聖騎士

 オレはだだっ広い城内を、氷燦名ひさなを抱えて駆け回っていた。屋根から氷燦名とクロジンデを降ろし(幸四郎は自分で空を飛んで降りた)、渡り廊下の先にあった扉に入って、数分ほどだろうか。


「なぁなぁ! 父ちゃん! どこ行くんだ?!」

 幸四郎こうしろうは新たな遊園地に来たとでも思っているのか、さっきからすごくテンションが高い。クロジンデがその後を、おっとりついてきている。


「とにかく、どこか、氷燦名を寝かせられるところを……」

 そう思ってあちこちの扉を開けて回るのだが、この辺りは納屋なやのような部屋が多く、休ませるには適していない。


「ベッド、さがしてんのか~?」

「そ、そうだ! 見つかったか?」

 幸四郎の発言に、一瞬期待する。だが、

「な~い!」

 と、ひたすら楽しそうな声に、脱力。


「あのなぁ、コーシ。姉ちゃんが倒れて、心配だろ?」

「でもな、あんなあんな、ベッドならな、こっちにある!」

「えっ!?」

 なぜ知っているのかと考える前に、幸四郎は近くの階段を駆け下りた。慌ててついていくと、幸四郎が大きな声で、

「ベッドのおへや!」と叫ぶ。


 ──いつの間にか、階段に赤い絨毯じゅうたんが敷かれていた。不審に思って上を見上げると、クロジンデが絨毯の上を下りてくるところだった。下りはじめたときは石造りの無骨な階段だったと思ったが、今は上の階まで赤い絨毯が続いている。


(なんだ……?)

 わけの分からぬまま階段を降り切ると、そこは先ほどとは打って変わって内装が充実した、きらびやかな階層だった。扉の1つに手をかけると、中には豪奢ごうしゃ天蓋てんがいつきのベッドが置かれている。


「氷燦名! とにかく、ここでゆっくり……」


 飾り棚の上にあった水差しをつかみ、ひと口含む。

(多分……、大丈夫)

 おかしな味や匂いはない。先ほどまで地下にあった城なのに、誰がんだのかという疑問は残るが──、

「氷燦名、水だ。飲め」

 今はそんなことは言っていられない。取っ手をつかみ、ガラス製の水差しの口を氷燦名の口元に運ぶ。


「んっく」


 口元からこぼれた水が、氷燦名の胸元を少しだけ濡らした。

 ──小さくせき込み、氷燦名が目を覚ます。

「おぉ、起きたか」

 ほっとして、オレはついその場にへたり込んでしまった。膝立ちのオレと、ベッドで体を起こした氷燦名の目線の高さが同じになる。

 その氷燦名は──、めちゃくちゃ怒っていた。


「もう……なんなの」

「そ、そりゃ、オレにもよく……」


「なんで、私、人間じゃないの。ずっと、魔族だったの? なんで、私にもあんな力が使えたの? ──ここはどこ? あのマヒナとかいう子はなんなの? 答えて。答えてよ、パパ!」

 いや、怒ってるんじゃない。氷燦名は──、傷ついてる。

 この状況に混乱し、驚き、そして、おびえている。


「私ね、魔族なの。だから、ほら。見て。こうやって、氷を自由に動かせる」

 氷燦名が人差し指を立てると、その指先に巨大な雪の結晶のようなものが現れた。

 父ちゃんには全く実感がわかないが、子供たちはとっくに、自分が使えるようになった奇妙な力を自覚していたのだ。それが、混乱に拍車はくしゃをかけている。


「私たちが魔族だから、騎士が討伐とうばつに来たのね。パパは魔王だから、きっと退治されちゃうんだ。なんで、急にこんなところに来て、悪者として退治されなきゃなんないの? ねぇ、どういうこと。一体なんなの。──おうち、帰りたい。ゆっこに会いたい。みおちゃんにも。はるみんにも会いたい。ゆっこは中学から別々になっちゃうから、今だけしか、遊べないのに」


 オレは──、動けなかった。一言も、口に出せなかった。何を言っても、誤魔化ごまかしになる気がした。


 と、ふいに肩に重みを感じる。

「クロジンデ……」

 振り返ると、クロジンデがオレの肩に手を置いていた。

 クロジンデがひとつうなずく。


 オレは意を決し──、氷燦名を抱きしめた。

「ごめんな。頼りない父ちゃんでごめんな。今一体どうなってるのか、ここがなんなのか、なんとか調べて、帰る手がかりを見つけてみせるからな」


 すると、幸四郎がベッドに飛び乗って、オレと氷燦名に手を回した。クロジンデもオレの背中に体を預ける。

「……コーシも、帰りたいか?」

「んー? あんな、ケイタのことは、ちょっとしんぱい! あいつ、おれがいないと、上級生にいじめられっから! ……でも、おれがいなくても、ケイタのことはハルヒロがまもってくれるはずだから、だいじょうぶ!」

