「晩餐」
「最善を尽くしましたが……」
ペイの寝室。シエルは訪れる町の先々で何度も口にしてきた言葉を、ここビブリオでも口にすることになった。相手が宇宙軍の英雄であっても、言うべきことは何も変わらない。部屋を退出してから、まだ一時間も経っていない……
「ありがとう」
シエルはしばしぽかんとし、慌てて首を振った。
「礼なんて言わないで下さい。俺は……何もできなかった」
「君は君のできることをやったのだろう? それが、私達の望みだ」
「それは、皮肉ですか?」
「そうではない……といっても、君は納得できないだろうがね」
できる訳がない。自分にできることは、ただメドサンの指示に従って、ガルディアンの状態を確認することだけだ。その結果、修理が可能ならメドサンの指示に従って……これは誰にでもできることだけれど……修理をする。メドサンがお手上げなら、そこで終わりだ。「真の技師」はメドサンであり、自分はそのサポート役に過ぎない。技師と名乗る自分が、実はその程度の存在であることは、誰でもすぐ分かることだ。それでも、技師ならなんとかしてくれる……ガルディアンの故障という現実を前にした人間は、それがどんなに頼りなくても、すがらずにはいられなかったのだろう。ガルディアンが治らなければ、その先に待つ未来は……ただ一つ。
「……では、行きます」と、シエルは椅子から立ち上がった。
「もう、町を出るのかね?」
「ええ。俺の仕事は、終わりましたから」
「そう急ぐこともあるまい。今夜はご馳走だと、キュイも張り切っていたぞ?」
「技師を待っているのは、この町だけではないですから」
嘘ではない。事実、シエルのメドサンには、修理を求める悲痛な声が、毎日のように届けられていた。それも、世界中から。
「それは
それも事実だった。自分のような「流浪の技師」が何人いるのかは分からないが、この世界にたった一人……というほどのものではない。また、町からの救援要請は、技師個人に宛てられるものではなかった。世界のどこにいるとも知れぬ技師達へと送られる、無差別な救援要請……だが、例外もある。
「それでも、私は君を呼んだ」
――そう。メドサンのアドレスさえ知っていれば、直接救援要請を出せるのだ。
「呼ばれたのは先生でしょう? 俺ではない」
「そうだ。ただ、先生を呼べば君も来るだろうと思ってね」
「どういうことです?」
「会いたかったのだよ。旧友とその孫に会いたいと願うのは、自然なことだと思うがね。町と町とが、人と人とが離れてしまった今となっては、なおさらだ」
「……ガルディアンの修理は口実だった、ということですか?」
「君が納得できるなら、それでも構わんよ。ともあれ、バイクなしで荒野を越えることは自殺行為だと、付け加えさせてもらおう」
「何を――」
「先刻、ガラから報告があった。君のバイクは老朽化が深刻でね、徹底したオーバーホールが必要だそうだ。実際、ここまでこれたのが奇跡だと驚いていたよ」
「……それは、本当ですか?」
「私はガラを信頼している。そして正直に言えば、それが君をこの町に滞在させる口実になることを、喜んでもいるよ」
シエルはじっとペイを見返し……溜息をついた。ペイは肯いて一言。
「今夜は楽しい晩餐になりそうだ」
シエルは客室で横になっていた。長旅の疲れが出たのか、すぐ深い眠りに落ち、日が暮れて、キュイが呼びに来るまで、シエルが目を覚ますことはなかった。
シエルはキュイに案内され、食堂へと入る。暖かみのある照明。広々とした空間に長机と椅子が均等に並んでいる。天井は高く、シーリングファンが回っていた。
――胃袋を刺激する、香ばしい香り。厨房にほど近いテーブルを中心に、大皿に載った料理が次々と運ばれていた。それらの料理を運んでいる、あるいは、席に着いているのは老人ばかりで、そこには金髪の少女の姿も、銀髪の少女の姿もない。
キュイがシエルの来訪を告げると、十人程の老人達が一斉に振り返った。シエルはたじろいだが、老人達の表情は一様に穏やかで、緊張はすぐに解けた。
シエルが席に着くと、食事前のお祈りもそこそこに、次から次へと料理が並べられ、シエルは勧められるまま、それらを頬張った。それを見守る老人達……シエルは熱々の野菜スープを木製のスプーンで口に運ぶ手を止め、老人達を見渡す。
「……皆さんは、召し上がらないんですか?」
一様に頷く老人達。シエルはスプーンを口に含み、スープをごくりと飲み下した。感嘆する老人達。シエルはスプーンを皿に戻し、溜め息をついた。そんなシエルを見かねて、キュイが笑いながら助け船を出す。
