貧乳性魔、現る

「おお! ついにご降臨なさったのですね、我が王!」

 太陽をさえぎって飛ぶコウモリみたいな影は、そんなことを言っていた。


 ふよんっと重力を感じさせない動きで宙を舞う。露出度の高い、黒の革製の服を着て、全体的に丸みを帯びた曲線的な体つきをしているから、どうやら女であるらしいが──、その胸は絶望的に平たい。

 紫色の髪をしたコウモリ娘は、滑るような動きで雲上に突き出た島に舞い降り、その場で片膝かたひざをついた。


「ご機嫌うるわしゅう、魔王陛下へいか。我が名はマヒナ。マヒナ・ラ・イサクにございます。陛下のご降臨に際しまして、私めが真っ先に駆けつけましたこと、ご記憶に留めてくだされば無上の喜びにございます」


 オレはまずクロジンデを見た。

 クロジンデがかすかに首を振るので下を見ると、足元でオレを見上げていた氷燦名ひさな幸四郎こうしろうと目が合った。それから、伊坂いさか家全員、お互いの顔を見合って、最終的にオレに視線が集中する。


「……オレ?」

 そう尋ねると、マヒナと名乗ったコウモリ娘は「ははーっ」と大げさにこうべれた。

「かようなる下位の魔族にお言葉をたまわり、恐悦至極きょうえつしごく……。このマヒナ、感動に胸が張り裂けん思いでございます。むろん、魔王陛下はただおひとり。その雄々おおしき2本の凶角、見まごうはずもございません」


 もう1度、家族で顔を見合わせる。


「あ、あー……。いや、感動しているところ悪いんだけど、何かの間違いじゃないですか? 我々はただの日本人で、伊坂、というんですが」


 すると、コウモリ娘がパッと顔を上げて、目を見開いた。

「イ、イセカー! 今、イセカーとおっしゃいましたか?」

「いや、伊坂……」

「こ、古語においては“イス”は秩序、または平和を。“エーカー”は破壊する者を意味いたします。イセカー……平和の破壊者とは、なんと猛々しき御名みなをお持ちなのでしょう! かような主を押しいただくことができようとは、我ら、いっそう身の引き締まる思いにございます!」

 そう言って、マヒナはまた「ははーっ」だ。おいおい、勝手にヤバそうな単語をアンシェヌマンして人の苗字にしないでほしい。イセカーじゃなくてイサカだし。


 っと。

「そもそもね……、さっきから人のことを魔王、魔王って言うけど、あなたはなんなんですか? 魔族とかいうやつ? 我が家は別にそんなおかしなもんじゃないし、ごく普通の、一般人なんですよ」


 なんとか、こちらの困惑を理解してもらおうと説明していたら、後ろから背中を叩かれた。

「パパ……。そんなツノ生やして、説得力ないと思う」

 そう言って、氷燦名が一歩前に進み出る。

「あの、マヒナ……さん? うちのパパって、魔王……、つまり、人間ではないんですか? もしかして、私たちも?」


「失礼を申しますが、陛下。あの、こちらの方は……?」

「あぁ、我が自慢の娘、伊坂氷燦名だ。それから、後ろのちっこいのが弟の伊坂幸四郎。こっちの美人が我が妻、伊坂クロジンデ」


 すると、マヒナは飛び退すさって平伏した。

「な、なんと! これは我が身の不明にございました! 先刻から、そのお力はひしひしと感じてはおりましたが……。やんごとなきご一族の方々に対する礼を失しましたこと、十重二十重とえはたえに、おび申し上げまする!」


「あの、そういうのいいんで。質問に答えて下さい」

「申し訳ありませんでした、氷燦名さま。私にはご質問の意図がよく分かりかねるのですが──、皆様方も、むろん、魔王陛下も魔族。全身からほとば禍々まがまがしい魔力、決して、人間が持ちうるものではございませぬ!」


 氷燦名の体が、一瞬こわばったように見えた。オレからはその表情は見えなかったが、氷燦名はくるっと振り返り、クロジンデに抱きつく。


「父ちゃん。まぞくって、てき?」

 幸四郎がオレの腹に飛びついてきたので、慌ててケツを持って支える。


「まぁ、どっちかって言ったら、敵なことが多いかな?」

「え~! おれ、正ぎがいい!」

 まだ厨二病ちゅうにびょうにはちょっと早い年頃の幸四郎は、魔族よりは正義の味方のほうがお気に召すらしい。

「コーシはほら、光になれるんだから、光の戦士じゃないか?」

「そっかー! じゃー、おれ正ぎのみかたで、父ちゃんがわるもんな!」

 フッハッハ! 父ちゃん、悪者なら得意だぞ。お前の戦隊ごっこに、何年も付き合ってきてるんだからな。


 マヒナがうっとりと頬を染めた。

「わけても、ご降臨の直後に、聖王国に対しあのような宣戦布告せんせんふこく。マヒナ、しかとこの目で見ておりました。なんと雄大ゆうだいなる力の奔流ほんりゅうにございましょうか……。あれぞまさしく、魔族の王たるお方の御業みわざかと!」

