フォトニック・アローと、飴舐めた

 れた樹がまばらに生えているものの、動くものひとつない乾いた岩の地面が、雲海うんかいに浮かぶ島のように、ぽっかりと突き出している。

 島の大きさは東京ドーム1つ……いや、1つ半ほどか?


「ねぇ……、これ、なんかのゲーム? イベント的なやつ?」


 氷燦名ひさながうんざりしたように尋ねる。

 確かにこの状況、最近よく見るリアル脱出ゲームやLARPのようなイベントだと、思えなくもないのだが──、


「いや、オレにも分からん。何かに申し込んだわけでもない」


「はぁ?! ちょっと、お芝居ならやめてよ?」


「芝居じゃない。……オレだって、なんでこんなところにいるのか、さっぱり分からんのだ」


「もう! 今日のキャンプ、楽しみにしてたのに……どうすんの」


 おっほ。

 氷燦名が今日のキャンプを楽しみにしていたと聞いて、ちょっと嬉しくなっちまう父ちゃんである。


「なにニヤニヤしてんの! これからどうすんのって言ってんの! 3DSだって車に置いてきちゃったのに!」


 むぅ。

 いかんいかん。顔に出ていたか。


「しかしなぁ、ここがどこか分からんことには、どうしようも……」


 オレが渋面を作って考えこんでいると、何やら視界の端でピシュンピシュンと光るのが見えた。


 ふと、視線を落とすと、幸四郎こうしろうが足元に駆け寄ってきて、ズボンを引いている。


「なぁなぁ、父ちゃん父ちゃん! 見てー!」


「おう、どした、コーシ?」


「あんなあんな、おれなー、これ、見てて!」


 ズボンをつかんでいた手を放すやいなや、幸四郎はその場でくるっと1回転を……、


「!?」


 幸四郎の体がぐにゃりと蝋細工ろうざいくのように溶けた。SF映画に出てくるような人型の金色の発光体となり、その体がゆっくりと縦にのびる。


 ──瞬間、幸四郎の姿はかき消えていた。と、頭上から声が聞こえる。


「父ちゃん、ここ、ここ!」


 幸四郎が、宙に浮いていた。


「お、おいっ! あぶな……っ!」


 オレが叫ぶよりも早く、幸四郎は金色の発光体となり、ふにょんとゆがんだ、かと思うと、ブルーレイの頭出しをしたみたいに間をすっ飛ばして、一瞬で地上へと降りている。


「な、なんだ、それは? どうやってるんだ?」


「わっかんねー! なんか、さっきから、できそうだったから」


「できそう? なにが?」


「だから、やってみたら、できた!」


「はぁ~?」


「いっくぞぉー! びしゅーん!」


 元気いっぱいのかけ声とともに爆発にも似た轟音が響く。巨大な千枚通しで穴を開けられたように、根元が丸く削り取られた木が、ずしんと倒れた。


「幸四郎! 危ないでしょ!」


「なぁなぁ! 父ちゃん! 今のわざ、すっげーだろ! 超ウルトラスーパー……超ウルトラ……超ウルトラスーパーアタック!」


 氷燦名の注意もお構いなしに、幸四郎が自慢する。


「なんだそれは……。だったら、フォトニック・アローなんてのはどうだ」


 フォトン──光子とコーシで、かかってるし。


「うおお! かっけぇ! もっかい! もっかい言って! ふぉとにく? なに?!」


「フォトニック。フォトニック・アロー」


「ふぉとにっく……、フォトニック・アロー!」


 新たな技名をさずけられて調子づいた幸四郎は、当たり構わず飛びまわり、そこらじゅうの枯れ木をへし折り始めた。


「もう! パパ! 調子に乗らせてどうするの! 危ないでしょ!」


「い、いやぁ。すまんすまん」


 氷燦名がまなじりをり上げる。

 こうなると、氷燦名は怖い。──ただまぁ、幸四郎はあの妙な力を使えるみたいだから、危ないってことは、なさそうであるが。


「キブツソンカイになっちゃうでしょ!」


「っと、それもそうか。おぉい! やめろ、コーシ!」


 だが、興奮状態の幸四郎には聞こえていないようで、まったくやめる気配がない。さっきから、ズドドドドドと、爆発に似た衝撃音と、樹が倒れる音が断続的に響き続けている。


「おぉい! コーシ、聞いてるか? もうやめろ!」


 オレが声を張り上げている間、氷燦名は何やら押し黙っていたかと思ったが──、


「──ねぇ、私も使っていい?」


 ふと、氷燦名がいた。

 小さな手を開いたり閉じたりして、心ここにあらずといった面持ちである。


「使うって、何をだ?」


「何を、っていうか、幸四郎みたいなの」


「……使えるのか?」


「分かんない……。でも、多分、使えると思う」


 果たして、許可していいものか。幸四郎に危険はないのか考えあぐねていると、氷燦名が1歩、前に進む。


「お、おい……」


「大丈夫。危なくないようにするから」


 オレが心配していることをすぐに悟ってくれる、本当に良く出来た子である。


「幸四郎! 今すぐやめないと怒るからね!」


 お姉ちゃんがこのモードに入ると、幸四郎に残された時間は少ない。そして、その時間が改心のために使われることはまれだ。


「いい? 今から3つ数えるからね! 3! 2! 1──」


 ジュワン! と、不思議な音がした。

