吸精30秒

 マヒナが仁王におう立ちで、薄い胸をそらし、勝ち名乗りを上げていた。

「ま~っはっは! どうだ、参ったか! 私に勝負を挑んだのが運の尽きよ! 我がイサク家は性魔せいまの血にて、その祖は大淫婦だいいんぷリリガンに通じ、月に千、年には万の男をらいし名家! 聖騎士ごとき、私の敵では──」


 それを見ていたら何だか無性に──


「い、痛っ! なっ、なにをなさいます、陛下!?」

 ついつい、後頭部から拳固ゲンコで1発入れてしまった。


「あんたねぇ、子供たちの前で、なんてことするんですか」

 マヒナはたっぷり30秒は騎士のくちびるを吸っていただろうか。あんな破廉恥はれんちなモンを子供たちに見せるわけにも行かず、全身でガードはしたのだが……、ちゅううう~っという音がたっぷり30秒間、大広間に響き渡り続けていたのである。


 幸四郎こうしろうはまだよく分かってないから「マヒナのヘンタイ~!」とはやし立てているが、氷燦名ひさなのほうはちょっと顔が赤い。


 一方、マヒナに口内を蹂躙じゅうりんされた騎士はというと、よよよ、と泣き崩れて、その場にへたり込んでいる。


「あ、あのぉ~、だ、大丈夫ですか?」

 オレが尋ねると、なぜかマヒナが得意げに答えた。

「陛下! ご心配には及びませぬ! 我が吸精きゅうせいの力にて、そこな聖騎士は力を吸いつくされ、もはや戦う力など残ってはおりますまい!」


 すると、はらはらと泣きはらしていた騎士が、

「違う……」

 と呟く。


 オレは騎士の傍らにしゃがみ、手を差し伸べた。

「違う? どう違うのですか?」

 騎士は、よく見ればまだ幼い──15~6歳ほどだろう。

 鎧でよく見えなかったが、その四肢や首筋は思いのほか華奢きゃしゃで、まだ育ち切っていないという印象を受ける。優しそうな目を真っ赤にして、オレのほうを睨みつけていた。


 オレの差し伸べた手を払い、騎士が話しはじめる。

「……お前だって、知ってるだろう? ボクら、聖騎士は、神との契約によって戦う力を得るんだ。日々の祈りを欠かさないだとか、毎年10人の異教者を改宗させるだとか。そうした契約をまっとうすることで、神は、お前ら魔族とも対等に戦いうる力を与えてくださる」


「ほほう。それが、マヒナの吸精きゅうせいと何か関係が?」

「うっ……」

 すると、騎士は何か言いにくいことでも言うように言葉を詰まらせた。


「あぁ、何か、秘密に関わることなのでしたら、無理にはお聞きしませんが」


「いや、その……、ボクが神に誓ったのは……、つまり、“女断ち”だったんだよ。おっ、女なんて、あんなふしだらな……。ちょ、ちょっと村に若い男が少ないからって、さ、散々もてあそびやがって。ね、姉ちゃんたちだって、ま、毎日のように、裸で──。だ、だから聖騎士になって、女に惑わされない清廉せいれんな日々を送ろうと、そう固く誓っていたのに」


 なんとなく、話が見えてきた。

「じゃ、もしかして、さっきのあれで?」

「ああ。さっきの、──せ、接吻せっぷんのおかげで、ボクにはもう聖騎士としての力は残っていない」


 すると、なぜかマヒナが焦ったように話に割り込んでくる。

「へ、陛下! お聞きください! 吸精きゅうせいの力にあらずとも、結果的に、私が初めての実戦にて聖騎士を1人無力化したことを、どうか、お心にお留めいただきたく……!」


 騎士も負けじと声を張り上げた。

「ハン! 性魔なぞ、本来ならば聖騎士の足元にも及ばぬ下級の魔族。確かにボクは未熟だったが、一人前の聖騎士なら、お前なんかに負けやしない。だからこそ、色香いろかまどわすなんて小癪こしゃくな手段を使うんだろう? ──もっとも、その胸じゃ、お前なんて性魔としても半人前だろうがな!」