「うっ!」

 どうやって追い払おうかと思っていたが、痛いところをついてきやがる。ではやはり、先ほどの犯行は目撃されていたのか……。


「あ、あの~、さ? やっぱり、怒ってるよね? あの城の人」

「それはもう! 完膚かんぷなきまでに! 聖王国のやつら、ある者は怒りに身を焦がし、またある者は絶望に打ちひしがれていることでしょう。我ら魔族の恐ろしさ、骨のずいまで思い知ったに違いありませぬ!」

 マヒナはやたらと嬉しそうだ。


「ここ100年来の融和政策のおかげで、人間どもと交易なども行い、仮初かりそめの平和を享受きょうじゅしておりましたが……、やはり、本来ならばともに天をいただくことのない仇敵きゅうてきにございます。このマヒナ、魔王陛下のあの宣戦布告に、胸のすく思いにございました!」


「──え?」

 どうやら“魔族”と言ってイメージする状況とは違い、お互い平和にやっていたらしい。その平和を、もしかしたら、オレが壊してしまったでは……?


「い、いやいや、平和ならそれに越したことはないでしょ?」

「ええ! 仮初かりそめの平和の日々は、今日という日の絶望をより深く刻みつけるための布石であったのだと、マヒナ、今ここに至り、思い知りましてございます!」

 ダメだ、話が通じない。


「そうじゃなくて……。はぁ、なんか、あんたと話していると、どっと疲れが」

 なるべく重苦しいため息をついたつもりだったが、疲れの原因であるマヒナはまったく察してくれないようだ。

「ご降臨の直後にあの御業みわざ、お疲れになるのも無理はありませぬ。──では、この地に眠る、魔王城をご召喚なさいませ」

 と、満面の笑みでそう提案してくる。


「まぁ、確かに。オレが本当に魔王だってんなら、お城のベッドで少し横になりたい気分ですけどね」

「──では、『目覚めよ、魔王城よ』と」

「ふん?」

「陛下が呼びかければ、城は再び、この地に姿を表しますでしょう」


「へぇー……」

 ちょっとやってみようかな……、そう思って、頭上に手を掲げたところで、ふと気になる。

「あの、魔王城ってどっちの方向にんです?」

「地下です。陛下」


「ふむ、では──。ごほん。『目覚めよ、魔王城よ!』」

 なんてね。ははは。

 大地に向かってそう叫んでは見たものの、特に目立った変化はない。


「まぁ、こんなもんだよね……」

 何かのアトラクションでも起こるのかと思って、少し期待していたのだが──、


 っと、直後、我々が立つ雲上の島にも似た山のいただきが激しく揺れた。

「な、なんだ!? 地震か!?」

 慌てて子供たちを抱き寄せ、自分の体でおおい守る。


「陛下、少々こちらへ」

「な、なんだと?」

「その辺りは、尖塔せんとうはずでございます」

「な、なにィ──!?」


 瞬間、オレたちの体は、下から物凄い勢いで上空へと突き上げられた。

「のわぁ──っ!」

「んんっ──」

「うおおお、すっげー!」

「きゃー、パーパさーん!」

「……むぐ、むぐぐっ」


 まるでカイワレの成長のタイムラプスのような、夢だけど夢じゃなかったような速さで、何十もの尖塔せんとうが地面から天へ向かって伸びた。オレたちはその塔のひとつに乗って、遥か上空へと突き上げられていた。

 下の方から、ガキンガキンと石がぶつかるような音が聞こえる。音がするたびに塔が微妙に揺れて、今にも屋根からすべり落ちそうだ。

 薄い雲を何度も、猛スピードで突き破っていく。


 家族の誰ひとり落とすまいと固く抱きしめ、一体どれだけ時間が経っただろう。

「もうよろしゅうございますよ」

 自分だけ翼のあるマヒナは余裕綽々しゃくしゃくの顔でそう告げる。


 しかしてオレは──、窒息しかかっていた。家族を守ろうとかがんだところに、ちょうどクロジンデの豊満なバストがあったからである。

「ぷはぁっ!」

 空気を求めてあえぎ、天を仰ぐ。


 立ち上がってあたりを見渡すと、眼下には、ホ〇ワーツか、ノイシュヴァンシュタイン城か──、巨大な西洋風の城が出現していた。

「ひぇっ」

 地面までの距離が遠い。

 スカイツリーの展望台に上ったときより高く感じるのは、落ちたら即死ぬ、というのがありありと分かるからだろう。


「これで、襲い来る人間どもを迎撃する準備が整いましたね、陛下。早速、馬に乗った虫けら──聖王国の騎士が1匹、こちらへ向かっておるようにございますが」

「ええっ? ちょ、ちょっと待って。今そんなこと言われても」


「んっ」

 と、その時、背後から小さな悲鳴が聞こえた。振り返ると氷燦名がよろけ、ぱたりと気を失ったところだった。そういえば氷燦名は、スカイツリーの展望台に行った時も、腰を抜かして、エレベーターから1歩も動けなかったし──


「とっ、とにかく! その人の相手はお願いできますか! オレはひとまず子供たちを安全な場所で休ませてから向かいますんで!」

 マヒナにそう頼むと、オレは氷燦名を抱きかかえて、すぐ下にあった渡り廊下へと飛び移った──。

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