 幸四郎の笑顔のおかげで、少し気持ちが軽くなる。

 氷燦名にとってもそれは同じだったみたいで、幸四郎の頭をパシンとはたいたかと思うと、幸四郎をぎゅっと抱きしめた。──その1発は余計だと思うが、幸四郎はされるがままになっている。


「とにかく! 魔族と人間は、別に仲が悪いわけじゃないらしい。なら、平和的に解決する方法もあるだろう。今、騎士がこの城に来ているらしいし、塔を折っちまったことに関しては謝ろう。わざとではなかったし、こちらに害意はないと分かってもらえれば、戦いは避けられるはずだ」


 そう言って、立ち上がる。すると、氷燦名が心配げにオレの顔を見上げた。

「騎士さんは、今どうしてるの?」

「ん? 今はマヒナさんに、相手をしてもらってる」


「──え?」


 氷燦名の顔が急にくもった。な、なにかマズかったのだろうか。


「マヒナちゃんに、相手をしてって、お願いしたの?」

「そ、そうだが」

 と、答えるやいなや、氷燦名が前方に手をかざした。部屋の中央にきらきらと白く輝く光の粒が凝縮し──、それは薄い楕円形だえんけいに固まって、半透明の鏡になる。


「……すごいな、どうやってやるんだ? それ」

 ちょっと羨ましい父ちゃんである。だが、そんな間の抜けた感想は、鏡に映った像を見た瞬間にかき消えた。


「ねぇ、パパ! マヒナちゃんが!」

「戦ってる?」


 あんのバカ!

 オレが「相手をしておいて」と頼んだのを、「撃退して来い」という命令だと勘違いしたらしい。

 鏡の中では、全身を鋼の鎧で覆った騎士が、マヒナと切り結んでいた。


 これはマズい。非っ常~にマズい。

 戦いは避けなければならないが、今ここでマヒナがあの騎士を殺すなりして、こちらに敵意があると思われてしまったら……。聖王国とかいう、いかにもお堅そうな名前の国と、一戦交える羽目にもなりかねん。


「あ、でも……」

 止めにいこうとして1歩を踏み出し、そこで、オレは動けなくなった。


「ねぇ、パパ! 早く止めないと、戦争になっちゃうかもよ!?」

 氷燦名が叫ぶ。だが──、

「いや、それはそうなんだがな──、この城、無駄に広くて」

 やつら一体、どこで戦っているのか。


「もう!」

 すると氷燦名は、猫のようにしなやかな動きでベッドから飛び降りた。

「幸四郎! この部屋。この鏡に映ってる部屋に、連れてってくれる?」

「オッケー!」


 それからオレに向き直って、

「パパ、パパも来て。ママはここで待ってて。すぐ戻ってくるから!」

 と、オレの手を引いた。


「い、いや、だが、お前を危ないところに連れていくわけには」

「んっもう! パパじゃ、あの2人を怪我させずに止めたりできないでしょ! 私なら、さっき幸四郎を閉じ込めたみたいにすれば、引き離せるから!」

 む、むう。

 確かにそうだが。

 でも、あの騎士は剣を持っているんだぞ? 万が一のことがあったら──


「急ぐんだから! じゃ、私たちだけで行ってくる! 幸四郎、行くよ!」

「おう!」

 オレがぐずぐずしていたら、2人は手を取って部屋から駆け出して行った。

「あ、待って! オレも行くから──!」


 っと。

「マヒナがいるおへや!」

 廊下に出るなり、すぐさま幸四郎が階段に向かって叫んだ。

 子供たちは階段を勢いよく駆け下りていく。

 オレも2人に続いて階段を下りていくと、階段の赤い絨毯はいつの間にか消え、代わりに両はじの柱には荘厳そうごんな彫刻が施されている。


 階段の一番下まで駆け下りると、そこはギリ、サッカーができるかも知れないぐらいの、だだっ広い大広間だった。

 天井近くではマヒナが悠然と飛翔しており、赤毛を短く刈りそろえた騎士を、ふんぞりかえって見下ろしている。


 怪我をしているのだろう。騎士は右腕を抑え、肩で息をしている。マヒナも多少負傷しているようだが、形勢は明らかにマヒナが圧倒していた。

 騎士はというと、整った目鼻立ちに、やや垂れ気味の、切れ長の目。まぁ、イケメンの部類であろう。額から一筋の血を流し、マヒナを憎々しげに睨みつけている。


 と、その時、マヒナがオレたちに気づいた。

 ──その鼻の穴が、少し膨らんだ気がした。

 おそらくは、手柄をアピールする絶好のチャンスだと思ったのだろう。マヒナはひときわ高く舞い上がり、赤毛の騎士に向かって急降下した。


「だ、ダメだ! 止まれぇ──!」

「マヒナちゃん、やめてぇ──!」

「うおお、いっけー!」

 伊坂家3人の悲鳴(約1名歓声)が、大広間にこだまする。

 だが、遅い。

 氷燦名が力を使おうと手を振りあげるより早く、矢のような速さで、マヒナは手負いの騎士へと襲いかかり──、


 両手で騎士のほほをはさんで、そのくちびるに、熱い接吻せっぷんをした──。

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