「な、なにを言う! こ、こういう需要もあるのだっ!」

 その言葉とは裏腹に、マヒナが二の腕で、さりげなく胸を寄せて大きくしているのをオレは見逃さなかった。


 そのやりとりを見ていたら、

「はぁ──」

 っと、思わず、深々とため息が口をついて出る。


「あの、騎士さん? なんとお呼びすれば良いでしょうか」

「……キースペリ」

「では、キースペリさん。今回は不幸な行き違いでこのようなことになってしまいましたが、こちらとしましては、あなたの国と戦いを起こすつもりなどなく、平和に事を運びたいと思っております。お城の塔を壊してしまったのは謝ります。あれは、不幸な事故でして。なので、その旨を、帰ってお伝えいただけないかと──」


「へ、陛下! 魔族の王たるお方が、何たる弱腰! 聖王国のやつらなど、皆殺しにしてしまえばよいのです!」

 オレが話しているのに、またもマヒナが話に割り込んでややこしくする。


「……あの、色々言いたいことはありますけど、とりあえず、その“陛下”っての、やめてもらえますか」

「何を仰います。このマヒナ、そして、全魔族にとって、その身と忠誠を捧ぐべき魔王陛下はただおひとり。貴人を直接呼ばわるははばかられ、そのお足元、至尊しそんの玉座へと続くきざはしの下ですらとうといのでございます」


 ──この言葉、ちょっと気になった。さっきは、「伊坂いさかは古語で平和の破壊者の意味」とか言っていたのに。“陛下”という言葉の成り立ちは日本語と同じらしい。単なる偶然か、それとも何か関係があるのか。よく分からん世界である。


「じゃ、とりあえず、オレはマヒナさんの上司で、マヒナさんはオレの部下ってことで、それでいいんだな?」

「む、無論にございます! そのように仰っていただけるなど、このマヒナ、光栄の至り──」


 っと、その言葉をさえぎり、

「よォシ、分かった! マヒナ! まず、お前は子供たちの前で、さっきの吸精きゅうせいってのは禁止だ。2度と使うな。それから、オレがしゃべっている時に口を挟むな。この警告、2度はないと思え」

 そう、宣言する。

 社会人として、初対面の人に失礼があってはいけないと、さっきからそのように対応していたが──、部下となれば話は別だ。

「!」

 つい、今までの鬱憤うっぷんが漏れたせいか、マヒナは硬直してしまった。いかんいかん。まだまだオレも人としての修行が足りんらしい。


 かしこまってしまったマヒナを尻目に、キースペリと名乗った若年の騎士に向き直ると、キースペリはがくがく震え、こちらをおびえたように見上げていた。

「ま、魔族の王──ま、魔王が降臨したというのか……。さ、先ほどの閃光も、あれは、キ、キサマの仕業だと……? あ、あれほどまでの力、見たことも──」


「あ、あぁ、いや、キースペリさん。我々は決して、いくさを望んでいるわけではなくてですね。平和が維持できるのであれば、そのほうがこちらとしても──」

 なんとか説得しようと、務めて優しく話しかける。

 だが、キースペリはオレの言葉など聞こえていないように叫んだ。


「フ、フハハ! ボクが力を失ったのも、何かの導きだったのかもな! これで、王都の大聖堂に並ぶ、ボクの契約のが消えた。ボクがこの辺りを巡検しているのは信仰と平和の守護者たる聖爵せいしゃく騎士の方々もご存じだ! 異変を察知して、すぐさま兵を差し向けてくるぞ。なんたって、そっちから先に手を出したんだからな!」


「んんっ、ちょ、ちょっとそれはマズいと言いますかですね。上司のかたにご連絡いただいて、お取次ぎいただけないかと思うのですが」

「もう遅い! 今日よりお前らに、安寧あんねいの日はないものと思え!」


 それから、キースペリは剣を杖にしてよろよろと立ちあがり、その剣を肩に乗せて構えた。

「ボクだって聖騎士だ! 例え、この身が果てようとも、魔族には屈せぬ! 魔王に一矢報い、そして死んでいくのも一興! 我が最期の一撃、受けてみよ──ッ!」


 っと。

 剣が重いのか、全身を使ってよいっしょっと剣を持ち上げ、へろへろ~っと剣が振り下ろされる。こんなもん、避けてしまえばそれで済むのだが──


 どかん!

 と、大きな音がして、目を開けると、騎士の鎧に大穴が開いていた。


「父ちゃん! こいつてきだな?! おれがたすける!」

 ──ああ、幸四郎。お前もか。

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