なのだから」

 シエルは黙り込んだ。まさかこんな話になるとは。知りたかったこと以上に、知りたくもなかった現実を突きつけられる……やぶ蛇とは、まさにこのことだろう。

 重苦しい雰囲気を破ったのは、「ちょっといい?」というソレイユの一言だった。

「私、二人の難しい話はよくわからなかったんだけど……」

 ソレイユはシエルとテールの顔を交互に見比べ、くいっと首を傾けた。

「戦争をしてた町なら、ガルディアンの基板を作れたかも……ってこと?」

 シエルは手を打ち鳴らした。そう、その通りだ! テールも肯定する。

「うん。戦争を起こした町や征服された町、あるいは同盟の町……そうした町なら、ガルディアンの基板を生産していた可能性は高い。本来はガルディアンごとに専用の基板が必要になるのだが、恐らく地上産の基板は汎用タイプだろう。オリジナルとどの程度の性能差があるかは分からないが、壊れているよりはましだ」

「じゃあ、その町にお願いすれば――」

「駄目だ!」

 シエルは思わず立ち上がった。確かに希望のある話だ。だけど……シエルはテールを一瞥。テールが肯くのを見て、シエルはソレイユに向かって口を開いた。

「問題はざっと考えて三つ。まず、そんな町がどこにあるか分からないのが一つ。次に、場所が分かったとして、気前よく基板を譲ってくれるか分からないのが一つ。最後に、町がオートマタに滅ぼされているかもしれないことが一つだ」

「……そっか、それなら基板を譲って貰えないもんね」

「いや、町が滅んでいた場合、むしろ基板の確保は簡単だと思う。地下工房、あるいはガルディアンから直接、拝借すればいいんだからな」

「拝借って、盗んじゃうの?」

「ま、まぁ、その、そういうことに……なるな。ただ、使われないで朽ちていくぐらいなら、必要としているところで使った方がいい……と思う」

 不謹慎な話ではあるが、こちらも生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。とてもそうだとは思えなくても、刻一刻、ダムの水は干上がっていくのだ……確実に。

「……うん、そうだよね。『きんきゅうじたい』なんだし。だったら――」

「ただ、滅ぼされた町はオートマタの拠点になっている可能性が高い。俺は見たことがあるんだ。ガルディアンが、オートマタの生産工場と化している姿を」

 ――おぞましい光景だった。銀色のオートマタが町中に溢れ、うごめいている……まるで、一つの生き物のように。双眼鏡越しにそれを目撃したシエルは、一目散にバイクでその場を離れたのだが……ずっと震えが止まらなかった。あんな思いは一度で十分、二度と味わいたくなかったし、誰にも味合わせたくもない。

「でも、それしか方法がないんでしょ?」

 ソレイユにそう言われて、シエルは言葉に詰まった。

「それはまぁ、そうだが……不確定要素――」

「ふかくてーよーそって、やってみなくちゃ分からないってことだよね? それならさ、とりあえずやってみようよ! だって、基板が手に入らなかったら、みーんな干涸らびちゃうんでしょ? そんなの、私、嫌だもん! だからさ、まずは基板を作っていそうな町がビブリオの近くにあるか、探してみようよ! もし見つからなかったら……うん、それからまた一緒に考えよう! ね?」

 腕組みするシエル。状況は全く変わらないのに、ソレイユの話を聞いていると、何とかなるような気がしてくるのが不思議だった。やってみなくちゃ分からない、か。

「……そうだな。テール、基板を作っていた可能性のある町を――」

「すでに検討済みだ。候補をメドサンに転送するから、確認してくれ」

「……早いな」

 シエルはメドサンに目を向け、ソレイユも画面を見ようと駆け寄ってくる。

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