「爺さん、婆さん達はさ、もう食い終わってるんだよ。あんたが寝ている間にね」
「じゃあ、このたくさんの料理は――」
「もちろん、全部あんたの分さ。さぁ、じゃんじゃん食べとくれ!」
シエルは唖然とした。炒め物、揚げ物、煮物、汁物、漬け物……大皿に盛られた多種多様な肉、魚、豆、野菜、麺料理の数々は、とても一人で食べ切れる量ではない。だが、厨房に立つキュイは、包丁や鍋を振るうその手を休めることはなかった。シエルは覚悟を決め、それらの料理を平らげにかかった……が、あえなく撃沈。フォークとナイフを皿の上に置き、ぱんぱんに膨れたお腹を擦った。拍手を送る老人達。
「こんなに食べてくれると、作った甲斐があったてもんだね」
キュイも目を丸くして、うんうんと何度も頷いた。
「でも、まだ……」
「ん? ああ、ちゃんと保存しておくから大丈夫さ。全部食べろだなんて無茶は言わないよ。軽く十人前はあるからね。まさか、全部食べるつもりだったのかい?」
……そういう大事なことは、もっと早く言って欲しかったな。そう思いつつ、シエルはキュイが注いでくれた冷水を口に運ぶ。一息ついてグラスをテーブルの上に戻すと、周囲の老人達がぐっと身を乗り出し、シエルに詰め寄った。
「美味かったろう? キュイの料理の腕前は最高だからな!」「魚は夕方、儂が釣ったばかりじゃから、鮮度が違うじゃろう?」「あら、鮮度なら私の野菜達も負けてないわよ?」「肉も潰したてじゃ。感謝を。命の恵みへの感謝を、忘れずにな」「君、チェスはできるのかね?」「……食後は寝るに限る」「いや、夜のビブリオを散歩するのも、乙なものだぞ?」「ほら、今流れている曲……素敵だろう? 私が作曲した、食後のバラードだよ」「お兄さん、これ、この新作レースの柄、どう思う?」「明日の天気は……晴れじゃ!」
口々に話しかけられ、シエルの視線はきょろきょろと、老人達を行き交う。
「こら! いい年した爺さん、婆さんががっつくんじゃないよ! 順番、順番!」
キュイが鍋をお玉で打ち鳴らし、整列させる。シエルは一列に並んだ老人達一人一人から声をかけられた。その内容は、どれも他愛のないものばかり。だが、それを口にする老人達の瞳は、まるで子供のようにキラキラと輝いていた。
やがて、老人達の全員と話し終え、解放されたシエルは、椅子の背もたれに身を預け、高い天井を仰ぎ見ていた。天窓越しに、大きな月が見える。
「何なんだ、一体……」
「皆、飢えているのだよ。他者というものにな。何せ、八年振りのお客様だ」
シエルが顔を向けると、そこにはテールが立っていた。
「……お前、何しに来たんだ? 食堂に来たって、何も食べられないだろう?」
「私が何処に行くかは、私の勝手だ。それに、私だって水ぐらい飲めるさ」
テールは手近なグラスに手に取ると、「それは俺の……」とシエルが止める間もなく、水をごくごくと飲み干した。テールは「ふぅ」と一息ついてグラスを戻し、ポケットから取り出した白いハンカチで、口元を拭う。
「ペイからの伝言だ。晩餐に顔を出せず申し訳なかった、とね」
「……具合が悪いのか?」
「問題ない。老いは病ではないからな。彼は少々、年を取り過ぎてはいるがね」
二百年、か。シエルはペイの積み重ねた年月を思った。
「どうやら、君と話をした事で気持ちが若返ったらしい。体はついて来れなかったようだがね。強引に引き留めたのにと、気に病んでいる様子だったよ」
「別に、気にすることじゃない」
「それは本人に言ってやってくれ。今はもう寝ているがな」
シエルは頷いた。そして水を飲もうとグラスに手を伸ばし、それが空だと気付く。すると、テールがひょいとグラスを手に取って、ポットから水を注ぎ、シエルに返した。シエルはグラスを受け取り、口に運ぶ……冷たくて、美味しい。
「シエル! 食後の腹ごなしもかねて、ちょっと頼まれてくれないか?」
威勢よく呼びかけられ、シエルが振り返ると、キュイが歩み寄ってくるところだった。その手には、大きなバスケットを提げている。
「これをね、ソレイユに届けて欲しいんだよ」
「俺が……?」
バスケットとキュイの顔を見比べるシエル。キュイは大きく頷いた。
「キュイ、俺が持ってくよ。客人にそんな――」
「あんたは黙ってな!」
一喝されたガラは、すごすごと引き返していく。「おお、怖っ」と呟きながら。
「なぁ、頼むよ」
ずいと突き出されるバスケット。シエルはこくりと頷き、それを受け取った。
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