 さっきまでそこらじゅうを飛び回っていた光の軌跡が一瞬にしてかき消え、眼前には水晶のような輝く立方体が出現している。


 立方体は内部から強烈に発光していたが、しばらくすると、光が凝縮して上部にとどまり、ぽとんと落ちて、幸四郎になった。


 幸四郎は不安げな顔で立方体の内側を歩き回り、たたいて、出られないことを確認したようだ。

 すぐに、その表情に必死の色が混ざる。と、途端とたんに立方体は消えて、幸四郎は地面にしりたたきつけた。


「次やったら、もう出してあげないからね!」


 いまだびっくりしている様子の幸四郎を見下ろし、氷燦名がそう宣言した。


「……う、う、うぇ」


 あー、これは泣く。泣くぞ。幸四郎の顔がみるみるゆがんでいく。

 あわてて駆け寄ろうとしたが──、その必要はなかった。


「ハイハーイ、コーちゃん。ちょっとビックリしちゃいましたネ~」


 今にも泣きだしそうになっている幸四郎を、後ろからクロジンデが優しく抱き上げた。幸四郎は振り返ってその豊満な胸に抱きつき、まだ少しぐずっている。


「あんな、あんな、おれな、父ちゃんがな、わるくないのにな、ねぇちゃんが」


 これは翻訳ほんやくすると、「父ちゃんは怒らなかったから悪いことではないのに、姉ちゃんが怒った。おれは悪くない」という意味だろう。どうやら、さっきオレが声を張り上げて止めようとしていたのは、聞こえていなかったようだ。


「そうなノ~。ヒーちゃんはコーちゃんのこと心配してくれて、優しいネ~」


 クロジンデは幸四郎は片手で抱きかかえると、空いたほうの手で氷燦名を抱き寄せた。幸四郎はもう8歳だから結構重いはずだが、そんなことは微塵みじんも感じさせやしない。氷燦名は無言で、クロジンデにしがみついていた。


「あ、あ~……。じゃ、オレも」


 オレもクロジンデに抱きつこうとしたら、あろうことか、我が妻は体をくねらせて避けた。


「いやー、パーパさん。でっかい。でっかくて怖い。ツノも怖い。怖いワ~」


「えー……」


 軽くショックを受けていると、クロジンデは少し離れたところに幸四郎を降ろし、オレの方に寄ってきた。


「だから、あたしから……ネ」


 クロジンデも日本人基準では長身な方だが、2メートル近いオレに抱きつくと、頭がちょうど肩の当たりにくる。銀色に変わってしまったつややかな髪をでていると、しゃがみこんでいた幸四郎が立ち上がった。


 ぱしん、と、氷燦名が幸四郎の頭をはたく。


 幸四郎が恨みがましく姉を見上げるが、氷燦名は幸四郎の頭を脇に抱いて、幸四郎も氷燦名の腰に手を回す。なんだかいい感じだ。2人とも、もうさっきのことは気にしていないらしい。


「なぁ、父ちゃんも、できるんだろ?」


「できるって、何が?」


「おれたちみたいなこと! やって! やってみせて!」


 と、言われても、何をどうしたらいいのか。あんなもん、どうやったって、できるような気がしない。そもそも、あれは一体何で、子供たちはどうやって使い方を知ったのか。


「うん──。パパも、出来ると思う」


 すると、氷燦名までおかしなことを言う。


「パパから、熱い──何か、力みたいなのを感じるもん。それも、私たちより、よっぽど強い……」


 はぁ……。本人はまったくそんなものを感じないのだが。分からん。途方に暮れていると、幸四郎がジャンプしてオレの腹に跳びついてきた。


「あれやればいいじゃん! あの、あめなめた~! ってやつ!」


 オレより少し下の世代が夢中になった、今また再放送している国民的人気アニメの必殺技のことだろう。「あめなめた」ではないのだが、幸四郎はわざと間違うのが面白いらしく、しょっちゅうこう呼んでいる。まぁ、語感は一緒だ。


 幸四郎を降ろし、クロジンデから離れて、両手を腰だめに構える。


「あ~め~」


 まったく、力が集まるとか、そんな感じはしない。


「な~め~」


 アニメなら、そろそろ両手の間が光りはじめてもいいころだ。もちろん、何の兆候ちょうこうもない。


「た~!」


 そう言って、両手を突き出した、瞬間、


 カメラのフラッシュを何倍にもしたような閃光が、オレたちの両眼をいた。まるでアマゾン川を逆流するポロロッカのごとき巨大な光の奔流ほんりゅうが、うなりを上げて突き進んでいく。


「あ、あーっ!」


 氷燦名が悲鳴を上げた。そして、オレの両手から放たれた力のうずは──、


 ポキンッ!


 っと、音が聞こえそうなほどあっさり、雲海の遥かかなた、雲上に突き出していた西洋風の城の塔を吹き飛ばした。直撃こそしなかったものの、余波よはであれだけの威力とは──我ながら恐ろしい。


「あ、あ、あぁ~」


 思わず、情けない声が漏れる。


「……私、知~らない」


 無情にも、ひとり娘に見捨てられるオレである。


「あ~、あれは……。まずい? かも。まずい、よな。まずい」


 こんなところにいるのを見られたら、犯人扱いされてしまう。と、いうか、完全に犯人なわけであるが……。


「逃げるか」


 そう、呟いたオレの頭上に、太陽のひとつを黒く切り抜く、十字型の、巨大な影が落ちた──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る